恥辱 (ハヤカワepi文庫 ク 5-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200427

感想・レビュー・書評

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  • レビューはこちらに書きました。
    https://www.yoiyoru.org/entry/2018/07/26/000000

  • 自分の人生とは、求める生き方とは何なのか。
    一般的な幸福というものは誰にでも当てはまるわけではない。
    デヴィッド・ラウリーの、インテリで独りよがりな思考。それが引き起こす不幸というべき転落の人生も、
    彼の娘が頑なに守る田舎の土地も、
    彼女自身でなければ、なぜそれが人生のすべてに屈辱を加えても守りたいものなのか、分からない。

  • なんと感想を書いてよいのやら。
    主人公も娘も、救いようがなく転落していく。

    痛々しい。救いがあるわけではない。
    でも、現実はこういう痛々しい、話が溢れているということだろうか。

    痛々しいからこそのカタルシスもなく。
    ただただ、そう、恥辱。
    (太宰治の「恥ずかしい人生を送ってきました」のような、そうそうそうなの!というような、ちょっと嬉しくなる痛々しさではなくて、あぁつらい…というかんじの痛々しさというか)

    それでも、読んでしまうし、淡々とした文章はきれいだ。
    いいレモネード飲んだなというような、すっきりしながらも苦味と生の味わいがある。

    主人公の転落っぷりもすごいが、自分が女性だからか、娘のルーシーの意地のようなものに、読んでいて辛くなってしまった。

    「ええ 、わたしの辿っている道は間違いかもしれない 。でも 、いま農園を去ったら 、負けたまま終わってしまう 。その敗北感を死ぬまで味わうことになる 。」

    父への手紙にこう書いた彼女は、敗北感を味わいたくないと、自らの運命を受け入れる。

    とても個人的な話、ある種の犯罪にあっても、元々の自分の夢ににしがみついて、その土地を離れなかったときの自分。
    同じことを言っていた。

    異邦人として、女性として、敗北したくなかった。で、結局病んだ。
    その土地に固執なんてしなくて、よかったのにね。

    そんなこんなもあって、どっと疲れる読後感だった。笑

  • 人はなかなか自分の主義主張を変えることはできない、歳を取ってからなら尚更。価値観・常識が移ろいゆくアパルトヘイト撤廃後の南アフリカ。その中で過去の価値観を持ち続けたまま生き抜くことは難しい。変化に適応することと自分の生き方を曲げないことの両立は可能なのか

    主人公が関わった3人の女性たちは何を考えていたのだろう。いまいちはっきりしなかったので、とても気になる。
    面白かったけれど、よくわからないところや想像しにくいところも多かった。南アフリカの歴史や文化を学べば、少しは理解度が深まるのかもしれない。

  • 読みやすくはあるが、扱う主題は難しい。
    都会で教授をしている二度の離婚経験のあるおじさんが、性欲を抑えきれず教え子に手を出して、職を追われ、田舎の娘のところに行き着き、そこから展開していくストーリー。
    南アフリカの白人と黒人の間のわだかまり、治安の悪さ、強姦などといった時代背景がある中、娘とは事件後でも仲良くはあるが、意見は全く食い違う。

    相手の意見を聞かずに、自分の意見を通し、辞職に追い込まれ、その後娘に自分の意見を通そうとする。かつて物を教える立場であったように。

    一度だけでは本の一部分しか理解には及ばない自分の読解力の無さを嘆きたくなるが、ブッカー賞受賞作なだけあり、読み応えはある。

    男たちに強姦され、妊娠までさせられるのに、警察などには一切言わず、その土地に溶け込もうとする娘。覚悟の上で、生き抜こうとする様は、か弱い人私にとってこの父親のように、理解に苦しむ。

    人生何が起こるかわからない。そして何を起こすかわからない。ただ、現実を受け止め、何を教訓としていくか。難しい……。

  • インテリ元モテ男だった主人公の没落。
    時代の変遷についていけない古ぼけた文学者は、継続した人間関係を築くことができず、女を買っては消費する日々。
    絶対に自分の考えを曲げず、他人の意見に耳を貸さず、大学を追放されるところまでは面白く読めた。

    娘の農園へ住み着いてからはとにかく重い...

