飽きる力 (生活人新書 331)

著者 :
  • 日本放送出版協会
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140883310

作品紹介・あらすじ

「このままやっていてもなあ…」と何となく感じるとき、人は新たな能力を生み出す局面をむかえている。「がんばっている自分」にはまることなく、人間に本来備わっているはずの「飽きる力」をどう目覚めさせ、活用すべきなのか。身体論、システム論の地平を拓く哲学者が「努力していることの疲れ」を纏うすべての現代人のために贈る、心と身体のリハビリの書。

感想・レビュー・書評

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  • これまでの生き方、努力の仕方をいつまでも続けても成長しない。飽きる力で、様々なやり方、様々なことにトライしてみたら考え方や視点が広がり成長につながりということだったと思う。オートなんちゃらについてはよくわからないけど、問題があるところに集中して視野が狭くなっていては物事が進まないので、まず飽きて違う視点を持とうということが書かれていたと思う。その通りかなと思う。以外に役立つ本かも。

  • 思索

  • ありゃ?この帯だったら手に取ったろうか。書評→図書館だったので知らなかった…
    何でも「飽きる力」に集束させるやや強引なロジックと、上から文体ということもあって、ちょっとトンデモ本ぽいが、面白い表現もあった。
    [more]
    <blockquote>P19 生命とは一般に速度を落とす装置の総体であり、ほうっておけば一挙に進んでしまうような化学反応を何重にもロックをかけて一挙に進まないようにしている装置の総体のことです。

    P26 毎日の仕事は、実際には選択の連続です。選択する場面で、あらかじめ選択の理由がはっきりしていたり選択の基準が揃っていたりするのは、やはり例外的なことです。しかし現に選択はなされますし、多くの場面で選択はなされてしまっています。そうしたときには、何か感性的な能力を使っているのです。好き嫌いではなく、もっと不明確ですが微妙な感性です。「飽きること」に含まれているのは、そうした感性なのです。

    P42 諦める事と飽きる事の違いが感じ取れるまでには、三か月ぐらいの基礎トレーニングができなければいけないということでもあります。「これはきついな。上手くいかないのかもしれないな」というところを、気分転換を図りながら、何とか乗り切ってしまう。乗りきってしまうということは、早く自分に決着をつけないということです。自分自身で「これはちょっと難しくてダメだ」と言って決着をつけてしまうと、それなりに小ぶりな能力しか出てこなくなってしまう。だから最低三カ月は踏ん張って見なければならない。

    P61 思い起こせない過去は、すでに現在の自分自身の基層に入り込んでいるものです。それを思い起こすための工夫がこうした記録であり、これはある意味で自己の「考古学」なのです。

    P70 パラダイム転換は、それに対して手遅れになって、初めてそのことに気付くというような面があるのです。劇的な転換期のさなかにいるものは自分が何を行っているのかを知る事はできず、またそうした流れに無縁であったものは、何かが起きていることに気づくことさえできないのです。歴史は、まさにそれに対して手遅れになって初めて明確な意味を獲得します。後になって獲得されるような視点を、物事の変換、時代の変動のさなかにいる者が、そのまま活用することはできません。

    P76 ただ「わかる」ということ、「理解する」ということは、それまでの経験に微妙な変化やアヤをつけて、わかったことにすることでもあるのです。それまでの経験のごく近くに移動することです。「わかる」ということは相当狭い範囲の経験だと感じられました。【中略】最初から成功することがわかっていることなんて、何か成功/失敗とは別のことを実行してしまっています。失敗の可能性のない成功をいくら積み上げても、それは成功とは別のことなのです。

    P79 むしろ自分の中には何かこう違うものがあるのに、そこのところへ向かおうとしないで、延々と同じことをやっている、その状態に飽きなければいけないのです。

    P92 ここで考えておかなければいけない重要なことは、同じ成功は二度とないということです。同じように工夫したらまた成功できるのではないかと思ったら、これはもう成功できない。一度成功したということは、もうすでに局面が変わっているということですから、二度と同じ成功はないのです。

    P95 同じ成功は二度とない。ところが、同じ失敗は何百回とあるのです。

    P97 ゲーム運びは対等でなくてもよく、しかも一方的に攻められ続けていても、別段それでもどうってこともない、という別のタフさが必要な時もあるのです。【中略】ただ多くの場合、攻められっぱなしであれば、ほとほと疲れ果てて、最後には決められてしまうような事が起きるのです。その時、対等の試合運びという発想がまた出てきます。対等の試合運びをして、あとは確率的に勝ち負けが決まるというのは、少し発想が狭すぎるようです。【中略】弱い者に圧勝し、強い者に惨敗する、相手と同じ物差しで試合をすれば、順当な結果しか出ません。しかしそれは戦いではないのです。

    P104 いろいろな議論があり、いろいろな批判ももちろん出る。ただ、それに対して、その都度反応はしない。反応せず速度を遅らせていく。そうすると隙間が開いて、自分の中に選択肢が生まれてくる。この選択肢の中で、次に自分で前に進んで行けそうなところを探り当ててやっていくということです。「なんだかなぁ」と言いながら、速度を遅らせながら、少しずつ隙間を開いていく。それが、飽きるということのかなり重要な効果なのです。

    P114 一般的にはぶーたれる人間は、組織ではよく扱われてはきませんでした。それは、我慢することを一つの美徳だとする「飽きることができない日本」に固有の面もあるのですが、必ずしも良くないことばかりではないのです。

