NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140815229

作品紹介・あらすじ

神は死んだ-。既存の権威と価値観を痛烈に批判した十九世紀の哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、神による価値づけを失った人間がどう自分の生を肯定すべきかを考え続けた。己の境遇をどのように受けとめ、いかに力強く創造的に生きるかという彼の生涯の問いは、時代を越えて、いま私たちの深い共感を呼ぶ。二大思想「超人」「永遠回帰」を軸に、『ツァラトゥストラ』の書に込められた「悦びと創造性の精神」を紐解く。

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    ツァラトゥストラ(光文社古典新訳文庫)の上下巻あるうち、下巻の2/3ほど読み進めて、ふと我にかえった。このまま最後まで普通に読み進められるけど、「なんかイマイチ心に響かない」。このまま読了しても良いのだろうか?いや、ダメだろうと。このまま読了すると、ニーチェに対して苦手意識を持ってしまうかもしれないし、下手をすると、「やっぱり哲学って、こ難しいから、今後哲学を読むのは控えようかな」と認識してしまう可能性が高い。それは避けるべきだと思い、以前ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のときに行った「100分de名著」に解説してもらおうと思った。

    一昔前の自分なら一冊の本を読了する前に解説本を読むのは卑怯だと思い、読了するまでは、何がなんでも他の関連書籍は読まないと、頑なになっていたと思う。ただ以前、村上春樹氏に対して20年以上も苦手意識を持ち続けてしまった経緯があった。その時の反省を活かし、20年も心にトラウマを持ち続けるよりは、一人の哲学者を理解するために、複数の関連書籍を同時並行で読み進めていくのは、まったく問題ないどころか、むしろそれで理解が深まるなら、絶対そうするべきだろうと。

    よく考えたら、僕が好きなCOTENの深井龍之介氏も一つのテーマに対してコンテンツを作る際、大体5万円ほどの書籍を購入し、関連書籍を読みまくるらしい。また、今は亡き司馬遼太郎氏も「竜馬がゆく」を執筆した際は、神保町の古本屋からその関連書籍がほぼ無くなるほど、書籍を爆買いしたらしい。その数、軽トラック一台分で当時の価格で1,000万円なんだとか。

    僕が今後読もうと思っている書籍は、哲学書や古典思想書などで、世間一般にも難しいと思われている本だ。なので今までの本の読み方とやり方を根本から変えるべきだなと思った。一人の著者(作品など)を読もうと決めたら、その著者を知るために複数の書籍を同時並行で読むことをある種デフォルトにするべく、考え方をシフトチェンジしようと決めたため。

    【ニーチェの生涯】
    やはり解説書を読んで良かった。
    ニーチェ個人に対して、まだまだ知らないことが多すぎた。村上春樹氏のときもそうだが、その作品を深く知るのに最も手っ取り早いのは、作者自身のことに興味を持ち、出来るなら作者本人を好きになってしまうのが、最短の道だと改めて思った。

    ニーチェの経歴について、今回新たに知ったことを詳細に書くと、以下になります。

    フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、1844年に生まれて1900年に亡くなる。その人生を一言でいうと「若くして成功に恵まれたが、後半は挫折と苦悩を抱えつつ執筆し、最後は精神を病んでしまった」と言える。

    ニーチェはドイツの東部ザクセン州ライプツィヒ近郊の村レッケンに、両親とも牧師の家系の息子として生を受ける。父親が5歳のときに亡くなると、一家は中都市ナウムブルクへと移り、ニーチェはそこで母と祖母、叔母である父の姉二人と自身の妹、それから小間使いという、女性ばかりに囲まれて育つ。

    成績は子供の頃から優秀で、音楽もナウムブルク一の先生のもとに通い、ピアノの腕は相当のものだったんだとか。ただ小さい時から集団生活が苦手で、本当に気持ちの通じる仲間が一人か二人と付き合うスタイルで、そのスタイルは生涯にわたり変わらなかったんだとか。1858年、14歳のときにプフォルタ学院という有名学校に入学。ここで20歳になるまでの6年間を過ごす。その間詩を書き、作曲をし、哲学論文を記し、ゲルマン英雄伝説の形成についての文献学的研究まで行っており、若い頃から極めて突出した存在だった。ワーグナーを初めて聴いたのもこの頃で当初は音楽家になりたかったんだそう。のちにインド哲学の研究で有名になるパウル・ドイセンとは親友であった。

