アインシュタイン交点 (ハヤカワ文庫SF)

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制作 : Samuel R. Delany  伊藤 典夫 
  • 早川書房 (1996年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150111489

アインシュタイン交点 (ハヤカワ文庫SF)の感想・レビュー・書評

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  • 幻の名作らしいが正直言ってよく分からない
    表紙   4点原 マスミ
    展開   3点1967年著作
    文章   4点
    内容 421点
    合計 432点

  •  アインシュタイン交点。早川書房の「海外SFノヴェルズ」の刊行案内にその題名をみたとき、遙か遠宇宙の相対論的特異点で、驚天動地の事象が起こって、血湧き肉躍る冒険がなされる、何かすごいハードSFのイメージが脳裏を駆け抜けた。ああ、早く読みたいと思った。
     しかし「海外SFノヴェルズ」では出なかった。それからおよそ20年近くも出なかった。なぜ翻訳にこんなに時間がかかったかは訳者あとがきに書いてある。

     しかし本書は宇宙の話ではない。「アインシュタイン交点」というタイトルは編集者のドナルド・ウォルハイムが勝手に付けたもので、ディレイニーは『ファビュラス・フォームレス・ダークネス』という題名を考えていた。イェイツの詩からとられたもので伊藤典夫は『摩訶不思議で混沌とした闇黒』と訳している。

     遙か未来の地球、なかなか正常者は生まれてこない。機能する者たちも様々な奇形がある。ぼく、ロービーも醜いと自己描写される。
     核戦争が起こって文明が衰退、遺伝子が劣化してしまったのかと思われるが、実はそうではなく、彼らは人間ではなく、失われた人間のまねをしている何からしい。ぼくは山羊の番をしていたが、恋人のフライザを何者かに殺されてしまう。フライザ殺しを殺し、彼女を取り戻すためにぼくは旅に出る。笛のついた山刀を吹くぼくはオルフェウスの隠喩。エウリュディケを取り戻しに行く話だ。ならば振り向いたときにエウリュディケは戻るまい。
     各章には相当量のエピグラムがついている。最初のは『フィネガンズ・ウェイク』からのもの。それからディレイニー自身がこの小説を構想しつつギリシャ辺りを旅した手記の断片も繰り返し登場する。ロービーはディレイニー自身の隠喩。ギリシャ文明の下流にあるアメリカ社会で黒人にしてゲイというマイノリティのディレイニー自身。
     フライザは「違っている」から殺されたらしい。「違っている」というのはとりあえず超能力を持っているということのようだが、それも何かの隠喩だろう。

     ぼくは地下の迷宮で巨大な牛と戦い、古代のコンピューターPHAEDRAと出会う。それからフライザを殺したキッド・デスからのメッセージを受け取る。キッド・デスにはビリー・ザ・キッドのイメージが連結される。PHAEDRA、すなわちパイドラもギリシャ神話。
     村を旅立ったぼくはドラゴンを多数率いて都市ブランニング=アト=シーに向かうスパイダーたちドラゴン使いと合流する。

     そして音楽。ぼくも実は「違っている」のだが、それは音楽とかかわっている。ぼくは大きな岩と大きなうねり(グレート・ロック・アンド・グレート・ロール)にフライザを取り戻しに行かねばならないが、大きな岩と大きなうねりとは丸ごと生きと丸ごと死にだ。丸ごと生きとはリズム、丸ごと死にはリズムの休止。
     スパイダーが持っていた音楽はコダーイの無伴奏チェロ・ソナタ。

     「アインシュタイン交点」のもとになった記述は実は作品中にあるのだが、それは「ゲーデル交点」としてもいいようなもの。『アインシュタイン交点』、なんて魅力的なタイトル、そしてそれとはまったく別の方向を向いた物語もまた魅力的。翻訳が出て約20年がたって、なぜか再読する。

  • 残念ながら、作品の一番上の層、冒険小説としての物語しか読み取れず、自分は「訳者あとがき」を読んでから再読の必要性を感じた。


    「もし。この作品に重大な欠点があるとすれば、それは緊密にすぎるその構成だろう。あまりにも注意ぶかく刈りこまれ、多くの意味がこめられたため、人を欺くばかりの単純でリズミックな言語になってしまったのだ。いいかえれば、これは散文よりむしろ詩に近い作品であり、しかもそこには、それが単なる冒険小説でないことを読者に教えるような、活字や、語句や、構成上の形式っばった手がかりはいっさい存在しない」(ジュディス・メリル『SFに何ができるか』)

    上にあるように、本当に意識しないで読めてしまうことが問題なのかもしれない。すんなりと終わってしまっていた。
    長い「訳者あとがき」にあるように、訳者は翻訳にあたって苦労したようで、メリルの言う「今この瞬間、この世界で起こっていることの物語」として読み替えていったらしい。

    気になるのが、訳者の次の言葉。

    「……読者を楽しませる以外たいした目的もなさそうなできごとのひとつひとつが、すべてこの作品を解く鍵となり、ロジックの糸は何本にもわかれて錯綜し奥行きと幅をひろげてゆくのだ」

    錯綜したロジックの糸たち。発見できたらとても面白い体験になりそう。

  • ああディレイニー、期待は外れず。

  • 再読。1996年に邦訳され(1967年作)たが、実際に最初に読んだのはそれから5~6年後で今から10年位前。全く分からなかった記憶があるが、ダールグレンもいちおう目を通したしということで再挑戦!しかしやっぱりよく分からなかった(笑)。でもいくつか気づいたこともある。本書も主人公はディレイニー自身の分身と考えてよさそうなこと、ダールグレン同様自伝的な要素をはらみつつ現代アメリカを神話的に描こうとしていること、初期のスペースオペラとダールグレンのような文学的な試みが交わったような印象があること(だから交点?)など以前より少し分かったような気がする。主人公たち(「人」じゃないけど)は失われた人間の文化を模倣して取り込もうとしているが巧くいかないという哀しい場面などには、どのコミュニティからもよそ者として扱われてしまうディレイニー自身のせつない思いをみるような気もした。

  • ★3つなのは、わたしがこの作品をまだ読みきれていないから。難しい

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