悪魔に仕える牧師

  • 早川書房
3.27
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本棚登録 : 216
感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (451ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152085658

作品紹介・あらすじ

本書は、科学啓蒙家として右に出る者のないドーキンスが、一貫した科学的思考をさまざまな現代的話題に適用して綴った文章をセレクトし配列した、初のエッセイ集である。進化論、遺伝子工学に関わる説得力抜群の論評はもとより、長年のライバル、グールド博士への、節度ある交友関係に裏付けられた批判や、親しい友人への追悼文、あこがれの地アフリカへの思いを綴った文章などを通じ、明晰な科学的思考の多面的な輝きが見てとれる。ファンも、ドーキンス初体験のあなたも必読の、唯一無二の啓蒙書。

感想・レビュー・書評

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  • 進化生物学者であるドーキンスのエッセイ。「神は妄想である」しか読んでいないので、進化論に疎いし、創造論者への反撃も強いことは日本人ではなかなか理解できない。こんど「利己的な遺伝子」を読んでみよう。

  • 「祖先の物語」の参考文献。
    (2015/03/07追記)
    訳者があとがきに書いているように、著者の人となりが分かる。第1章「科学と感受性」に収録された「何が真実か」(1-2)に「量子論が試みた多くの予測は有効であることがわかり、その精度があまりにも驚くべきものであったため、ファインマンはそれを、ニューヨーク、ロサンゼルス間の距離を、髪の毛一本の太さまでの精度で測定することに比している。」(41ページ)という一文があるところをみると、著者も『光と物質のふしぎな理論――私の量子電磁力学』を読んだのだろうか。「科学・遺伝学・倫理――トニー・ブレアへの覚え書き」(1-4)を読んで、「スペア臓器」のための幹細胞クローニングと組織培養とは道徳的にどこが違うのかを考えてみた。結局は慣れの問題か。「仮面を剝がれたポストモダニズム」(1-7)は、アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの『「知」の欺瞞』に対する書評。読んだことがある本だけに、いちいち共感を覚えた。第3章「感染された心」に書かれていることがもっと広く共有されれば、世界はもう少し平和になるだろうに。第4章「彼らは私にいった、ヘラクレイトスよ――愛しき人びとへの惜別」に収録された「ダグラスへの哀悼の辞」(4-1)と「ダグラス・アダムズへの頌徳の辞」(4-2)に登場するダグラス・アダムズは、もちろん『銀河ヒッチハイクガイド』の著者。親しい友人だったのか。「スネーク・オイル」(4-4)は、ジョン・ダイアモンドの死後に出版された『スネーク・オイルとその他の偏見』の序文だそうだ。代替医療を批判的に論じた本らしい。読んでみたくなった。第5章「トスカナの隊列でさえ」を読むと、リチャード・ドーキンスと故スティーブン・ジェイ・グールドは、生物学者としては好敵手、科学者としては盟友だったことがよく分かる。これまでに読んだ著作からSFファンだということは知っていたが、第6章「私たちのなかに、アフリカとその驚異のすべてがある」に収録された「アフリカの魂を奪われて」(6-2)を読むまで、「若いころ、実現はしなかったのだが、SF小説を書くという野望を抱いていた。」(402ページ)とは知らなかった。第7章「娘のための祈り」に収録された唯一の作品「信じてもいい理由と信じてはいけない理由」(7-1)は、著者が18歳の誕生日プレゼントとして娘に捧げたものだが、もともとは著者が10歳の娘に書いた手紙だけあって分かりやすい。そして、我が子にも伝えたい大事なことが書いてある。

  • 表題の悪魔に仕える牧師というのは、当時ダーウィンを揶揄した言葉が元だそう。ドーキンスのエッセイが多数、ジャンル毎に章立てされている。一神教的な絶対神は存在し得ないし論理的に矛盾が生じるというのを別の著者の本で読んだのを思い出した。だからと言って、未成熟な科学を絶対視するのも莫迦げているとも思う。ドーキンスはあくまで自らの手の届く範囲で物を言っている。

  • 東大教授おすすめ
    自然科学の新しい常識

  • 172ページまで読んだ。
    この人が信奉しているほど科学も正確じゃないんじゃないかと思うんですが…。
    歴史をやっていたからかもしれませんが、「『事実』はいつでもひっくり返るし、今の『事実』は暫定「どうもたしかであるらしい」という仮定に過ぎない」と私は思ってしまうんですよ…。創造論者は私もあまりすきではありませんが。

