スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150103026

感想・レビュー・書評

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  • 和田誠の表紙が懐かしくて久しぶりの再読。前TVで観た映画がとっても良くて思い出しながら読む。ビリーの時間旅行?捕虜時代・結婚生活・トラルファマドール星の生活がカットバックで描かれる。これでヴォネガット大好きになったのも思い出した。

  • トラファマドール星から贈られた新しい聖書。
    あるいはSFの形を借りた極上の文学。

    時間を超越する能力を得た(といっても任意に飛ぶことはできないが)ビリー・ピルグリムは、子供時代から第二次世界大戦、そして富豪となって成功を収めた晩年までを幾度も往来する。
    その人生の途中異星人に誘拐され、三次元に生きる人間には到底観ることのできない世界を体感するのだが......

    特殊能力を手に入れた男と異星人のコンタクト。
    その数奇な運命。
    スラップスティックでエキセントリックで変なSF。
    でも、強烈な戦争体験により徐々に精神が狂気に蝕まれていく男の手記とも読める。

    『スローターハウス5』には、戦争を始めとする人間のありとあらゆる愚行が描かれている。
    それなのに(それだからこそ)、それらの行為は笑っちゃうくらい滑稽で、そしてやっぱりどこか切ない。

    著者カート・ヴォネガット・ジュニアは、実際に第二次世界大戦中にドレスデン無差別爆撃を被害者の側から体験したという。
    戦争を知らない世代の僕が、戦争について知ったような口を利くのはまことに不遜ではあるが、著者はこの「変なSF」という形態でなければ自身の体験を語れなかったのだろうなと思った。

    ありとあらゆる人間の、生物の、物質の「死のイメージ」のあとに挿入される「そういうものだ(So it goes.)」という言葉。
    諦念なのか達観なのか僕にはわからない。

    幅、奥行き、高さに加えて、時間の軸も有する四次元の住人トラルファマドール星人にとって地球人は、赤ん坊から老人までの人生がひと連なりになったヤスデのように見えるらしい。
    おそらく、僕はそのヤスデの足の節々で『スローターハウス5』を幾度も読み返すことになるだろう。そしてその時々で読み方、印象が変わってくるのかもしれない。
    先頭部分、一番前足でこの本を読んだ時、果たして「そういうものだ」と言えるのだろうか。

    この物語がどんな話なのかということは、三次元の住人である僕にはまったく説明ができない。説明する能力がない。でも、読めば確かにテレパシーのようにメッセージが届くのだ。

    物語半ば、ビリー・ピルグリムが時間を遡る時に一瞬観る、逆回しの戦争映画の荘厳な美しさに涙が出そうになる。あれほど痛烈な批判はあるだろうか。

    戦争の話ばかりしてしまったが、肩に力を入れて読む必要はない。本当にただただ面白い小説なのだ。

    重いテーマを正面切って書くのも、それはそれで素晴らしいと思う。
    でもはにかみながら、照れ笑いしながら、時には悪態をつきながら軽々と描くのってなんてかっこいいんだ。
    著者近影までなんだかとぼけたこの小父さんの小説は、とても信用できる。

    奇しくも読了日はエイプリルフール。
    この日につく嘘は決してひとをがっかりさせる物であってはならないときく。
    虚構の中の、大粒ダイヤのように(あるいは入れ歯の金具のように)輝く真実。
    カート・ヴォネガット小父さん、最高に素敵な「ほら話」をありがとう。

  • SF小説と戦争ノンフィクション小説が融合したような作品。時間旅行と戦争実録が絡み合う。
    ドレスデン爆撃については、全く知らなかったので、衝撃的だった。米兵の捕虜生活も壮絶で、作者の実体験を元に描かれたからこそ、具体的だ。
    「そういうものだ」…多用されるこの言葉に諦めを感じさせる。
    ビリーの虚無的な人生は戦争体験によるものなのか。
    ヴォネガットがこの作品を描いてから何十年経つのだろう。いまだに戦争は無くならない。
    愚かな行為を繰り返す地球人をトラルファマドール星人はどう見ているのだろうか。

