ノーストリリア (ハヤカワ文庫SF)

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  • Amazon.co.jp ・本 (511ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150117269

作品紹介・あらすじ

時は"人間の再発見"の第一世紀。銀河随一の富める惑星ノーストリリアで、ひとりの少年が地球という惑星を買い取った。少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、本当にほしいものを手に入れて、無事に帰ることができた。お話はそれだけだ。さあ、これでもう読まなくていい!ただ、こまかいところは別。それは、この本のなかに書いてある。ひとりの少年が出会った真実の愛と、手に汗にぎる冒険の日々が…。人類補完機構の驚異の世界。

感想・レビュー・書評

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  • コードウェイナー・スミスの描き出す遠未来史「人類補完機構」シリーズ、唯一の長編。
    傲慢で自意識過剰で、それでいて臆病で世間知らずな、田舎者の少年が世界を旅して成長していく物語。
    そんな風にストーリーをまとめると、爽やかな成長譚のような作品です。

    が、とても薄ら寒い物語。

    主人公のロッド・マクバンは、この物語の中で誰にもできない大冒険を繰り広げ、重要なことを学び、最後には故郷に帰って平穏な人生を送ります。しかし、そんな彼の大冒険は、発端となった大儲けのカラクリから地球での活劇、最後の帰郷に至るまで、全てが周囲の他者によってコントロールされ、結末まで完全に「敷かれたレールの上を走っている」だけなのです。ロッド自身、自分が操られていることを薄々理解しており、冒険の途中でそんな境遇に激しい苛立ちを露にすることもあるのですが、結局は敷かれたレールから逸脱することなく、自らの財産の大半を大人たちに体よく寄付させられ、己の身の程を強烈に自覚させられながら故郷の星に送り返されます。作られた財産、理解し合えない仲間、偶像に過ぎない美女、交わることのない願い・・・全ては予定調和、大いなる手のひらの上。
    ファンタスティックで暖かみのある筆致の間に底知れぬ冷酷さを秘めた、寒々しい物語だと、鴨は思います。

    「人類補完機構」シリーズには、この作品の他に本邦では3冊の短編集がまとめられており(うち2冊が絶版なのが本当に残念ですが・・・)、「ノーストリリア」には短編に登場した印象的なキャラクターや舞台、歴史的な事件が、モザイクのようにちりばめられて登場します。それらの舞台背景を知らなくても読み進めるのに問題はありませんが、できれば他の短編集を読んだ後の方が、作品世界をより深く楽しめると思います。コードウェイナー・スミスの描く世界は、本当にワン・アンド・オンリーですからね。

  • 「鼠と竜のゲーム」だけ読んでいるが、そのなかのキャラやエピソードが随所に見受けられてつながる面白さがあった(そのほかの短編からもいろいろ出ているみたい)。
    今度も読んでみて、やはりコードウェイナー・スミスという作家の特異性が現れていると思った。異質で独特な価値観、冷徹なのにロマンチスト、やたらカッコいい文章。
    自分には最高に面白い作家。

    しかし物語をどうとらえたらいいのか?

    「お話は簡単だ。むかし、ひとりの少年が地球という惑星を買いとった。(略)少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、自分のほしいものを手に入れ、ぶじに帰ることができた。お話はただそれだけだ」

    枠のなかの枠にいるみたいだった。停滞した人類に対して「人類の再発見」が行われている時代という設定だけど、この作品自体が停滞というか、予定調和。
    少年は確かに冒険をし、美しい女性と出会い、恋をし、試練を乗り越え、成長する。けれど作中で挿入される補完機構やノーストリリアの大人たちによる別視点の場面では、少年がいかに危うい立場にいて、運良く大人たちから看過、または守られているかが判明する。
    「人類の再発見」自体が、病気や危険などで停滞した人類を活性化させようとするものだが、それはマクロには平均化され、実際は管理されたこれまた予定調和的なものらしい。
    作中のこの設定が、メタ成長物語とでも言うべき本作の物語と呼応しているように思われる。