    P121 努力というのは、結果が出なければ、あるいは面白くなければ本当は意味がない。努力するのは面白くなるためです。

    P124 人間の類型?ともかく未来に向かうタイプ?どうしても過去に向かうタイプ?ひたすら元気一杯なタイプ

    P144 むしろ知りたいのは、その日その投手がどういう工夫をしたかであって、ダメな球がどのようにダメであったかではないはずです。ところが結果を自己認識し、結果を説明することに主要な注意が向いてしまっているのです。あらかじめ結果の位置から、自己認識しようとしているのです。そしてそれを説明しようとしています。その大半は実は言い訳です。言い訳の大半は、自分の非や無力を認めているように見えながら「そのことは自分でも判っている」という正当化なのなのです。

    P160 欠損があるのは脳なのです。彼は筋肉断裂でも、骨折でも、関節疾患でもないのです。ですから、運動トレーニングは筋肉が固着するのを遅らせるということにとどめて、本当は脳の神経に働きかけるトレーニングをしなければいけないのです。【中略】「街灯の下の探し物」のたとえ話と同じで、どうしても見えるところを治療してしまうのです。

    P195 平均値社会は、多くの場合これとは対極にあることをやってきました。よいものも、欠点があると言って少し切り下げ、ダメなものも、良いところもあると言って少し切り上げて、結局平均値化してしまうのです。

    P200 「これは同じことしか語れない、見通しとして展開力がない」と感じられたものは、一時的にどのように評判や評価が良くても、放棄してきたと思います。

    P203 立場の主張は、能動的なアピールのように見えて、その実ただの守りの姿勢なのです。その時自分の頭がもう動かなくなっていることに気づくことさえできないのです。</blockquote>

  • オートポイエーシスという聞きなれないものについて語られているので、直接的に飽きる力を書いていないように感じられるかもしれないが、それこそまさしくオートポイエーシス的に飽きる力を語っているように思う。
    飽きる力は否定的なイメージが付きまとうが、その力を意識的に活用していけば、おもしろい展開になると予想し、それは間違いではなさそうだと思えた。
    飽きる力は人間に元々備わっていて、記憶したものを忘れていく力のように、なくてはならないものなのだ。
    日本人の美意識のようなもののせいで、飽きる力はその効果を発揮しきれずにいた。意識を変えるでもなく、飽きる力は全く別の次元へ私を飛ばしてくれるような感覚がある。無意識と有意識を繋ぎ合わせ、頑張りすぎないやり方を飽きる力を使いつつ、探していきたい。

  • 「日々、自分のなかで経験がすごい速さで動いてしまう、そのことに対して、飽きていくということなのです。飽きるということは速度を遅らせるという面をもちます。速度を遅らせて、選択肢を開くということなのです。」
    「意識の間接的活用」
    よりよく動くためにどうしたらいい、という内感

    とにかく、何度でも、それこそ「飽きるまで」立ち返っていきたい本

  • 一所懸命に物事を成すことも大事だけれど
    それに、ふり回されて上手くいかなくなったら、思いきって「飽きてみる」つまりは執着をすてる。
    まじめな人が必ずしもHappyになれるとは限らないもんね。ということを、のう科学的にすこし小難しく書かれています。
    よかったら、読んで見てください。

    志學館大学 : 気がつけば、いつも1人

  • がんばりすぎず、飽きることもいいと肯定してみる。

  • 飽きる力の飽きるとは、選択のための隙間を開くこと。一生懸命やっても伸びないときに有効な努力を続けるためには、どうすればいいのか。著者の専門の「オートポイエーシス」への取り組みを通じてわかったこと。同じ成功はない。やみくもに努力を続けるのではなく、「飽きる」ことで次のステップを見つけるのです。

  • 筆者は「オートポイエーシス」を提唱しているが、それが今ひとつ理解できない。
    本人もつかみどころがないものだと本書でも言っているのであるが。

    *オートポイエーシス(autopoiesis)は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより、「生命の有機構成(organization)とは何か」という本質的問いを見定めるものとして提唱された生命システムの本質に迫ろうとする概念である。(Wikipediaより)

    はて、飽きる力とオートポイエーシスとの関係もよくわからないのであるが、本書から得たことは「面白くするために努力する」「努力して得られたものは本能として身に着けて、忘れる」「がんばっているという状況になった場合は、本当にゴールへ進んでいるか経験のしかたを見直すべき」

    少し気分が救われたような感もあるが、やはりわからないのである。

  • 進歩のプロセスに「飽きる」というポイントがあった。ただやみくもに同じ努力を続けるのではなくたまには違う視点で事象を捉える。この、ごく当たり前の昔から言われてきた「視点変換(?)」の発動トリガーとして、飽きたー、という状態がある。普段はネガティブに捉えてしまう「飽きる」という現象も、飛躍のトリガーとして、前向きに捉えることが出来るようになるのかな、って感じた一冊。一部難解な箇所があり、特にオートポイエイシスについては小生のような素人には殆ど理解できない。理解できないまま、筆者がオートポイエイシスの研究に(飽きもせず)ハマっていく過程が記されており、難しくて解らんが何だか面白そうなテーマだなぁ、と感じさせる。

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著者プロフィール

1953年、鳥取県生。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(科学史・科学基礎論)。現在、東洋大学文学部哲学科教授。専門は哲学・システム論・科学論。著書に『オートポイエーシス』『〈わたし〉の哲学』『哲学の練習問題』など多数、編著に『iHuman──AI時代の有機体-人間-機械』『見えない世界を可視化する「哲学地図」──「ポスト真実」時代を読み解く10章』など多数。

「2022年 『創発と危機のデッサン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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