NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 最期のことば

著者 :
  • NHK出版
3.78
  • (3)
  • (8)
  • (7)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 108
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140817018

作品紹介・あらすじ

ブッダが「最後の旅」で説いたもの-それは2500年受け継がれる「組織のあり方」だった。書き下ろし特別章「二本の『涅槃経』」を収載!NHKテレビテキスト「100分de名著」待望の保存版!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 宗教というよりは、思想であり哲学であり生き方であり修行であり鍛錬であり自己啓発である。
    己れを救うに足る絶対者に、己れ自らが達しようとする。
    絶対者の領域に踏み込んでいく。

    神に(あるいは神の預言者に)従順に従い、すべて委ねる信仰も決して安らかなだけの道ではないが、自ら絶対者にならんと昇りゆく道には安らかな要素など想像できない。
    ひとがひとである条件を脱ぎ捨ててゆく道なのだろう。

    日本で仏教といって思い浮かぶのはまず大乗仏教だろう。私の父は曹洞宗で葬られた。私が(信仰は伴わないながら)興味を持ったのは浄土真宗だった。日本で身近にあるのは多くは大乗仏教だ。
    しかし仏教発祥の地やその近辺で仏教はいまなお仏陀の時代の姿を保っているという。原始仏教、小乗仏教と呼ばれ、そしてこの著では「釈迦の仏教」と表現されている教え。
    それは優しく包み込むような教えではなかった。自らを厳しく律して、ひとであることを絶っていく昇華の教えと見えた。
    この教えが、柔和な表情で迷えるひとびとを現世から救い上げて浄土に導く如来の姿と源流を一にすることに思いを致せば、煩悩を払っていく本来の釈迦の教えの大前提としての、ひとの欲や弱さが浮き彫りにされる。

    弱さからしか始まらない道がある。
    弱さを打ち捨てる道も、弱さゆえに高き存在にすがる道も、弱い存在からしか生まれえない。

  • 阿含涅槃経のエッセンスを噛み砕いて解説する。
    原始仏教の基礎的考えがわかった。

  • (阿含)涅槃経について書かれたものですが、一般的に涅槃経とは「ブッダを追慕する経典」ととらえられているのに対し、佐々木先生は「ブッダ亡き後の仏教僧団をどうやって維持・管理していけばよいか、その基本理念を説いたものだ」という見方をしている。そもそも仏教は、「生きがいを追及する組織」であり、教えの実践をベースとした「自己鍛錬システム」にその本質があると考え、自己鍛錬の場であるサンガの維持をとても重要なことと考えてのことという考察。聖徳太子の十七条の憲法には「篤く三宝を敬え」とあり、三宝とは仏法僧であることは小学生でも知っているけど、これはもともと仏教から来ていて、仏はブッダ、法はブッダの教え、僧は修行のための組織である「サンガ」を意味することは初めて知りました。
    ブッダは組織が衰亡しないための条件として、5種類の衰亡しないための7つの法と1種類の衰亡しないための6つの法というのを示している。最も重要といわれている最初の7つの法とは、「決めごとは、メンバー全員が参加する会議で民主的に決めよ」「すべての生活は既に決められたルールに沿って行動し、法律を重視して暮らさねばならない」「先に出家した先輩を尊敬し、その言葉に耳を傾けよ(年功序列)」「『自分』という存在に執着し本来の仏道の意味を乱さない」「人気のない郊外に住んで静謐な生活を送る」「出家した全ての修行者を仲間として友好的に待遇せよ」などです。このほか「自分の本分以外のことには手を出すな」「無駄話をするな」「悪い友人と付き合うな」「寝てばかりいてはいけない」「常に努力せよ」「智慧を持て」などが続きます。サンガのコンセプトが「拡大」ではなく「維持」にあることもあって、極めて民主的な教えのように思います。
    さて、涅槃経はお釈迦様の入滅の際の記録でもあり、その遺言ともいえる言葉「自洲法洲(あるいは自灯明法灯明ともいうらしい)」についても触れている。そのまま訳すと「私が死んだ後にお前たちが拠り所とすべきものは、私がこれまで語ってきた教えと、そしてお前たち自身の努力だけだ」という意味らしい。佐々木先生の解説は「仏教とは、ブッダを神のようにあがめる宗教ではなく、一人の人間としてのブッダが説き残した、その言葉を信頼する宗教であり、しかもその言葉を単に床の間に飾っておくのではなく、言葉の指示に従って自分自身で努力していかなくてはならない宗教だ」となっています。なるほど自己鍛錬システムです。
    涅槃経では続いて具体的な修行法である「四念処」について語っている。これは、「身」「受(外界からの刺激に対する感受作用)」「心」「法(この世のすべての存在要素)」からなり、この四つの項目の間違った捉え方が煩悩の原因となるため、仏道修行に入る人は、この四項目を常に念頭に置き、間違った見方を捨て、正しい姿でとらえるようにしなければならないと説いています。
    ここはちょっと難しい。最後の法のところに「諸法無我」という言葉があり、これが「この世に『自分』などというものはない。単なる構成要素の一時的集合を自分等実在物だと錯覚しているに過ぎない」という見方なのだけど・・・
    後は般若心経の中でもふれられた大乗仏教の話、ほか。まだまだ勉強が足りないです。

  • 仏陀の最期のお言葉、もろもろのことがらは過ぎ去っていく、怠ることなく修行を完成せよ。刺さりました!感謝

  • ブッダが旅に出て、最期亡くなるまでの物語となっている。「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」という経典の解説。
    この経典の意図としては、ブッダが亡くなった後、どのようにサンガを組織していくかと言うことについての示唆が書かれているという。なるほど、組織論。
    今回100分de名著で読んでしまったが、いずれ岩波の方を読みたいと思う。
    この本の一番いいところは、巻末の読書案内。

    ①阿含「涅槃経」の日本語訳ならびに解説者
    ②阿含経(ニカーヤ)の日本語訳ならびに解説書
    ③大乗「涅槃経」の日本語訳ならびに解説書
    が列挙されている。これをもとに学びを深めればいいかなと思う。

    100分de名著は概略知るのにいいと思う。そして、さらに知りたい!となるときに手がかりがもらえるところもいいと思う。
    興味のある分野でまったくしらないものはここを入り口とするのもあり。

  • ブッダの死後に編纂された涅槃経には、ブッダの最後の旅の様子が描かれています。
    ブッダが死によって示した人間のあり方と組織のあり方を読み解きます。
    巻末の阿含涅槃経と大乗涅槃経の比較も分かりやすいです。

    死が人生の総決算ならば、死ぬことの意味は、その人の人生全体で決まるはずです。死ぬ間際になって急に人生を立派に飾ろうとしてもそれは無理です。死ぬことを忘れて日々を送っている、この日常の毎日が、実は私たちの人生を形作っているのであり、そして私たちの死の価値を決めていくのだということを思えば、毎日が死の準備だということになります。
    死んだ時、「この人はこんなことを言ってくれたなあ。あんなことをしてくれたなあ」と人々が敬慕の念を抱いてくれたなら、それこそがこの世に生を受けた甲斐というものでしょう。 ー 102ページ

  • お経によって仏教観は全く異なってくるということをこの『涅槃教』で実感した。今まで描いたいた釈迦のイメージとは違っていた。

    〈本から〉
    お前たちは「もう我らの師はおられない」と考えてはならない。私の説いた法と私の定めた律こそが、私亡き後の師である。

    もろもろのことがらは過ぎ去っていく。怠ることなく修行を完成せよ。

全7件中 1 - 7件を表示

著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐々木閑の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×