流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫 SF テ 1-8)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150108076

作品紹介・あらすじ

三千万人のファンから愛されるマルチタレント、ジェイスン・タヴァナーは、安ホテルの不潔なベッドで目覚めた。昨夜番組のあと、思わぬ事故で意識不明となり、ここに収容されたらしい。体は回復したものの、恐るべき事実が判明した。身分証明書が消えていたばかりか、国家の膨大なデータバンクから、彼に関する全記録が消え失せていたのだ。友人や恋人も、彼をまったく覚えていない。"存在しない男"となったタヴァナーは、警察から追われながらも、悪夢の突破口を必死に探し求めるが…。現実の裏側に潜む不条理を描くディック最大の問題作。キャンベル記念賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • アイデンティティという薄っぺらな幻想

    「悲しみは最も完全で圧倒的な体験、だから悲しみを味わいたいのよ。涙を流したいの」

    愛するということの人それぞれの解釈、そして、愛を得て失うという痛みが、主人公ジェイスンの置かれた状況に絡みつく登場人物達によってもたらされる。
    キャシイ、ルース、メアリー・アン、バックマン、アリス……

    「ブレード・ランナー」のような世界観とはひと味違うが、これもまた、特別なフィリップ・K・ディックの世界。

  • 最愛の人に去られたディックの自伝的小説という趣の強いこの作品は、自己の同一性や認識している世界の崩壊というディックの作品に通底している恐怖をベースにしつつ、もう一つのテーマとして愛を割と純粋に語っている作品でもある。愛は自己保存の本能を凌駕し他者への献身、執着をもたらす。
    作中で様々な人物が自分なりの愛を見出そうとしているが、その中で主人公であるジェイスン・タヴァナーだけは愛を理解しない。それは彼がスイックスだからかそれとも生来のものなのか。

    現実の分裂は観測者だけのものではない。観測されるものもそれに巻き込まれる。
    また絶望の底に落ちてからの再生を匂わせて終わるところもらしい部分である。
    その他にも警察機構、大学、学生運動、ドラッグなどディックの実体験も物語の随所に散りばめられている。

  • 著名なTVタレントのジェイスン・タヴァナーがある日目覚めた、見知らぬ安ホテルの一室。その世界では、誰も彼のことを知らず、彼に関する一切の記録が存在していなかった。自己を証明する一切を失い、かつての愛人からも不審者扱いされ、行き場を失ったタヴァナーは警察に追われる身となる・・・

    タヴァナーが「自分に関する記録/記憶が一切ない世界」に放り込まれた理由が後半で明かされ、SF的な理屈が付けられています。が、それはこの作品の主要テーマではありません。
    ディックがこの作品で表現したかったこと、それはSFの文体を借りた「愛の喪失」の物語である、と鴨は読み取りました。全てを失ったタヴァナーの逃避行の過程で、様々な男女の愛の喪失が語られます。誰からも顧みられない存在となったタヴァナー自身がそうですし、既に亡い夫の帰りを妄想し続けるキャシィ、誰かと接触し続けていないと生きていられないアリス、そんなアリスを嫌悪しつつも愛さずにはいられないバックマン本部長・・・どの愛も決して満たされない、メランコリア溢れる物語です。

    そんなSFの枠を超える普遍性を備えた作品ではあるのですが、鴨の読後感は正直イマイチ・・・たぶん、登場人物に共感できるところがなかったからだと思います。
    特に、ストーリー展開のキモとなるバックマンの愛の形が、物語の前半と後半とでは印象が全く異なり、一貫性がないのが辛い。筋立てよりも、登場人物の心の遍歴を描きたかった作品なのだと思います。登場人物に感情移入できないと、結構厳しいですね。
    ハマる人にはたまらない作品だと思います。

  • ハヤカワSFが読みたくて購入。電気羊も読んでる途中なんだけど、どうもしっくりこない。アメリカ的な会話のやり取りがダメなのか、込み入った話の構成がダメなのか。。とにかく海外SFはちょっと距離置こう

  • 朝目が覚めたら誰も自分のことを覚えていない?主人公はこの悪夢から逃れようと必死にもがく。そんな彼を追うある警部。密告、駆け引き。題名の意味が最後に分かる。監視される心理をディックが実体験をもとに書く

