ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140912072

作品紹介・あらすじ

会議中やデート中、目の前の相手がSNSを見始めたら?スマートフォンが飛躍的に普及した今日、ウェブの情報空間がリアル空間と結びつく「多孔化」は、私たちの生きる現実を大きく変容させ、社会のつながりを揺るがしつつある。いま、最も注目される社会学者が、「ソーシャルメディア疲れ」する若者の自己の有り様から、震災以後の日本社会の共同性の危機まで、多孔化した現実のゆくえを探る、待望の書き下ろし!

感想・レビュー・書評

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  • とても現実的な課題からこの本は始まる。

    スマホで、いま現実にいるこの空間とは別の場所にいる誰かとつながることができるということの意味。恋人とテーブルをはさんで向き合いながらスマホの向こうにいる誰かとのコミュニケーションを優先させるような場面。いまそこで展開されている飲み会よりも、テービルの下で手にしているスマホを通じて他の空間にいる誰かと会話をする私。

    筆者はそれを「多孔化」と呼ぶ。

    今までは目の前にある空間にある現実と向きあるだけで成立していたコミュニケーションに割り込んでくるデジタル。この多孔化がもたらすものは何か。

    こんな問いは我々がそこから得るものと失うものを明らかにしてくれる。

    この問いが後半にはとてもダイナミックな課題を提示することになる。


    記憶の継承。


    これは情報技術の急速な変化を見ながら東日本大震災に遭った我々日本人の未来への大きな課題だ。この問題意識は私自身も痛烈に持ち続けている。

    その継承のために自分はSNSを使っているつもりだったが、鈴木氏の指摘は180度違う方向を指し示していた。そのことに自分は立ち止まらざるを得なかった。「確かにそうだ」と。記憶を継承していくことと物語を共有することはほぼ同義であるだろう。それが困難になり始めた時代においてのヒントをこの本は与えてくれる。

    我々は記憶を受け止める側であると同時に、今、手にある記憶を伝えてゆく主体であるということを強烈に意識させられる。そしてこの困難な時代においてそれを紡いてゆく方法。これはまだまだ考えなければならない。

  • 現実の多孔化と、それに伴う共同性の継承の困難について。ネットワークにつながった世の中で、今ここにいること、があやふやになり、いくつもの現実が同居する環境下において、困難になる共同性…わかりやすいところで言えば、実際に目の前にいる人たちとの関わりの維持・継承をどうするのか、について。
    結論として3つの方法…ざっくり言うと、個人の範囲に任せる、公的な仕組みを強くして行く、最後に著者が独特の意義があると考えるのは「ネットワークにつながっていること」を生かすこと。
    第3の方法がどこまで可能か…持続性とか、対象範囲とか、に課題は残ると思うけれど、その可能性にかけてみたいという気持ちはわかる。結論にいたるまでの分析も面白い。

