漢文脈と近代日本: もう一つのことばの世界 (NHKブックス 1077)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140910771

作品紹介・あらすじ

漢文は、言文一致以降すたれてしまったのか、それとも日本文化の基盤として生き続けているのか?本書は漢文の文体にのみ着目した従来の議論を退け、思考様式や感覚を含めた知的世界の全体像を描き出す。学問と治世を志向する漢文特有の思考の型は、幕末の志士や近代知識人の自意識を育んだ。一方、文明開花の実用主義により漢文は機能的な訓読文に姿を変え、「政治=公」から切り離された「文学=私」を形成する。近代にドラスティックに再編された漢文脈を辿る意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 非常に面白かった。北村透谷が、自由民権運動から文学に身を投じた理由がよく分かった。

  • 好きな人は好きなテーマだろうなあ。私は正直あまり興味が持てなかった。三年後くらいに読んだらまた印象が変わるのかも。

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  • 本書はのちに、角川ソフィア文庫に入りました。


    【簡易目次】
    はじめに [003-005]
    目次 [007-010]

    序章 漢文脈とは何か――文体と思考の二つの極 011
    第1章 漢文の読み書きはなぜ広まったのか――『日本外史』と訓読の声 039
    第2章 国民の文体はいかに成立したのか――文明開化と訓読文 077
    第3章 文学の近代はいつ始まったのか――反政治としての恋愛 117
    第4章 小説家は懐かしき異国で何を見たのか――艶情と革命の地 161
    終章 漢文脈の地平――もう一つの日本語へ 205

    参考文献 [228-232]
    あとがき(二〇〇七年一月十九日 齋藤希史) [233-235]


    ・なお、こういう本も刊行されている。
     『漢文脈の近代――清末=明治の文学圏』(齋藤希史 名古屋大学出版会 2005)

  • 勉強になった。

    「漢文脈」との距離で荷風と谷崎を捉えるという発想に非常に説得させられたり、また、「政治と文学」という問題系は、この本にある「士人と文人」という対立図式からだと違った形で見えるのでは?という気にさせられたり。

    という形で、この本の魅力的な発想を土台に、自分でも色々と考えたいという気にさせられます。

  •  とても興味深い本。従来の文学史にはない「漢文脈」という項目を設けて、日本の近代文学や近代という時代そのものを解釈する。齋藤先生の手法の鮮やかさと無駄のない洗練された文章が読みやすく、静かな感動をもって読むことができました。
     第三章における鴎外の「舞姫」解釈も、抜群の説得力でした。昔、高校の時、ある女子生徒が「こんな甲斐性のない男が小説を書いてるんだから日本は戦争に負けたんだ」という大胆にも過激な書評をしていましたが、これで私はようやく彼女に対する力強い反論を得たように思います。
     第四章における「恋愛」の成立に関する漢文脈の影響も興味深いです。現在私の所属するゼミでは、卒論に恋愛を取り上げる生徒が多いので、彼らの卒論を読むうえでも大いに参考になるかと思います。
     終章における、漱石分析は、いささか単純ではないかと思いますが、それまでの漱石研究を漢文脈という視点から見事に補強されていると思いました。
     言語と精神と歴史が連結されて、視野の広い本になっています。これを期に、漢文の勉強(特に本書では極めて単純化された部分の内実)をやりたいと思いました。示唆に富む素晴らしい本です。

     以下、各章概要です。
    ・序章
     漢文脈とは士大夫の思考や感覚の型(エトス)をその核に持つ書記文体のこと。また広義にはそのエトスを受け継いだ文体も含む。士大夫のエトスとは朱子学によって形成された主知的な統治意識であり、天下国家を論じる枠組みを持つようなもの。士大夫的エトスは、日本において、中世から近世にかけて次第に構築されてきて、徳川時代の寛政の改革、なかでも異学の禁(1790)によって漢文の地盤が固まったことで、武士階級を中心に決定的な影響力を持った。