  • カート・ヴォネガット・ジュニアの代表作である『スローターハウス5』。トラファマドール人という架空の異星人が登場するSF小説の体裁を借りながら、作者の死生観を表現したものだ。そこにはドレスデンの空襲の体験が色濃く映されている。彼の母親は、ヴォネガットが第二次世界大戦に兵卒として志願し、そしてドイツ戦線に送られることを苦にして自殺をしたとも言われている。そんな形で送られたドイツで捕虜として囚われて収監されたドレスデンで、多くの一般市民を巻き込むドレスデンの空襲を体験した。そのことがこの小説家の死生観を形づくり、その空襲体験をモチーフにして小説の形でしか表現しえない形でその死生観を表現したのが、この『スローターハウス5』という小説だと思う。

    主人公のビリーは、トラファマドール人につかまり、人生の中をけいれん的時間旅行者として行き来するものとなる(unstuck in time ... 時間のなかに解き放たれた、と訳されている)。この小説の中のトラルファマドール星人は、自由意志を信じていない。トラルファマドール星人には過去も現在も未来もすべてすでに起きたことであって、変えることはできない。誰かが死んだとしても、その時点までは存在していたのであり、存在自体は変わらない。だからこそビリーは自分の死がどういう形で来るのかも知っておきながら、人生の中の時間を時系列に囚われずに「行き来する」のである。そこには多くの死が横たわっている。主人公のビリーも、ヴォネガットと同様にドレスデンで空襲に遭い、多くの死体の間を歩いた。

    トラルファマドール人の死生観は次のようなものだ。
    「人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない。過去では、その人はまだ生きている。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづける。あらゆる瞬間が不滅である」
    その死生観は近代的自我から導き出される死生観とも、宗教から生み出される死生観とも異なる。より絶望的でもあるし、より静謐なものであり、倫理的であるようにも思われる。そのような観念を持たなければ、もはやどうやって死を耐えることができるのか。主人公の前で滑稽な死もシリアスな死も、死が訪れるたび「そういうものだ(so it goes)」とつぶやかれる。

    著者は次のように語る。
    「これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ、なぜなら作者は塩の柱なのだから」
    作者は、神の言いつけに背いたものとして罰を受けたのだろうか。後ろを振り返って見たものは何だったのか。

    トラルファマドール人は身長二フィートで、全身が緑色で、吸い上げカップのカップを地上に付けていて、先端には手がついており、その手のひらには、緑色の眼が一つある。村上春樹の最新小説『街と不確かな壁』の中で、若かりし主人公と文通する彼女が手のひらに目玉が出てくる夢を見るが、その描写は村上春樹の小説へのある種のオマージュであることを自分は疑わない。
    どちらの作家も小説の深さを自由さと示し、小説というものが世界に対する考え方を揺さぶることができるものであることを体現するものである。

    -----
    『街とその不確かな壁』(村上春樹)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4103534370

  • SFでもあり、戦争小説でもあり、半自伝的小説である。
    簡単にはジャンル分けができないカート・ヴォネガットの「スローターハウス5」をようやく読了。

    「けいれん的時間旅行者」となったビリーは、自らの人生の未来と過去を行き来する。まばたき一つで幸福な結婚生活から、ドイツ軍の捕虜時代へ。あるいは眠りのうちにトラルファマドール星へ。

    生も死も、幸も不幸も、過去から未来までどの瞬間も並列して存在するかのような、トラルファマドール的な時間感覚が作中で一貫している。そしてどんな凄惨な出来事も「そういうものだ」の一言で端的に語られる。
    ドレスデン無差別爆撃という戦争体験を経た著者が小説としてこの体験を語る際に、この言葉が、トラルファマドールの視点がどうしても必要だったのだろう。

    到底一人の人間が受け止めきれない戦争という悲劇が現在も繰り返されていること、その現実に向き合わざるを得ない。そんな読書体験を提供してくれたとともに、SFとしての面白さも感じられる作品だった。

  • 2021年2月読了『猫のゆりかご』(9784150103538)以来のカート・ヴォネガット作品。
    相変わらず独特な書き口を読み進むのが困難で、とりあえず一周読むだけでも丸々一週間かかってしまった。

    巻末・伊藤典夫先生の解説に詳しい通り、ヴォネガット氏の半自伝的作品であり、第二次世界大戦下における従軍体験および「ドレスデン爆撃」の現地体験、その予後をビリー・ピルグリムという自身の’アバター’に託して、彼が時間旅行を繰り返しながら至り得た思想を綴った小説、というように私は理解した。