  • 第一部 現実空間の多孔化
    第一章 ウェブが現実を侵食する
    「情報空間」が現実を変える
    情報によって変わる現実の見方  情報空間とは何か  空間の意味を生み出す鍵  コミュニケーションが作る意味の空間  情報空間の概念的な整理
    ソーシャルメディアが個人情報を買い叩く
    社会現象を複眼的に見る  経済的要因が後押しするスマートフォンの普及  新たな広告媒体として  個人情報を支払わされるソーシャルメディア  スマートフォンとソーシャルメディアを推す政治的理由
    現実と連動し、現実を侵食するウェブ
    データが現実になる  現実を資源化するウェブ
    第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る
    ソーシャルメディアから抜け出せない人たち
    「ソーシャルメディア依存」をめぐって  携帯電話依存の研究から見えてくるもの  「寂しいから」ではなく「一人だと思われるのが怖い」  空気を読む圧力はなぜ生じるか  「見なければいい」では解決しない
    「ソーシャル疲れ」の社会学
    もうソーシャルメディアなんて見たくない  「空気を読む圧力」だけが原因なのか  社会学的自己論からの分析  「思った通りに見て欲しい」  ソーシャルメディアで現実空間はどうなる
    第三章 ウェブ社会での親密性
    役割空間の混乱
    デート時の携帯電話マナー  役割は「期待」から生まれる  期待に逆らう自由  機能分化した複雑な社会  役割葛藤と役割空間  ソーシャルメディアと役割空間
    一緒にいることの孤独
    「離れていても一緒」なのか  親密であるとはどういうことか  自己開示とプライバシー  監視こそがプライバシーの確保につながる?
    親密性と近接性が無関連化する
    「自己情報コントロール権」と親密性  「親密な相手」を選択する  人でなくても感じられる親密さ  現実空間の意味をめぐる争いが顕在化する
    第二部 ウェブ時代の共同性
    第四章 多孔化現実の政治学
    テレビ公共圏から多孔化現実へ
    高級レストランでの料理撮影  ソーシャルメディアとコンサマトリー化  場所の特別さの喪失  テレビ公共圏が作る「大きな物語」  テレビに出ている人は他人ではない  電話のあるところが「私の場所」になる  多孔化社会の無限定性
    多孔化現実を管理する権力
    公共空間での通信機器の利用は制限されるべきか  監視社会論からの批判  携帯電話による相互監視と管理  自己情報コントロールのジレンマ
    リスクの可視化による社会の分断
    「ホットスポット」をめぐって  地図による可視化という権力  市場価値で分断される被災地  安全に関する情報を必要とするのは誰か  権力作用の批判から、新たな共同性へ
    第五章 多孔化した社会をハッキングする
    観光から聖地巡礼へ
    多孔化による分断に対抗する手段  観光客の体験から見る観光地  アニメ聖地巡礼と観光地の創造  見られること、連帯、アイデンティティ
    シビック・プライドと行政の役割
    後期近代の共同性  共同性としてのシビック・プライド  なぜハコモノやゆるキャラではダメなのか  「ファスト風土」から地域性の継承へ
    第六章 「悲劇の共同体」を超えて
    喪失の体験と共同性の始原
    人が入れ替わっても持続する共同性  共同性から共同体へ  喪失の体験が生む共同性  死者の抽象化と共同性の拡大  「悲劇の共同体」のジレンマ
    儀礼の空間と現代における共同性
    抽象化された死者を引き受ける空間  儀礼が可能にする記憶の継承  現代社会における構造的な忘却  一次の忘却と二次の忘却  どのようにして記憶を継承するか  個人の空間が共同性へと接続されるために
    ======================
    はじめに
    第一部 現実空間の多孔化
    第一章 ウェブが現実を侵食する

    「情報空間」が現実を変えるウェブの情報が現実に入り込み、複雑なリアリティを構成している。これを著者は「現実の多孔化」と呼んでいる。
    これはもはやリアルかバーチャルかの対立で語られる問題ではない。

    もともと我々は空間に意味づけをして生活している。例えば「私の家」「なじみのバー」など。
    しかし Digital空間で生み出された情報が、現実の空間を「上書き」することが、自然となってきた。
    たとえば ドラクエの「るいーだの酒場」などが好例である。

    これを後押ししたのは、スマートフォンの出現である。
    これにより 24時間つながりを維持できる/維持せざるを得ない。
    しかしこれは自然な変化ではなくキャリア側の意向が多かった。
    スマホを通して吸い上げた情報を「マーケティング」に生かす、との理由で個人情報を買いたたいているのだ。
    これにはやすいアプリを散布して、24時間つながり続け情報をやり取りする方が効率がいい。
    これによる問題点はもちろんプライバシーの問題もあるが、もう一つは我々が「Data」でしか判断されない状況がやってくるということだ。

    第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る
    ソーシャルメディアは「依存」を生み、同時にソーシャル疲れといわれる現象も生み出す。疲れるなら辞めればいいというが、依存となっているので抜け出せない。
    依存は孤独な人がする傾向が高い。
    彼ら彼女らは二つの不安にさいなまれている。
    ひとつは「相手に嫌われていないか」
    もうひとつは「自分が思った通りに相手に見られているか」である。
    前者は「空気を読む」圧力を生み出し、後者が空回りすることでソーシャル疲れをうみだす。

    彼らのコミュニケーションは、足し算ではなく引き算である。
    連絡先を交換していちおう「つながって」おいて、 あとから剪定する/される関係である。
    そのためにはまずは「ひかれない」ことが大事なのである。

    第三章 ウェブ社会での親密性
    ウェブ社会は「親密性」の変化ももたらす。
    かつて親密とは物理的に近くにいること、自らのすべてを知っていることが必要な条件であった。
    しかし、ウェブ上では距離は意味をなさず、プライバシーの設定をすることで自分がどこまで晒すかが、コントロール可能となった。

