わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200670

作品紹介・あらすじ

細密画師の惨殺事件につづき、第二の殺人が起きる。いまだ捕えられていない犯人の動機は、すべてあの装飾写本にあるのだと囁かれる。皇帝の命令により、カラは犯人を探すことになった。だが、一連の事件は、恋仲となった従妹シェキュレとの新生活にも暗い影を落とす-個性豊かな語り手たちの言葉から立ち上る、豊穣な細密画の宇宙。東西の文化の相克と融和を描き出し、世界が激賞した第一級のエンターテインメント大作。

感想・レビュー・書評

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  • イスラムと西欧の対立を、イスラム伝統の細密絵画の世界を舞台に、美的観念や様式、技巧の対立という側面から描いた本作。

    繁栄に陰りがみえる1591年のオスマン帝国の首都イスタンブール。
    冬の寒い夜、高名な宮廷細密画家の1人「優美」が何者かに殺害されます。
    異国から帰国したばかりのカラは、彼の叔父が皇帝の密命を受けて製作を指揮する装飾写本の中の細密画のせいで優美が殺されたと思しきことから、叔父の命令を受けて事件の真相を探る役目を追うことになりますが…。

    偶像崇拝を禁止するイスラムの特性を基盤に、東のペルシアや中国の様式を取り入れながら、定まった厳格なルールの下、古の物語や行事を記す書物を飾るための「挿絵」として描かれ、画家個人の様式や技巧、描かれる人物や事物の写実性を認めてこなかった細密画。
    それは、西欧において確立された、写実性や遠近法、画家たち個人個人が生み出す技巧や様式を駆使して描かれる、物語を持たない肖像画とは相容れないものでした。
    イスラムにとって、西欧の絵画様式は、神が創り、眺める世界をそのまま写し取る冒涜と思われていたのです。

    しかし、信仰的、政治的、軍事的に長年の敵であるはずの西欧の様式に興味を抱いた皇帝や、その命を受けて動き、自身も西洋の様式に狂おしく魅せられているカラの叔父は、神の禁忌を犯すのを恐れながらも、西洋の様式を取り入れた装飾写本を製作しようとし、その全貌を明らかにしないまま、高名な細密画家たちに仕事をさせていたのです。
    そして、優美殺しの犯人が見つからないまま、第二の殺人が起こり…。

    物語は、カラ、おじ上、細密画家たち、カラの想い人であるシェキュレやその息子、優美の屍、はたまた、紙に描かれた犬や木、色彩の「赤」などの人外に至るまで、何度も何度もめまぐるしく一人称の語り手を変えながら、展開していきます。
    それはまるで、一つの視点を定めるからこそ生まれる遠近法を最後まで許さなかった細密画の特性を文体化しようと試みた、トルコ人でイスラム教徒でもある作者の、自国の伝統文化への敬意や一種の西欧文化への挑戦のようでもあります。

    物語の最後、殺人事件の犯人が明らかとなりますが、その結末は、オスマントルコの健闘空しく、絵画様式だけでなく、政治的・軍事的にも、イスラム文明と西欧文明の均衡が破れ、西欧化の波にのまれれてゆく未来の歴史を暗示するかのようで、どことなく物悲しい気持ちになりました。

    余談ですが、作者のパムク氏は、谷崎潤一郎のファンだとか。一度は西欧に傾倒しながらもやがては失望し、自国の文化や古典に耽溺した姿にシンパシーを感じているのだそう。確かに、どちらの作品も、自国文化への強い愛や誇りを感じる点では、共通点がありますね。

  • 上巻での犯人探しやカラとシェキュレのラブストーリーは下巻になると傍流に、細密画の世界にどっぷり漬かされた。それはもう息が詰まるほど。私が絵を鑑賞する時は空間的な奥行きや立体感、画家の個性に目を奪われる。ところがそれらを一切否定するのが細密画の奥義で、その根底にはイスラムの教えがある。純粋に守り通そうとする絵師と、西洋の様式と交じり合い新境地を開こうとする者との狂気に至る葛藤。赤い鮮血が迸り、嘆きの叫び声が聞こえくる。今は失われた芸術へのレクイエム、悲しみの残響だ。東と西の接地点トルコにしか語りえない物語。

  • 上巻から、「わりとのんびり話が進むなあートルコ人のペースなのかなー」と思っていたら、最後の200ページは怒涛の展開だった。たくさんの人が長い間心血を注いできたものが崩壊していく様はなんとも胸が痛い。彼らのように、仕事と自分と人間関係と宗教が固く結びついていたら、立ち直りようがない気がする。

