マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ文庫 NF 387)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150503871

作品紹介・あらすじ

1990年代末、オークランド・アスレチックスは資金不足から戦力が低下し、成績も沈滞していた。新任ゼネラルマネジャーのビリー・ビーンは、かつて将来を嘱望されながら夢破れてグラウンドを去った元選手だ。彼は統計データを駆使した野球界の常識を覆す手法で球団を改革。チームを強豪へと変える-"奇跡"の勝利が感動を呼ぶ!ブラッド・ピット主演で映画化された傑作ノンフィクション、待望の全訳版。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    野球は実際の試合を観戦せずとも楽しむことができる。各選手を表す指標が一つ一つ細かく決められているため、その数字を検索するだけで満足してしまうほどだ。OPS、IsoD、IsoP、K/BB、WHIPなど、何が何を表しているのか見当もつかない略語が続々とならび、選手をさまざまな角度からデータ分析する。
    こうした指標、つまりセイバーメトリクスを選手獲得の基礎情報として導入し、球団の運営方針を「データ主義」に転換した初の球団が、ビリー・ビーン率いるオークランド・アスレチックスであった。

    もともと、球団はスカウトやGM、監督の直感によって運営されていた。
    しかしながら、野球ほどデータを取れるスポーツは他にない。野球はプレーが断続的であるため、投手がどの球種をどのコースに投げ、打者がどう打ち、どこにボールが落ちたのかを事細かに記録できる。打率、長打率、出塁率、コンタクト率といった各種データを引っ張ってくることで、2人の選手を詳細に比較することもできる。しかも「プレーを見る必要もなく」客観的に測定できてしまうのだ。
    ということは、この指標を上手く使えば、「どの行動が勝ちにつながるか」「どんな特徴を持った選手を集めれば勝てるチームを作れるか」をあぶり出すことができる。何故球団関係者は今までの古臭い評価方法を捨て去り、宝の山を活用しないのか、と思うかもしれない。(実際ビリーはそう思っていた)しかし、野球と野球人はそう簡単にはなびかない。このスポーツには「運」がついて回るからだ。

    野球はデータのスポーツだが、それと同時に、とてつもなく運が絡むスポーツだ。守備位置からして、会心の当たりが野手の真正面に飛ぶように設計されている。芯を捕らえたライナーがアウトになることもあれば、タイミングを外されたボテボテの当たりが内野安打になることもしょっちゅうだ。本書ではホームラン以外のフェア打球がヒットになるかどうかは、投手の責任ではなく運だと論じているが、まさにその通りであり、その運の良さを表す指標は「BABIP」として数値化されている。(初めてこの指標を知った時は、「運なんて測定できるのかよ!」と度肝を抜かれた)
    本書でも語られるとおり、打撃指標として重視されるのは出塁率と長打率であるが、これはフォアボールとホームランが野球で数少ない「運」を排除した進塁だからだ。運が密接に絡むスポーツにおいて、運の要素をできるだけ少なくし、確率の高い行動を積み上げることで勝ちを狙っていく。これがセイバー野球の戦い方である。

    セイバーという新しい概念を取り入れたビリー・ビーンに対し、古参の野球人は多くの批判を寄せた。四球を選ぶよりも安打を打つ方が偉い、盗塁や送りバントによって積極的に選手をスコアリングポジションに進めるべきだ、打球を待つのではなく初球から積極的に振っていくべきだ、などなど、いきなり現れたよそ者に「お前に野球の何が分かる」と罵声を浴びせていく。そのたびビリーはデータという動かぬ証拠のもと、試合結果という形で反論していく。

    ただ、悲しいことに、こうした批判をする人たちの気持ちも何となく分からないではない。
    彼らは従来の野球の正しさを信じているのと同時に、「野球の美しさ」を守ろうとしている。熱いエネルギーと気迫に満ちたプレーこそが野球の神髄なのであり、統計学のように選手を確率の道具だと見なしていては、奥に潜む神聖な何かを見失ってしまうのではないか。野球をスポーツだけではなくエンターテイメントとして運営してきた人々は心からそう思っているわけだが、ビリーはそれについては「何言ってやがる、面白い野球とは勝つ野球なんだ、勝てない球団にファンなんてつくわけがねえ」と一蹴し、とにかく安く勝てる野球を追求していく。
    そのため球団に貢献してきた優秀かつ高年俸な選手を積極的に売りに出し、安い外様をチームの中心に据えるのだが、もちろん、ファンからしてみれば納得はいかないだろう。ファンと球団は一種の家族関係で成り立っている。そうした無常なトレードをひっきりなしに行っていては、勝てる勝てないにかかわらず「面白くない」という心理がつきまとうのも、当然の結果なのではないだろうか。