    プフォルタ学院を卒業したニーチェは、一度ボン大学へと入学するが、翌1865年にライプツィヒ大学へと移り、高名な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学を学ぶ。

    ちなみに古典文献学とは端的にいうと「ギリシャ・ローマの古典を研究する学問」だが、当時のドイツでは大きな意味を持っていた。それは一種の憧れといってよいもので、ゲーテ・ヘーゲルその他のドイツの知識人たちは「ギリシャ・ローマをモデルとしてこれからの人間社会を考える」という姿勢を一貫してとってきた。その背景としてプロテスタントの国ドイツには厳しい掟があり、人間は禁欲的につつましく生きなければいけないとされていたという。若者はそうした生き方に抵抗がある。そこでギリシャの古典を読むと、たとえばソクラテスは色々な若者たちと自由に語り合い、心から納得できる考えを取り出そうとする。哲学とは本来そういうもので、自由闊達な議論が大前提だ。

    ドイツの学生や知識人はこうしたギリシャの自由な生き方に大きな憧れを抱き、それを人格形成の礎にもし、また今後の社会の模範にもしたいと考えた。しかしニーチェの生きた19世紀後半になると、古典文献学では厳密で実証的な文献研究が進み、自分で自由に大切と思える部分を取り出して解釈する読み方は、受け入れられないようになる。

    ニーチェは大学の懸賞論文で、三世紀前半の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」の典拠をめぐる研究をするが、彼は同時期に、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読んで衝撃を受けているので、自分の思いを大胆に書き出したい気持ちがあったのではないかと思われる。はやる気持ちを抑えて、厳格に学問的に古典を正確に読むという訓練を行なっていく。その甲斐あって、この論文は学内で賞を獲得し、リッチュル教授推薦のもと、ニーチェは24歳の若さにして、スイスのバーゼル大学の古典文献学員外教授に就き、出世を遂げる。

    この頃ショーペンハウアーに夢中になっており、特に「生は苦悩で、音楽だけが忘れさせる」という言葉に真実があると考えていた。しかしそのことは恩師リッチュル教授には伝えず、ひたすら真面目に文献学の修行をする。1869年、24歳の若さで古典文献学の員外教授に就いたニーチェは、翌年あっという間に正教授に就任。これは当時でも異例の抜擢とのこと。

    この頃ニーチェが特に交流を求めたのがワーグナーだ。この頃のワーグナーは、50代半ばで、すでに名声を確立しスケールの大きなカリスマ的人物としてたくさんの人々から称賛を浴びていた。ニーチェはワーグナーとその妻コジマの別荘に訪れては、入り浸っている。ニーチェはワーグナーをさして「アイキュロス(古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人)が現代に生きている」といったそう。古代ギリシャの精神をドイツとヨーロッパにもたらしてくれる「文化改革者」として捉えていたことになる。ワーグナーもニーチェのことを、自分の音楽のことを理解し支えてくれる若く知性ある若者と捉えていたようだ。そして二人はともに、熱烈なショーペンハウアーの支持者でもあった。

    1872年、28歳のときに処女作「悲劇の誕生」を出版。しかしこれが問題の書で、その後のニーチェの人生を決定づけることになる。なぜなら、この書物は厳密な古典文献学の研究というよりも、ニーチェ自身の芸術論をギリシャ悲劇に託して書いた面があったからだ。そのため学会からは、総スカンを喰うことになる。

    ニーチェは、古典文献学は実証的な精密さだけではだめで、古代ギリシャ人の精神の核心に迫るものではなくてならず、そうすることで初めて自分たちの生をよくすることに役立つと考えていた。ニーチェはさらに、悲劇を滅ぼしたのは、知や理論によってすべてを理解できるとするオプティミズム(楽天主義)であるという。悲劇詩人エウリピデスはディオニソス的なものを滅ぼしたと批判しつつ、最終的にはソクラテスを批判することへと向かう。ソクラテスは「よく生きるためには何がよいことかを知らねばならない」と説くが、ニーチェにいわせれば、知ができることは限られており、人間が生きる上でぶち当たる深遠な苦悩には届かない。苦悩を無視してこしらえた理屈など何ほどのものでもない、という。これはもちろん、時代状況の批判にもつながる。つまり、理論と技術を万能とする進歩主義、平板に知的に人生を理解する見方への批判でもあった。

