大日本帝国の興亡〔新版〕5:平和への道 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504380

作品紹介・あらすじ

沖縄陥落、広島・長崎に原爆投下。日本はポツダム宣言を受諾、終戦を迎える。(全5巻)

感想・レビュー・書評

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  • 本土空襲が日常茶飯事になり、大都市の多くが焼けて、広島、長崎に原爆が投下される。自国の繁栄のために他国を蹂躙してもよい、と考えた大日本帝国と、自軍兵の犠牲を減らすために敵国の非戦闘員を焼き殺してもよい、と考えたアメリカは、目くそ鼻くその類だろう。特攻隊創始者の大西中将は、「二千万人の日本人の生命をこの”特攻”に捧げるなら、勝利はわれわれのもの」と主張したという。どいつもこいつも。
    玉音放送で戦争は終わる。

    「第三帝国の興亡」と同様、太平洋戦争の始まりから終わりまでを通して読むことができたのは大きい。いままであちこちでつぎはぎ読みしてきた戦争のエピソードを、あらためて一連のタイムラインの中で位置づけることができたように思う。原爆だっていきなり落ちてきたわけではないのだ。

    その一方で、前後の事情関係なく、原爆の悲惨さを語ることには意味があるとも思う。なぜなら戦争とは「そういうもの」だからだ。別に悪いことをしていないのに、普段通り暮らしているだけなのに、ある日爆弾が降ってきて焼かれたり、兵隊に撃たれたりするのだ。自分がなぜ殺したり殺されたりしているのか知っているひとは、まだしも幸せなのかもしれない。

  •  最終巻では、沖縄戦後からポツダム宣言、終戦および占領までの歴史を見ていく。東京本土の空襲が激化したとき、天皇と皇后は、地下の避難所で過ごして、そこにある図書館で耐え忍んでいた。一方、日本政府は、鈴木貫太郎による終戦工作が本格化する。そこで、ソ連を仲介して戦争を終わらせようという案があったが、事態は難航した。太平洋戦争のなかでも、ポツダム宣言、バーンズ回答は日本の運命を左右した。とりわけ「subject to」の解釈は各人の意見が飛び交った。国体を守らなければならない政府にとって、「奴隷化」は絶対にあってはならない考えだったため、回答に対する返事は、アメリカは拒否と判断した。その結果として、広島と長島に原子爆弾が落とされる。さすがにここまで追い込まれると、工作は一層進み、軍部に動向がばれないように、工夫を重ねて何とか終戦へと導いた。とはいえ、指導者たちの私邸に放火したり、敗戦を受け入れることができず、徹底抗戦を叫ぶ一部陸軍将校がいたりと、日本国内は混乱をきわめた。巻末には半藤一利と徳岡孝夫の対談が収録。西南戦争をきっかけに「海陸軍」から「陸海軍」と、軍隊の呼称が変化したのは、今回初めて知った。

  • 最終巻は、沖縄戦から日本の降伏調印まで。
    陸軍参謀は、士官学校・陸大で研鑽を積んだエリートであったはずなのに、誰がどう考えても勝ち目のない本土決戦に、「勝つチャンスはある」などと主張し、戦争を継続させようとしたのか理解に苦しむ。エリートとは所詮そんなものなのかもしれない。
    今日の官僚による不祥事を見るにつけ聞くにつけ、あらためてこの国のエリートと呼ばれる人間たちに、国の行く末を任せておいて、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。
    全巻通読したが、まるで物語を読むかのように引き込まれて読んだ。太平洋戦史となると、どうしても何らかのバイアスがかかる日本人には、こういう通史は書けないのかもしれない。

  • アメリカ人著者による太平洋戦争を描いた5巻のうちの最終巻。
    今回は広島・長崎に原爆が投下され、最終的に日本がポツダム宣言を受け入れるまでのいわゆる「敗戦」場面である。

    アメリカの原爆投下決定までのやり取り、日本側の天皇が最終的にポツダム宣言受諾の聖断をするまでの経緯、玉音放送を阻止しようとした一部陸軍過激派将校の反乱などがとれもリアルに描かれており、最終巻を飾るに不足なしの内容であった。

    2.26事件から敗戦までの全5巻であったが、他に類を見ない太平洋戦争についての本であった。

    太平洋戦争に興味のある人はぜひとも読むべき5冊!!

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著者プロフィール

(John Toland)
1670-1722年。アイルランド生まれの思想家。名誉革命の動乱期にスコットランドのグラスゴー・カレッジで学んだ。ロンドンにやってくると、非国教徒内の同盟を推進する長老派ダニエル・ウィリアムズを支援して、その著作をジャン・ル・クレールの雑誌に紹介した。これによってオランダでの勉学の機会を与えられ、ベンジャミン・ファーリ、ル・クレール、フィリップ・ファン・リンボルクなど大陸の自由主義的プロテスタントとの交際を得た。帰国後、反三位一体論争のさなか『秘義なきキリスト教』(1696年)を匿名出版した。多数の反駁が書かれ、イングランドではミドルセックス大陪審の告発、アイルランドでは大陪審の告発と議会下院による焚書と逮捕・起訴が決議された。逮捕を逃れてロンドンにもどると、時事的な政治的著作・パンフレットの出版や、ジョン・ミルトンやジェイムズ・ハリントンなどピューリタン革命時の共和主義者たちの諸著作を編集出版し、「コモンウェルスマン」として活動した。後に『セリーナへの手紙』(1704年)、『パンテイスティコン』(1720年)などで唯物論的自然哲学を展開した。

「2016年 『セリーナへの手紙 スピノザ駁論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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