わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

  • 936人登録
  • 3.70評価
    • (65)
    • (125)
    • (122)
    • (13)
    • (5)
  • 112レビュー
制作 : Kazuo Ishiguro  入江 真佐子 
  • 早川書房 (2006年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (537ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200342

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ドストエフスキー
ジュンパ ラヒリ
ポール オースタ...
ポール オースタ...
トルーマン カポ...
ポール・オースタ...
カズオ イシグロ
遠藤 周作
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • カズオ・イシグロさんという、日系のイギリス人の小説家さんの本です。2014年現在60歳くらいの男性のようです。
    お名前は完全に日本人なんですが、まあ、何はともあれ母語は英語のようです。これも、翻訳本です。
    正直、名前しか知らなかったんですが、「読んだことのない現在進行形の作家さんを読んでみたいな」という思いもあって。ほぼ予備知識なしで読みました。
    不思議な小説、面白かったのは面白かったです。ラストの喪失感っていうか切ない感じが辛かったですけど。
    英語版が発表されたのは2000年だそうなんで、もう14年前の小説になるんですけどね。

    お話は、
    ●1930年代の、ロンドン。主人公のクリストファー君(20代)は、両親がいないけど、財産に恵まれた若者で、教育を受けて、志望通り「探偵」になっています。
    ●そのクリストファーさんの回想で、15年?20年前?子供だった頃。両親(イギリス人)と上海に居ました。支配者階級イギリス人一家のリッチな日々。父は、英国商社マン。母は敬虔な慈善家で、アヘン撲滅運動をしている。なんだけど、実は夫の会社、ひいてはイギリスが、上海に中国に、アヘンを売りまくっているという矛盾。
    ●それから、その上海の子供時代、隣家の裕福な日本人家庭の「アキラ」という名前の同年配の子との友情。
    ●その上海時代、父が蒸発する。そしてやがて母も蒸発する。孤児になり、独り英国の伯母のところへ。
    ●そんな思い出が続きながら、20代の主人公は探偵になり、かつての上海の両親の失踪を調べている。なんとなく確信を得て、上海へ。久々に上海へ。
    ●日中戦争泥沼の時期の上海。腐敗した支配者階級、悲惨な戦争。アキラと、物凄い偶然の再会。両親の失踪の真実を知る。
    ●大まかに言うと。父は愛人と逃げただけだった。母は中国人のマフィアにさらわれて妾になっていた。クリストファーの安全と財産、それと引き換えに母は自死を思いとどまっていた。なんて悲しい事実。
    ●どーーーんと月日が過ぎて、淡々と初老になってロンドンで暮らしているクリストファー。母とは戦後に再会。だが、母は心を病んで、息子を判らなかった。

    ■と、言うお話が、クリストファーさんの一人称で語られます。これ、大事ですね。客観的には語られません。

    ■で、少年時代の豊富な細かい想い出、20代のロンドン~上海時代の恋愛、引き取った孤児の少女との触れ合い、が、入ります。

    あらすじ、枠組み、で言うと、そういうことなんです。
    なんだけど、あらすじではわからない「味わい」について言いますと。

    ●主人公は孤児なんだけど、どうして孤児になったのか、判らない。本人にも判らない。犯罪の匂いがする。
    ●主人公は、シャーロック・ホームズに憧れて、探偵になる。
    ●そして、両親の蒸発の謎に迫っていく。
    と、言うあらすじなんですけど。なんですけど、細部が無いんです(笑)。
    犯罪捜査の細部が、無いのです。
    だから、なんていうか、「犯罪娯楽小説」「探偵娯楽小説」「冒険娯楽小説」では、無いんですね。
    兎にも角にも、主人公の青年の心理、内面。その震え、動揺、高揚。そういう面白さなんです。

    それで、この小説は、戦争が描かれます。第二次世界大戦。まあ、厳密に描かれるのは上海での日本軍対中国軍の戦闘です。
    そして、この小説は、「支配体制権力が行う、人種差別的な、構造的な悪事」「それを、見逃して、目をつぶって、白々しく上品に暮らす人々」が描かれます。
    そして、その中で小説として起こることは、やりきれないほど辛く、悲しく、絶望的で、救いがない。そういう、隠された事実だったりします。
    子供時代の、美しい無邪気な想い出が無残になります。