    本書はデータ野球を一から作り上げたビリーのお話であるとともに、従来の「野球論」と「新野球論」が攻防を繰り広げるお話でもある。もちろん、どちらを味わっても面白い。野球に詳しくない人も、「野球ってこんなに数字まみれのスポーツなのか」と見識を改めることができる良い本だと思う。是非手に取って、データ野球の面白さを味わってみてほしい。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 選手をめぐるルール
    メジャーリーグでは、ドラフト指名で獲得した新人選手を、その球団がマイナーで7年間、メジャーで6年間確保し続けることができる。しかもメジャーに入って最初の3年間は賃金調停ができないため、活躍した選手であろうとも相当安い値段で契約ができる。
    また、FAにより主力選手を失ったチームには、ドラフト会議で優遇措置が取られ、FA移籍先のチームの1位指名権を奪い取ることができる。この結果、2002年のアスレチックスには7人を一位指名できる権利があった。


    2 いい選手とは?
    アスレチックスのゼネラルマネージャーであるビリー・ビーンが重視するのは出塁率だ。一方で、パワーがあるけど当たらない、今は芽が出ていないが改造すればいい選手になる、といった要素は嫌う。高校生よりも大学生(即戦力)を好むのもビリーの特徴だ。

    足の速さ、守備のうまさ、身体能力の高さは、とかく過大評価されがちだ。しかし、野球選手としてだいじな要素のなかには、非常に注目すべきものとそうでないものがある。ストライクゾーンをコントロールできる能力こそが、じつは、将来成功する可能性と最もつながりが深い。そして、ストライクゾーンをあやつる術を身につけているかどうかの指標が四球の数なのだ。大学時代に選球眼がいい選手は、たいていプロに入っても選球眼がいい。また、打撃能力を評価する際は、打率よりも出塁率や1打席あたりの投球数が重要になってくる。

    伝統を守りたがるスカウトたちは、ビリーやポールの流儀を実績重視型、と呼ぶ。スカウトの仲間内では軽蔑的なニュアンスの言葉だ。新人選手はあくまで心の眼で見て評価すべき、というのが旧来の野球人の常識だ。なのにビリーらは、野球選手のだいじな部分はほぼすべて、場合によっては性格までも、データのなかに見いだせると断言する。

    アルダーソンがアスレチックスに浸透させた打撃の鉄則は次の3つだ。
    ①打者は全て、一番バッターの気構えで打席に入り、出塁を最大の目標とせよ。
    ②打者はすべて、ホームランを放つパワーを養え。本塁打の可能性が高ければ、相手ピッチャーが慎重になるので、四球が増え、出塁率が上がる。
    ③プロ野球選手になれるだけの天賦の才がある以上、打撃は肉体面より精神面に深くかかっていると心得よ。

    ビリーは勝率と関係が深いデータとして、出塁率と長打率を取り上げていた。むしろ、重要なデータはこの2つしかないと断言している。この2つを足した数字は「OPS」と呼ばれる。
    また、出塁率と長打率を比べたとき、「出塁率の方が長打率より3倍重要だ」と考えている。出塁率とはすなわち「アウトにならない確率」「スリーアウトにより攻撃が中断されない確率」にほかならず、以後、アスレチックのフロントは、出塁率に異常なほどこだわるようになった。


    3 セイバーメトリクスの誕生
    ビル・ジェイムズは野球をデータによって分析しようと試み、これを「セイバーメトリクス」と命名した。

    当時、メジャーリーグの公式データは貧弱であり、野球のインプレーデータは球界の関連企業に独占されていた。ジェイムズは、内部関係者に頼らずにメジャーリーグを分析しようという計画をプロジェクト・スコアシートと名づけ、着手する。ほどなく、STATS社がこのプロジェクトに同調した。STATS社もかなりよく似た目標を持っていて、クレイマーいわく「野球の試合中に起こるおもな出米事をできるかぎり完壁に記録する」ことをめざしていた。
    しかし、報酬をもらってプロチームの監督をやっている人間が、こういったデータの重要性を認識していなかった。科学的に分析するための情報を集めようとさえしない。STATS社がせっかくの情報を見せても、試しに無料で提供しても、ほとんど関心を示さなかった。
    立ちはだかっていたのは、社会的、政治的な壁だった。いくら弱小球団とはいえ、プロ野球経験のないものが、監督やスカウトや選手をさしおいて、まったく新しい野球術を押しつけるわけにはいかない。

