マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140910412

作品紹介・あらすじ

マルチチュードとは何か。グローバル化に伴い登場しつつある、国境を超えたネットワーク状の権力"帝国"。この新しい権力の形成途上で生じる終わりなきグローバルな戦争状態への抗議運動は、それぞれの特異性を保ちながらも、共通のネットワークを創りあげる。権力と同型の、ネットワーク状の形態で闘う多種多様な運動の先に、グローバル民主主義を推進する主体=マルチチュードの登場を予見する。"帝国"論の新たなる展開、ついに日本語版登場。

感想・レビュー・書評

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  • 終わり無き戦争を必要とするグローバル経済を教科書として育つ
    新らたなグローバル的共生民主主義のことをマルチチュードと呼ぶ人々がいる
    そもそもグローバルと言う言葉を逆手にとって使い
    密かに一般大衆を欺く搾取経済がゴリ押しされていることに気付く必要がある
    それは単にゲリラ戦法を真似しているだけでなくネットワーク上に広がる
    国家・民族などのように中心を持たず組織も持たず
    手をつないだり離したり刻々と変化する状態に隠れて
    部分的に片寄った利害を目的とするグローバル経済
    それに対して争うことなくネットするすべての個に
    必要十分な環境が行き渡るグローバル民主主義共生ネット社会が巷に広がる

    広くシェアーし合うことで無駄を無くし貯蓄を必要とせずに
    自律した心を持った集いがこの世に実現しだす
    少なくとも彼らは目標として方向をとらえ進むことができる
    この建前でない納得できる民主主義の姿をマルチチュードと呼ぶ

    この本は現在のアメリカを中心にしたかに見える
    帝国主義的グローバル推進経済社会の現実を深く広く克明に解き明かす
    更にそれに押しつぶされることなく精神を鍛えて
    敵対することなく共生を可能にしていく人々の現状を伝えている
    恐怖が故に執ように戦いを挑む頭人間と
    それ以上に根気よく先を見つめて生き抜く心人間とが
    お互いに自分の道を究めていく中で切磋琢磨が起こり理解を広げていく
    取り込もうとする者と自らを求める者との共生世界が織り成す妙!!ここにあり

  • 6/23拾い読み

  •      -2007.11.13記

    アントニオ.ネグリとマイケル.ハートによる「帝国」の最終章は「帝国に抗するマルチチュード」と題されていた。
    グローバル化した世界の新秩序たる<帝国>に対抗しうるデモクラシー運動を根底的に捉えるために、彼らが導入したのは17世紀の哲学者スピノザに由来する「マルチチュード」という概念であった。
    ネグリとハートのコンビによる「帝国」に続く書「マルチチュード」はNHKブックスの上下本として05年10月に出版され、私の書棚にも2年近く積まれたままにあったのだが、このほど走り読みながら上巻をやっと読了。

    マルチチュードとは<多>なるものである。人民.大衆.労働者階級といった社会的主体を表すその他の概念から区別されなければならない。
    人民=Peopleは、伝統的に統一的な概念として構成されてきたものである。人々の集まりはあらゆる種類の差違を特徴とするが、人民という概念はそうした多様性を統一性へと縮減し、人々の集まりを単一の同一性とみなす。これとは対照的に、マルチチュードは、単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差違から成る。その差異は、異なる文化.人種.民族性.ジェンダー.性的指向性、異なる労働形態、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐にわたる。
    マルチチュードとは、これらすべての特異な差違から成る<多数多様性>にほかならない。
    大衆=Massという概念もまた、単一の同一性に縮減できないという点で人民とは対照をなす。たしかに大衆はあらゆるタイプや種類から成るものだが、互に異なる社会的主体が大衆を構成するという言い方は本来すべきではない。大衆の本質は差違の欠如にこそあるのだから。すべての差違は大衆のなかで覆い隠され、かき消されてしまう。大衆が一斉に動くことができるのは、彼らが均一的で識別不可能な塊となっているからにすぎない。
    これに対してマルチチュードでは、さまざまな社会的差違はそのまま差違として存在しつづける-鮮やかな色彩はそのままで。したがってマルチチュードという概念が提起する課題は、いかにして社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互にコミュニケートしつつともに行動することができるのか、ということである。

  • マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義
    (和書)2010年12月11日 00:20
    2005 NHK出版 アントニオ・ネグリ, マイケル・ハート, 幾島 幸子


