- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150309794
感想・レビュー・書評
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雑誌連載時に読んだ私の記憶はレダという登場人物の強い印象ばかりだったのだが、再読してみると、登場人物たちがレダという存在の重要性を喧伝するのが不思議なほど、存在感のない、人格を感じさせないキャラであることに、少なからず驚いた。それなのに印象に刻み込まれていたのはその登場の仕方の鮮烈さに尽きるのだろう。
いわば植物的に管理されているシティの人々は本当の個性を持っていない、本当の生を生きていない、本当の存在なのはレダだけだ、というのが本書で主張されることなのだが、シティの住人の主要な登場人物たちだって、案外、個性的で、確固とした人格を感じさせるのだ。むしろレダが記号的・象徴的な位置に留まる。こうして脇役を生き生きと描いてしまうあたりが語り部・栗本薫の技量なのだろうけれど、その点では失敗といえるのではないか。本来ならば、シティとその住人たちがいかに虚像的で異様な存在なのかを特徴付けねばならなかったはずだからである。逆に、シティ住民と対照的なスペースマンたち(地球外で暮らしている人類)が十分に対照的に描かれているかというと、それもいささか疑問である。
安定した社会はついには何も新たなものを生まず。ゆっくりと衰退していくというのはSFでお馴染みのテーマ、哲学であり、本書でも当然そういう流れとなる。だが、本書が鮮やかな印象を残すのは、レダではなく「ぼく」の成長なのである。ビルドゥングスロマン=教養小説だと作者も述べるとおり。
確かに植物的な主体に留まるシティの住人たちの中で、「ぼく」だけが動物的主体性を獲得していくともいえ、「ぼく」の主体形成の小説なのだが、他に主体がない中での主体形成は不気味な独我小説になりかかっている。たとえれば草食系男子の「ぼく」があれよあれよと筋肉ムキムキのマッチョになってしまったかのような異様さ。