    旧態依然とした野球チームの態度に見切りをつけたかのように、ジェイムズは自作のデータ集である『野球抄』の発行を辞めてしまう。それにようやく目をつけたのは、10年後、アスレチックスのゼネラルマネージャーに就任したビリー・ビーンであったのだ。


    4 常識外れのドラフト戦略
    2002年のドラフトで、他球団と全く違う基準で選手を測ったアスレチックスは、20人の指名候補選手のうち13人を獲得することに成功する。
    アスレチックスの資金は4000万ドルだが、ヤンキースはその3倍の資金がある。元手がないからには、お買い得の選手、例えば無名の若い選手か、過小評価されているベテラン選手を狙わなければならない。この独自のドラフト戦略により、他球団と総年俸が大きく差がついている状態にも関わらず、2001年に102勝しプレーオフに進出している。


    5 グラウンド全てをデータ化する
    AVMシステムズ社――アスレチックスが選手評価のアルゴリズムを作る際に真似をした会社――は、球場におけるすべての出来事を数値化する企業だった。打点やセーブといった、状況に付随するデータを無視したのはもちろんのこと、従来方式の記録はいっさい使わなかった。AVMのコンピューター内部には、ひとつの試合が膨大な派生状況の集合体というかたちで登録され、現実世界とはくらべものにならないほど的確な、別次元の選手評価が可能になった。
    仮に、軌道Xで速力Yのライナーが地点九六八に落下したとしよう。過去10年のデータと照合すると、ほぼ同じ打球が8,642例ある。うち92パーセントが二塁打、4パーセントが単打、4パーセントが捕球されてアウトだった。打つ前は得点期待値が0.50の場面だったと仮定する。実際にはまだ何も起きていないうちから、打者には得点の可能性が0.50、投手には失点の可能性が0.50あったわけだ。ここで先ほどの打球が飛んで、ジョニー・デイモンがお得意のジャンピングキャッチでみごとに捕球したとする。デイモンは0.50を0に抑え込んで、チームに貢献したことになる。このように、打撃や捕球がどんな意義を持つかは、場面に応じて客観的に決まる。過去10年の平均と比較してどのぐらい良かったか悪かったかで、各プレーの価値を判定できるというわけだ。


    6 トレード戦線
    資金の乏しいアスレチックスがなぜこんなに勝ち続けるのか、その理由の一端は、シーズン途中の巧みな戦力補強にある。成績不振の球団が望みを捨て、コストを削減したくなり、選手を売りに出す。供給がだぶつき、値段が下がり、いい選手がお買い得になる。そのときアスレチックスはじたばたと電話をかけまくり、ありとあらゆる提案をして、トレードを実現させようとする。“流し釣り作戦、とビリーは呼んでいるが、つまりほかのゼネラルマネージャーと何げないおしゃべりを楽しんでいるようでいて、内心、相手のふとした言葉の奥にある大きな情報をつかもうとするのだ。それぞれのゼネラルマネージャーは各選手をどう評価しているのかが、トレードの成功に役立つ。駆け引きの構図としては株式売買と大差ない。よりよい情報を持っている者が優位に立てる。


    7 DIPSと「運」
    投手の成績データは、毎年安定しているものもある。与四球、被本塁打、奪三振あたりは、増減の波が小さいだろう。だが、被安打率はどうも変化が激しい。

    ここから大胆な仮説が導かれる。
    ①ホームラン以外のフェア打球は、ヒットになろうとなるまいと、投手には無関係なのではないか?
    ②いままで投手の責任とみられていた部分が、じつはただの運なのではないか?