    柄谷行人さんの書評をみて読んでみた。

    グローバル民主主義を推進する主体=マルチチュード

    グローバルというもので論理を一元化してしまう部分があり、そんなに単純化してしまって良いのかと少し疑問も感じる。

    柄谷行人さんの「世界史の構造」と比較すると資本=ネーション=国家というものとグローバルというもの関係性の認識の差が明確になる。

    この本はこの本で面白くは読めた。

    後編に期待。

  • 国家主権の戦争から民族内紛へ。単一主権からマルチチュードへ。
    集中型からネットワーク型。
    こういった世の中のトレンド変化を踏まえた記述である。
    ただ、本書は哲学の書であり、なぜかそういうトレンドとなっているのかや、処方箋を示しているわけでもない。
    筆者達は左翼の復権とか、究極の民主主義を願うとは言っているが。
    (スピノザの『政治論』が再解釈がベースらしい)

    (共著3部作)
       『帝国』 大学319.N62
       『マルチチュード』(本書)
     × 『ディオニュソスの労働』 人文書院 2008

  • 難解で大きい概念なので期首の慌ただしい時期に読むには不向きな本であった・・
    が、だからこそ非常に考えさせられる部分がある。

    [more]<blockquote>P41 (ゴーレムの警告)ゴーレムを粘土に戻したとき、ラビは生命のない粘土の塊に押しつぶされ、死んでしまう。この話の教訓のひとつは、人間が自らを主人とみなし、他者を奴隷状態におくことがいかに危険かということだ。

    P44 しかし今日、戦争はさらにそれを超えて、永続的な社会関係にまでなりつつある。この新たな状況を、先に引用した「戦争とは別の手段による政治の継続である」というクライゼヴィッツの定式を逆転して説明する者もいる。いわく、今や政治そのものが別の手段によって実施された戦争になりつつあるというのだ。言い換えれば、戦争こそが社会の主要な組織原理となりつつあり、政治は単にその手段あるいは隠れ蓑のひとつに過ぎないというのである。

    P46 外と内、外国での紛争と自国内の安全との違いはどんどん小さくなっている。こうして私たちは、メタファーやレトリックとしての戦争への呼びかけから、不明確で実体のない相手を敵とする本物の戦争へと移行してきたのである。
    【軍事活動と警察活動の一体化】ある概念や一連の慣習・実践を相手にした戦争は、いくらか宗教戦争にも似て、明確な空間的・時間的境界を持たない。【中略】社会秩序を想像し維持するための戦争に、終わりはない。それには継続的で絶え間のない力と暴力の行使が必要なのだ。言い換えれば、こうした戦争に勝つことはできないーというより、日々勝ち続けなければならないのである。こうして今や戦争は、警察活動と潜在的に区別がつかなくなっているのだ。

    P56 セキュリティは、積極的かつ恒常的に軍事活動・警察活動を行うことを通じて環境を形作ることを必要とする。積極的に形成された世界だけが、安全な世界だと言うわけである。だとすればセキュリティという概念は、社会的生をもっとも全般的かつグローバルなレベルにおいて生産し変革する任務を帯びているという意味において、生権力の一形態に他ならない。

    P59 アフガニスタンやイラクなどで進められている政治的な「国家建設」プログラムは、政権力と戦争からなる生産的プロジェクトの重要な一例である。この国家建設という概念ほど、ポストモダン的で反本質主義的なものはないだろう。

    P71 こうして敵は、もはや具体的で局所化可能なものではなくなり、〈帝国〉という名の楽園に棲むヘビのような、姿を見せては消えるとらえどころのない存在となっている。敵は未知で目に見えないのに、まるでオーラのように常に辺りに偏在しているのだ。

    P100 軍隊がもはや一般住民によって構成されなくなったとき、軍がもはや武装した人民ではなくなったとき、帝国は滅びる。今日、あらゆる軍はまたしても傭兵軍になりつつある。

    P104 器用仕事人(プリコルール)とは、さまざまの断片的な事物をその場その場でつなぎ合わせることによって組み立てる、便利屋のような存在をさす。

    P119 合衆国がこれまで何度も行なってきたように、単独の権力がネットワーク型の形態の必然性や複合的な力関係への強制的関与を回避しようと試みることはあるだろう。だが玄関から投げ捨てたものは、必ず窓からこっそり戻ってくる。

    P186 すべての非物質的生産に伴う労働は物質的なものでもあることを、ここで強調しておかなければならない。どんな労働もそうであるように、それには人間の身体と頭脳とがかかわっている。非物質的なのはあくまでもその生産物なのである。

    P222 移民は、貧者の中でもこの豊かさと生産性をまさに身をもって示す、特別なカテゴリーである。

    P243 端的に言えば、非物質的生産の基盤が「共」にあることだ。【中略】たとえば資本家は労働者を工場に集め、互いに恊働しコミュニケートし合いながら生産に携わるよう指示し、そのための手段を与える。これに対して非物質的生産のパラダイムでは、労働そのものが生産のための相互作用やコミュニケーション、恊働を直接生み出す傾向がある。情動労働は常に直接的に関係性を構築する。