  • 「流れよわが涙、というのは、ダウランドの楽曲から取っているらしいけど―――泣きたいってのは、どういう感情なんだろうね」
    彼は、ぼんやりとそんなことを言った。
    「まあ、『泣きたいわー』とか、よく言いますけどねえ」
    「ああ、君はよく言ってるね……」
    くたびれたソファで向かい合い、二人は同時にため息をついた。
    「にしても、秀逸なタイトル」
    葉月は、改めてその黒い表紙をまじまじと眺めた。
    「このタイトルがなければ、ただの不条理小説として読んでしまうところでした」
    「そうかもしれない」
    彼は頷き、恐らくはもう冷め切っているであろうコーヒーを、一口啜った。
    「これは、有名なTVスターが、ある日突然、誰からも忘れられ、役所の戸籍からも消え、しまいには身元不明の人物として警察に追いかけ回されるというストーリーだね。確かに、不条理小説のような展開だ。そのまま受け取れば、だけど」
    「何かの暗喩だと、解釈しましたか」
    「まあ、俺たちだっていずれは、全部失うんだよ。彼はただ暴力的にそれをはぎ取られたけれど。俺たちだって、人とは疎遠になるし、あるいは死別するし、やがては自分自身も死んで忘れられていくんだ」
    「……うわあ、泣きたい」
    「うん、それだろうね」
    彼は頷き、それから何か考えるように、自分の髪を軽く掻き回した。
    「いつだって、泣くのは何者かのためだ。誰かでも、何かでもいい。でもそれが何かしら、自分にとって呼びかけうる何者かであれば―――ちょっと飛んだ言い方をすると、魂の宿ったもの、と言ってもいい。そういうものが損なわれたときに、人は泣くだろう?」
    そんなことを、言葉を選ぶように、彼はゆっくりと話した。
    「その対象が、自分であっても?」
    「そう、自分のために泣くというのが、もしかしたら一番、多いかもしれないね」
    「じゃあ、どうして彼は泣かなかったんです? 自分自身がまるっと損なわれたのに?」
    言いながら、葉月ははっと気付いたように、彼に目を向けた。
    彼は、意地悪く笑って、言った。
    「それは、彼が自分自身にとっての、何者でもなかったからかもしれないね」
    そうして彼は立ち上がり、コーヒーを淹れ直すためにキッチンに入っていった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「にしても、秀逸なタイトル」
      ほんと、タイトル買いしちゃう本の上位を争うくらいに、、、
      「にしても、秀逸なタイトル」
      ほんと、タイトル買いしちゃう本の上位を争うくらいに、、、
      2014/03/25
  • 何とも恐ろしい愛の物語であった。
    三千万人の視聴者を抱える人気歌手ジェイスン・タヴァナーが、
    或る日、目覚めると自分の存在がこの世から無くなっている。
    誰もが自分のことを知らず、あげく警察から追われる羽目に。

    触りだけ触れると、どんなトリックが隠されていて、
    どんな強大な陰謀がその裏で渦巻いているんだと思いがちだが
    物語はそんな単純なものではなかった。

    この物語のタイトルである、「流れよ我が涙、と警官は言った」
    このタイトルの示す意味に物語の後半で気付かされる。
    その時に初めて、この物語の本当の主人公に気付く。
    これは、何とも言い難い哀しい物語であった。
    それでも、どこか救われたのではないかと最後は思いたかった。

  • タイトルに惹かれて買った。
    ディックの小説はSF独自の舞台道具小道具を使って人間の本質を突き詰めて行くのが面白い。彼の作品はあまり読んで無いけれど、どれも鬱屈とした世界観だよね。ただそんな押しつぶされそうな世界において、決して諦めようとしない人間の強さ、意思を感じ取れる。

  • S・カルマ氏かと思って読んだらハルヒだった。

  • なんという人間らしいSFだろう? この物語の主人公は稿の8割方を彼が占めるところのタヴァナーではない、語られる世界を生み出した主体たるアリスでもない、愛する者を失い崩れ落ちるバックマンだ──そして同時に三者いずれもが主人公であり得る。

    中ほどでルース・レイが語る悲しみと愛についての言葉は、コンテクストから切り離された状態でさえ主題と深く関わっていることを悟らせる力がある。「悲しみは自分自身を解き放つことができるの。(略)愛していなければ悲しみを感じることはできないわ(p198)」「悲しみはあんたと失ったものをもう一度結びつけるの。同化するのよ。離れ去ろうとする愛するものや人とともに行くのね(p200)」工藤直子の詩──好きになるとは心をちぎってあげるのか、だからこんなに痛いのか──を思い出す。心を動かす軋み、つらくてもやめることの叶わない人の営み。

    アリスの見た夢にタヴァナー他が巻き込まれたという構図はまさに、「鏡の国のアリス」でディーとダムに「あんたはこの赤のキングの見てる夢さ」と宣告されるアリスを思い起こさせて暗示的だ。物語の世界設定と各所に鏤められたガジェットがSFであるだけで、その実は普遍的な文学を描いていることが感じられる。この逆転したアナロジー(夢を見たのはアリス)はもう少し突き詰めても面白いかもしれない。

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