    何がどこまで冗談で真実なのかが混濁としているが、通読し終えて改めて冒頭書き出し「ここにあることは、まあ、大体そのとおり起った。」(p9)の一文が強く胸を打つ。
    そして、トラルファマドール星人による誘拐体験を経て、「いまの自分の仕事は、地球人の魂にあった正しい矯正レンズを処方すること」(p46)とし、「いずれにせよ戦争とは、人びとから人間としての性格を奪うこと」(p215)という悟りを、戦争を想像でしか判り得ない私たちに伝えている。
    「人間としての性格を奪」われた最たる箇所はタイトルにも冠されている、「(捕虜である)アメリカ人は門から五番目の建物に引き立てられた。」「もともとは処理前の豚をまとめる小屋」「住所は『シュラハトホーフ=フュンフ』。シュラハトホーフは食肉処理場(スローターハウス)、フュンフは古き良き5(ファイブ)である。」(いずれもp203)の部分。人道もへったくれも無い。
    そしてこういったことは今なお続くロシアのウクライナ侵攻戦争に於いても変わらず行われているであろう事であり、日本ではあまり報じられないが、事実、両国兵士達による戦争犯罪が存在する疑いは非常に濃い。

    上手くまとめられそうにないが、この小説が書かれた60年代末のアメリカといえば長期化したベトナム戦争で国内に厭戦気配が蔓延し、若者らが社会の変化を求めてヒッピー文化を花拓かせた時である。
    そして、現代日本もロシア問題と同時並行的に北朝鮮ミサイル問題や中国・韓国との外交問題を抱え、続くコロナ禍や不況により将来への漠然とした悲観が漂っている気がするが、こういう時こそ、若者が社会を変えられるんだ!変える!というムーブメントを起こせるように、(既に若者には含まれないかもしれないけど)私も「正しい矯正レンズ」を通して社会や我が身の振りを見つめられる為に自己を整えていきたいし、我が子はじめ後の世代に迷惑を掛けない為にも、レンズが曇ったり割れたりしないように勉強を続けていかねばならないな、と意を新たにした次第であります。

    『同志少女よ、敵を撃て』(9784152100641)の時と似た読後感。


    30刷
    2022.12.24

  • ヴォネガットは第二次世界大戦でヨーロッパ戦線に赴き、ドイツで捕虜となり1945年2月のドレスデン大空爆を被害者の側から体験した、との解説を読み、読み始める。

    作品は、わたしの書いた小説の内容となっていて、そこでの主人公ビリー・ピルグリムは1922年生まれでヴォネガットの分身といえる。そしてユニークでSF的な描写が、ビリーが時空間を自在に行き来している点。過去現在遥かなる宇宙とビリーの意識は自在に飛ぶ。ビリーは遥か宇宙の彼方のトラルファマドール星にもいて動物園で見世物になっているのだ。

    そして、物語に通奏低音的に流れるのがヨーロッパ戦線で捕虜になりドレスデンに流れ着く様だ。空襲では地下にいて助かったが、どんな運命、死のうと生きようと「そういうものだ」<So it goes>という言葉でビリーの運命はかたずけられる。この言葉が一番印象に残る。あっけらかんとした生死、人生の進行。これが「スローターハウス5」という「屠畜場第5棟」での捕虜生活と空爆後の廃墟を体験したことから得た人生観なのだろう。

    行きつ戻りつするビリーの時空間移動には、キリスト教の残虐性とか、きれいごとじゃない社会がさりげなく描かれている。そして行きつ戻りつする時空の間に戦線がはさまれることで、よけい戦争が際立った感じもした。そしてなにか頼りなげだが、しかしからくも生き延びているビリーを応援してしまっている、不思議な小説。


    1969発表
    1978.12.31発行  1988.7.31第11刷 図書館

  • 読み始めた時、なかなか意味を掴めなくて何となく読み進める感じで入って行ったのだけど、読めば読むほど、作者の人間描写力に魅了されてしまった。

    これは、その、いわゆる第二次世界大戦中の、悲惨な戦争体験について書かれた本である。
    ヨーロッパに送られた、若き日のビリー・ピルグリム。彼のいた歩兵連隊がドイツ軍の捕虜となり、奇しくも連合軍による、いわゆる無差別爆撃、ドレスデン爆撃を生きのびてしまった、悲しいビリーの、そしてヴォネガット自身の物語なのだ。