    動物愛護ボランティアの夫婦をせせら笑い、ボランティア女性の容姿を痛烈に批判しながらも結局セックスしちゃう。
    黒人コミュニティを下に見て説教じみた話をするわりに、隣人が仕組んだと思われるレイプについて核心をついた言葉は言えない。
    元妻にも娘と自分が受けた襲撃についてしっかり話さない。

    どの局面でも主人公は自己中かつ中途半端だし、それ以外の登場人物全員に感情移入できなかった。
    動物愛護ボランティアの夫だけはいい人だったかも。一度会っただけの主人公を病院まで迎えに来てくれたし。

    主人公の娘がレイプされた後にとった行動、黒人コミュニティに迎合するためには仕方ないのかもしれない。
    とはいえ大切にしてきた自分の農場や犬たちを諦めて、素性のしれない男の子供を身篭って、これからの人生を隣人に隷属したまま過ごすのは幸せなのか?
    元恋人の女性が新天地へ旅立ったように、別のコミュニティでイチからスタートしてもいいのでは...
    レイプ犯の少年が隣人の妻の弟かつ障害があるからって、全てを赦すのは違うでしょ!と叫びたくなった。
    キリスト教的な風土があるとしてもちょっと違うよなあ。

    隣人と主人公の噛み合わない会話はイライラするし、犬の殺処分に対する主人公の考え方の変遷→やっと「愛」を理解する気持ちになったのかな?→また路上でひっかけた若い女と寝るっていうズコー!な行動もモヤモヤした。

    このようにイライラモヤモヤしながらも、どんどん読み進めたくなる不思議な魅力があった。
    男と女・親と子・黒人と白人・都会と田舎・人と動物、さまざまな対比で物語は進んでゆき、放り投げるように終わりを迎える。

    動物愛護過激派の私にはつらいシーンが多かったけれど、何年か寝かせて再読したい一冊でした。

  • ずどんと重いものが内臓に残るような読後感。
    ルーシーの存在は、彼の「女を組み敷きたい」という暗い欲望がどこに繋がっているかをまざまざと見せつける。女がすべて彼の人生の彩りでしかない(彼がルーシー以外の女性を人として捉えられない)状態から、主人公を徹底的に引き摺り下ろす。

    羊の命にこだわり、土地の風習に抵抗していた彼が、最後に手放すものが悲しい。

  •  都会的で女遊びが好きな大学教授が、社会的に転落した結果、新しい愛と多様性の受容を達成する話。後半に娘の家で強盗に襲われてからの話は深くて切れ味があって良いのだが、前半の転落するところまでのスケベ親父っぷりがひどくて引いた。
     全体としては、人生も後半になって大きな内心の変化に至るまでの主人公の心情がとてもよく書かれているし、訳文も端正さと切れ味がよく文句なし。

  • 主人公のじじいが最初からかなりキモくて、やってることは買春だったり強姦だったりするのに「やれやれ」「おやおや」みたいなテンションを保つので混乱する。大物ポエマーで、妄想ひとつをとってもくどいしキモい。キモい。とにかくキモい。主人公の存在自体が盛大な皮肉で、あとあと受ける辱めこそが核なんだろうと思っていたのに、主人公ずっと楽しそう…。

  • 当たり前な感想だけれど、人間を描いた作品だと思う。

    変わりたくない人間が変わりゆく状況によって徐々に変わる様には悲哀を感じる。運命なんて大それたものじゃなくても、人間は周囲の変化に影響を受け、翻弄されるわけだ。

    深く味わうこともできるだろうけど、浅く読んでも十分面白い。
    時を経て読み返したいと思える。


    翻訳については、好みが分かれる気がする。
    鴻巣氏があとがきに記すように原文は「淡々と」しているし、それにあわせてあっさり訳そうとしているのも伝わってくる。ただ体言止めが多かったり、代名詞のheを「彼」とするのにこだわっていたり、普通なら過去形で訳すところを終始現在形で訳しているところなどは、訳の個性が前面に出ている。人によっては「これは翻訳小説なのだ」と意識してしまうかもしれない。
    確かに、クッツェーが日本人だった場合、こうした文体を駆使することも否定できないが、彼自身の飾らない簡潔な文体から、それは想像できない。
    ちなみに個人的には嫌いではない。
    特に主人公ラウリー教授の台詞・言い回し方などは、さもあらんと思わされる。

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著者プロフィール

1940年、ケープタウン生まれ。ケープタウン大学で文学と数学の学位を取得して渡英、65年に奨学金を得てテキサス大学オースティン校へ、ベケットの文体研究で博士号取得。68年からニューヨーク州立大学で教壇に立つが、永住ビザがおりず、71年に南アフリカに帰国。以後ケープタウン大学を拠点に米国の大学でも教えながら執筆。初の小説『ダスクランズ』を皮切りに、南アフリカや、ヨーロッパと植民地の歴史を遡及し、意表をつく、寓意性に富む作品を発表して南アのCNA賞、仏のフェミナ賞ほか、世界の文学賞を多数受賞。83年『マイケル・K』、99年『恥辱』で英国のブッカー賞を史上初のダブル受賞。03年にノーベル文学賞受賞。02年から南オーストラリアのアデレード郊外に住み、14年から「南の文学」を提唱し、南部アフリカ、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国をつなぐ新たな文学活動を展開する。
著書『サマータイム、青年時代、少年時代——辺境からの三つの〈自伝〉』、『スペインの家——三つの物語』、『少年時代の写真』、『鉄の時代』、『モラルの話』、『夷狄を待ちながら』、『イエスの幼子時代』、『イエスの学校時代』など。

「2023年 『ポーランドの人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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