やさしい唯識―心の秘密を解く (NHKライブラリー)

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著者 : 横山紘一
  • 日本放送出版協会 (2002年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140841563

やさしい唯識―心の秘密を解く (NHKライブラリー)の感想・レビュー・書評

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  • 華厳教学が影響を受けた唯識も並行して研究。
    学ぶことが多い。

    ◆基本コンセプト
    ○そもそも唯識ってなに?
    語源的には「ただ」+「知らしめる(「知る」の動詞の使役形)」という意味。
    各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと考える。
    識は不連続の連続体なので空すると真如が現れ智慧に変わるとする。

    ○唯識が目指すものとは?
    般若の智慧を獲得すること。

    般若の智慧ってなに?
    縁起の理・・・現象
    真如の理・・・本質

    真如の理がわかればいいの?
    真如の理がわかったあとも、次に広く縁起の理(五明)の追求を求められる。
    五明とは、インド伝統の学問分類である、聲明(音韻学・文法学)・工巧明(工芸・技術論)・医方明(医学)・因明(倫理学)・内明(仏教)のこと。

    縁起の理→真如の理→縁起の理→真如の理→(繰り返し=無住処涅槃)

    無住処涅槃ってなに?
    生死輪廻にも、涅槃にもどどまらない究極の自由の境地。
    死んでも、何度でも、何にでも、生まれ変わって、宇宙のために働くんだということ? まだ死んでなくても、同じこと。できるだけのことをするだけ。よく考えてみると、生きたまま、何度も生まれ変わるというのもありか。

    ◆識の構造
    ○唯識の八種類の識とは?
    五感に対する識別作用(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識(末那識、阿頼耶識) を指す。

    ○五識とは?
    眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。

    ○意識とは?
    感覚と共に働いて感覚を鮮明にする。
    言葉を用いて概念的に考える。

    ○末那識とは?
    寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。

    末那識が悪者なの?
    末那識自体は善も悪もない。
    ただし、4つの煩悩がつねに随伴する。我見(個人我についての妄信)、我痴(個人我についての迷い)、我慢(個人我についての慢心)、我愛(個人我への愛着)と呼ばれる。なかでもとくに、当人が生まれているその同じ世界や地位に属するもののみを随伴する。

    ○阿頼耶識とは?
    根本の識であり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている。

    阿頼耶識が悪者なの?
    阿頼耶識自体に善も悪もない。
    新しいことができるようになる可能力や新しい価値を作りだす生成力がある。

    阿頼耶識の働きって?
    1.過去の業の結果を貯蔵する。
    2.現在と未来とのすべての存在を生じる。
    3.肉体を作り出し、それを生理的に維持している。
    4.自然を作り出し、それを認識し続けている。
    5.生死輪廻の主体となる。

    阿頼耶識って実体として存在するの?
    「暴流(ぼる)の如し」。刹那に生滅する不連続の連続体。

    ○汚れとは?
    煩悩障(ぼんのうしょう) ・・・煩悩による束縛。
    所知障(しょちしょう)・・・知見だけで法を理解する。
    相縛(そうばく)・・・表層の意識による束縛。
    麁重縛(そじゅうばく)・・・重い身体(深層)よる束縛。

    ○阿頼耶識の種子(しゅうじ)ってなに?
    阿頼耶識に記録されている内容。
    種子が因となって種々の現象が顕現する(あらわれる)。
    種子は阿頼耶識を飛び出して、末那識・意識・前五識に作用する。
    種子→現象→種子の繰り返し。現象が先ではない。

    種子はどんなものがあるの?
    現行薫種子:なにかを行ったり、話したり、考えたりしたときに記録
    種子生種子:阿頼耶識の中で相互に作用して、生まれる新たな種子
    倶有の種子:他人と共通の客観世界があるかのごとく感じさせる種子
    名言種子:言葉を用いた概念的思考によって熏じつけられた種子
    有支熏習種子:未来の生存状態を決定させ、輪廻の因となる種子

    ◆識の作用
    ○心所ってなに?
    八識に付随して働く作用。唯識は、計51、6つのグループに分類する。この中に善も煩悩もあり、煩悩に対比する善があり、善の心所で煩悩を消すことができるとみる。また、A→B→Cといった因果の流れや複数の心所が相応する見方をする。

