- Amazon.co.jp ・本 (450ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200519
感想・レビュー・書評
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めちゃくちゃいい本でした❕
著者の作品は、めちゃくちゃ計算された構成で、話がどんどん展開され、グイグイ引き込まれます。
タイトルの「私を離さないで」は、作品中の歌の歌詞に出てくる言葉ですが、この言葉がタイトルになっているのは、深いです。
なんとも言えない読後感になります。。。
著者の新作「クララとお日さま」も読んでみたくなりました。
ぜひぜひ、読んでみてください -
遅まきながらノーベル文学賞受賞おめでとうございます!
日本人3人目ということで、これまで読む機会がありませんでしたが、カズオ・イシグロの本を読む良い機会になりました!
独特の世界観の下、物語の詳細な背景や理由はついぞ明らかにされないものの、現実には哀しく辛いテーマであり社会的にも重たいテーマであるにもかかわらず、終始一貫した作者の温かい眼差しのおかげで、何とも言えない深い余韻のうちに物語を読み終えることができました。
主人公で語り部であるキャシーが介護人をしながら回想する「寄宿学校」ヘールシャムでの思い出は、時系列にではなく、縦横無尽に時間を往来します。しかし、それによって物語の筋は大きく崩れるわけではなく、むしろ読者であるわれわれの物語への深度が強まるのは、作者の卓越した文章力のためであるでしょう。
当初は普通に幼少年期の思い出を辿っているのかと思いきや、合い間合い間に次第に登場する違和感のある単語たち。
日常の物語に紛れその違和感を何となくスルーしてはみるものの、用法が明らかにおかしい言葉が増すにつれて、だんだんと尋常ならざる世界が見えてきます。
普通でない世界で展開される主人公を取り巻く学校生活の描写は、それなりに面白く、ぐいぐいと引き込まれていきます。
そんな中、主人公のキャシーと友人のルース、そしてみんなからバカにされながらも感性が豊かな男の子トミーの三者の関係が提示され、物語の輪郭が徐々に見えてきます。
最初から全てを説明せず、ゆっくりと浸み込ませるように輪郭を明らかにしていく手法はさすがに上手いと思いました。
その後、輪郭が明らかになった後も以前として引っかかるもどかしさを抱えながら、舞台はコテージに移り、そしてさらにノーフォークへ。
主人公のキャシーとトミーが連れだって、『私を離さないで』の曲を見つけ出す場面などは、映画のワンシーンのようでとても楽しかったです。ヘールシャム時代、まだ幼かったキャシーが『私を離さないで』の曲とともに踊っていたシーンも印象的でした。
舞台がコテージに移ってからは、ルースとトミーのカップルと主人公のキャシーの関わり方、これに先輩カップルが加わって関係が一層絡まっていきますが、セックスの話が増えだして、これは終盤に向けての「生」への前振りかなとも思ったのですが、これには見事に作者に裏をかかれてしまいました。
コテージを後にしたキャシーが介護人になってしばらくしてからのルースやトミーとの再会は、むしろ辛さが先に立ちますが、相変わらず柔らかい視点での描写が程良いオブラートになっていて、彼女らの最後の勝負に向けての勢いも増していくので、物語への興味が失われることはありません。
しかし、最後に明らかになったことは、結局、エミリー先生とマダムがしてきたことは、例えていうと、養殖の高級魚にキャビアとかトリュフを与えて世話をしているようなもの?あるいは豚や牛や鶏にフォアグラを与えて世話しているようなもの?さらにはそのアヒルを広い庭の中で自由で快適に暮らさせているようなもの?とも思え、まさに放逐されたルーシー先生が読者の葛藤を代弁していたんですね。
改善を努力してきたというエミリー先生とマダムって・・・。何とも言えない感覚になりました。
そしてここに至り最後は「運命」に諾々と従うキャシーとトミーの2人。
諦観とやるせなさと大切な「時間」とお互いを思いやる気持ちが複雑に入り混じり、深い余韻のままに物語が終わります。
この作品では絵とかカセットテープとかの小道具から、「寄宿学校」やコテージ、船などといった大物まで、印象的な造形物が巧みにシーンの中に「柔らかさ」として使われていて、さらに生徒同士、先生や仲間との会話に繊細さと迫真さがこめられながらも全体として抑制が効いていて、物語の構成上の「優しさ」が滲み出ていた作品でした。
インパクトとしては半減したかもしれませんが、心に刻み込まれた分、事あるごとに印象として再現してくるのかもしれません。
さあ、果たして日本人4人目は・・・? -
わたしを離さないで カズオ・イシグロ氏
1.購読動機
日の名残り。そのあと、巻末、アマゾンレビューを参考に二冊として購読しました。
2.衝撃
購読完了してから、一か月が経過しました。
通常は、感想を即日書く人間です。
この、わたしを離さないで は、何をどのように解釈したらよいのか?の惑いがありましたため、感想を整理できないでいました。
3.戸惑いとその理由
この物語は、社会的に一つのミッションをもつ人間、それも成人前から成人に至るまでの機微な感情、喜怒哀楽を織り交ぜながら展開します。
私の戸惑いの理由は、このミッションでした。
物語が進むにつれて、このミッションの内容を正確に知ることになります。
その時、わたしのようにページを進める勇気を躊躇した読者の方もいることでしょう。
なぜならば、そのミッションは、自身の臓器を他者に提供することなのですから、、、。
4.本書を読み終えて
介護そして医療の日常に、最近では技術進歩著しく人工臓器の話題も見かける現代となりました。
著者のカズオ・イシグロ氏は、わたしを離さないでの主人公を通して、何かの主張をしているようには思えません。