    序文でこの本のなかで私という男(いわばヴォネガット自身)がドレスデンを今、まさに語ろうとしている。戦友オヘアの細君メアリに誓う。
    _メアリ、万一この本が完成するものなら、僕は誓うよ。フランク・シナトラやジョン・ウェインが出てくる小説にはしない。そうだ『子供十字軍』という題にしよう_

    そうしてビリーの物語は時間軸を越えて語られる、それは、トラルファマドール星の本の手法で(電報的分裂的物語形式)書かれた。

    彼は第二次世界大戦中に空飛ぶ円盤によってトラルファマドール星にさらわれた。そうして戦争中の過酷で暴力的な体験をけいれん的時間旅行によって時間軸をねじれされながら私たち読者に伝えてくる。
    ある時にはビリーは爆撃を受け動けなくなっている。次の瞬間には娘の結婚式に呼ばれている、また次の瞬間にはトラルファマドール星にいて、またつぎにはドレスデンへ向かう列車の中、そしてある時は銃殺され、次には精神病棟のベッドの上…と、いうように。

    戦争の暴力、壮絶な体験、トラウマをこんなSF的な表現、ユーモアと春樹さんがいうように、マイルドな悪ふざけをもって表現した、まったくもって見たこともないような本だった。

    その瞬間移動の間に、私たちはビリーの死も目撃してしまう。でも、また過去にもどっても、彼はその死を受け入れたまま、何も変えたりしない。そこが素晴らしいと思った。

    『雨天炎天』の中で春樹さんがてきとうに、「愛は消えても親切はのこると言ったのはカート・ヴォネガットだっけ?」なんて書いているのだけど、確かにヴォネガットは親切な愛ある作家だと、私に知らしめた。

    こんなマイルドな悪ふざけをもってしてでないと、悲惨な戦争体験を描くことができなかったのだ。

    ところで、読み初めた頃随分苦労したくせに、私はこの作品を心ゆくまで楽しんでしまった。しばらくヴォネガットを読んでみたいなと思う。

  • 作者が戦時中に体験した事実に基づいた半自伝的SF小説。戦争をはじめとする、作者が直面した目を覆いたくなるほど辛い体験の数々。そこから目を逸らすのではなく、「そういうものだ」と受け止め、それでも楽しかった瞬間を思い出して(あるいは、その瞬間を訪れて)前を向いて歩んでいきたい。そんなメッセージを感じる、とても素晴らしい作品だと感じました。

    最近「歌われなかった海賊へ」を読んだばかりだったこともあり、精神的にキツいところもあったのですが、別の視点から戦争を知ることができたことは、貴重な読書体験がでした。

    SF作品として見ると、小松左京「果しなき流れの果に」や、今敏の映画「千年女優」に近いかもしれません。異なる時代を旅しながら人生を見つめ直す面白さは独特の味があり、タイムトラベルものとして非常に優れた作品だと思います。

  • SFというより本気の戦争小説でした。
    翻訳なので実際の文章はわからないけど、ただ少なくともこの文章は読みやすくて良かったです。さりげなく散りばめられた目を引く文章の数々。ヴォネガットの場合は、美しいとか迫力がある系よりも含蓄に富んだ文章で、言葉のゆるい空気以上に直接的に語りかけてくる。異星人、時間跳躍、第三者視点(人称)。体裁だけ見たら特殊でいざ思い起こすと複雑多岐に渡る内容なのに、それを簡潔に読ませようとする作者の力量が凄い。現実の物事を語る上で非現実の目が巧く作用しておりSFだから伝わるモノもあることを思い知らされた。加えて全体的にブラックユーモアのある文体が悲壮感を増します。

    主人公のビリーは不条理作品に相応しいくらい流されやすい。その彼が後半で「私はドレスデンにいた」とはっきりと明確な意思を持って発言する場面は深く印象に残りました。あとこの少し前にエドガー・ダービーというハイスクール教師が自身の戦争観について語り『しかしいまダービーは、ひとりの人間であった』と第三者視点で評する部分、この小説の中でも強いくらい意思を感じさせた。飄々とした文体の中にあっても、作者が力強く訴えたいこと伝わりますね。あるいは全体として堅苦しくないからこそ際立って印象に残るのか。どこまでが計算ずくか計り知れない。
    読んだ後、しばらくしてふと目を閉じて思い起こす、そんな味のある作品。

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