    150年のあいだ、グラウンド内のフェアゾーンへ飛んだ打球(つまり、ファウルとホームラン以外の打球)が安打にならないようにするのは投手の能力だと評価されてきた。だが、ホームラン以外のフェアボールは、ヒットになろうとなるまいと、投手の責任ではない。これが「DIPS(守備的要因を除く投手力数値)」の誕生のきっかけだった。


    8 データ野球の果てに
    毎年、ビリー・ビーンひきいるアスレチックスがプレーオフ進出を決めると、ふたつの事態が進行し始める。第一に、ごく一部のスタッフが新聞の力を利用して、待遇の改善をそれとなく求める。もう一つ、プレーオフ進出決定後にいつも始まるのが、コーチ、選手、報道陣がいっせいに、バントも盗塁もしないという基本方針について不満の声を挙げることだ。足が遅い遷手までが、ポストシーズンでは「積極的に仕掛けていくべきだ」「流れを自分たちで作っていく必要がある」と言い始める。盗塁必要論の再燃、とビリーは呼ぶ。
    アスレチックスがポストシーズンで負けると、誰も彼も盗塁のせいにし、「得点を作り出そうとしない」と批判の声を上げる。しかし、実際はレギュラーシーズン中の平均得点4.9点よりも、プレーオフ5試合の平均得点5.5点のほうが高い。真の敗因はその逆で、シーズン中の失点が一試合平均4.0だったのに対し、プレーオフでは5.4点取られたことにある。
    5試合しかしないプレーオフはシーズンよりも格段に運の要素が強いため、最後の最後でツキがないと、「科学頼みの野球なんてやっぱり無意味」と批判されてしまうのだ。

    ビリーの心にはひとつの不安があった。いつの日か、ポールとふたりでさらに効果的な方法を見つけて少ない資金で輝かしい球団を生み出すかもしれない。が、ワールドシリーズの優勝記念指輪をひとつかふたつ持ち帰らないかぎり、誰も気にかけてくれないだろう。そしてもし優勝できたとしても、たった一時もてはやされ、やがて忘れられる。たとえほんの一瞬でも、自分が正しくて世界が間違っていたのだということは、誰にも理解してもらえない……。

    しかし、一見奇妙なかたちをしたアイデアの数々は、アスレチックスの選手を着実に成長させているのだ。

  • 野球について、私は小学生の休み時間の手打ち野球くらいしか記憶にない程度なのでビジネス書として読了。さすがは映画化もされたベストセラー、今更かもだけど、読んで良かったと思いました。

    マイケル・ルイスは「フラッシュ・ボーイズ」を読んで以来でしたが、飽きさせない構成と専門的な情報をキャッチーに伝える力、軽妙な文章はやっぱり凄い。
    本の内容としては、アメリカの大リーグでの「お金をかければ良い選手が取れて勝てます」的な風潮の中、お金の無い球団が統計データを使って本当に勝つために必要な選手を導き出して勝っていく。それをストーリー仕立てで面白く(ここが非凡なところ!)纏めたのがこの本。溢れる知識を高所から説くような本じゃありません。

    野球の本なのですが、結局は「固定観念に囚われてるだけじゃ勝てないよ」という普遍的なコトを言ってるように感じました。ゆくゆくはデータを使う手法が広まって当たり前のものになり、そうなるとそれが固定観念化していって、でもまたそれを打破する人が現れて…となっていくのでしょう。
    IT技術で、人ができることはどんどん広がっている。ただ、まず最初に気付いたり、疑問を持ったりしないと何も始まりようがない。
    目標を設定して、それに対してひたむきに、粘り強く取り組むことの大事さをあらためて認識した次第です。

    なお、本書の内容とは直接関係ありませんが、出版後日談の後半、トロント・ブルージェイズの人種構成のくだりを読んで、「これからの『正義』の話をしよう」で読んだアメリカの大学のアファーマティブ・アクション(人種的マイノリティの志願者を優遇して、成績が多少悪くても入学させる措置)を思い起こしました。スポーツの世界も、何かあったりして。

  • 統計での分析野球。
    旧体制の反発から実現に至るまでの大変さ、野球以外でも経営の勉強になると思った。
    ただ、野球をそんなに詳しくないのと何度同じ名前を見ても覚えられないから、きっと損してるんだろうな。。
    264冊目読了。