    このような「悲劇の誕生」はワーグナーやそのサークルの人々には激賞されるも、厳密な文献学研究とはまったく認められず、ニーチェは学会は言うまでもなく、自分を推薦してくれたリッチュル教授にすら見捨てられてしまう。義務はあるので大学には勤めなくてはならない。でも、授業を開講しても学生がまったく来ない。学生にまで見放されたニーチェの大学人としての生命は、28歳にしてほぼ終わってしまう。

    それでもニーチェには、まだワーグナーへの期待があった。ところがその関係もしだいに崩れ始めていく。理由は、ニーチェのワーグナーに対する「違和感」だった。ワーグナーこそは、自分たちの今いる世界と文化を本気で作り変えていく人間だと思っていたのに、もしかしたら彼はたんに自分の名声が欲しいだけの俗人なのではないか、それに彼はキリスト教に戻ろうとしている。その不信感は、1876年、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を建設したときには確信へと変わっていた。

    でもワーグナーからすれば、ニーチェの心変わりは奇妙に思えたことだろう。これまで自分を礼賛していて、自分も目をかけて親切にしていた若い学者が、突然手のひらを返したかのように、著書「人間的な、あまりに人間的な」で悪口を言い始めたからだ。ニーチェはこうしてワーグナーを批判し自ら離反していったのだが、ニーチェにとってワーグナーは生涯通して「すごい人」であり続けた。ワーグナーと彼の妻コジマと過ごしたときの幸福はいつまでも覚えていた。

    ニーチェのここからの後半生はひどいものだ。もともと目は悪かったが、さらに悪くなり、頭痛や吐き気、胃痛が続くなどほとんど病人で、何度か自殺を考えたこともあったようだ。学会はダメ、ワーグナーもダメ、体調もダメ。友人もますます少なくなる。それでもニーチェは、思想家として書き続けようとする。

    まだ体調がましだった頃に刊行した「反時代的考察」はそこそこ評判になったが、体調が悪化してからの「曙光」(1881年)、「悦ばしき知」(1882年)と80年代に入ると、誰も見向きもしなくなる。79年には体調悪化で大学も辞めてしまう。ニーチェとしては文筆業で身を立てたいという希望があったのだろう。でも書くものはまったく売れない。大学からの年金があったので生活は成り立ったが、以降はイタリアやスイスのあちこちを巡りながら、売れない原稿を書き綴っていくことになる。

    そんな中、1881年8月にニーチェは突然「永遠回帰」の思想が、インスピレーションとして到来する。また1882年にルー・ザロメとの失恋を経験する。この2つの体験が「ツァラトゥストラ」執筆にあたっての大きな動機づけになったことは、間違いないとのこと。翌1883年、ニーチェは2月3日〜2月13日までのわずか10日間で「第一部」を書き上げる。そして続く1884年には「第二部」「第三部」、1885年には、ほとんど私家版ともいうべき「第四部」を完成させる。

    その後の著者は、「ツァラトゥストラ」に込められた思想を別のやり方で補足・解説していくという感が強く、1886年の「善悪の彼岸」と1887年の「道徳の系譜学」はまさにそうしたもの。
    そして1888年「ワーグナーの場合」「偶像の黄昏」「アンチクリスト」「ニーチェ対ワーグナー」と、まるで蝋燭が消える前の明るさのごとく、急ピッチで本を書き上げるが、翌1889年の初めには精神に異常をきたしたと診断され、その後は母親と妹に看病されながら10年ほどを過ごす。

    ところが運命とは皮肉なもので、それとほぼ時期を同じくして、ニーチェの名声が少しづつ高まっていく。かつての教え子で音楽家のペーター・ガストが全集刊行のために奔走するところへ、南米から妹のエリザベートが戻り、兄の著書の出版に対して積極的に関与していく。彼女は「ニーチェ文庫」と呼ばれる施設をつくって、次々とニーチェの本を出していくが、ニーチェ本人はもはや認識しておらず、印税もすべてこの妹の独り占めだった。そして1900年8月25日、ニーチェはワイマールで息を引き取る。満55歳。孤独な男の寂しい生涯だった。