    P260 ポスト近代における労働の特異な形象はバラバラに分散したままあるのでなく、コミュニケーションや恊働を通じて混じり合い、ひとつに収束して〈共〉的社会存在となる傾向を持つという事実が明らかになりつつある今、私たちはこの社会的存在ー豊かであると同時に悲惨でもあり、生産性と苦しみに満ちあふれつつも形を欠いたものーの中へと入り込んでいかなければならない。

    P289 ある体制から別の体制への移行期、旧いルールはもはや無効だが新しいルールはまだしっかりと根付いていない時期には、必ず腐敗が跋扈する。

    P301 今日、知識や情報から、コミュニケーション・ネットワーク、情動的関係性、遺伝子コード、自然資源に至る多種多様なものを対象にした私有化には、明らかにバロック的な、新たな封建制のにおいがつきまとう。増大しつつあるマルチチュードの生政治的な生産性は、私的領有化のプロセスによって阻害され、弱体化させられているのだ。

    P302 伝統的な資本主義的所有権はその基礎を労働においていた。ある財を所有する権利は、それを創出する労働を行なった者にあるーというわけだ。【中略】私有財産は一面で、価値あるものはすべて誰かが私的に所有しなければならないという考えを私たちに植え付け、人間を愚かにしている。経済学者は飽きもせずに、ある財を有効に保持したり利用したりするには誰かがそれを私的に所有することが不可欠だと繰り返す。だが実際には、この世界の大部分は私的財産ではないし、私たちの社会的生が機能しているのもそのおかげにほかならない。

    P304 いつの日か人間が今の時代を振り返り、あれは私有財産によるさまざまな形態の富の独占化を許すことで革新にブレーキをかけ、生を堕落させた愚かな時代、まだ人間が社会的生を全面的に〈共〉に託すことのできない時代だったと総括する時が来るかもしれない。</blockquote>

  • 民主主義と自由、これが彼らの信じるほどよいものかは微妙だが、世界の道行きに関してはだいぶ正確に見通してると思える。荒唐無稽な理論などではなくて、様々な現象をむしろ帰納的に整理して見せたのだ。
    で中身は?と聞かれるならば、グローバルと生権力という2つの傾向があるわけで、ミクロとマクロに引き裂かれながら人々は微塵切りにされていく。いかにして美味しいミックスジュースになるかではなくて、いかにして硬く抵抗するかでもなくて、この傾向を受け入れた上で有効な言説を練り上げようというのがこの本だ。
    国民国家はいまや喘いでいる。ならば、この本は尚更に読まれるべき。

  •  アントニオ・ネグリが「帝国」の続編として書いた上下巻。
     
     微妙だけど「帝国」よりは分かりやすい気がする。
     帝国に対抗する存在となるマルチチュード。それは多様性を保ったままの集まりというようなものらしい。
     帝国のようなグローバリズムに対抗するのは小さなローカルではなく、多様性を持った色々な存在や活動の集合体なのだと思う。それはある意味でとてもグローバルにつながっている。

     よくは分からないけど、何か大事なことが書いてある。大事な概念のような気がする。それがマルチチュードなのだと思う。

  • 2007/05/07 購入
    2007/05/15 読了 ★★
    2014/04/29 読了

  • 個別のテーマでは、すごく興味深くてクリアだと思う。現代の戦争のあり方か、ウエストファリア条約以前・主権国家体制以前のあり方と概念的に類似しているという再確認。経済学的な生産活動=付加価値・情報の生産であると見直した観点からの、新古典派批判・マルクスの再解釈…。概念的な話や振り返りが多くてふわっとした印象でございます。
    そしてそういう変化の根底にある、といいたいらしい『民衆の変化=マルチチュード化』がよくわからない!実感ベースでいっても、現代の我々の没個性化・大衆化は変化していないような気がしますが?

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著者プロフィール

1933年イタリアのパドヴァに生まれる。マルクスやスピノザの研究で世界的に知られる政治哲学者。元パドヴァ大学政治社会科学研究所教授。 早くから労働運動の理論と実践にかかわる。79年、運動に対する弾圧が高まるなか、テロリストという嫌疑をかけられ逮捕・投獄される。83年にフランスに亡命。以後14年間にわたりパリ第8大学などで研究・教育活動に携わったのち、97年7月、イタリアに帰国し、ローマ郊外のレビッビア監獄に収監される。現在、仮釈放中。 邦訳に『構成的権力』『未来への帰還』『転覆の政治学』等がある。

「2003年 『〈帝国〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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