    ・第一章
     頼山陽の『日本外史』(1826)がベストセラーになったことから、士族階級の周辺部にまで士族意識、つまり主知的な統治意識や儒教的道徳観が拡がった。ベストセラーの理由は、『日本外史』が尊王思想を持って歴史を叙述してあり当時の武士の指針を示したこと、及び『史記』の訓読から得たリズムを基本に据えることで朗誦しやすい漢文であったことがある。訓読のリズムが人気を収めたことには、異学の禁によって全国的な教育システムが定められたことも影響している。というのは、当時の学問の方法は、素読、つまり、意味を理解するまえに読み方を暗記するという方法がとられていたからだ。定式化された訓読のリズムは日常言語とは異なる独自のリズムとして身体化される。それは単なる書き言葉であった漢文から、訓読文が新たな言語として独立していく過程だった。『日本外史』はこのような転換点となった。

    ・第二章
     明治20年代に入ると江戸から明治への価値観の転換がほぼ完了した。そこでは、封建的な儒教道徳よりも、実用性が重視された。そのため、漢文に与えられていた精神的価値が失われ、むしろ支那というローカルな位置付けに変化し、訓読文体がその実用性から公の文(普通文、今体文)となった。つまり、ここにおいて、訓読文が漢文から独立したのである。訓読文は当時の人々にとって、全く新しい自由な文体であった。また、この当時、西洋語が盛んに漢語に訳されたが、これは訓読文における翻訳なのであり、漢文における翻訳ではなかった。それは確かに近世後期に漢文教育を受けた世代の努力によるものなので、漢文の素養によって翻訳が果たされたというのは間違いないのだが、それは今体文あってのことだったのだ。

    ・第三章
     「文学」という言葉はもともと学問一般を指す言葉だった。その意味を担保していたのは漢文だった。そこでは学問という言葉は、教義と詩文の両者を含むものだった。それぞれに、士人的エトスと文人的エトスがあった。今風に言えば、行政者と芸術家くらいの違いであり、前者が公、後者が私の世界に相当する。ここにおいて、西洋語のliteratureのもつ芸術という意味と文人的エトスが結び付き、文学という言葉が文人的エトスのみを表す言葉となり、現在のように小説や詩などを意味する熟語となった。このような転換は価値観の転換とともにおきた。実利主義的な近代において、直接的な利益を生まない詩の世界は軽んじられたのだ。そのため、漢詩文のバランスは公的領域から私的領域に傾き、literatureは私的な空間で「文学」という訳語を得たのだった。ところで、この転換は、さらに「感傷」から「恋愛」への発展を生んだ。感傷とは、漢文脈的な伝統のなかで私的な世界だったが、それはあくまで公的な世界との緊張関係において存在した。そして、漢文脈から離れることで、この公的な対象物の影響を亡くし、あくまで個人的な場所において心を扱うことが可能となった。この「感傷」から「恋愛」への発展の狭間にある作品が森鴎外の「舞姫」(明治23年)である。「舞姫」は恋愛小説ではなくて、まだ感傷小説である。だから主人公は恋人を取ることなく、仕事を優先するのだ。その感傷が物語の眼目だったわけだが、新時代の価値観に生きる批評家はこれを恋愛小説と読むために、批判的になるのである。