  • 野球と統計と経営のどれか一つでも興味があれば、楽しく読める。三つともならば、ハマること間違いなし。いやあ、いい本を読めたなあ。
    この本を褒める文章はいろんなところで目にしていたので、いつかは読まないとと思っていた。発行からはだいぶ遅れたけど、今でも十分新しい気がする。(野球におけるデータ重視の度合いは、この本のおかげもあってか、相当進歩してると思う。)

  • ※私が読んだのはランダムハウス講談社から出版されたものです。

    野球好きの上司から、マネジメント的な要素もあるよ、とお借りした一冊。

    映画を見たかったのに見逃しており、興味があったので読んでみました。
    野球が好きなら、試合のシーンは情景が目に浮かぶのでそれだけでも楽しめると思います。
    また、メジャーリーグのトレードを目の前で覗き見してるかのような、スピード間のある描写も楽しめました。

    個人的にカタカナの名前を覚えるのが苦手で読み終えるまでに時間が必要でしたが読んで満足の一冊。映画も是非見てみたいです。

    終盤にあった
    「どの数字を金庫の中にしまい、どの数字をクズカゴに捨てるか。大切なのは数字を万物の神として奉ることではなく、数字に意味を持たせることだ。理論武装することだ。数字の奥にひそむ真実を読み解き、時には行間にまで思索のメスを入れる。それが賢者の振る舞いだ。」
    のくだりは、野球チームのマネジメントだけでなく
    普通のビジネスにも通ずるものがあると思い、勉強になりました。

    野球界を描いたエンターテイメント作品と
    ビジネス書としての要素を兼ね備えた一冊です。

  • この本は数字がいっぱいでてくるのに、縦書きの漢数字だから、パッと頭に入ってこなくて読むのに苦労した。
    数字が多いの本は、横書きでアラビア数字にしてくれたらもっと読みやすいのに…と思った。
    日本の野球界は、外部があまり入っていないイメージだし、メジャーより元野球選手の山勘と財力で回ってるいる世界なんじゃないかと思った。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • メジャーリーグにそれほど興味は無かったが楽しく読めた。

    資金力が乏しいオークランド・アスレチックスが、少ない予算にもかかわらずなぜ年俸の高いチームと互角に渡りあうことができているのかに迫った野球ノンフィクション。

    凝り固まった考えに支配されているメジャーリーグにおける選手を評価する基準や、定石と思われていた戦略、固定観念などとは正反対の戦略で、資金力の差を覆し勝利を重ねていくストーリーはとても読み応えがあった。

    しかし球団運営の側から選手のトレードを見た時に、選手が商品のように売り買いされていく様子は残酷にも感じた。

  • ★ビリー・ビーンは才能に恵まれていたが、性格が災いしメジャーリーガーとしては成功できなかった。しかしその後ゼネラルマネージャーとして大成功している。身体能力だけではダメで考え方が重要ということ、適性が大事ということがわかった。

    ★世間の常識を疑うこと。

    ★トレードのところ、そんなに赤裸々に書いて大丈夫かと心配になる。

  • 日本とロシアが戦争をしたときに、日本海軍の秋山真之さんという人が。
    「お金が無いから、戦艦の差は埋められない。ならば、どうやったらチームとしての戦術理解、スピードがあげられるか。あと、どうやったら砲弾の命中率を上げられるか」ということを考えて、実践しました。
    そのときに、いちばん参考にしたのが、当時最強と言われたイギリス海軍の方式ではなかった。
    その頃には新興勢力でしかなかった、アメリカの海軍の方式を一部導入した。
    戦術勉強をするのに、書物や講義ではなく、ジオラマみたいな巨大地図と、玩具の戦艦を使って、見えるように演習していく。
    「いちばん明快で判りやすかったから」。
    そして、砲弾については、ひたすらそれだけを訓練すると同時に、「破壊度」を捨てて「燃え広がる力」だけに特化した砲弾を使用した。
    「沈まなくても戦闘能力を奪えば良いから」。

    …というお話が、半ば講談的に「坂の上の雲」などに書かれています。
    「ある目的に向けて合理的な強度をひたすら高める。そして強者に打ち勝つ」
    という、恐らくは
    「乗り物操作的な触覚的な支配感と、ストレス発散的快感」
    で言うと、男子的な相当に人気の高い方向のオハナシな訳です。