    ま、つまり、そういうことなんだろうなあ、と。この小説で渡したかった後味っていうか。
    そういった、怒りや批判を含んだ、喪失感というか、無力感というか。
    そこに至る絶望感とか、感傷とか。
    だから、正直、全部一人称なんで。どこまでが物語的に事実なのか、疑問も抱けるわけです。
    主人公のクリストファーが、そう思っている。そう思いたかった。そう妄想している。だけかもしれない訳です。
    特に、上海の戦場、幼馴染のアキラと偶然邂逅するくだり。あまりに偶然。この、上海戦場放浪のくだりは、全体に、どこまで事実かわからない。
    なんだけど、この小説の中でも、ぐぐっと読ませます。くらくら眩暈がするような。主人公の意識と一緒に、戦場という悲惨さの中に、読んでる気持ちも叩き込まれます。
    なんかもう、そうなると、ジジツなのか妄想なのかという境目は、どうでもよくなるような気もします。
    そういうことなのかなあ、と。

    そして、小説全体に、東洋人でありつつ英国人である、という作者の業なのか、なんとなく、感じたこと。
    西洋白人社会、つまり19世紀的な先進国の、物凄く深い罪悪。暴力性、残虐性。被差別対象としての東アジア人。その東アジア人が被害者から加害者へと乗り換える。その際の、復讐的とも言える暴力性、残虐性。…救いのないループの中で、らせんに織り込まれた20世紀前半という歴史。そんなタペストリーを見せられたような気がします。

    うーん。そんなこんながかなり、意図的。戦略的な気がするんですよね。
    この小説家さんは、小説とか、言葉とか、意識とか、歴史とか、物語とか、そういうことに凄く意識的な気がします。
    それは、「面白いために必須な条件」な訳ではないんですけどね。
    何ていうか、右手が、「右手である」ということに意識的になってみると、ちょっと違って見えて来ちゃうみたいな。
    そして、いちばんなことは、文体的に?語り口というか。とても落ち着いていて、品があると思いました。クドいケレンもない。あざとさも無い。
    こういうのって実はすごいことだし、大事なことです。半分は翻訳の問題ですけどね。僕は好きでした。

    1930年代、20年代くらいの、上海。
    演劇「上海バンスキング」の世界な訳ですが。
    この西洋と東洋、貧困と富裕、混濁と美しさのような街並みが、くどくどと描写されるわけでもないのに、
    すごく印象に残ります。
    そういうのって、文章を読む醍醐味ですね。
    この小説家さんの小説は、いくつか映画になっているそうですけど、絶対にこの持ち味は、厳密に言うと映画に移し替えられるものではない、と思います。
    村上春樹さんとか、そうですよね。
    (伊坂幸太郎さんの小説も、好きなんですが、何故だか映画化作品は、マッタクと言って良いほど、そもそも見ようという気になれないんですよねえ…。閑話休題。)

    …って、この本。
    手放しで褒めるって感じにもなれないんですけどね。
    そんなこんなで、大まか言うと暗いです(笑)。
    キッチリ美しく、均整に心地よいのですけど、一方で暗い(笑)。ユーモアも、まあ、無いですねえ。
    暗いというか、痛い?美しいのに痛くて悲しいかんじですね。

    なんですけど、ホントに知的で素直で読み易い語り口。
    主人公が、何をどう感じているのか、という興味で転がしていく、話の運びの巧みさ。
    考察と知性と感傷が充満充実した、全体の構成。
    うーん。なんて言えばいいか。本格派。スバラシイ。
    大好き!とは言いませんが、またいつか別の小説を読んでみたいですね。何より、同時代の人なので。次回作、最新作で、今のイマの世界をどう感じて何を語るのか。楽しみですね。