    6つのグループってなに?
    遍行・・・八識すべてと相応する心所。
    別境・・・それぞれ特別の固有の対象を持つ心所。
    善・・・善の心所。
    煩悩・・・心を濁す根本的な心所。根本煩悩ともいう。
    随煩悩・・・根本煩悩から派生する心所。
    不定 ・・・八識との相応の有無や善悪が不定の心所。

    51個の心所ってなに?
    遍行:作意, 触, 受, 想, 思
    別境:欲, 勝解, 念, 定, 慧
    善 :信, 慚, 愧, 無貪, 無瞋, 無癡, 勤, 軽安, 不放逸, 行捨, 不害
    煩悩:貪, 瞋, 癡, 慢, 疑, 悪見
    小随煩悩 :忿, 恨, 覆, 悩, 嫉, 慳, 誑, 諂, 害, 驕
    中随煩悩 :無慚, 無愧
    大随煩悩 :掉挙, 昏沈, 不信, 懈怠, 放逸, 失念, 散乱, 不正知
    不定 :悔, 睡眠, 尋, 伺

    著者の横山さんは、「精進」のかわりに「勤」にしているね。

    煩悩に対応する善って?
    たとえば・・・
    不信←信 無慚←慚 貪←無貪 瞋←無瞋 癡←無癡 懈怠←勤 昏沈←軽安 放逸←不放逸 掉挙←行捨 害←無害

    因果の流れとは?
    たとえば・・・
    念(いま・ここに集中)→定(静かに心を定める)→慧(ありのままを観る)
    受(苦楽を感じる)→想(追求心と連動して言葉を生じる)→思(目的を生じる)

    複数の心所が相応するとは?
    たとえば・・・
    視覚は視覚だけでは働かない。好き嫌いなど複数の心所が付随して働く。

    ◆識から智への転換
    ○三性(さんしょう)説とは?
    識の転変によって、存在の様態をどのように見ているかに、3つあるとする。

    1.遍計所執性(へんげしょしゅうしょう) 言葉で考えられ、執着された見方。
    2.依他起性(えたきしょう) 相対的で他に依存するとする見方
    3.円成実性(えんじょうじっしょう) 真如(あるがまま)の見方

    わけてみる、つなげてみる、ひとつとしてみる、ということ?

    ○転識得智(てんしきとくち)ってなに?
    八識自体が悪いわけではない。「識」を「智」(智慧)に変化させよう。

    五感→成所作智
    意識→妙観察智
    末那識→平等性智
    阿頼耶識→大円鏡智

    ○智に変化させる方法は?
    正聞熏習(しょうもんくんじゅう)
    無分別智(むぶんべつち)

    正聞熏習(しょうもんくんじゅう)てなに?
    正しいことばを繰り返し聞くこと。智慧の種子に肥料を与える。

    ○阿頼耶識に包まれた煩悩を無分別智の火で燃やす?
    つまり、中の素材(可能力や生成力)やそれを包みこんでいるアーヤラ識が悪いわけではなく、自分と他者と行為を分けることが悪いのだから、無分別智の火で溶かしちゃえ。焦がさないように。そうすればうまくいくということなの?

    ○無分別智にもとづく行為とは?
    1.静かに座る。
    2.自他不二の精神で他者の幸せのために努力する。
    3.日常の中で成り切って生きる。

    ○唯識は「空」や「真如」をどうみるの?
    空は何もない虚無の状態ではなく、必ず残るものがある。それが真如。

    ○唯識は「無明」をどうみるの?
    過去の自分を知ることはできるが、「いま・ここ」のこの瞬間の自分を知ることはできない(包丁は自分を切ることができない、などの例)。・・・また、他人やものについても、自然や宇宙についてもただ与えられた知識が心に映し出されるでけで、何も知っていないのです。だから、本質的に無明。

    ○唯識での言葉が発生する仕組みってなに?
    尋伺→相→言説(名→義→声)

    尋伺(じんし)・・・追求する心
    相(そう)・・・統覚作用
    言説(ごんせつ)・・・声として発せられた言葉
    名(みょう)・・・声となる以前の言葉
    義(ぎ)・・・言葉が指向する対象
    声(しょう)・・・こえ