    この「マネー・ボール」もその系譜ですね。
    実に少年的にわくわくしつつ、大人な納得感を得られる本でした。




    中学生から、高校生くらいまでは、プロ野球をテレビやラジオで観戦するのが、大好きで。
    1986年~1990年くらいのことで、当時ドラゴンズに在籍した落合博満選手が好きでした。
    実を言うとそれ以降はあまり野球に情熱をもったことがないんです。
    はしかみたいなものだったのかも知れません。

    この本を読んだのも、野球への情熱でもなければ、マイケル・ルイスさんへの関心でもまったくなくって。
    親しい友人が「大変にこの本が面白かった」と言ったからなんですね。
    もうちょっと補足すると、その友人は、野球好きなタイプではまったくなくて、また、マイケル・ルイスさんの他の本のジャンルである、金融に関心がある訳でもないんです。
    更に言うと、ブラッド・ピッド主演の映画を観たから、という訳でもなく。
    それなのに、この本が大変に面白かったという。
    へえ、ちょっと読んでみようか、と。

    アメリカの、プロ野球のお話なんです。

    「予算の無い弱小球団が、金持ち球団と互角以上に戦っている。それはなぜか?」

    という話なんです。
    そしてこの本は、ノンフィクションなんですね。小説ではないんです。
    (細かいところとか気分的なところはともかく、大まかな事実で言うと)実際に起こったことなんですね。


    時代は2000年前後です。(本が出たのが2003年のようですね)
    アメリカのプロ野球の仕組みは、僕は良く判っていませんが、まあつまり

    「4チームだか6チームだかで、1つのリーグ」。

    その中で、一年かけて順位を競うようですね。
    そして、そういう

    「4チームだか6チームだかで、1つのリーグ」

    が、いっぱいあるみたいですね。
    そして、それぞれのリーグの1位(なのか、1位と2位なのか、判りませんが)が、決勝戦みたいに、また戦いあう。これがプレーオフというようですね。

    最後に勝ったのが全米チャンピオンになる、ということですね。どうやら。
    (アメリカの持ってる文化特色の一つは、「おらが国が最高に決まってるぜ根拠ないけど」的な、笑っちゃうくらい華麗な田舎者主義なので、この全米ナンバーワンを決める戦いのことを「ワールド・シリーズ」と呼称しているようです)。

    で、その中でオークランド・アスレチックスという貧乏球団が、何年も、好成績を残しているんですね(2000年前後のお話です)。
    通常シーズンを勝ち抜いて、何度もプレーオフに出る。

    これはけっこう凄いことなんです。

    例えて言えば、2013-14シーズンのスペインのサッカー1部リーグで、レアル・マドリーとバルセロナを交わしてアトレチコ・マドリーが年間優勝を果たした、というくらい凄いことなんです。
    全く例えとして判りやすいものではないかもしれませんが。

    もうちょっとジャンルをずらして例えると…。

    ●通常の競争受験でしか生徒を入れない高校の野球部が、4年くらい連続で甲子園でベスト4入りをする、みたいな。
    (それがレアなことである時点で、もはやアマチュアスポーツではない無いんだけどな、と。
    野球好きな人が高校野球を楽しむのは当たり前なんだけど、そこに無垢な汗と純情と言った、アマチュア的美学の調味料をかけて報道するのは、いい加減にやめないと恥ずかしいよなあ…。
    この情報化時代に、誰もそんなこと信じていないんだから)

    ●資本の全くない企業が、知恵と工夫だけで新商品と新販売方式で売り上げと利益を出す。
    それを毎年、大手にパクられる。真似られる。トップ・プレイヤーを引き抜きされる。毎年毎年。それでも、毎年、売り上げと利益で大手と互角以上の結果を出す。

    ●「ウチの生徒の親はみんな年収500万円以下」「ウチの生徒の親はみんな高卒です」という公立高校が、東大京大の合格者ベスト10に毎年入る。
    (これがいちばん夢物語かも知れませんね。今、ほぼ完全にこの国は固定身分制度ですからね。)

    まあ、とにかくすごいことなんです。で、ちょっと夢があることなんですね。
    蓄積された資本のある人が、挑戦をして苦難を乗り越えて何か成し遂げる、みたいなことは、掃いて捨てるほどのストーリーがありますけれど。