    第四章 多孔化現実の政治学
    かつてテレビが出現したことにより、「社会」が変化した。
    テレビが映し出す「社会」が「我々の社会」となり、そこに映る人々が「この社会」となった。
    テレビが作り出す「公共圏」はそれまでの社会のそれよりも、巨大な範囲となっていった。
    一方で、ウォークマンやケータイの出現により公共の場所に、プライベートな場所が突如出現することとなった。
    それは公共の場所を、自分の空間として、情報を上書きすることができる。
    一方、電車内でのケータイの禁止や、高級レストランでの料理の撮影が禁止されるのは、空間の管理者が、その場所を特定の意味を持った空間として機能させるという意図のもとである。

    リスクの可視化による社会の分断
    リスクの可視化はそれ自体ある種の権力である。
    例えば「ホットスポット」を可視化することで、そこから逃げられる人、逃げられない人を浮き彫りにする。
    リスクを引き受けざるを得ない状況は政治的なものなのに、あたかも、自己判断であるようにみせかける。
    情報開示は、人々を分断する。

    第五章 多孔化した社会をハッキングする
     ウェブ社会は、物理空間をさまざまな角度から「上書き」することで、物理的に集まっていた人々を「分断」する。
     そこに対抗策はあるか?
     著者は別の情報でさらに「上書き」することを提案する。そこで出されるのはアニメの聖地巡礼、である。
     ここで大切なのは、単に観光客が訪れるのではなく、地域も観光客からの視点を取り入れて変化する、という再帰的プロセスである。
     ポスト・モダン・コミュニティにはこの「再帰的」が大切である。

    第六章 「悲劇の共同体」を超えて
     かつて、共同体を支える大きな源は「喪失」であった。
     大切な人やものなどを「喪失した」というい共感を得ることで成り立っていた。
     だが、これには欠点もある。
     実際に失った人と、後から来る人の温度差だ。
     それを埋めるためとして、「儀式」が重要である。
     自らとは直接的に菅家はないが、反復する、儀式に参加することで、「自分以前から続いてきた大きな何か」をふれることができる。

    おわりに
     「現実の多孔化」がすべて問題であるかはなんとも言えない。
     ただそれは、いままでの共同体の分離をもたらす可能性があるが、さらに大きな「情報の上書」により、新たな共同体の産出できる可能性をもはらんでいる。

  • 【由来】
    ・Flipboardの「書籍」で。

    【期待したもの】
    ・佐々木俊尚著の「レイヤー化する世界」の読了直後に目に入った。比較できそうな内容かと。

    【要約】
    ・Webテクノロジー、それも「ソーシャルメディア」の浸透により、現実世界の意味が上書きされ、「多孔化」した社会となっている。これにより、従来型コミュニティの存在基盤や関係論が通用しなくなってきている。

    【ノート】
    ・佐々木俊尚の「レイヤー化する世界」を読んだ直後に本書の存在を知り、何となくそのつながりや違いを明確にしてみたいと思ったのが本書を読む動機。

    ・「レイヤー化する世界」はウェブによって、個人のスキルやタレントのレイヤー化が可能になり、各員が緩やかで不安定なつながりを世界的に広げて活動してゆくという社会像を描いており、それはどちらかと言えば楽観的な肯定であるように感じられた。

    ・それに対して本書は、ウェブによってもたらされる現実空間の多孔化を、危機感を持って捉えているのが出発点。例えばデート中に相手が目の前にいるにも関わらずソーシャルネットワークにアクセスするという振る舞いを、単なるマナーの問題ではなく、現実空間の意味合いがウェブによって上書きされているとし、現実の物理的空間が人間関係に対して持っていた制約が喪失していると分析する。つまり、かつては同じ空間にいるということが密接な人間関係と同義であったのに、それが単なる「近接」をしか保証しなくなったということである。

    ・このことは従来型のコミュニティの成立条件を揺るがすことになる。同じ物理的空間にいても、その空間が持つ(あるいはその空間にいることの)意味が、人によって変わってしまうわけで、そのことを著者は「多孔化」と表現している。佐々木が「レイヤー化する世界」を「不安定」と表現しているのも、この、従来型パラダイムの動揺と通底しているように感じた。

