それをお金で買いますか (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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制作 : 鬼澤 忍 
  • 早川書房 (2014年11月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504199

それをお金で買いますか (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の感想・レビュー・書評

  • マイケルサンデルの作品を読むのは二作目だ。
    今回は市場における道徳的規範についての話だ。
    お金を中心に回っている人間社会では、合理性を追求していくことが重要になってくる。
    そこでストップをかけるのが道徳心だ。
    あらゆるものに市場が参入してしまうと、本来、守るべき人間性や誠実さ、本質、真髄が消えていってしまう。
    人間は他の動物とは違って、熟考することができる。
    機械とも違って、頭だけで行動するわけではない。
    人間には自分の名誉や主義主張を大事にしたいという性質がある。
    どこまで市場に踏み込ませていいかは一人一人が考えなければならない。

  • 2014年(底本2012年)刊。著者はハーバード大学政治哲学教授。◆道徳や倫理が、市場・貨幣という数値に浸食される実態をあらゆる例・調査結果を提示して開示。◇日本でも散見される球場命名権、各種罰金・金銭的行政罰制度、ファストパス、行列の並び屋、CO₂排出権取引などの一方、海外特有の事象、例えば、縁組希望の養子の価格付け、遅刻への罰金、学生の成績向上に対する報奨金(学費無償でなく現金給付というのがミソ)、生命保険の第三者転売と当該債権譲渡の市場化、血液を含む臓器売買、出産制限ある社会での子供の出産権など。
    ◆ここでの問題点は、つまり道徳や倫理が侵食される意味は、①「生命」「子」など単一基準での価格形成・数値化が不可能ないし非難されたものを、単一基準で数値化すること。また②倫理的非難を構成した罰則や損害賠償金が、それを払うと許容されるとの数値基準に転化し(例えば、100万円払えば浮気ができる、駐禁切符代で駐車場を探さずに済む)、同一の倫理的非難であったはずなのに、それを払える人と払えない人との間の格差を生んでしまう。③成績向上の金銭給付や献血など、インセンティブでは良結果が得られないデータがある。
    あるいは、その可能性の如何を調査しないままで済ます。しかるに、あたかもインセンティブが万能かのような制度設計をする点などか。◆医師の優先的診療権(テーマパークのファストパスなら笑って済ませられるかもしれないが)等々、全体になかなか含蓄ある叙述で、読みふけってしまった。再読不可避だが、脳の報酬系が金銭では反応せず、褒める言葉かけや愛情表現で活性化する知見を想起させる書でもある。◆cf.TPPによる米国サービス産業の国内参入とも絡めて…。

  • サンデルの問題意識は、市場社会の浸透による社会的不平等と道徳的腐敗の蔓延にある。これに対して、サンデルは二通りの異論—リベラリズム的なものと「コミュニタリアニズム」的なもの—を唱えている。前者は、もちろん自由な合意に基づいて交わされた契約には反対しないが、仮にその契約が社会的な不平等のために「やむを得ず」交わされたのであれば、それを不公正だとする。後者は、仮に完全な自由意思による契約であっても反対する論拠を挙げる。それが道徳的腐敗である。この立場によると、市場によってその目的に適さない規範が適用されるようになり、道徳的に堕落するのだという。こうした事態を抑制する方法として、サンデルは「熟議」を挙げる。必ずしも一致しない価値対立であっても、あるいはそれゆえに、我々は市場原理が適用されて良い領域とそうでない領域との境界線を引くべきなのである。
    こうしたサンデルの指摘は、我々の直観に反するという限りにおいて、妥当だといえるだろう。しかしながら、市場が社会に入り込むようになる/なったことで認識が変われば、問題とすることはできないだろう。また、その解決策として挙げられる熟議については、価値対立をやや甘く評価しているようにも読める。利害対立や価値対立を直視したリベラリズムからすると、こうした熟議によって乗り越えられるとは考えられないし、また、そもそも我々は熟議に参与しようと思えるだけの「市民」なのだろうか。

  • 貨幣制度・市場主義という社会の仕組みと、その「お金の価値」についての哲学的な思考をまとめた本。
    例えば他人の命にお金をかけ、その死によって儲かるのにいけない点はあるのか?お金をかけるだけで、その死を早めるわけではない場合、問題はないのか?など。

  •  最もほしいと思う人が、最高の価格で買うことの何が悪いのか? この問いに答えることが、思ったよりも難しい。
     ミサの席、人間、それらが取引されることは、「金で買えるもの」という、最低の価値観を与える結果となる。

  • 世の中には金銭で買えないものが確かに存在する。だが、近年の市場主義経済の加速に伴い、その領域は確実に狭まってきているように思われる。例えば、イヌイットの代わりにセイウチを撃つ権利、インドの代理母による妊娠代行サービス、市民ホールや球場、そして都市自体の命名権。経済学の理論に基づけば、双方の合意を得てなされるこれらの取引により誰も損をせず、双方の効用が最大化する限りにおいて、これらの取引は正当なものとみなされる。しかし、どこかしら道徳的な気持ち悪さを感じるのはなぜだろうか?

