- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140881507
作品紹介・あらすじ
沖縄戦から六十年。戦後日本の「平和」は、戦争では「本土」の「捨て石」に、その後は米軍基地の「要石」にされた沖縄の犠牲があってのもの。この沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の「戦後」は永遠に「ゼロ」のままだ。著者は、家族らの戦争体験をたどり、米軍による占領の歴史を見つめ直す。軍隊は住民を守らない。節目の六十年の日本人に、おびただしい犠牲者の血が証し立てた「真実」を突きつける。
感想・レビュー・書評
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最近まとめて読んだブックガイド的書籍の中から。15年前に出版されたものだけど、辺野古問題が取り沙汰されることの多い昨今、未だ変わらず戦後が続いていることは自明。各章扉に、戦争の悲惨を思わせる写真が配されているけど、本文を読むと、それですら尚、本質までは捉え切れていないという。撮り手がアメリカ人だから、あくまで加害者目線に過ぎないとの指摘は、当たり前のことなんだけど、実は知らぬ間に、そういう観点を植えつけられていることに唖然とする。自分も、温暖で美しい海に惹き寄せられ、再三訪れているんだけど、表面的な憧憬に止まるのでなく、県民の複雑な心理背景を理解する努力も怠ってはならぬと、心に沁みた次第。本著者の『水滴』という小説も気になっていて、読みたいリストに挙げているんだけど、なるべく急がねば。
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“沖縄に同情したり、関心を持ったり、連帯しにこなくていいから、基地を持ってけよ”
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沖縄戦と基地問題を考える◆はじめに~「戦後六十年」を考える前提◆私にとっての沖縄戦◆沖縄戦を小説で書くこと◆基地問題◆〈癒しの島〉幻想とナショナリズム
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約6年ぶりの再読。
目取真俊の攻撃的な物言いは時に極端な味わいが感じられるのですが、このテの本の中では、存外冷静で読みやすいのかも知れません。 -
再読。
沖縄戦という暴力のあとに生まれた著者が、戦争を描くことの試みについても言及されている。
殺される側の視点、フレーミングの外の視点に自らを置くこと、その想像力の必要性を説く部分はよかった。
しかし後半に収録されているインタビューの部分には、「沖縄」と「ヤマト」の二項対立を強化する言説に陥っているのではないかという危惧を感じる。 -
[ 内容 ]
沖縄戦から六十年。
戦後日本の「平和」は、戦争では「本土」の「捨て石」に、その後は米軍基地の「要石」にされた沖縄の犠牲があってのもの。
この沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の「戦後」は永遠に「ゼロ」のままだ。
著者は、家族らの戦争体験をたどり、米軍による占領の歴史を見つめ直す。
軍隊は住民を守らない。
節目の六十年の日本人に、おびただしい犠牲者の血が証し立てた「真実」を突きつける。
[ 目次 ]
第1部 沖縄戦と基地問題を考える(はじめに~「戦後六十年」を考える前提 私にとっての沖縄戦 沖縄戦を小説で書くこと 基地問題)
第2部 “癒しの島”幻想とナショナリズム―戦争・占領・基地・文化(アメリカの世界戦略と基地沖縄 能力主義教育の浸透と沖縄の教育運動 教科書をめぐる論点 イデオロギーとしての“癒し系”沖縄エンターテインメント 癒しの共同体・天皇制・宗教 沖縄戦の記憶と継承 沖縄文学と言葉)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
無知そのものは罪か?
もちろん罪じゃない。誰だって最初はなにも知らない。
でも人間何十年も生きてれば、無知が罪であることを実感したことは何度もある。
沖縄に対する無知は罪かもしれない、この本を読んでそう思った。
鳩山さんが海兵隊の抑止力についての発言で批判されていたけど、つまり日本国家としてメリットは認めてられてるんだ。(ほんとうに抑止力があるかは知らんよ)
だとすればその負担は日本人全員が共有しないといけないよね。
だから、徳之島であれどこであれ、門前払いじゃなくて、なぜ反対なのか?沖縄県民をも納得させる形できちんと説明する義務があるんじゃないかなぁ? なんて思ってしまう。
もちろん、スゴく難しいんだろうけど。
沖縄戦の経緯とか基地の経緯とかを知りたかったんだけど、この本では、そこら辺の記述はサラって感じかな。
基本は、沖縄に対する差別という問題が主題。
沖縄内部の南北/東西問題とか、大田知事が落選したときの経緯も興味深かった。
昭和天皇を真正面から叩いているのにはびっくりした。
もうちょっといろいろ考えないとダメだな、オレ。 -
目取真さんの言葉を借りて言うと、日本は今年で戦後65年になるが、戦後65年と言える国がアジアのどこにあるだろう。これは非常に特異なことではないだろうかということ。
そして、日本は本当に戦後65年なのだろうかということ。沖縄のことを考えると、果たしてそうなんだろうかと。アメリカが起こす数々の戦争に手を貸しているではないかと。
では、何故65年間、戦争がなかったといえるのか。それは憲法九条があったから?それとも、日米安保があったから?その二つが共存する矛盾は、沖縄へ75パーセントの基地を押しやることで均衡が保たれている。
「銃剣とブルドーザー」で米軍に奪われた土地はそのままの沖縄。占領は続いている。そしてそこから、今もアフガンへ爆撃機が飛んでいる実相。決して「戦後」とは言えない、ということ。
「沖縄に同情したり、関心を持ったり、連帯しにこなくていいから、基地を持ってけよ。」