    後半はシェキュレやエステルが遠景に引いて、工房の男たちの愛憎ドラマが展開するんだけど、まぁー熱い熱い。男同士がアリな世界で二十年以上かけて育てた濃ゆい思いがばっしばしに叩きつけられるのを、口を開けて見てるしかなかった。なんだろう、大家族の因縁話と運動部の引退イベントをまぜこぜにしたような、暑苦しくて、でも否応なく心揺さぶられる物語だった。

    最後にはその後のカラとシェキュレの話がそっと添えられていて、ようやく気持ちを落ち着けて本を閉じることができた。カラって最後まで幸薄いやつだったのね。初恋の人と結ばれたのに。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「でも否応なく心揺さぶられる物語だった」
      色々と考えさせられながら、楽しませて貰いました。もう一度読めば、 オルハン・パムクが言いたかったコ...
      「でも否応なく心揺さぶられる物語だった」
      色々と考えさせられながら、楽しませて貰いました。もう一度読めば、 オルハン・パムクが言いたかったコトがもう少し見えるかも知れない。
      そうしたら、なつめさんのレビューのように、上手く書けるかな?
      2012/09/18
  • 難解な部分が多かったが、続きが気になってページをめくる手を止められなかった。苦手な描写(グロい系)がけっこう出てくるのはきつかった。

    この話いるのか?っていう歴史や文学の話や、細密画に関する議論が延々と繰り返されるが、それが最後につながっていく。

    訳者あとがきでは、予備知識がなくても楽しめるとは書いてあるしその通りなんだけれど、イスラム文化圏の知識があったらもっと楽しめるんだろうなという内容なので、解説付きで特集を組んで説明してほしい。

  • 上巻の「赤」が恍惚として扇情的で、色鮮やかな原色の「赤」だったとしたら、下巻の「赤」は暗く、深く、いくつもの色が混ざり合った「赤」なのだろう。
    幾つもの血が流され、混じり合い、赤は濃さを増していく。トルコという地で東と西が混ざり合い、16世紀という時代に旧い様式と新しい手法が交わり合ったみたいに。

    『お前はどうして純粋であろうとする? わたしたちのようにここに留まれ。そして交わり合うんだ』
    一つの文化が失われていく瞬間が、一人の絵師の死という形で語られているように思った。その絵師に掛けられるこの言葉は、混じり合う文化の中で失われてしまった「細密画」そのものへの哀惜と追悼の辞に思える。

    今度の休みには美術館に行ってみようかな。
    近くに細密画が見られるような所があればいいんだけど。

  • イスラム教では偶像崇拝が禁止されている。そしてそれが徹底しているが故に絵画芸術の発展が非常に限定的になってしまった。
    神を現した像も、絵もその制作は許されない。絵に描けるものは神の眼で見られたものだけに限られる。このため、描かれるものは、先人が描いたものの範囲を超えることはなく、絵を描く者はひたすら模倣し続けるしかない…

    そうした中でも細密画というものは発展し、名人と呼ばれる芸術家を輩出もする。

    しかし、西洋絵画の発展が、細密画を追い詰めていく。
    作品を芸術家そのもののものとすること、すなわち署名。そして、遠近法。
    細密画は神の眼を通したものであり、細密画師個々人の手によるものの、無名(アノニマス)なものにしかなりえない。

    この小説は16世紀のイスタンブールの王室の細密画工房を舞台としたもの。
    一人の細密画師が殺され、やがて、第2の殺人が、その背景には、描かれてはいけない絵が絡んでいるという…
    章ごとに語り手が変わり、登場人物以外にも時に死者が、絵に描かれた者や物が話を進めていくという手法は結構斬新。この時代のイスタンブールが彷彿される情景描写も素晴らしい。何といっても小説としてかなり面白く、読ませる本。
    日本ではほとんど知ることの無い細密画の歴史にも触れることができるという点も興味深かった。お勧めできる本。