    この人の経歴とか評判をちょっと調べてみよう…。

  • 進化論者VSネオ・ダーウィニスト。

    両者がいかに正しいのかは問題ではなく、科学と宗教の関係性について考えるために非常に役に立つ一冊です。世界には様々な宗教観が存在しており、極稀に宗教のために極端な行動を起こす人がいることを知ることができます。

  •  進化論の祖、ダーウィンは自説の発表を長年ためらっていた。信心深い人々に「悪魔に仕える牧師」と謗られるのを恐れたためである。しかし彼の理論こそは、疑うことを許されない「神」をぬきにして、確固たる論証と証拠に基づき生命の起源を説明できる、科学的思考最大の勝利だった。(中略)しかし科学的思考はそれにとどまらず、私たちが身の回りの世界のたたずまいを新鮮な目で眺めることを可能にしてくれる。その喜びを知った者にとって、宗教は、思考を無用の枠にはめ、抑圧するものでしかない。(扉紹介)



    陪審員裁判・仮面を剥がされたポストモダニズムのエクリチュールが秀逸だった。

     ドーキンスいわく、陪審員裁判は、これまで誰かが思いついた名案の中で、きわだって郡を抜いた最悪のものの一つであるという。
     
     なぜ最悪なのか、(つまり彼に言わせれば陪審員裁判は最高に非科学的な方法であるということであるが)ひとつのアナロジーを使って説明する。
     セグロカモメの成鳥は、尖端の近くによく目立つ赤い斑点のついた明るい黄色のくちばしを持っている。ヒナはこの赤い点をつつき、この刺激によって、親鳥はヒナに与える食べ物を吐き出す。ここで実験をしてみる。赤い斑点をもつ黄色い物体であれば、ヒナ鳥は無条件にそれらに反応するかどうかという実験だ。これによって、アプリオリにつまり遺伝子によって刷り込まれた反応であるかどうかがわかるはずである。さて、実際に実験するにあたって正しい方法を考えなければならない。その条件とはどういったものだろうか?
     第一に、2羽以上のヒナでテストしなければならない、あるヒナは赤を選好し、別のヒナは黒を選好する可能性があるからだ。では2羽で十分か否そんなことはない。3羽でも足りない統計学的に考えることが必要だ。仮に12羽のヒナでテストするとする。このヒナが赤か黒で全羽赤を選ぶ確立は2の12乗分の1すなわち、1024分の1だ。したがってこのテストで12羽すべてが赤を選んだとすれば十分信頼できるデータになると考えるかもしれない。しかしこの実験でも不十分だ。なぜなら、1羽目の行動に同調して12羽が同じ色を選んだ可能性があるからだ。したがって、それぞれの試行は独立に行われなければならない。
     さてここで、話を法廷に戻すことにしよう。陪審員制度は一人の判事の頭より他の12人の頭があったほうがより妥当な判断をするであろうという前提の元に成立している。
     しかしこの主張が妥当であるためには、12人の評価が本当に独立したものでなければならない。ここまでくればもうわかるだろう。
    上述のアナロジーと同様に12人全員が仮に有罪あるいは無罪を主張したとしても、各々が適切な判断を下したということにはならないのだ。
     したがってもし陪審員制度を科学的に正しく運用させるためには、(経済的効率性を考慮したとしても)少なくとも2組、3組の独立した陪審団によって判決を下されなければならないはずなのである。

  • エッセイ、書評、書簡などの雑文集。読み応えはないけど、人となりは伝わってくる。

  • 第1章 科学と感受性
    第2章 光が投げかけられるであろう
    第3章 感染された心
    第4章 彼らは私に言った、ヘラクレイトスよ
    第5章 トスカナの隊列でさえ
    第6章 私たちのなかに、アフリカとその驚異のすべてがある
    第7章 娘のための祈り

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著者プロフィール

英国の進化生物学者。世界的ベストセラー『利己的な遺伝子』で知られる。ほかの著書に『盲目の時計職人』『神は妄想である』『遺伝子の川』『進化とは何か』など多数。

「2022年 『これが見納め』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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