ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF ウ 4-15)

  • 早川書房
3.44
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本棚登録 : 191
感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150112271

感想・レビュー・書評

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  • 坦々と読み進める。
    感想はとくになし。

    ヴォガットがなくなったのは2007年で、それから6年たって、自分のブログにこんなことを書いたことがある。

    「カート・ヴォネガットが亡くなってもう六年経つ。
    かれの作品は好きだが、困るのは、読んだ後、元気がなくなるという点だ。

    ヴォネガットといえば、「心優しきニヒリスト」という肩書が有名で、かなり早い時期からそう言われていた。作品はたしかにそんなふうだ。

    かれの主人公は、巨大な歯車の中でモルモットのように扱われ、無慈悲な運命に翻弄される。誰が悪いというわけでもない。巨大な歯車、巨大なシステム、宇宙的な構造そのものの結果としてそうなるのであって、仕組みそのものにも悪意があるわけではない。だから、人間の存在や営みは結局のところ無駄であり、傍から見ているとコミカルなだけである。それを愛情深く描いたのがヴォネガットの作品である。

    (同じことがらを叙事詩的に描くと、小松左京の「果しなき流れの果に」になるのかもしれない。)

    だからヴォネガットの作品を読んでもちっとも元気にならない。意気消沈してしまう。元気を奪われてしまう。
    ファンではあるが、ときどきしか読まないのは、そういうわけだからである。

    ヴォネガットは明らかに共産主義へのシンパシーを表明しているが、アメリカのメジャー作家の中では珍しいと思う。」

    しかし後期の作品になると、上に書いたヴォネガット的な特徴に変化が生じてきたのではないかと思う。
    だから、少なくともわたしにとっては、その作品が退屈に感じられるようになったのではないか。

    その変化とは、どういう変化なのだろう。
    まだ読んでいないのは最後の長編「タイムクウェイク」だけだが、もし読む機会があったら、その点を考えながら読もうと思う。

  • ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF (1227))

  • どこがSFなのかよくわからないところがいい
    表紙   6点和田 誠
    展開   6点1990年著作
    文章   7点
    内容 710点
    合計 729点

  • ―――
    長老たちが地球人に目を付けたもうひとつの理由は、彼らが自分と異なった外見を持ち、異なったしゃべりかたをする地球人を恐れ、憎むことだった。彼らは、いわゆる”下等動物”の生活だけでなく、おたがいの生活をも地獄に変えていた。彼らはよそものを見れば下等動物と思うたちだった。だから、長老たちが細菌にこの世の辛酸をなめさせたければ、地球人に物理学と化学を勉強すればもっと効率のいい武器が作れると教えるだけでよいわけだ。長老たちはさっそくその実行にとりかかった。
    ―――
    長老たちは、アイザック・ニュートンの頭の上にリンゴを落とした。
    長老たちは、母親のヤカンが鳴り出す度に、ジェイムズ・ワット少年に聴き耳を立てさせた。
    ―――
    (本文より)

  • 2007/05/10 購入
    2007/08/16 読了 ★★
    2014/10/23 読了

  • 読み終わるのに何日もかかってしまった
    長かった
    ヒロシマツモトが出てきたあたりからは面白くて一気に読めた
    ヴォネガットお得意の話の寄り道が多過ぎて本に慣れるまで時間がかかる
    そのせいで序盤はちょっと読むのが辛かった
    あと、登場人物が多過ぎて頭悪い僕にはわけわかんなくなることが多かった笑
    翻訳の問題でなく、文化や言語の違いによる問題だと思うんだけど、よく分からない言い回しもいくつか
    それでも、ヴォネガット好きかつ日本人なら読んで欲しい本
    少し日本人贔屓に描かれてる

    ヴォネガットの小説を読むたびにアメリカひでぇな、日本良い国だなと思うんだけど、
    それは日本人が歴史的敗北によって植え付けられた劣等感を抱えてるからなのかななんて思ったり
    そんな日本も、現在の状況見る限りまもなくクソッタレな国になっちゃうんだろうなーなんて悲観的になるのはヴォネガットの終末観のせいだろうかね