    ・第四章
     かつて中華世界において、韻文と散文つまり詩と小説は対等に扱われていなかった。小説は怪奇譚や不思議な話を記す俗なるものとして、作者(士大夫層)の自己表出を担う詩文よりも一段低いものと見られていた。しかし、その差異を越えるものとして「情」の存在があった。情とは、人生の短さ、季節のうつろい、旅路のよるべなさ、惜別の思い、男女の愛情などの思いである。この情は、士大夫的エトスのなかの私の世界(つまり、文人的エトス)のなかの、感傷を形作る基礎であった(同じく文人的エトスのなかで感傷と対置されるのは「関適」で、これは世俗を超脱した俳味、禅味を主題とする)。時代が下るにつれて、情が詩と小説というジャンルを超えて扱われるようになる。つまり情がジャンルを無効化したのである。一方日本において、文人的エトスを核とする文学が誕生すると、艶冶な詩を読むことも、妓女との交友を散文で著すこともともに文学とされた。そして、そこに西洋文学からの翻訳を通して、「恋愛」が持ち込まれると、それが情という主題と結び付き、強い価値を得たのだった。これはつまり、坪内逍遥の『小説神髄』(明治18年)が「人情」の模写を主張できた背景に、既に人情の文化が我々の生活のなかに根ざしていたということである。換言すれば、その状況を喝破した逍遥が目ざとく西洋の小説理論を用いたとも言える。『小説神髄』の主張した近代的リアリズムは言うまでもなく近代小説の要件、つまり「文学」の要件であるから、「文学」の成立に情(文人的エトス、あるいはもっと広く言って漢文脈)が重要な位置を占めていたということである。もっとも、そこには江戸文藝で醸成された価値観もあることは事実である。このようにして、「感傷」から「恋愛」へ、また「学問としての文学」から「芸術としての文学」へと転換したのである。
     また同時に、当時芽生えていたオリエンタリズムとしての支那意識が文学において、谷崎潤一郎の文学を生んだ。というのは、谷崎以前の作家、例えば永井荷風などは漢文的エトスに属する作家であったために、絶えず士人的エトスと文人的エトスの対称関係のなかで思考していたのに対し、訓読文世代の谷崎(明治19年生まれ)はそれに属さなかったため、これをあくまで素材として扱い、文人的エトスの延長に、完全に私的な艶情の世界を構築できたのだ。一方同じ支那趣味の作家でも芥川龍之介は士人的エトスの人であった。彼の場合は帝国大学生というエリート意識とも言えるが、これを士大夫意識の延長線に再構成されたものと見れば、漢文脈の人なのである。オリエンタリズムとしての支那意識は漢文脈にこのような変化をもたらしたのだ。

    ・終章
     日本の近代は漢詩文的なるものからの離脱及び拒否によって成立した。そして、現代に生きる我々もその延長線上にある。訓読文は漢文からの最初の離脱だった。しかし、そこにはいまだ漢文への可塑性が残されていたため、これを払拭する言文一致体が登場したのだ。西洋文学の写実主義や自然主義といった概念はこの漢文の外部を担う足場だった。漢文脈は極端に言えば、既に捨てられたものだ。では、なぜ捨てたのか、捨てた私たちとは何者だったのかが問題になる。また、もうひとつの日本語の世界として漢文脈を知ることで、現代日本語の世界を相対化し、その限界や特質を知ることができる。漢文脈は文体に留まらない思考や感覚の型でもあったので、照射される対象は言語に限らず、我々が現在自明としている感覚や無意識のうちに見過ごしている事象が浮かび上がって来るのだ。現在の我々は漢文脈を振り返る時期に来ている。

  • 近代日本の言語文化について、「漢文脈」という視点から捉え直す試み。「漢文」ではなく「訓読文」や「漢文的な思考やふるまいの様式」まで含んだ「漢文脈」という視点を置くことで、近代日本が西洋化していったという物語からは抜け落ちてしまう言語空間を描くことに成功している。

    特に面白いなと思ったのは、日本の近代文学成立の底流として、「漢文→訓読文→「公/私」の対立→「私」への傾斜」という構図を掲げていること。とりわけこの文脈の中で、森鴎外「舞姫」を論じているあたりは、自分がこれまで読んだ「舞姫」関連論文にはない視点だったので、非常に参考になった。

    実際にここでの筆者の指摘は、「於母影」で様々な翻訳実験を試みて二葉亭四迷の「あひびき」の訳業だって知らないはずのない鴎外が、なぜわざわざ太田豊太郎の手記をあのような漢文調にしたのか、という問いへの、説得力のある解答になっていると思う。というわけで、高校国語教員の方はここだけでもぜひ読んでみて。

    大正期以降の日本文学の系譜や、西洋から入ってきた思想を新漢語で置き換えて行ったことの影響などについてはもう少し詳しく知りたかったが、全体的には、明治日本の漢文脈について大まかな見取り図を与えてくれる良書。