    経済学の理論は、こうした市場が満たす嗜好についての道徳的判断はカッコに入れて扱う。そこで問題になるのはあくまで社会全体の効用が最大化されるかどうかであり、道徳的な問題というのはカッコに入れられ、不問に付される。本書でマイケル・サンデルが論じるのは、まさにその点であり、リーマン・ショックで市場主義経済の問題点が明らかになったにも関わらず、その流れが止むことのない市場主義への懐疑である。

    本書では、行列への割り込み、インセンティブ、生と死を扱う市場(HIVに感染した患者の生命保険を買い取り、患者が早く死ぬ程、多くの利得を手にすることができるバイアティカル投資等)、など、市場主義と道徳がぶつかり合う様々な問題に焦点を当てつつ、なぜそこに問題が生じるかの考え方を2つに収斂させる。

    1つはその取引が実は自由取引ではなく何らかの強制力に基づくものである故に問題である、という考え方である。市場経済の取引が成立するためには、複数の選択肢を持つ自由な2人の主体が対等な関係の元に取引に合意する必要がある。しかし、ある種の取引においては、自由で対等に見える取引が実質的にはそうなっていない場合がある。このケースの例としてサンデルが挙げるのは、アメリカの薬物中毒者向けの不妊治療プログラムである。このプログラムにおいて、薬物中毒者の女性は自ら不妊治療を受けることで300ドルの現金を手にすることができる。その結果として、社会全体は薬物中毒の子供が生まれるリスクを下げることができ、薬物中毒の女性と社会全体の双方の効用が最大化される、というものである。一見自由に見えるこの取引だが、薬物中毒の女性が多くのケースにおいて貧困層であることが多いという事実を踏まえて考えると、300ドルという現金収入は極めて魅力的であり、彼女がそのプログラムを拒絶することは実質的に難しいのではないか、故に何らかの強制力に基づいている点が問題である、ということになる。

    もう1つは腐敗に関するものであり、サンデルが本質的に問題視するのはこちらの方である。ここでの腐敗という言葉は一般的な役人や官僚の腐敗という意味よりも広いものとして扱われる。すなわち、ある種の取引において、金銭に還元されるべきではないものを金銭で取引することにおいて、そのものが持つ道徳的な価値を毀損している、という意味を持つ。例えば、売り飛ばして儲けるために子供を産むとすれば、それは子供を愛されるべき存在として扱うべきであるという道徳的価値を卑しめているし、裁判官が賄賂により不正な判決を出すとき、国民から託された裁判官の権限を自らの個人的利益の道具として扱うことで、職業的規範を卑しめている。

    ただし、この後者の場合に、一体何が社会的に広く認められた道徳的価値であるかのコンセンサスを構築することは容易ではない。コミュニタリアンとしてのサンデルが主張するのは、市場主義経済が道徳的判断から中立であるという幻想を打ち壊し、社会全体の議論において、個々の取引における道徳的価値は何であり、それは金銭の取引により毀損することが問題になるのか否かを明確化していくというプロセスである。その点で、どんな場合にも役立つ道徳的価値観の物差しを提供する訳ではないが、社... 続きを読む

  • マイケル・サンデルの2冊目の本。今回は正義ではなく、お金に関する哲学。この本を読む前は、世の中はすべて市場経済を導入することで上手くいくのではと思ったが、その考え方を改めさせられた。罰金を設けることで逆に子供を迎えに来るのが遅くなったイスラエルの保育所の話や、血液の売買を認めているアメリカと認めていないイギリスの話など、モラルや自尊心に訴える部分に市場は関与してはいけないと切に感じた。

  • ■ここ10年くらいの間、「この価値にいくら出すか、その物差しを自分で持っておかないとえらいことになる」と感じることが何度かあったので、非常に興味深く読みました。お金を出せばいろんなものを手に入れられて(おそらく寿命も、もうそうなってる)、逆に安く手に入れる方法を探せばタダで入手できる方法も見つかる(特に本とか映像とか音楽とかね)イマドキの世の中だからこそ、考えておきたい話題。
    読み終えて、自分の中でひとつ増やした物差しの目盛りは、「尊厳と義務は売り買いできないし、してはいけない」でした。
    ■テーマパークのファストパス…。実質有料のものがあると聞いたときに、私も何か幻滅のようなものを感じたのですが、それが何故なのかうまく言葉にできませんでした。でもその理由がクリアになった気がします。
    ■テンポよい文体で、文字の大きさもちょい大きめ?でさくさく読めました。いかにもアメリカっぽい実例のうちいくつかは読み飛ばしましたが、「うげーもうそんな売り買いが実際にあるのかぁ」と衝撃も受けました。よくも悪くもアメリカは先を行ってる…

