維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ (NHKブックス No.1248)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140912485

作品紹介・あらすじ

明治維新は武士という支配階級がみずから消滅する大変革だった。徹底した革命が犠牲者も少なく実現されたのはなぜか。この問いに答え、複雑を極める維新史の全体を通観するために、公議・王政・集権・脱身分化の四課題をめぐる提携と対抗として安政五年政変から西南内乱までを史料に即してつぶさに描く。さらに、武力よりも多数派形成の努力が鍵であったことを見出し、今日のリベラル・デモクラシーの起源をも解き明かす。志士や雄藩の活躍物語という伝統的なスタイルを完全に脱し、第一人者が研究の集大成として世に問う、新説・明治維新史。

感想・レビュー・書評

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  • 本書を紐解いたのは「図書8月号」の三谷博さんの寄稿文を読んだためだ。そこでは、「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析していた。

    これは実は、「弥生時代の倭国大乱が大戦争を経ずして話し合いで統一された」という私の問題意識と同一のものであり、俄然興味を持った。著者はたくさんの著書を物にしているが、1番関係性があると思われる本書を採った。ところがいざ読み始めると、想像以上に緻密で総合的、そして独創的な維新史論だった。此処で展開するのは、荷が重いかもしれない。勉強のため、出来るだけ(私流に)まとめようと思う。

    本書の概要は「まえがき」で以下のようにまとめられている。
    1858(安政5)年、アメリカとの修好通商条約の締結と将軍の養嗣子選定の問題が複合して近世未曾有の政変が勃発し、それを機に近世の政治体制が大崩壊を始めた。その時、認識されていた政治課題を集約する象徴は「公議」「公論」、および「王政」であった。幕末10年の政治動乱は、この2点を軸に展開したのである。それが、2つの王政復古案に集約され、徳川支配を全面否定する方が勝利したときには、次の課題が発見されていた。集権化と脱身分化である。(略)新政府は成立の3年半後には廃藩や身分解放令によって、その枠組みを作った。きわめて急進的な施策である。(5p)
    ←一般的に、維新は「黒船の衝撃で始まった」と言われているが、三谷さんは「安政5年の政変」を最も重視しています。それからの10年で「御一新」を迎えたのが前半。その後の10年もかなりの激動だったという。明治の歴史は薩長の歴史観でまとめられていて、我々は維新の志士が歴史を作ったのだと思っている。そこから抜け出せないでいたのが問題だった。とても刺激になりました。

    以下前半の各論。
    ⚫︎近世日本の国家は「双頭・連邦」国家と要約できるように、分権的かつ階層的に組織されていた。この国家は、隣国の清朝や朝鮮のような、科挙と朱子学を核とする一元的な組織と比べると解体が容易であった。それは近世の間に生じた各種の不整合、「権」と「禄」の不整合、さらに実際の制度や慣習とズレた規範的秩序像の登場によって、可能性が強まった。19世紀の日本には現存秩序を正面から否定し、破壊しようとする教義はほとんど存在しなかった。大塩平八郎は稀有の例外である。しかし、権力の規制なしに流布したこの天皇中心の新たな秩序像は「日本」を大名国家を超える至高の秩序と見做し、2つの中心のうち一方だけ禁裏を無条件の中心として想定した。近世国家が容易に解体し、しかも直ちに統合に向かった背景には、このような条件があったのではないかと考えられる。(69p)
    ←つまり、江戸時代最初から天皇もいる「双頭・連邦」国家は知識人の中では知識としては知られていたが、それを重要問題として明らかにしたのは本居宣長以降、それを尊皇思想としてまとめた藤田東湖以降だというのである。ハッと気がついたのは、「双頭・連邦」国家は「現代日本」も同じということだ。もちろん、憲法の制約もあるし、天皇自身に「その気」がないのは知っている。しかし、何かのキッカケで日本が再び「大きな犠牲者無く」一人の人物による一極集中国家になる潜在的な性格があることは頭の隅に置いておきたい。

    ⚫︎幕末日本の外交環境はかなり恵まれたものであった。近隣に同盟国を見出せないという弱みはあったが、他地域で侵略をためらわなかった西洋諸国は、日本ではもっぱら市場の確保にのみ関心を注いでいた。(略)他地域でしばしば見られたような、内乱が列強の間の勢力競争と結合し、収束不能となって、国内諸勢力の共倒れとなる事態は、回避されたのである。(125p)
    ←この時期、もし英仏が香港のように日本に戦争を仕掛けていたら、ひとたまりもなかったろう。また、英仏の代理戦争を強制させられていたら、と思うとゾッとする。もちろん、勝や西郷などの「警戒心」はあったが、それ以上に運命的な「運」もあった気がする。