    単純に、少年とともに枠内の物語を楽しみつつも、しこりの残るお話。
    最後の場面も肌寒い。

  • 「時は〈人間の再発見〉の第一世紀。銀河随一の富める惑星ノーストリリアで、ひとりの少年が地球という惑星を買い取った。少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、本当にほしいものを手に入れて、無事に帰ることができた。お話はそれだけだ。さあ、これでもう読まなくていい! ただ、こまかいところは別。それは、この本のなかに書いてある。ひとりの少年が出会った真実の愛と、手に汗にぎる冒険の日々が……。」

  • 大金持ちになって、はるばる地球まで旅をして、それでも結局は元のシステムから抜け出すことのできない、というのはなんだか悲しいような気持ちもするけれど、大きな物語の流れの中の一つの挿話なのだと思うと、それも納得できる。 不老長寿の薬を作る巨大な羊を売ったり、あえて貧乏になったり、獣人の下級民やどこかにいるかもしれない青い宇宙人だったりと不思議な世界観には違いないんだけど、どこか美しくって、童話や神話を読んでいるような気分になった。

  • コードウェイナースミス初読。知識がなくてこの本から読んでもところどころ細部に分からない単語が出てくるけど、物語として充分読めるし、人類補完機構の全体像が見えてくる。
    壮大な歴史と世界観の一幕。ひとりの少年の冒険。地球を買う、地球に行く、冒険をする、帰ってくる。その通り。
    背景の世界観が大きく、下級民や法律やノーストリリアの惑星や、この世界の人々の暮らしが面白い。ひとりの少年をめぐる周囲の人々の会話や行動が、それぞれ収束していくのも良かった。長官や医者など、彼に関与する人の立場や、この世界の「敵」「味方」の対立構造がどういう感じになってるのか読みづらいのが残念だった。
    この本には語られなかった別の物語も読んでみたいと思える本。

  • スペース(宇宙が舞台だからでなく希「有」壮大の「宇」)
    ファンタジー(田中哲弥/古川日出男作品のような大法螺大風呂敷な話の広がりの意で)
    という意味でSF
    なんか良く知らないが他作品と同一設定世界らしく
    有名な「人類補完」機構という名の「空想世界(=ファンタジー)」分が大だが
    そこはわりとどうでもよく(逆にこの本からすれば小説として余計)
    少年の教養小説的意味合い強い冒険小説が本題
    作者の言う大人の姿が面白興味深い
    この本は1975年の作品だが作者は1913年生まれで
    そこからこういう見方が出来てくるのかとか思う