  • 回答を与えるのは宗教、回答を探す道を示すのが
    哲学と感じているのだけど、
    なににしろ、なんでも、金儲けの対象や
    問題を金で解決できる、金さえ払えば何でもOK
    という風潮に感じるザラついた不愉快な感覚へ
    「もしかしたらその原因はこれ?」という投げかけが
    ややもすると当たり前になりつつある現在の世界へ
    考えるきっかけになって心地よい。
    (命名権(の一部)は、受け手の感情・ノスタルジーが
    大きく働いているような気がするけど)
    善とか正義という言葉は使わなくても、
    なんとなく金・数値で解決してしまうことに
    下品さを感じるところに、もっと他の方法をとるか、
    その方法をとらないことで、自らを人間として
    高めてくれか維持される何かがあるような、
    経済性に支配されない人間性があるような、
    綺麗な理想を求める自分が
    まだ死に絶えていない感覚を覚える。

  • これも超速読ベースで目を通しただけなので、要再読。
    市場化によって締め出される道徳的規範、美徳の衰弱。
    アンチ新自由主義の流れの本。
    内田樹氏がなんでもかんでも「消費」の対象になっている社会について書いてたことを思い出した。

  • 市場と道徳をテーマにし、市場のあるべき姿を考え直すべき時期に来ていること、将来、私たちが、どういった社会を選ぶべきかについて問いかけられている本。市場の役割は「売り手」と「買い手」をつなぎ、功利主義の原則による「幸福の最大化」を具現化するものであったが、著者が示している「市場勝利主義」が扱うべきでない対象にまで浸潤してきたことにより、道徳的な「腐敗」をもたらす事が出てきたことを、さまざまな事例を紹介し、「お金」が持つ独特の性質により、道徳的に扱うべきものの対象「子供に対しては愛情、献血による血液には思いやりの精神など」が、商品へと成り下がってしまい、それは社会における共通の「善」が規定されていないからとしています。
    もう一度しっかり読んでみたい本です。できれば、世界中の成人に読んでほしい1冊です。

  • 市場主義と倫理や道徳の対立について考えさせられる本。ここに書かれている事例を読んでいくと、あと10年も経てば倫理や道徳意識が後退する分野ができてくるのだろうな、と思わずにはいられない。電車やバスの吊り広告のようなものが旅客機の壁一面にはられる日がくるのだろうな、と思わせる。それも私が生きている間にね。

  • 示唆にとよむ一冊。間違いなくおすすめすることができる。
    Michael J. Sandelの講義は有名であり、学生に質問をしながら問題の本質を議論していく対話型である。
    本書も著者は答を出さない。出すのは論点とその本質だけ。そして論旨は明快であり、かつ深遠である。

    そのテーマとは、サブタイトルにもあるとおり「資本主義の限界」である。
    お金を出して何でも買える世界が実現すればみんなはHappyになれるだろうかということである。

    資本主義を崇拝する人間から言わせたら答は明らかにYESであろう。なぜならば、買い手と売り手が存在する市場ができあがりさえすれば、市場が効率性を極大化してくれるのだから。
    しかし、待ってほしいと彼は言う。資本主義だからといって売ってはいけないものもあるだろう、と。
    たとえば、人間の臓器の売買を例に挙げよう。
    現在は自由意志により臓器の提供を許可しているが、臓器を提供してくれた人に金銭的なインセンティブを与えるという法律を作成したとしよう。
    収入がたくさんある人は自分の臓器を売ってまでしてお金を稼ぎたいと思わない。一方で、可愛い我が子のためになればと、貧困にあえぐ人は臓器を売るかもしれない。
    資本主義者の言い分に立つと、買い手と売り手が存在すれば誰もが幸福なり、そこに損害を被る人はいないのだから積極的にこのような市場を作るべきというところだろうか。
    しかし大抵の人はこの問題に対して嫌悪感を抱く。
    なぜならば、人間の臓器は売買する「モノ」として適さないと思うからだ。

    著者の表現を借りると、道徳という高級な規範が、資本主義を介して市場に持ち込まれると低級な規範によって締め出されるという現象が発生する。
    最近、ロジカルであること及び合理的であることが正しいとされており、道徳という考えが廃れてきている。
    正しいことが良いこととは必ずしもイコールではないのだ。新しい資本主義の時代には、時代はめぐり道徳性という考えも必要なのではないだろうか。

    我々は道徳性という考えを近年、軽んじる傾向になるのではないだろうか。しかし一方で、経済的な合理性があるにせよ他人を貶めてまで利己的な行動に走ることはない。資本主義が正しいというのであれば、他者を殺したって経済的な合理的を追求するはずであり、それを法も認めるはずである。そうなっていないということは、人間の真ん中にあるものは道徳なのではないのだろうか、と考えずにはいられない。
    現在の経済学では道徳を定式化することができない。
    株価は非常に単純な確率微分方程式にて定式化することができるのに。

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