  • 大乗仏教の二大潮流は、『般若心経』に基づく「空思想」と『解深密経(げじんみつきょう)』などに基づく「唯識思想」であるといわれる。前者は「中観派(ちゅうがんは)」であり、後者が「瑜伽行派(ゆがぎょうは)」である。とくに唯識思想は、瑜伽(ヨーガ)を実践し、自己の心のありようを深層から捉え、浄化することによって迷いから悟りに至るプロセスと方法を詳細に分析しているといわれる。ヨーガの実践を通して発見された末那識(まなしき)や阿頼耶識(あらやしき)などの深層心理の分析は、現代の視点からしても興味尽きない。しかし、非常に難解な思想としても有名である。本書は、唯識関係の入門書のなかでも、とくに分かりやすく、しかもある程度全体像を把握できるようにまとめられている。複雑な唯識思想を読み解くための図がたくさん挿入されており、これも参考になる。また、できるかぎり私たちの生き方の問題とのかかわりのなかで唯識を紹介しようという姿勢が、さらに唯識を身近なものに感じさせる。

  • 難解でなんだか分からないことに定評のある唯識だが、なるほど、これはすっきり分かる。

    なんで、識だけが存在するんだよ?
    それって、自分の存在、すくなくとも自分の心の存在を前提としているんじゃないの?
    つまり、仏教が否定したはずの実在論じゃないの?
    外部が存在しないのに、なんで識が成立するんだよ?
    一人一人が自分の識しかわからないなら、なんで相互理解が可能だったりするわけ?
    そもそも唯識なる考えが伝達できるんだよ?

    などなど、唯識については、分からないところが一杯あったのだが、相当程度、理解できた気がする。

    つまり、すべては空で、相互依存関係で、根源というものは存在しないわけなんだけど、でも、私の心というものがあるという感覚もまた否定できない。なので、唯識は、とりあえず、仮の実在としての心をまず認めたうえで、その心が真の自己、つまり「空」の状態に到達するための、方法論を示す。つまり、プラクティカルな哲学なんですね。

    なんだか、難解で、思弁的な印象が強かった唯識が身近に感じられた。

    でも、やっぱり、外界は存在しないという唯心論的な考え方は、違和感があるなー。個人的には、中観派の一切は空である、という言い切りのほうが、好きかなー。

    つまり、私や心は、空であるし、外界も空である。つまり、いずれも、同じように、存在するとも、存在しないとも言えないものではないかと。心と外界は、同時発生で、それぞれがお互いを前提として存在しているものではないかな、というのが、最近の私のアイディアかな。

  • やさしい語り口で、読んでいる時はスルスルと頭に入ってくるのですが、いかんせん用語が難しいので、本を閉じてしまうと「なんだったっけ?」となりがちでした…

  • やさしいといっても唯識。
    覚悟して読むべし。

  • わたしが唯識について知ったのは、三井英光さんのほんの短い解説からでした。そこからいろいろ考えて未那識については(平等性智とセットで)勝手に理解しましたが、阿頼耶識については自分の言葉で語ることがまったくできません。丸々一冊唯識についての本を前に、さてこれを読むとなにが分かるのだろうかと考えます。わたしにとっては既知のことではなく、まったく新たな知識と対峙すると思ったほうがよいでしょう。

  • 「唯識」とは、現代でいう哲学や脳科学を、仏教的観点から述べたもの。

    宇宙はすべて識、すなわち情報から成り立ち、
    観測機関である脳により識を観測し、一人ひとり違った世界をつくりだす。

    「一人一宇宙」という本書での喩えは、非常に分かりやすい。


    現代科学でいう、ハイゼンベルクの不確定性原理と共通する部分も多く、
    さらに、この時代に潜在意識と顕在意識の働きを解明していたとは驚き。

    仏教は実践道というように頭で理解するだけでなく、
    ヨーガや瞑想を通じて世界のありようを体感する重要性を学べる。

  • (2008/12/30読了)唯識の概説にとどまらず、唯識の教えを現代にどう活かすかということについて著者の熱い想いがこめられている本。

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