- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140817018
作品紹介・あらすじ
ブッダが「最後の旅」で説いたもの-それは2500年受け継がれる「組織のあり方」だった。書き下ろし特別章「二本の『涅槃経』」を収載!NHKテレビテキスト「100分de名著」待望の保存版!
感想・レビュー・書評
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宗教というよりは、思想であり哲学であり生き方であり修行であり鍛錬であり自己啓発である。
己れを救うに足る絶対者に、己れ自らが達しようとする。
絶対者の領域に踏み込んでいく。
神に(あるいは神の預言者に)従順に従い、すべて委ねる信仰も決して安らかなだけの道ではないが、自ら絶対者にならんと昇りゆく道には安らかな要素など想像できない。
ひとがひとである条件を脱ぎ捨ててゆく道なのだろう。
日本で仏教といって思い浮かぶのはまず大乗仏教だろう。私の父は曹洞宗で葬られた。私が(信仰は伴わないながら)興味を持ったのは浄土真宗だった。日本で身近にあるのは多くは大乗仏教だ。
しかし仏教発祥の地やその近辺で仏教はいまなお仏陀の時代の姿を保っているという。原始仏教、小乗仏教と呼ばれ、そしてこの著では「釈迦の仏教」と表現されている教え。
それは優しく包み込むような教えではなかった。自らを厳しく律して、ひとであることを絶っていく昇華の教えと見えた。
この教えが、柔和な表情で迷えるひとびとを現世から救い上げて浄土に導く如来の姿と源流を一にすることに思いを致せば、煩悩を払っていく本来の釈迦の教えの大前提としての、ひとの欲や弱さが浮き彫りにされる。
弱さからしか始まらない道がある。
弱さを打ち捨てる道も、弱さゆえに高き存在にすがる道も、弱い存在からしか生まれえない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
阿含涅槃経のエッセンスを噛み砕いて解説する。
原始仏教の基礎的考えがわかった。 -
仏陀の最期のお言葉、もろもろのことがらは過ぎ去っていく、怠ることなく修行を完成せよ。刺さりました!感謝
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ブッダが旅に出て、最期亡くなるまでの物語となっている。「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」という経典の解説。
この経典の意図としては、ブッダが亡くなった後、どのようにサンガを組織していくかと言うことについての示唆が書かれているという。なるほど、組織論。
今回100分de名著で読んでしまったが、いずれ岩波の方を読みたいと思う。
この本の一番いいところは、巻末の読書案内。
①阿含「涅槃経」の日本語訳ならびに解説者
②阿含経(ニカーヤ)の日本語訳ならびに解説書
③大乗「涅槃経」の日本語訳ならびに解説書
が列挙されている。これをもとに学びを深めればいいかなと思う。
100分de名著は概略知るのにいいと思う。そして、さらに知りたい!となるときに手がかりがもらえるところもいいと思う。
興味のある分野でまったくしらないものはここを入り口とするのもあり。 -
ブッダの死後に編纂された涅槃経には、ブッダの最後の旅の様子が描かれています。
ブッダが死によって示した人間のあり方と組織のあり方を読み解きます。
巻末の阿含涅槃経と大乗涅槃経の比較も分かりやすいです。
死が人生の総決算ならば、死ぬことの意味は、その人の人生全体で決まるはずです。死ぬ間際になって急に人生を立派に飾ろうとしてもそれは無理です。死ぬことを忘れて日々を送っている、この日常の毎日が、実は私たちの人生を形作っているのであり、そして私たちの死の価値を決めていくのだということを思えば、毎日が死の準備だということになります。
死んだ時、「この人はこんなことを言ってくれたなあ。あんなことをしてくれたなあ」と人々が敬慕の念を抱いてくれたなら、それこそがこの世に生を受けた甲斐というものでしょう。 ー 102ページ -
お経によって仏教観は全く異なってくるということをこの『涅槃教』で実感した。今まで描いたいた釈迦のイメージとは違っていた。
〈本から〉
お前たちは「もう我らの師はおられない」と考えてはならない。私の説いた法と私の定めた律こそが、私亡き後の師である。
もろもろのことがらは過ぎ去っていく。怠ることなく修行を完成せよ。