    【本書を読んで得た気づき】
    ここまで詳しくニーチェ本人のことを知れば、知る前と比べて当然「ツァラトゥストラ」を読んだときの思い入れも違ってくるし、読後に受ける思考の深さも大きく変わってくる。村上春樹氏のときは、エッセイから入り、村上氏のことに対して好意を持ったが、世界的に著名な哲学者や思想家であれば、入門書や解説書も多数出版されている。今後僕が読もうと思っている哲学書・思想書は、その著者の考え方の奥の奥まで入り込まないと本当に理解したとは言えないだろう。そう考えると、その著者本人のことを深く知ることは、哲学書・思想書を知る上では必須事項だと思った。今後哲学書・思想書を読む際は、まずはその本人の生涯を詳しく書いた入門書か解説書から読んでいこうと思う。

    【雑感】
    この後は「ツァラトゥストラ」本編を読了し、感想をアップします。今回本書巻末で、より適切なニーチェ入門書を紹介してくれていた。今後も海外の古典文学は光文社古典新訳文庫をベースに読んでいきたい気持ちは変わらない。ただ哲学書・古典思想書に関しては、他の出版社からの選択肢も増やしていこうと思う。

    • 傍らに珈琲を。さん
      ユウダイさん、こんにちは!

      ユウダイさんが100分de名著を読まれていたのを見て、私も倣うことにしました!
      私が読んだのは高橋源一郎さんが...
      ユウダイさん、こんにちは!

      ユウダイさんが100分de名著を読まれていたのを見て、私も倣うことにしました!
      私が読んだのは高橋源一郎さんが斜陽を解説されたものですがとても読みやすく、楽しく深掘りすることが出来ました。
      いいですね、100分de名著♪
      これからも該当するものがあれば100分de名著を頼ろうと思います!
      有難う御座いました。
      2023/09/21
    • ユウダイさん
      傍らに珈琲をさん、お久しぶりです!
      100分de名著良いですよねー。
      ネタバレが過ぎるところが、玉に傷ですが(笑)
      仕事が忙しすぎて、趣味の...
      傍らに珈琲をさん、お久しぶりです!
      100分de名著良いですよねー。
      ネタバレが過ぎるところが、玉に傷ですが(笑)
      仕事が忙しすぎて、趣味の本を全く読めていないので、感想をあげれていなく、マズいなぁと思いつつ仕事が落ち着くまでは致し方なくという感じです。また仕事が落ち着けば、以前のように感想を上げていきたく思っています!今後ともよろしくお願いします!
      2023/09/22
    • 傍らに珈琲を。さん
      ユウダイさん、お忙しい中お返事有難う御座います。

      初めて読みましたが、とても良いですね♪
      確かにネタバレ気味ではあるので、どのタイミングで...
      ユウダイさん、お忙しい中お返事有難う御座います。

      初めて読みましたが、とても良いですね♪
      確かにネタバレ気味ではあるので、どのタイミングで読むか悩みますが。

      体調に気を付けて、お仕事ファイトでーす!
      2023/09/22
  • ニーチェのツァラトゥストラを著者の考えも交えながら現代向けに咀嚼し自己承認を得るきっかけになる本
    永遠回帰について自分なりに解釈すると、「もう二度と味わいたくないような辛い出来事があったから今の自分がある。それは辛い出来事の経験きっかけの行動だけではなく、その出来事があったから歩まざるを得ない道がありそういう積み重ねが一つでも欠けたら今ある幸せは存在し得ない。」と感じた。
    親ガチャの考えやインターネット普及によって他者との比較をしがちなこの世の中だからこそ読むべき本

  • ツァラトゥストラの話の解説というよりは、ツァラトゥストラを理解するための、「超人」「永遠回帰」を説明している感じ。ただこの2つについてはおかげでかなり理解が進んだのではないかと思う。
    とはいえ全体的に著者の意見が全面に出ているので、この著者の解釈ということになる。特に第4章は完全に著者のエッセイ。
    しかし、読んで帯にも書かれている「自分がどう生きるか」という強いメッセージを受け取った気がする。幸福は辛いことも受け止めた上でのものであり、自分自身が能動的に生きるかどうかは自分次第である。
    目標をどんどん失っている現代に必要な指針だが、この新型コロナウィルスで閉塞感が漂い、未来に対して希望が見えないまさに今励ましの声となる考えだと思う。