    ・本書は、そのような状況について単に警鐘を鳴らすだけではなく、あくまでも社会学からのアプローチらしく、新たなコミュニティの創出を提言している。そこでは、現実の多孔化を積極的に認め、取り入れた上で、「儀式」による新たなコミュニティの創出を提言している。この提言については、自分は今ひとつピンとは来なかったのだが、多孔化という視点は面白く感じた。

    【目次】
    第一部 現実空間の多孔化
    第一章 ウェブが現実を侵食する
    1 「情報空間」が現実を帰る
    2 ソーシャルメディアが個人情報を買い叩く
    3 現実と連動し、現実を侵食するウェブ
    第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る
    1 ソーシャルメディアから抜け出せない人たち
    2 「ソーシャル疲れ」の社会学
    第三章 ウェブ社会での親密性
    1 役割空間の混乱
    2 一緒にいることの孤独
    3 親密性と近接性が無関連化する

    第二部 ウェブ時代の共同性
    第四章 多孔化現実の政治学
    1 テレビ公共圏から多孔化現実へ
    2 多孔化現実を管理する権力
    3 リスクの可視化による社会の分断
    第五章 多孔化した社会をハッキングする
    1 観光から聖地巡礼へ
    2 シビック・プライドと行政の役割
    第六章 「悲劇の共同体」を超えて
    1 喪失の体験と共同性の始原
    2 儀礼の空間と現代における共同性

  • チャーリーの一番新しい著書。とは言ってももうすでに4年ほど前か。これも結構読み応えがあった。最終章で扱っていた共同体についてのあれこれが印象に残る。「喪失の共同体」という概念はかなりうなずける。喪失という物語を共有することによて、理想に対しての憧れ、それを失った悲しみの共有体験が共同体のアイデンティティになっていく。

    あまり想像を膨らませるべきではないかもしれないが、キリスト教の成り立ち、そして今日の我々。重ねずにはいられない。学び多い一冊であった。


    17.5.2

  • 現実とウェブの境界がなくなった現代社会において、人々の自己理解・自己形成が否応なしに分断を含まざるをえないことを明らかにするとともに、それを克服するための道を探ろうとしている本です。

    ウェブ社会が空間の意味を上書きするという発想に基づいて、「アニメ聖地巡礼」などのコンテンツ・ツーリズムに新たな公共性への希望を見ようとする議論は興味深く感じました。

    ただ、著者の師である宮台真司にも言えることですが、社会的包摂の必要性を訴える議論に、個人的にはどうしてもきな臭さを感じてしまいます。とりわけ震災の記憶の継承に関する議論では、ナンシーとブランショの議論を踏まえているのでつい見過ごしてしまいそうになりますが、本書の中には共同体が死者についての「語り」を独占してしまうことに対していささか無防備ではないかという気がします。もっともこれは、私自身の根っこにアナキズムに親和的な傾向が潜んでいるせいなのかもしれません。

  • 2016.08.08
    「ポケモンGOにみる社会の多孔化」というブログの記事をTwitterで見つけて興味を持った分野。

    前半の「情報空間」による上書きや、対面している人の前でケータイをいじることのマナーなどは読んでて面白かった。
    後半から一度読んでも内容が全く頭に入ってこず途中で断念。
    社会学らしい回りくどい文章の羅列が理解できず...

  • 興味深い内容だけど読んでて退屈になり、断念した

  • もう一度読みなおす。

  • Webの発展で起こる阻害現象を「現実の多孔化」と名づけて、その解決策を考察した好著だ.AR(Augumented Reality;拡張現実)やCMC(Computer Mediated Communication)といった少し違和感のある略語が出てきて、やや戸惑ったが楽しく読めた.社会の共同化を進める方策の中で、地元の平和公園での広島P2ウォーカーが取り上げられているのは嬉しかった.また、コンサマトリー化やシビック・プライドのような耳慣れない言葉が頻出しているが、新しい世界を議論するには必要なことと感じた.最後に娘たちの世代にも将来この本を読んで欲しいという願望を述べていたが、参考書として存在させるためにぜひとも索引を付けて欲しい.

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著者プロフィール

関西学院大学准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専攻は理論社会学。ソーシャルメディアやIoT、VRなど、情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論的研究を架橋させながら、独自の社会理論を展開している。
著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社、2005年)、『ウェブ社会のゆくえ─〈多孔化〉した現実のなかで』(NHK出版、2013年)、『未来を生きるスキル』(KADOKAWA、2019年)ほか多数。

「2022年 『グローバリゼーションとモビリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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