シーラという子: 虐待されたある少女の物語

  • 早川書房
3.83
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152079992

作品紹介・あらすじ

その子は、垢で黒ずんだ顔に敵意むきだしの目をした、六歳にしてはずいぶんちっぽけな子供で、ひどい臭いがした-名前はシーラ。季節労働者用のキャンプに住み、傷害事件を起こしたために精神病院に入ることになっていたが空きがなく、著者トリイの教室に送られてきたのだった。トリイは、あらゆる障害児教室から見放された自閉症や強迫神経症の子供たち八人をすでに抱えていた。シーラは、決してしゃべろうとせず、泣きもせず、何かやらせようとすると、怒りくるい金切り声をあげて大暴れする。ただでさえデリケートな子供たちがパニックに陥った。こんなに扱いにくい子供ははじめてだった。けれども辛抱強く接していくうちに、彼女が知的障害児どころか、ずばぬけた知能の持ち主であり、そして、心身に虐待による深い傷を負っていることがわかる…。家庭内暴力、貧困、性的虐待に蝕まれた少女が、堅く閉ざされた心をおそるおそる開き、ひとりの献身的な教師と深い信頼の絆で結ばれてゆく姿を描いた全米ベストセラー。22カ国語に翻訳され、世界じゅうで大きな反響を呼んだ感動のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、トリイ・L.ヘイデン さん、どのような方か、ウィキペディアで見てみましょう。

    ---引用開始

    トリイ・ヘイデン(Torey Hayden、1951年5月21日 - )は、アメリカ合衆国の児童心理学者で、特殊学級の教師、大学講師、作家である。モンタナ州リビングストン生まれ。 情緒障害児教室や福祉施設での児童との交流を綴った『シーラという子』などのノンフィクション作品のほか、数冊のフィクション作品も産み出している。

    ---引用終了

    1951年生まれとのことで、本作を書かれた時の著者の年齢は28歳位と思われます。


    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    その子は、垢で黒ずんだ顔に敵意むきだしの目をした、六歳にしてはずいぶんちっぽけな子供で、ひどい臭いがした-名前はシーラ。季節労働者用のキャンプに住み、傷害事件を起こしたために精神病院に入ることになっていたが空きがなく、著者トリイの教室に送られてきたのだった。トリイは、あらゆる障害児教室から見放された自閉症や強迫神経症の子供たち八人をすでに抱えていた。シーラは、決してしゃべろうとせず、泣きもせず、何かやらせようとすると、怒りくるい金切り声をあげて大暴れする。ただでさえデリケートな子供たちがパニックに陥った。こんなに扱いにくい子供ははじめてだった。けれども辛抱強く接していくうちに、彼女が知的障害児どころか、ずばぬけた知能の持ち主であり、そして、心身に虐待による深い傷を負っていることがわかる…。家庭内暴力、貧困、性的虐待に蝕まれた少女が、堅く閉ざされた心をおそるおそる開き、ひとりの献身的な教師と深い信頼の絆で結ばれてゆく姿を描いた全米ベストセラー。22カ国語に翻訳され、世界じゅうで大きな反響を呼んだ感動のノンフィクション。

    ---引用終了

  • とても切ない話。でも最後はジーンとくる。

  • 16歳の時に出会った本。
    この本にあの時出会えていた事は本当に大きかったなぁ。当時何度も読み返したのを覚えている。

    そして自分の子供達にも紹介して読んでもらった。それほど心に残っている本。

    また読みたいなとふと思い出したのでここに記録。

  • シーラの切ない印象、成長の変化と芯の強さに心打たれる
    小さな約束を大切にすることが子供にとって強い生きる実感となるんだと思った。小さな裏切りさえいつ誰にとってもつらいが、彼女に勇気付けられるごとに人間の関係の大きな温かみを覚える。

  • 母親に捨てられ愛に飢えたシーラと、「頭のおかしい子のクラス」を教えるトリイ。

    トリイのひたむきな愛がシーラを少しずつ変えていく。自らもボロボロになりながらも、子どもたちのことだけを考えて行動できる彼女を尊敬する。


    何よりもわたしが感服したのは、シーラに猥褻なことをしたジェリーを、ただ汚らわしい、犯罪者だと糾弾するのでなく、シーラと同じように彼にも傷があるのだと気づけるところだ。
    この部分を読んだとき衝撃を受けた。
    その通りなのだ。シーラに火傷を負わされた少年やその家族からすると、シーラだってジェリーと何ら変わらないのだ。
    少年を焼き殺そうとした女の子は、残酷なことが好きなわけではなく、そうなるに至るまでの彼女にしか分からない辛い過程があったのだ。

    過程を知ろうとすること。

    自分の大切な人が傷つけられたとき、そこに目を向けることはとてつもなく難しい。

    それが出来るトリイを心から尊敬する。

  • 10代の頃好きだった本
    また読み返したい

  • シーラの気持ちや動揺、「どうしてこんなことしてくれるの?」できごとのとらえ方、そういうの、
    文章化されてて消化されるというか、
    癒しになるというか、