  • 個人的にはツァラトゥストラの内容の解説よりも西研さんの意見、考えの記述が多いように思いました。

    しかしながら、ニーチェの人生や彼を取り巻いていた人間関係や環境などはとても分かりやすく解説されていました。ツァラトゥストラを読む前準備にはとてもいい本だと思います。

    神様とか天国というのはゴリゴリに辛い現実に耐えられない人間が何とかして前向きに生きていこうとして作ったもの。キリスト教なんかもそう、“汝、真実を語れ”というのなら、その言葉を本当に突き詰めるのなら“本当は神様は存在しない”ということと真正面から向き合わなければいけないのでは?という指摘は、ほとんど信仰心のない私も少し動揺しました。絶対的な善も悪もないとなるとどこに心のよりどころを求めればいいのか、ニーチェからするとそんなものはないのでしょう。しかし、彼自身が発見し世に説いたその“確かなものが何一つない”不安からニーチェ自身も病んでしまったのは気の毒だなと思いました。

    また、現実として孤高の超人を目指すのではなくいろんな人と関わり合いを持ちながらいった方がいいという考え方は私もそうだなあと思いました。でも、難しいですよね。他者と渡り合っていくとなるとどうしても自分と相手を比較してしまったり、自分が持っていないものを相手が持っていると羨ましく思ったりと何かと己のルサンチマンが顔を覗かせてしまいます。永劫回帰については、いいことは何回でも繰り返し起こってくれて大いに結構なのですが、辛くて暗いいやなことだけは都合よく記憶から抹消してしまいたい、どうかその部分だけは繰り返さないでほしいと私は思ってしまいます。
    その点については、受け入れられないなら呪え!という開き直ってるところがにニーチェの優しい矛盾であり、それと同時にそれが上手にできればニーチェも発狂しなかったのではないかなと思いました。

    劇薬的著書ツァラトゥストの解説書でもかなりの副作用?があったので、考えがまとまらないままレビューを書いておりますが、本作を読んだらどうなってしまうのか今からドキドキです…。

  • ニーチェの本には手が出ないけど、思わず「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでみたくなる。自分の人生を肯定できるか…。自由という不安の真っ只中に放り出された現代人には宗教的なものに回帰する必要があるのではないかと素人考えに思っていたが、すでに120年前にニーチェが示唆していたのですね。そう、神は死んだのだから、依拠できるものは自分で探さねばならないのだ。
    ちなみに「私が大切にしてきたものは何だったかな、どんなことが自分にとって喜びだったかな」と問いかけて悦びを見出し、その悦びを得るためであれば永遠回帰を受け入れる…この部分は「ほぼ日」の就職論っぽく、「ルサンチマンなんか関係なく常にクリエイティブに生きようとする力強い存在」である超人は、ビジネスモデルとして参考書に取り上げられそうなスタンフォード的存在として読み取れる。ツァラトゥストラって、学問のすすめとならんでビジネススクールの教科書になるのでは?

  • もっとも、ヘーゲルとニーチェでは、語り方にニュアンスの違いがあります。ニーチェはまず「高揚」や「悦び」を強調するのに対して、ヘーゲルは「普遍性」(自他ともに認める普遍的な価値)を強調するからです。ニーチェならば、「まずは元気になること、悦ばしいことをやれ」というでしょう。他者に承認されるかどうか、価値があるのかどうかなどは放っておいて、まず自分が元気の出てくることをやれ、というセンスです~。
    ヘーゲル:社会派
    ニーチェ:実存派
    ルサンチマン うらみ、ねたみ、無力からする意思の歯ぎしり
    ニヒリズム 神は死んだ
    固定的な真理や価値はいらない。自ら価値創造する意識。
    現状を前向きに受け止め、主体的に創造的に生きて行く