    「わたしたちが孤児だったころ」。原題の、まあ直訳なんですけど。この直訳感、微妙に日本語的に居心地が悪い感じが、この本にはふさわしいなあ、と思います。
    素敵な翻訳タイトルだなあ、と思います。

  • これを「探偵物語」なんて言わないでほしいなあ。
    主人公が大人になって探偵という職業を選んだ、って
    ミステリじゃないんだから。

    ミステリじゃなくて探偵が出てくる辺り、
    ポール・オースター初期作品を思わせますが
    こちらはニューヨーカーじゃありませんから~

    解説氏も書かれていましたが
    読み終えた途端にもう一度最初から読みたくなる、
    というか読み始めてしまった、ちょこっとだけ・・・
    もうちょっと、出たくない世界でした。

  • 一貫して、主人公の語りで綴られるストーリー。

    子供時代を過ごした上海の租界でのキラキラした思い出。
    父と母の失踪。
    大学卒業後の探偵としての成り上がりと、社交界での華麗な日々。
    そして、上海に戻って、父と母の事件を調査する様子。
    哀しい結末。

    ストーリーの流れだけを見ると、冒険小説のようだけど、実は全く違っている。
    予備知識なしで、ワクワクドキドキを期待し読んでいたので、少し戸惑った。

    まず、主人公は、推理をしない。びっくり。
    また、主人公は、人間誰しもがそうであるように、記憶を自分の都合のいいようにつくりかえているようで、ところどころ、後半はかなりの部分に違和感が出てくる。

    幼少時代のオールドチップ論争からはじまり、クン警部の伝説化、自分が名探偵だというのも少し疑わしい気がする。
    極め付けは、両親の誘拐から20年近くたっているにもかかわらず、まだ生きていて同じ場所に幽閉されていると信じきっているところ。
    さらに、その事件の解決が世界を救うことになると、自分だけでなく全ての人が信じていることを信じているところ。
    アキラとの再会。

    これには、孤児という拠り所のない立場の主人公が、自分の内的な世界に居場所を求める悲しさがあった。さらに、フィリップおじさんとのラスト近くの会話で、世界が美しいものではなかった、と知るところは主人公に追い撃ちをかける。

    主人公の世界が崩壊してしまうかと思ったけれど、母親や養子にとった家族の存在が、心をつなぎとめ、その時、孤児ではなくなったのだと感じた。

    結論、なんだかよくわからないけれど、深い余韻が残る作品でした。

  • 3冊目のカズオイシグロ。
    読了後、頭を殴られたような衝撃を受ける。
    小さい頃、失踪した両親を捜す為に探偵になったイギリス人男性が主人公の探偵小説...と思って読んでいた。
    大人になり、イギリスで探偵として成功している現在から、幸せな上海での子供時代を振り返る前半。満たされた、美しい、懐かしい少年時代。優しい両親と、アキラという日本人の男の子との大切な思い出。どこか歪んだ印象を受けるけれど、両親が失踪した事を覗けば、幸せな少年時代。そして、探偵として順調にキャリアをつみ、充実している現在。少々退屈してきた頃に、主人公は両親を捜す為に上海へと旅立つ。
    この辺りから「オヤ?」と思う。
    主人公の語る事と、実際におこっている事との違和感。ドロドロと醜い姿を現そうとする現実を、決して見る様子の無い主人公から、コミカルな印象すら受ける。
    終盤、戦場となっている貧民街に突入しても、その態度は変わらない。倒れている日本兵を、特に根拠もなく幼なじみと決めつける態度。そういえば、何十年も前に失踪した両親が、幽閉されているってどこに根拠が?両親が助け出された後の式典って一体なんなの?
    ...ちょっと気づくのが遅かったかな。このアタリから物語の中の違和感が突然形をなしてきて、ゾクゾクッ鳥肌!
    上海に両親を捜しにきてから先は、一気に読み進めてしまった。少し落ち着いたら再読したい。今度は主人公の言う事は鵜呑みにせずに...。