    作者のオルハン・パムクはノーベル文学賞を受賞した人。訳者の宮下遼氏は仏文学者宮下志朗氏のご子息。宮下司朗氏は「本の都市リヨン」を書いた人で、この本も面白かった。

  •  数ヶ月前に読んだ同じ著者の『赤い髪の女』がとても面白くて、ぜひ同じ著者の本を読んでみたいと思って読んだ本。歴史と美術が関係していてミステリーらしい、ということがあらすじで分かり、なんかダヴィンチ・コードみたい、ぜひ読んでみたい、と思って読んだ。「訳者あとがき」に書いてあるあらすじがとても分かりやすいので、少し引用する。
     「舞台はイスラム暦一千年紀の終わりがおし迫る十六世紀末のイスタンブル。半世紀前には栄華を極めたオスマン帝国も、隣国であるサファヴィー朝ペルシアとの長い戦に疲弊し、巷には雁金が横行、人々は音曲や絵画、葡萄酒や珈琲に耽溺し、そうした不品行を過激に糺そうとするエルズルム出身の説教師とその一党が帝都には跋扈している。そんなある日、皇帝の細密画工房に属する絵師が何者かの手によって謀殺された。その背後には、愚像崇拝を固く戒めるイスラムの教義とは相いれない、秘密の装飾写本の存在が見え隠れするのだが、犯人の正体は杳として知れない。ときを同じくして十二年ぶりに帰京した主人公の一人カラは、否応なしにその事件の解決を迫れていくー」(p.427-8)という話。それぞれの章で、「わたしは○○」と言ってそれぞれの立場でストーリが語られていき、死人や動物、悪魔までが話し出し、タイトルにもなっている「赤」色が自分のストーリーを語るという、何とも独特な形式。「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」という章がいくつか挟まったりして、ドキドキしながらページをめくることになる。
     (ここからはネタバレになります。)正直言って、結構読むのにエネルギーを使った。中東の歴史におれが馴染みがないことも大きな理由だし、結構ストーリーの展開がゆっくりで、なかなか見えてこない。あと、拷問とかグロテスクな描写とか、生々しい筆致はすごいと思うけど、別にそんなに読みたい内容ではないし。さらに、カラの相手で、物語の半分くらいに出てくるシェキュレという女が気に入らない。なんて自分勝手なヤツなんだ、という不快感で、読んでいて疲れていた。ただこのシェキュレの台詞で、「神様、どうかお力をお貸しください。愛とは無為に苦しむためのものではなくて、あなた様の御許へ至る道のはずでしょう?」(p.34)ってなんか遠藤周作みたいだなあとか思ったけど。そして、ここからは本当にネタバレになってしまうが、『赤い髪の女』で感動したどんでん返しが、なかった。最後の最後の方、4人のうち犯人が誰なのか、というところまで来るが、実は4人のうち誰かと思わせつつ全然違う人物が犯人であることを期待していたが、遂にその中の1人だった。そしてその1人が犯人だからと言って、別に何の驚きもなく、終わってしまった。なので、文庫本2冊読んだけど、スイスイ読んだというよりは、義務感に駆られて読んだみたいになってしまった。でも確かにドキドキしたところはあるのは確かだし、いくら展開は遅くても結末を知りたいという気になりつつ結局最後まで読んだのだから、すごい本といえばすごい本なのは確か。(24/04/05)

  • 冗長な部分を読み飛ばしてしまった。
    オスマン棟梁はカラと一緒に犯人探しをしてるのかと思ったら、実はそうではなく、工房の様式を守ることに固執して?自分の眼を潰してしまうというあたり、よくわからない展開。

    確かに『薔薇の名前』に似た要素が多いけれど、視点が次々変わる形式のせいか、(写実的に描かないという細密画と同じように)制限された表現のせいか、背景に馴染みがないせいか、読みにくさがある。

  • これは、、、ミステリーなのかな、、、。

    細密画の様式から犯人を推理していくシーンがスリリングなんだろうけど、全然分からん。

    様々な当時人物ばかりか人以外の物まで語り手として登場し、多視点で物語られる物語は、常に緊張感をはらんでいて面白い。

    背景知識が乏しかったのでよく分からないところも多かったけれど、それでも十分に面白かった。知らない世界だから面白いし、こんだけ人を惹きつけている。さすが、ノーベル文学賞作家。

    『雪』と本作、長年の積読作品がようやく読めた。

  • 西洋美術の卓越と限界、そして、イスラムの細密絵師の世界を対比する形で、物語は進み、終わる。

    謎解きの要素は少ない。

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著者プロフィール

オルハン・パムク(Orhan Pamuk, 1952-)1952年イスタンブール生。3年間のニューヨーク滞在を除いてイスタンブールに住む。処女作『ジェヴデット氏と息子たち』(1982)でトルコで最も権威のあるオルハン・ケマル小説賞を受賞。以後,『静かな家』(1983)『白い城』(1985,邦訳藤原書店)『黒い本』(1990,本書)『新しい人生』(1994,邦訳藤原書店)等の話題作を発表し,国内外で高い評価を獲得する。1998年刊の『わたしの名は紅(あか)』(邦訳藤原書店)は,国際IMPACダブリン文学賞,フランスの最優秀海外文学賞,イタリアのグリンザーネ・カヴール市外国語文学賞等を受賞,世界32か国で版権が取得され,すでに23か国で出版された。2002年刊の『雪』(邦訳藤原書店)は「9.11」事件後のイスラームをめぐる状況を予見した作品として世界的ベストセラーとなっている。また,自身の記憶と歴史とを織り合わせて描いた2003年刊『イスタンブール』(邦訳藤原書店)は都市論としても文学作品としても高い評価を得ている。2006年度ノーベル文学賞受賞。ノーベル文学賞としては何十年ぶりかという

「2016年 『黒い本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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