  • おすすめ度:85点

    ニーチェ著『ツァラトゥストラ』解説本。西氏が自己の体験談を交えつつ、現代社会に合わせて解釈している点がとても良い。また決して盲目的にはならず、時には足りない点もあると指摘していることもGOOD。
    「ルサンチマン(=うらみ・ねたみ・そねみ)」は自分を腐らせてしまう。主体的に生きる力を失わさせてしまう。
    神は弱者のルサンチマンから生まれた。「神は死んだ。」
    いかにしてニヒリズムを克服するか。
    「超人(=高揚感と創造性の化身)」になっていくプロセス。ラクダ(=重い荷物を背負う)→獅子(=「われ欲す」)→幼子(=創造の遊戯)。
    「永遠回帰(=徹底したニヒリズム)」→人によっては絶望する?→魂がたった一度でも、幸福のあまりふるえたなら。障害者の方の例。
    西研氏の主張「ニーチェのいう創造性は「表現のゲーム」という仕方で引き継がれる。」「語り合い、確かめ合う。」「悦びと創造性の精神をもって生きる。」
    斎藤環氏の主張「自分の欲望こそ自分自身にほかならない。」「自分を肯定する。」「自分の欲望を諦めない。」

  •  NHK「100分de名著」という番組のテキスト。レギュラー化一発目に取り上げたのがニーチェの『ツァラトゥストラ』です。

     ニーチェの人生をおさらいしつつ、ルサンチマン、超人、永遠回帰とは何かについて説明されるのですが、これが要領よくまとまっていてとにかくわかりやすい!

     第二回では超人についての説明がされるのですが、その中で出てくる「末人」の話に爆笑!

    《『ツァラトゥストラ』にはこうした「末人」の例がしばしば出てきます。たとえば第一部「徳の講壇」という節には、よく眠ることを説く賢者が登場します。「ちゃんと労働をしなくてはいけない。なぜなら、そうしないとよく眠れないから」「人に嘘をついてはいけない。なぜなら、胸にしこりが残るとよく眠れないから」「あなたは日に十回は自分を顧みて自分の悪いところを乗り越えなくてはいけない。なぜなら、そうしないとよく眠れないから」といった具合です。これを聴いたツァラトゥストラは「彼はどうみてもアホだ」と断定します》(44-45頁)

     いや、ツァラトゥストラに言われなくてもわかりますって!(笑)

     全体的に少しポジティブ思考な解釈だなと感じられましたが、そっちの方が読みやすくわかりやすいし、何より面白いです(ニーチェに対するイメージが少し変わりました)。コストパフォーマンス的にも優れていますし、ニーチェの入門(の入門)として断然オススメです!

  • わかりやすさで流行った100分de名著シリーズ。ニーチェ哲学のキーワード「超人」と「永遠回帰」が著者の丁寧な補足により誤解なく理解できる。孤独に陥らず「頼ることを学ぶ」「表現ゲームをうまく働かせる」といった修整アドバイスが素晴らしい。自分の人生を自分で作っていく主人公でありたいならこの状況で何が自分を悦ばしくするかを問う以外にはない。自分の今に立ち返ることから自己肯定感を作りあげることが大事。ニーチェの気付きに拍手。自己否定する動物は人間だけ。なんとも厄介な生き物だ!

  • さすが西研先生、という感じでわかりやすく内容がまとまっている。ツァラトゥストラは一読したもののなかなか理解が及ばないが、副読本として読むのに良い。
    ルサンチマンはニーチェの代名詞なのにツァラストラを読んでも思い当たるところがなかったが、そもそも記載がなかったと知り驚き。善悪の彼岸や道徳の系譜も読まないと、、。

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著者プロフィール

哲学者。京都精華大学社会メディア学科助教授。哲学者らしからぬ軽い風貌と語り口で若いファンを多くもつ。「普通の人々の心に届く新しい哲学を構築するのは彼しかいない」といわれる期待の学者。著書は、『哲学的思考』(筑摩書房)、『実存からの冒険』(ちくま学芸文庫)、『ヘーゲル・大人のなりかた』『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『哲学は何の役に立つのか』(洋泉社新書y、佐藤幹夫との共著)など多数。現在、『哲学のモノサシ』シリーズを執筆中。

・もう一つのプロフィール……
だれに聞いても「怒った顔をみたことがない」という温厚な哲学者。学生からの人気はピカイチ。天才的頭脳の持ち主にしては「ちょっと軟弱」「貫禄がない」との評もあるが本人は全然気にしていないようだ。

「2004年 『不美人論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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