  • もしかすると人生の辻褄は合うのではないのか。
    そんな考えが入り込んできているようだった。
    『スローターハウス5』に登場した、あらゆる悲惨な出来事に対しただ淡々と「そういうものだ」と呟き続けるビリー・ピルグリムと対になったかのような人物は今作にも存在する。しかしそれは単に脇役としてだ。

    主人公は、出来事に対して、ときおり神の存在を信じてもよいような気がしていて、それは「そういうものだ」の認識との間で揺れ動く。あらゆる悲惨な出来事も、単に「そういうもの」であり、そこにはどこか超越した地点からの意味付け(=神)などなく、すべては無意味。人生に辻褄が合うなんて発想はあり得ない。
    今までこんな風に語られていたものが、この『ホーカス・ポーカス』では、そんなある種の達観した地点から、人間的なものに戻っていったように思えた。

  • 1990年の作品だが

     面白くなかった。初めてヴォネガットの著作を読むのがこの作品だったなら、きっと他の著作を読もうとはしなかっただろう。挿話の形をとっているSF小話はそれなりに楽しかったが、全体の物語はイマイチテーマがつかみきれない。

     挿絵や罫線などいろんな手法を試しているものの、効果的であるとは思えない。話の骨格部分に白人・黒人の区別やベトナム戦争が出てくるから余計に文化的理解がし難い。


     ストーリー的には、日本やドイツがアメリカを支配するという設定だが、1963年の「高い城の男(P・K・ディック)」(既出)のイメージがどうしてもだぶってしまう。

     次の作品が面白くなかったら、この作者を読みつづけるのはやめにしてもいいかもしれない。

  • 2009/1/15購入

  • ヴォネガット 1990年の作品。
    90年代に入ったヴォネガットは、もうおとぎ話を書けないほど、
    母国に対する怒りと悲しみが深くなってしまったようだ。
    これまでのヴォネガットには、どんな内容のものであれファンタジーがあった。
    偶然の産物があった。涙を誘うペーソスあふれる愛の対象があった。
    ところが、「ホーカス・ポーカス」にはそれがあまりない。
    登場人物はすべて架空だし、設定も奇想天外なのに、シリアスで、絵空事になっていない。
    どちらかといえば、その翌年書かれたエッセイ「死よりも悪い運命」や「国のない男」のテイストに近い。

    ヴォネガットのエッセイを読むと思い出すのがマイケル・ムーアの映画だ。
    確かに面白いし、皮肉が利いている。痛快で、どこか悲しい。
    けれど、ムーアにしてもヴォネガットにしても、これらの作品は自国民のために発表しているのだ。
    アメリカ人による、アメリカ人のための、アメリカ人のエッセイであり、映画である。
    日本人であるわたしは、そこに少々居心地の悪さを感じる。
    これを壮大なたとえ話として、自分の置かれた境遇……日本の問題に置き換え、
    それらを眺めることはできる。けれども、やっぱりどこか違う気がする。

    「ホーカス・ポーカス」が、ヴォネガットのエッセイに近いと思ったのは、
    ストレートすぎるほと、差別に対して訴えてくるからだ。
    これまでも彼が作品を通じて訴えたかったことが、フィクションというオブラートに包んでいては、
    もう自国民に伝わらないと思ったからかもしれない。
    彼が次回作の「タイムクエイク」を最後に、物語を綴るのをやめてしまったのもうなづける気がする。

    ただし。この作品では、ラスト20ページくらいにヴォネガットらしいしみじみした味わいがようやくやってくる。
    具体的には、ヒロシ・マツモトの描写をもっと早い段階で掘り下げてほしかった。
    また、息子との対面が、この物語の中では一番よかった。

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著者プロフィール

1922-2007年。インディアナ州インディアナポリス生まれ。現代アメリカ文学を代表する作家。代表作に『タイタンの妖女』『母なる夜』『猫のゆりかご』『スローターハウス5』『チャンピオンたちの朝食』他。

「2018年 『人みな眠りて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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