    ところで一方、著者が一篇の詩の語句を解釈する時の丁寧さにも目をみはるものがある。というか、UPの連載やそれをまとめた『漢文スタイル』で明らかだと思うんだけど、筆者は漢詩を読むのがとても好きそう(「山月記」の李徴の詩の解釈も面白かった)。いずれこの著者の「漢詩を味わう入門書」的なコンセプトの本も読んでみたいと思う次第。

  • [ 内容 ]
    漢文は、言文一致以降すたれてしまったのか、それとも日本文化の基盤として生き続けているのか?
    本書は漢文の文体にのみ着目した従来の議論を退け、思考様式や感覚を含めた知的世界の全体像を描き出す。
    学問と治世を志向する漢文特有の思考の型は、幕末の志士や近代知識人の自意識を育んだ。
    一方、文明開花の実用主義により漢文は機能的な訓読文に姿を変え、「政治=公」から切り離された「文学=私」を形成する。
    近代にドラスティックに再編された漢文脈を辿る意欲作。

    [ 目次 ]
    序章 漢文脈とは何か―文体と思考の二つの極
    第1章 漢文の読み書きはなぜ広まったのか―『日本外史』と訓読の声
    第2章 国民の文体はいかに成立したのか―文明開化と訓読文
    第3章 文学の近代はいつ始まったのか―反政治としての恋愛
    第4章 小説家は懐かしき異国で何を見たのか―艶情と革命の地
    終章 漢文脈の地平―もう一つの日本語へ

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •  前島密が将軍慶喜に「漢字御廃止之議」との建白を上げ,仮名専用論を称えたのは、1866(慶応2)年末のこと。前島は明治政府になっても同様の意見書を政府関係機関に出し、また右大臣岩倉具視や文部卿大木喬任らに建議している。
     森有礼が漢文を簡易英語に替えることの可否を、アメリカの大学教授に尋ねたのは1872(明治5)年のこと。
     そして福沢諭吉が、漢字二千字から三千字への削減という自
    説を、編著の小学校用国語読本に添えて示したのが1873(明治6)年だった。
     以後、大正・昭和とこの漢字廃止,制限論可否の議論は延々と続く。今日の常用漢字の範囲をめぐっても賛否両論は避け難い。

     これらの議論に,一海知義のエッセイ「日本語の中の漢字文化」では、漢文調による権力のこけおどしの例として、明治憲法や教育勅語(原文は漢文で六朝の美文の模倣だった)それに敗戦時の詔書などをあげている。

     以上の背景をもとに本書を読むと,なかなか興味深い。幕藩体制のもとで、特に寛政の改革により正当化された朱子学をもとに,幕府・各藩の教化体制の制度化があり,やがて近代日本の成立と展開を、漢文脈との関わりで追ってみたもの。

     明治と云うと言文一致の二葉亭四迷を先ず思い出す。しかし本書の切り口は「明治初期では、現代かそうでないかの境界は、文語と口語の間にあったのではなく、漢文と訓読文の間にあった」。この訓読文が文明開化にふさわしい文体とされたのだとする。
     そして「日本の近代は,漢詩文的なるものから離脱することに依って,もしくはそれを否定することに依って,あるいはそれと格闘することによって成立した」その延長にわれわれは生きている、と。
     「漢文脈でこそ表現しうることがあることに気づくことで、現代日本語の世界を相対化し、その限界と特質を知ることが」できる、と本書はむすぶ。

     「この土手に上るべからず警視庁」という制札があったそうだが、漢文脈の明快便利さは確かに一顧の価値がありそうだ。
     と同時に,現代日本語の漢文脈的表現のあり方についても、強いて何かを固守しなくても時代がその流れのなかで解決していくものではないだろうか。
     

     登場する人物はザッと眺めても多士済々。服部南郭/藤田東湖/近藤勇/大沼枕山/頼山陽/徳富蘇峰/森田思軒/山路愛山/福沢諭吉/中村正直 /久米邦武/森春濤/森鴎外/夏目漱石/永井荷風/谷崎潤一郎/ 芥川龍之介/国木田独歩/田山花袋/島崎藤村/柳田國男等々。
                             

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著者プロフィール

東京大学大学院人文社会系研究科教授

「2021年 『漢文ノート 文学のありかを探る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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