    ⚫︎一旦始まった敵対関係は、暴力行使という薪をくべられて、さらに激しく燃え上がっていった。一橋党の処分が第一段、王政復古の運動家の逮捕が第二段、公家の処分が第三段、最終的断獄が第四段。ここまでは幕府側の一方的暴力行使だったが、それは桜田門外ノ変という反撃に行きつき、その後はテロリズムの模倣が拡がっていった。暴力は被害者当事者とその近親者の間に根深い怨念を植え付ける。かつての競争相手は不倶戴天の敵と変わり、報復と破壊への願望は日増しに募って、相手方が破滅するまで止むことがない。途中で相手が宥和の姿勢を見せても、それはむしろ弱さと解釈されて、報復衝動はより高まる。暴力は一旦応酬が始まると著しく停止困難となるのである。優勢な方は「暴力を止めるための暴力」と意味付けるが、それが功を奏するとは限らない。秩序回復の努力自体が逆に紛争を拡大し、その中で、政治的妥協は絶望的になってゆくのである。(160p)
    ←これらの「暴力の連鎖」は、今現在、アフガン国で展開されている。人間てヤツは‥‥。

    ⚫︎文久三年(1863)八月十八日のの政変後、急進攘夷派がいなくなった京都では秩序再建の試みが始まった。(略)幕府は自らの権力独占を守るに急で有志大名を排除し、横浜鎖港という実現困難な政策を使って天皇を味方に取り込んだ。短期的には大成功であったが、これは長持ちする策ではなかった。名賢侯を追い出し、更には西洋の軍事圧力を呼び寄せる。(205p)
    ←現代日本政府を見ているよう。近視眼的で、結局大局を誤る。

    ⚫︎慶応3年夏の四侯会議の挫折から鳥羽伏見の戦いの勃発までの中央政局は、武力行使の可能性を明示した上での多数派工作を主軸に展開した。(略)しかし、慶喜はクーデターに憤激した幕臣を抑えきれず、開戦の道を開いた結果、政治的成功を手放した。慶応3年後半の政治家たちは、戦争の可能性を絶えず意識しながら、その都度、戦争の回避を選択し、もっぱら政治ゲームで勝つ工夫を凝らした。最後は開戦に行き着くことになったが、この政治的知恵比べは無駄にはならなかった。慶喜は抵抗を避け、彼の擁護に全力を傾けていた土・尾・越は新政府に留まってその有力な構成員になった。クーデターで掲げられた「公議」の理念はよりさらに発展させられ、逆に武力反抗する大名は東北の一隅に留まった。維新における政治的死者の少なさは、抜本的な改革を多数派工作を通じて行おうとした、この年の努力に負うところが少なくなかったのではないだろうか。(304p)
    ←三谷さんは、慶喜の京都での「戦争回避の努力」は無駄ではなかったと「総括」する。右か左か、を選択する時に、現代日本のように「北朝鮮への武力介入」「台湾有事への対応」「核兵器を持つべき」という発想をする閣僚が、いかに未来に於いて「危ない人たち」なのかを、私は改めて知る。明治維新が、なぜ世界史的に平和裡に終わったかを、私はもっと知りたいと思う。

    ここで、時間切れになった。
    私の問題意識とかなりかぶるところがある以上、購入することにした。残りの部分は「電子書籍」版に書くことにしよう。

  • 「維新再考」―戊辰戦争150年企画―:福島民友新聞社 みんゆうNet
    https://www.minyu-net.com/honsha-annai/ishinsaikou/

    「新しい日本、万歳!」………三谷 博
    図書 2021年8月号 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b588080.html

    NHKブックス No.1248 維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ | NHK出版
    https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912482017.html

  • 明治維新を、志士たちの活躍という側面もさることながらとくに「維新前の国際関係」に紐づけて論じる。

    最近では、「鎖国は従来思われていたほど閉鎖的ではなく、実は幕府は国際情勢を深く理解していた」という学説が主流だが、著者はさらに一歩進んで「やはり閉鎖的で情報不足だった」という立場。それは、要すれば「列強の脅威はありつつも、こちらから仕掛けなければ大丈夫」という(どこかで聞いたような)安全保障観だった。それを決定づけたのがロシア艦船との緊張が走ったゴロヴーニン事件。これを平和裏に解決したことで、公儀(当時「幕府」という言葉はない)は「外国政府は日本に野心なし」と判断。「外国船打払い令」は一見好戦的だが、政府間で公式に接触しなければもめごとは生じない、という「平和主義」に基づく対応だった、という解釈は面白い。