    トリイさんもまだ荒削りなところがまたとてもいい。正直で。

    気持ちのやりとりが、できごとが、現実としてこれが日常だったら、とても受けとめきれないけど、
    本の中で体験できることがすごく助かる。

  • サブタイトル『虐待されたある少女の物語』
    この物語がノンフィクションのなかと、衝撃を受ける。

    田村一二著『忘れられた子ら』のシリーズと図書館などで出会ったら こちらの本も開いてほしい。

  •  ストーリィはノンフィクションで、だから言葉が多少飾られていたとしても、子供の感受性とどのように事件や精神障害を作り上げていくのか、その可能性の中にはどのようなことまでが含まれるのか、が知れる。大抵の子供はとても素直で、環境によってまたそれに対応する形で性格が生成されているのがよく分かる。まあ、恣意性なんて入りようがないだろうし。

     それよりも驚いたのは、周りの反応である。
    例えば、アマゾンの
    「偽善的だと思う。, 2005/08/22」
    ~一気に読めました。よくできた読み物でした。でも複雑な気持ちです。この主人公が優秀な教師であるのはよくわかります。この先生の業績はまるで奇跡のようです。でも普通に恵まれて育った高学歴な人の能天気な発想と視点に疑問を感じる点が何カ所もありました。シーラは生まれたときから過去も今も未来も毎日24時間ずっと、その過酷な人生に揉まれていかなければいけない。でもこの筆者は安全な世界に生まれ育ち、勤務時間だけシーラの世界をいじりまわし、自分のキャリアの都合で恵まれない子たちのもとを去り、でもめぐまれない子をネタに論文を書いていくつも学位を取り、恵まれない子たちのことを書いて本にしてお金を儲ける。仕方のないことだけれど、私はこの作者には何か納得いきません。~
    という投書。
    この投書は子供とどのように接するかを狭い視点で規定していると感じる。ベストを求めてベターを切り捨てているのではないか。もちろんこのような話には賛否両論が多いのだろう。
     

    このエピローグを読んで泣きそうになった。

     一年ほど前、濡れた跡のある、くしゃくしゃのノートの切れ端に青いフェルトペンで書いたものが郵送で送られてきた。他には手紙も何も同封されていなかった。

     トリイへ、いっぱいの‘愛’をこめて
     他のみんながやってきて
     わたしを笑わせようとした
     みんなはわたしとゲームをした
     おもしろ半分のゲームや、本気でやるゲームを
     それからみんなはいってしまった
     ゲームの残骸の中にわたしを残して
     何がおもしろ半分で、
     何が本気なのかもわからずに
     ただわたしひとりを
     わたしのものではない笑い声のこだまする中に残して

     そのときあなたがやってきた
     おかしな人で
     とても普通の人間とは思えなかった
     そしてあなたはわたしを泣かせた
     わたしが泣いてもあなたは大して気にかけなかった
     もうゲームは終わったのだといっただけ
     そして待っていてくれた
     わたしの涙がすべて歓びに変わるまで

  • 「情緒障害の子どもたちとすごしていてイライラしませんか?」

    著者は、よくこの手の質問を受ける。この本はたった一人の子どもについて書かれたノンフィクションだ。そして先の質問の答えでもある。

    精神遅延や、情緒障害、身体的な障害を持つ子どもたちのクラス。さらにそのどのクラスからも見捨てられた子どもたちをトリィは教えていた。そこに1人の女の子が送られてくる。近所の3歳の男の子を連れ出し、木に縛り付けて火をつけたという6歳の少女・・・名前は『シーラ』。

    シーラはまるで野獣のようだった。6歳にしてはちっぽけで、垢で黒ずんだ顔をしており、ひどい臭いがした。けして泣かず、常に敵意をむき出しにしている。こんな扱いにくい子どもは初めてだった。

    けれど、じょじょに打ち解けていくうちに、シーラがずば抜けて高い知能を持つことが分かる。そして虐待により心身に深い傷を持つことも・・・



    10年ほど前になりますがこの本を読んでなんとも言えない衝撃を受けました。まだ、虐待という言葉が今ほどメジャーではなかったころで、こんな扱いを受けている子がいるのかというショックと同時に、他国の話として実感が湧かなかったことも事実。ですが、昨今の日本では虐待されている子どもたちも増え、命を落とす子すらいるという現実がとても哀しいです。

    「なぜ、あたしにやさしくするの?あたしにやさしくしてくれた人なんか誰もいない」
    シーラは世界をすべて敵と見ていました。なぜなら愛されたことがないから。貧困の中で育ち、アルコールと薬物依存の父親には躾と称する暴力を受け、母親には4歳のときに捨てられます。走る車から言葉通り捨てられたのです。

    そんなシーラにとって、トリィが絶対的存在になるのは仕方がないこと。ですが、彼女は教師です。時期が来れば別れなくてはならないのです。ここに大きな問題がまた一つ。シーラのような子の心の傷をすこしでも癒すために、無条件に愛して信頼してもらうのは良いことでも、逆に、また捨てられるという恐怖にも怯えさせる事になるから。前へ進むための別れとの区別がつけられないのも無理はありません。そこまでの関係を築くには圧倒的に期間が足りません。シーラは、とりあえず心の整理をつけた様に見えますが、大変なのはむしろこれからですね。彼女がどうなるのかは続編の「タイガーとよばれた子」に書かれています。

    目を覆いたくなるような虐待の現実。なぜそんなことができるのか私には理解できません。

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