読者のわれわれに解釈を委ねているようにも思えます。
だからこそ、わたしは、また、カズオ・イシグロ氏の本を手にとるのかもしれません。
#読書好きなひとと繋がりたい
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すごかった。びっくりした。
涙が出るってよりは、胸が締め付けられて苦しいって感じ。
激しく心を揺さぶられて上手い感想が思いつきません。
とにかく圧倒的な描写力。
書かれているのは日常生活にある本当に些細な出来事なのに、
色や匂いを伴うくらいに鮮明に頭に描けます。
SFってことに全く気付かなかったくらい。
そして、このお話のある秘密。
何となくな予感を促すポイントがあちこちに散っていて、
せっかちな私は先に急ぎたくなるんだけど、
絶妙なタイミングで躊躇いもなく明かされます。
もう操られてるんじゃないかって思っちゃう。
使命を終えるまでの短く儚いスケジュール。
淡々と運命を受け入れて暮らす登場人物たち。
そのリミットのない私たちは生きている間に
何をし、何を考えるのか。静かに残酷に問う作品でした。-
「静かに残酷に問う作品でした。」
人間の心って、根っこのところでは変わらないと思っていたのですが、本当は違うのかも知れない。
そう思えてしま...「静かに残酷に問う作品でした。」
人間の心って、根っこのところでは変わらないと思っていたのですが、本当は違うのかも知れない。
そう思えてしまうのが恐かった、、、2013/05/16
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物語に力がある小説というのは、よくも悪くも余韻がある。
読み終えた後に、何度も何度も物語の意味を考えたり、登場人物の書かれていない行間に潜めいた感情を思ったり、物語の中に取り残される。
この話にはそんな力があると思います。
読んで数日、私はこの物語のことばかりを考えてしまいました。
幸か不幸かはこの物語は大して重要じゃない。
読み終えた後、もやもやする方も、意味が分からないと匙を投げたくなる方も、切なさや悲しみを覚える方も、結局の所この物語が持つ引力に引き込まれたのでは。
そんなよくも悪くも「嵌って」しまう魅力がある一冊です。
多くの情報を入れずにこの話を読むことをお勧めしますが、
個人的には、「ノーフォーク」という場所のエピソードが胸に刺さりました。
ノーフォーク、遺失物保管所。
亡くしたものが必ず見つかる場所。
彼らが失ったものは一体なんだったのか、見つけたものは何だったのか。
見つけたものは思い出のテープだけなんかじゃなかったし、彼らがノーフォークで本当に取り戻したかったものはそんなものでもなかった。
日本の小説とは違い、細部まで抑制の利いた語りすぎない物語です。
個人的にはいつも海外物で気になってしまう訳し方も気にならず、素敵な文章でした。
映画とセットで見るのもいいと思います。
映画を見てから小説にたどりつくのも悪くない。
この映画の風景を取り出しているすばらしい映画だったと思います。
ぜひとも自分なりの出会い方で出会ってほしい一冊。 -
静寂とも感じる子供時代の日常を淡々と綴る。語られる少年少女は至極普通の感情を持ち、優秀さまでも感じさせる。静寂に密かに浸透していく異物、理不尽な定め。
最後まで、抑圧されたような文章がその悲哀を一層引き立てる。
以前、ドラマを観てしまい、読んだような気分になっていたが、テレビを消して本屋に走るべきだった。 -
ノーベル賞を受賞し、有名になってからしたり顔で読み出す自分はミーハー野郎であると自覚はしているのですが、想像以上に感動してしまい、強く心を動かされてしまいました…広島旅行中にもかかわらず、何も頭に入ってこないレベルにです。笑
ご存知の通り本作は、将来的に臓器を提供することを目的に生まれ育てられた若きクローン達を巡る物語。内容からしてSFのジャンルに含まれることが多いけど、SF的な要素は割と少なくて、行き過ぎた科学に対する批判とか、生命の尊厳といった道徳的な問題にまで言及することは特にないんですね。
これはNHKの文学白熱教室でカズオイシグロ氏が語っていた、「描きたいテーマがあり、それを表現するために舞台を選んでいるのであって、舞台設定そのものは特に重要ではない」という内容をよく表しているなと思いました。(実際、カズオイシグロ氏は、日本を描いた初期作品では日本という特殊性ばかりが注目されるのを嫌がり、初期作品のテーマはそのままに舞台を英国に移した「日の名残り」を完成させ、自分が描いているテーマは普遍的であることの証明に成功した…とのこと)
話を戻すと、本作ではSFチックな前提を敷いているものの、そこに焦点はあてられていない。そうではなくて、その前提があることで「命に限りがある若者たち」を生み出すことが出来ていて、その群像劇が儚さや別れの悲しさをうまく描いているのかなと思いました。
実は同じ様な感動を覚えた作品として、「レナードの朝」という映画がありまして。この映画は実話をベースにしているのですが、「眠り病」という不治の病により長年植物状態にあった患者たちが、ある医者の努力により一時的に目覚めるものの、最後はまた元に戻ってしまうという物語です(「アルジャーノンに花束を」に結構近いですね)。この映画も別れの悲しさを描いているのですが、悲しい話のはずなのに不思議な温かさがある、というところが本作とよく似ている点でしょうか。
本作では「記憶」という側面がフォーカスされていて、カバー表紙にも描かれているカセットテープがその象徴となっているように思います。どれだけ悲しい別れがあっても、記憶があれば前を向いていける。本作には、悲しいだけではなく、そういう優しさがあるからこそ、こんなにも自分の心を動かしたのかなと思っています。素晴らしい作品でした。 -
なにも知らずに読んだので驚いた。
読んだ後も色々考えさせられる本。