    清王朝が強大すぎて貿易への熱意が薄く、結果として東アジアでは国際関係の希薄な時期が続いた(アヘン戦争で決定的に塗り替わるまで)。そうした中、西欧列強のプレッシャーに日本は単独で立ち向かうことになった。鎖国で時間を稼ぎつつもいずれ国家的危機が迫ることは公儀のみならず市井の人々もうっすらとは理解していた。

    「・・・この『予知された、長期的な危機』という問題は、資源・環境の制約にせよ、大規模な地震・津波にせよ、今日の我々に無縁な問題ではない。辛うじてではあったが、十九世紀の日本人は解決に成功した。その模索の様子を辿ることは人類の未来にとって良いヒントを与えてくれるに違いない」(P88)。

    異なるパラダイムを実感できる中世史に一時ハマっていたが、ほとんどそのまま現代に応用できる近世史も違った意味で興味深い。

  •  近年の明治維新期をテーマとする通史的著作全般への不満として、国際的環境の変動と日本列島内部の政治変動の関係を有機的に捉えることができていない(あるいはそもそもそうした問題を放棄している)点が挙げられるが、本書もまたグローバルな人類史にまで広げた大風呂敷と、伝統的な「尊王攘夷」「公武合体」といった枠組を用いた幕末政局史の見取図がうまくリンクできておらず、結局何が言いたいのか浅学の身にはよくわからなかった。幕末期に危機の中で発見された「公議」と「王政」の確立という課題の解決過程として明治維新を位置付けているが、両者の関係もあいまいで不可解(「公議」と「王政」の相剋・対立面を軽視しているように感じた)。「攘夷」の動向が文久期にフェードアウトしてるが、実際は維新後の「条約改正」(ある意味「公議」や「王政」よりも政権の正当性を担保する問題)と同一線上につながるはずで、その点が全く検討されていないのも疑問だった(安政期に「積極的開国論」と「攘夷論」の互換性に言及しながらその後の展開を不問に付している)。

     ほかにも個別の問題でおかしなところが少なからずあるが、特に2点指摘しておく。1つは明治維新の「政治的死者」の「少なさ」をフランス革命や南北戦争との比較から強調している点。これは「明治維新は無血革命だった」という俗論とつながる問題だが、歴史的条件の相違を無視して数量比較すること自体の非科学性を措いても、200年以上戦乱のなかった(戦死者がほとんど出なかった)ところに、相次ぐ内戦で数千・数万単位で流血の犠牲が生まれたことの衝撃は相当大きかったはずで、「量的」ならぬ「質的」には諸外国の革命や動乱に比べて軽いとは言えない(政治指導者へのテロの件数も多い)。もう1つは1873年の留守政府の参議人事変更を土佐・肥前閥の「クーデター」と指している点。意思決定の所在や行政機構の勢力構図の詳細な分析を欠いて、参議の出身藩の比率の変化をもって権力の移動を決めつけるのは性急すぎる。むしろ「クーデター」というならば、その後の征韓論政変で非征韓派(というより岩倉と大久保)が閣議決定を天皇親裁をもって覆した事態こそ、国家意思決定の手続きを変えた上に、政権の主導権を奪ったという意味で相応しいであろう。

  • 今年は維新ものを多く読んだので、その総まとめとして手に取った一冊。
    著者の意図である維新に対する通説とは異なる見方はしっかりと提示できており、その裏付けも膨大な資料から極めて丁寧に行われている。歴史を学問することを見事に体現されている一冊である。

    各章の冒頭で示される図表が秀逸で、特に幕末期の論点の変遷や勢力図の移り変わり(258ページ)について、分かりやすくまとめられており、これまでの理解を一層深めるきっかけとなった。

    個別にも多くの示唆を得たものの、やはり、公議概念に関する各々の記述が、突出して整理されている。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という文書が示されるまでの様々な知的葛藤、過程が明確に把握できる。
    この点に限らず、政治的アイディアがどう発生し、どう敷衍され、どう根付いていくのか、このような見方も出来る一冊であろう。

  • 1回読んだだけでは全部はとても理解できないけど、わかるところだけでもとても面白い。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/704591

  • 東2法経図・開架 210.61A/Mi58i//K

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著者プロフィール

跡見学園女子大学文学部教授/東京大学名誉教授

「2020年 『日本史のなかの「普遍」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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