    「資本主義の原理に反している」

    というのが夢があるんですよね。

    資本主義である以上、資本が大事なんです。
    実は、資本主義の中の勝ち組になると、別段「競争主義」や「実力主義」は望んでいないんですね。
    大事なのは、資本が多い方が勝つ、という仕組みを維持することなんです。
    この場合の「資本」はもちろんお金だけではなくて。「人脈」「情報」「血縁」なども含まれますね。

    トランプゲームの「大富豪・大貧民」で言うと、大富豪が大貧民からカードを奪って始まりますよね?アレです。
    アレを維持して、できればその強制交換枚数を増やしたいんです。

    もちろん、表向きは「実力主義」「競争主義」と言います。
    そりゃそういわないと恰好悪いですから。
    でも、本音はそうじゃありません。
    その証拠に、政治も財界も、2世3世花盛りですから。議論するまでもなく、それを観れば分かることです。



    この資本主義の原理が、圧倒的に支配しています。
    何しろ、世界のヤクザの最大の親分、資本主義の守り神であるアメリカの、退役した軍人さんが、

    「自分は現役時代、振り返れば、アメリカの大資本企業がぼろ儲けを続けられるように、世界中の反対勢力をひたすら暴力で脅し続けたようなものだ」

    と言っているくらいですから(笑)

    こういう、「弱肉強食の原理」には、歴史を通して多くの人がストレスを抱えながら暮らしています。
    だから、それに逆らう者は、ヒーローになることが多いですね。
    スティーブ・ジョブスさんだってそうだし、大まか言えば真田幸村だってそうです。
    「プロジェクトX」という番組は、改めて平成の時代に、昭和の高度成長という時期を「世界的な強者の論理に抵抗した日本人」という視点で再編集したヒーロー物語だった訳です。
    (どの例えも、「本当に彼らはヒーローだったのか?」という検証はまた別の問題ですが。そういう商品として大多数の人々に「買われた」、ということですね。)

    閑話休題…
    で、マイケル・ルイスさんという物書きさんが、オークランド・アスレチックスに密着取材?する訳です。
    するとそこには、選手と監督の上に「ゼネラル・マネージャー」として、ビリー・ビーンという元選手が君臨していたわけです。
    そして、ビリー・ビーンとその仲間たちは、数十年前から細々と提唱されていた、「分析・確率を素にして選手を評価・獲得する」という手法を取っていたんですね。
    これはケッコウ、凄いことなわけです。

    どうして凄いことなのか?というと。
    アメリカでは野球という娯楽産業は、随分老舗でかつ人気産業です。
    であるからには、当然そこの利権をめぐってもう、既得権益者サロンというものが出来ている訳です。
    (これはまあ、認めるか認めざるかはともかく、どんな産業でもありますね。ただ、どこまでそのサロンが硬直化しているか、という度合いはありますけど)
    野球の既得権益者サロンと言うのは、

    ●名選手たち、元名選手たち
    ●野球ビジネスを運営する実権を握る者たち
    ●大手資本を持つ、老舗の報道機関
    ●その流れを汲んだ各球団の経営者、指導者、スカウトたち

    というコトな訳です。
    そこでは、「野球を運営する」という利権に、他者を参入させないために、
    「野球は奥深い。経験者にしか分からない。経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論する奴らは皆、検証する必要もなく間違っている」
    と、いうような、神秘主義や精神主義が横行している訳です。

    もっというと、これは「負ける軍隊」と同じ構造なんですが、「他者を参入させない言い訳」である、ということにもう盲目になっている。
    宗教と同じですね。「日本軍は負けない」というヤツです。



    「オレたち経験者にしか分からない。オレたち経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論するシロウトたちは皆、検証する必要もなく間違っている」

    「経験者」というところを「白人」とか「高学歴者」とか「ゲルマン民族」とか「正社員」とか「男」とか「日本人」に入れ替えると怖いですね。

    で、この「宗教」に基づいて野球で飯を食っている人たちにとって、ビリー・ビーンとその仲間たちは、とても腹立たしい訳です。
    自分たちの主張と全く逆のやり方で、結果を出してしまう。

    (このビリー・ビーンさんたちの「確率論的に野球を分析する方法」のことを「セイバーマトリクス」と呼ぶそうです。でも別にこの本の中で「セイバーマトリクス」と言う言葉は出てこなかったと思います)