  • 「結婚しよう、僕は猫人のままでいることにするよ。惑星を買って住もう」しかしク・メルは「ありがとう、でも駄目よ…」。獣人と情交は「獣人は屠殺、人間は記憶抹消」の定め、それは宇宙一の金持ちでも曲げられない
    SFファン必読の古典であるコードウェイナー・スミスの作品全体は「人類補完機構シリーズ」と位置づけられているが、必ずしも首尾一貫した矛盾の無いものではない。空白もあるその未来史を詳述することはまたの機会として、人類がついに銀河系を支配したのち、「人類補完機構」という政府がまとめやくとなり、抗老化剤(フランク・ハーバート『デューン』シリーズなどもこの作品を踏まえている)配布などで一般人には400歳の寿命が保証され、それが終わるといやいやながら安楽死となる。「先進的な惑星では生への刺激のため不慮の事故死も容認されている」という世界。
    抗老化剤の銀河系唯一の産地、惑星ノーストリリアでは、それが生きている特殊変異羊でしか生産できないという事情から、一切の銀河文明の産物を拒絶して、地球20世紀前期のような禁欲的生活をしているのであったが、主人公の祖父はなみはずれた自制心でコンピュータを孫に残した!
    そのコンピュータを駆使して(抗老化剤の投機的取引により)銀河系を揺るがすほどの富を手に入れ、主人公は人類発祥の地、地球に「心からの願い」を満たすため、目立たないように猫人(=人間の用をはたすため知能と機能的肉体を与えられ、人権を認められない獣人)に変装して旅行した!実は彼は、ノーストリリアでは淘汰されるはずの「テレパシー能力欠如者」であったが、「特技」が認められ目こぼしされた社会不適応者であった。
    21世紀のNYを1億倍したほどの超過密都市惑星・地球(アシモフ『ファウンデーション』シリーズの首都惑星トランターのモデルかも知れない)で彼はク・メル(シリーズ最大のヒロイン=猫女)に出会い、彼女の命を救う冒険をやり遂げ、《獣人の人権獲得》という大義のために、その比類の無い大財産を投げ出すことを決意した…。
    歴史小説を読むのに最小限の年表的知識が不可欠のように、SFファンには古典SFは必読といえる。作品数はやや少ないがコードウェイナー・スミスは60年代に「人類未来史」という“アイディア”の基礎を築いた一人である。現実に福祉社会・人権社会が志向され、それが実現したか考えるのもよいかもしれない。
    処女作『スキャナーに未来はない』いらい、彼の作品は“共同体=人類のために一身を投げ打つ個人”というモティーフが繰り返されている。スミスの死後明かされた父子ともに支那関係・外交専門家という身分のゆえでもあろうか、役人は通常のSF・一般娯楽小説のように「官僚主義」「杓子定規」と軽蔑されて扱われるのではなく、彼らなりに善意を持って人民に奉仕しようとしている(清朝・康煕帝の官僚のように)。主人公とクメルをひそかに援助する最高指導部の一員は過去の獣人ホロコーストを忘れないために、なんとその事件を苗字としている(彼の父親は“共産主義への偏見”=共感を矯正するために自費で彼をソ連に長期旅行させたとか)。
    主人公はクメルと結婚できない代わりに彼女と共有する「千年に思える夢」のなかで思いを満たした。何十匹も子猫が生まれ、夜泣き?、乳やり、餌やり、狩猟教育、進学など学校教育に苦労したかも知れない、苦労は楽しみだ。その夢の中の夢はどんなものだったろうか。昔は夢なら仕方がないじゃないかと思ったが、人生の終わりに近づいた今となっては夢を見られた幸福をうらやむ。同種の夢は主人公を憎んだ「抗老化剤不可の特異体質」のライヴァルにも与えられ、彼も満足した。
    ともあれ“死”を克服した姿は感動を呼ぶ、俗にいう“死にネタ”であることは携帯小説に共通するとしても。

  • ひさびさの復刊。
    近所の本屋では入荷がなくやっと購入。
    新訳はないので、積読で終わるかも。

  • 短編集が面白かったので購入。
    ユニークなボーイ・ミーツ・ガールものというのが第一印象だった。
    SFというジャンル小説には違いないのだが、ある少年の成長を描いた青春小説として面白かった。

  •  私がSF少年だった頃、最高にカッコいいSF作家はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとコードウェイナー・スミスだった。どっちも不思議な名前で、隠された正体を持っていた。コードウェイナー・スミスのほうは、陸軍情報部の軍人にしてアジア政策の学者。

     スミスの未来史シリーズ、人類補完機構シリーズの唯一の長編がこの『ノーストリリア』。オールド・ノース・オーストラリアという星の名前の略である。オーストラリアが「南の国」という意味だから、これはまたスミスらしい撚りなのだろう。ノーストリリアでのみ不老長寿薬が生産でき、そのような特権的な立場でなお社会を破綻させないため、ノーストリリア人は産業革命前のような質素な暮らしをおくっている。

     スミスの嫌味なかっこよさは、本章冒頭でも遺憾なく発揮されている。ひとりの少年が地球を買い取り、地球に行って、本当に欲しいものを手にして帰ってくる、それだけの物語だというのだ。あとは細部。細部を楽しみたい人は読みなさいということだ。そしてその通り、それだけの物語であることに間違いはない。
     多少とも主人公のノーストリリア少年ロッド・マクバンの成長物語的な面もなくはないが、成り行きで巨額の富を手にして地球を買い取ったロッドが、地球に行って帰ってくるという、その行為が触媒のように作用して、地球に様々なことが起こる。かたやロッドに起こるのはささやかな内面的変化。こうしたマクロなダイナミズムとミクロなエレガントさのバランスがスミスの真骨頂であって、政治学者としての目が利いているといえるのではないだろうか。

     人類補完機構の短編集は品切れ(絶版?)のまま。新装版を出して欲しい。「人類補完計画」ばかり有名でも困るもの。

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