  • カズオ・イシグロの想像力は現実の枠を超える。そのことは「私を離さないで」を読んでよくわかったのだが、本作でも子供時代の探偵ごっこそのままに探偵になった男が登場する。彼が戦火の上海で20年前に行方不明になった父母を探し始めるに至り、この小説は「私を離さないで」のような妄想を籠めたフィクションなのか、それとも現実の範疇に収まる話なのか、が気になってくる。結果はここには書かないけれども、彼の想像力の巨大さに今回も圧倒されてしまった。その意味で、期待を裏切らない一作だったと言える。

    思えば、カズオ・イシグロ自身が子供時代のごっこ遊びをそのまま頭の中に抱えているのかもしれない。
    「ノスタルジックになるっていうのはすごく大事なことだ。人はノスタルジックになるとき、思い出すんだ。子どもの頃に住んでいた今よりもいい世界を。」
    (444ページ)

  • 失踪した両親を探すため、第二次世界大戦前夜の上海の巨大な流れの中で丸腰の主人公の要求が簡単に人を動かすことができる途轍もなさ。
    「呆れる」としか言いようのない都合の良い展開と思えたが、どんな大きな流れでも良し悪しの事象は超個人的な欲望が核心に存在し、力を持つものが機動力を持つのだと分かる気がした。
    (どんな大人物だったとしても、それだって生身の人間なのに、どうして社会はその人物を怖がり、それを覆すことができないんだろう。たとえば、あの国のような指導者についても・・)

    コンプレックスがないと小説は書けないと言うが、カズオ・イシグロの強いコンプレックス(国籍やアイデンティティの問題)をここでも感じる。彼の生い立ちを知らない方がこの小説を楽しめるかも。

    いつもの回想の語り口は昨日のような近接過去でも「今」現在の話としてとらえられない。薄暗闇で手探りしてる表現が時間の感覚を朦朧とさせる。

    無知過ぎた私は、以前、陳舜臣の「阿片戦争」をなぜ中国は麻薬を欲しがったのかと思って読んだら、阿片という悪と戦う話だったのに驚いた。ここでまた「阿片」が出てきてHello againな思いがした。

    中国の「阿片」を考えると闇の深さにのとてつもなさに思い当たる。知らぬが仏。この小説で感じる「呆れ」はそんなところにも通じているのだろう。
    それでも世界を良くしようという人のいることにわたしはときどきびっくりしてしまう。

  • 独特の雰囲気があります。よくわからないけどひきつけられる。訳もいいんだろうなあ。
    「わたしを離さないで」よりはエンタテイメントじゃなかったです。「孤児」の意味が、あとでどんと来ます。

  • どこか不安を持たせながらも、ぐいぐいと読ませていく筆致が素晴らしい。

  • 2冊目のカズオ・イシグロ。
    翻訳のせいかもしれないが、暗いわけではないが明るくなく、紗をかけたような少し現実から離れた感じのする文章。
    そして大人とは思えない奇妙な行動。まるで子供が探偵ごっこをしているかのような感じを受けます。
    周りの描写は緻密だが、肝心の部分はぼんやりとしか書かれていない。モヤモヤしながらも常に興味をひきつつ、ここでやめられないと読み進んでしまいます。
    最後の急展開はお約束のようなものでしょう。読んだ後は少し切ない気持ちになります。
    舞台となった時代の上海の雰囲気がある本でした。

  • 父母と離ればなれになった遠い記憶をたどりながら、異国である生誕地・上海を想うイギリス人探偵。日本人の幼友達との良き思い出や、魔都に潜む闇も思い出される前半から、両親の消息を追って戦地となった上海に乗り込む後半は雰囲気がガラッと変わる。記憶とは、故郷とはそれぞれどんなものなのかと自分を振り返っても考えてみる。

全112件中 1 - 10件を表示

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)の作品紹介

上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪を遂げたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。やがて幾多の難事件を解決し社交界でも名声を得た彼は、戦火にまみれる上海へと舞い戻るが…現代イギリス最高の作家が渾身の力で描く記憶と過去をめぐる至高の冒険譚。

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)の単行本

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)のKindle版

ツイートする