    つまり、この本は。ビリー・ビーンとその仲間たちが、

    「オレたち経験者にしか分からない。オレたち経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論するシロウトたちは皆、検証する必要もなく間違っている」

    というマッチョな既得権益者たちと、知恵と勇気だけを資本に、正々堂々の全面戦争を挑む、という戦いの記録な訳です。
    (ベースボール、というゲームの場で、ですが)。

    それはホントに、

    「地平線まで埋め尽くす十万を超す徳川軍の中に、たった数百の手勢で錐を揉むように突撃し、蹴散らし、家康の首まで迫っていく真田幸村」

    という娯楽的快感なんですね。

    「誰もが、もう無理だ、とあきらめた。だがたった独り、〇〇だけはあきらめなかった」

    という、田口トモロウさんナレーション的な、「プロジェクトX」快感曲線な訳ですね



    そしてそれが、実に疑問なく痛快なのは、どこにも「神秘主義」「ご都合主義」が無いことですね(少なくともこの本を読む上では)。
    前記の真田幸村の例や、プロジェクトXの例は、講談的な、敗北の美学的な、あるいはご先祖崇拝的なご都合要素が入っていることは先刻承知なんですけど。

    何しろ、ベースボールですから。
    勝った負けたが大公開でさらされるわけですよ。
    そこで「だって、勝ったんだもん」というこの痛快さ。
    しかも一発勝負ではなくて、通年の実力を試されるリーグ戦で。

    そして、その手法が「人徳」とか「勇気」とか「日本兵は世界一」みたいなワケの判らん理由ではなくて。どこまで行っても「合理主義」。

    この痛快さですね。

    これが、歴史的に言っても「良きアメリカ的明朗さ」だと思います。
    ヨーロッパと比較して、圧倒的に既得権と伝統と格式が無かったからこそ、神秘主義や権威主義から自由な立場で思考できた。
    それこそが、アメリカの素敵な部分だと思います。

    そして、本としての「マネー・ボール」の面白さも、単純明快痛快さ、と合理主義ですね。
    マイケル・ルイスさんの書き方はとてもうまくて、これだったら何のジャンルの本を書いても面白いだろうな、と思います。
    具体的に言うと。
    ●業界的な薀蓄を匂わせつつも、溺れない。
    ●同時に、いちばん単純明快な、神話的な、娯楽的な物語の背骨を見失わない。
    ●その娯楽度合いを、ノンフィクションのモラルのギリギリまで(あるいはギリギリを超えて)大げさに描く。
    というコトだと思いました。

    結局はノンフィクションですから、「例えばこういう例があって」という細部が全てです。
    この本の場合は、「こんな誰も見向きもしなかった三流プレイヤーが、ビリー・ビーンの目に止まって一流になった」みたいな物語ですね。
    その例が、列伝人間ドラマとして充実しています。
    でも、野球オタクのための本じゃない。むしろ、野球オタクに野球シロウトが打ち勝つ話なんですね。

    そして、どれだけ細部が賑やかでも、本線を忘れない。
    本線は「傲慢な既得権益者に、一度は落伍者に落ちた弱者が敢然と戦う物語である」ということです。
    本書の中であるとおり、「ダビデとゴリアテ」の物語なんです。

    そして、その本戦を太く強く面白くするために、物語としては

    「ビリー・ビーンという孤高の騎士、球界のルーク・スカイウォーカーが、ハン・ソロやチューバッカとともに、取り巻く銀河帝国の既得権益者たちに、ご意見無用の殴り込みをかけていくぜ」

    という英雄物語的ニュアンスに、できるだけ娯楽的に書いていくんですね。
    (無論、実際にはビリー・ビーンの思考的先駆者、ヨーダにあたる人物とか、色んな人がいます。そういう要素も、触れていますけど)。
    この手腕は、なかなか凄いなあ、と思いました。

    ※この特色については、池井戸潤さんの小説に似ているんです。
    どれだけ経済問題を扱っても、半沢シリーズなんて基本は水戸黄門だったりしますから。だから素敵なんです。

    恐らくは版元も早川書房さんですから、そういう娯楽要素をなるたけ削がない翻訳をしているのだと思います。
    この感じで、マーケットなどについての本を読めるのなら、それはそれで読書の快楽。
    友人のお蔭で良い作家を知ることができました。愉しみ愉しみ。

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