フロイトの弟子と旅する長椅子 (ハヤカワepi ブック・プラネット)

  • 早川書房
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152088239

感想・レビュー・書評

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  • 表紙と中身ギャップありすぎやろ大賞。

    表紙は優しげ。内容は、片想いの女性を釈放してもらうために、判事に賄賂として差し出す処女を探す旅物語という。一途ゆえのとんでも倫理観。

    夢の中みたいな浮遊感と、雨とか水のシーンで急にリアリティ出て怖い感じが映画っぽくて好き

  • 『バルザックと小さな中国のお針子』は、著者であるダイ・シージエが自ら監督をし、邦題「小さな中国のお針子」で映画化された。

    中国の山村の美しい景色や、主人公たち三人の織り成す物語は、作者の監督作品とあって、原作も映画もダイ・シージエの世界といえる。

    『バルザックと小さな中国のお針子』は、自伝的色合いの強い作品である。『バルザックと小さな中国のお針子』の舞台となった中国の村を去った後、ダイ・シージエは、国費留学生としてパリ大学に留学する。
    美術史を専攻したのち、映画を学び、映画を撮っている。

    本書は、『バルザックと小さな中国のお針子』に次ぐダイ・シージエの第二作目となる長編小説である。

    フランスで、フロイト派の精神分析を11年間学んだ中国人の主人公が自国に帰国する。
    中国にいるときから、思いを寄せている女性が、政治的理由で投獄されていることを知り、主人公はなんとかして彼女を救おうとする。
    担当の判事に接触すると、処女の娘を賄賂として差し出すなら力になってやろうという。
    主人公は、フロイトの精神分析で処女発見にのりだす。

    テンポがよくアッという間に読めてしまう。
    前書のバルザックと同じようにフロイトは、専門的な医学的要素を正しく多く含むという内容ではなく、キーワード的な手段として登場する。

  • この本は映画を読んでいるようだ。映像を喚起させる作品は大好きなのです。

  • フランスでフロイト派の心理学を学ぶ中国人という設定。
    中国の内政事情とフランスにフロイトが加わって、そのごちゃまぜ状態に困惑されるところが快感かな。

  • 結局この主人公が一体何をしたかったのかが最後まで分からなかった。

  • パリでフロイト派の精神分析を学んだ莫(モー)は、故国中国で、一人の女性を釈放してもらうために奔走するが・・・。

    一体何が何だったのか、よくわからないまま読了してしまった。
    ストーリー展開も、主人公の思考回路も、全く掴めなかった。結局彼は何をしたのだろう? 何がしたかったのだろう?

    この著者の前作『小さな中国のお針子』の映画版(監督も著者自身がしている)がよかったのと、小綺麗な装丁に引かれて手に取ったのだが、とんでもない、この装丁でこんな内容の本だとは思わなかった(笑)。
    ある意味、装丁勝ちと言えるだろう。
    実際の内容は、上にも書いたように、よくわからなくてごちゃごちゃしているから。本の裏表紙にコミカル(?)と表現されているユーモアもよくわからなかった。
    作中で唯一一貫していると言えそうなのは、中国っぽい雑多な感じがところ狭しと詰め込まれていることだろうか。

    以前、中国を舞台にした小説にこんな話が出てきたことを思い出した。
    対立しあっているだか何だか、とにかくあまり良好でない関係の中国の企業が、料理店で商談をセッティングしたところ、どうにかこの商談を成立させようと連れてこられた人物がしたのは、ひたすらの猥談。話の最初から最後まで、とにかく猥談。ビジネスのビの字も出ず、食事は終了。で、商談は成立。・・・という。

    まぁ、あれですな、中国って国は凄いですな。

  • 前作の方がおもしろかった。それは「読みやすさ」や「分かりやすさ」ということなのかもしれないけれど・・・読み終わってみれば確かに笑える状況というか内容なんだけれど、そこに辿り着くまでがなんとも・・・;

  • 「お針子」の方はすらすら読めたのに、こちらはちょっと手こずりました。なんか時間が錯綜してる感があって、読みにくかったですし、結局、主人公って何者なのよという思いがずっと頭から離れず、読み終わっても、その疑問が解決したようなしないような……。つまるところ、何が起り、何がどうなったのかつかみきれなかったのは、あたしの読解力の無さなのでしょうか?

  • 1954年生まれの在仏中国人作家ダイ・シージエの長編第二作目『フロイトの弟子と旅する長椅子』。この作品は前作『バルザックと小さな中国のお針子』と同様フランス語で書かれ、2003年に出版されたものを、これも前作同様新島進氏が翻訳されたものである。中国の話をフランス語で書き、日本語に訳すという作業の前には、言語の壁だけでなく、文化や歴史の大きな壁が立ちはだかっている。おまけに今回の作品のテーマの一つは「夢」であり、それ自体非常に不可解なものである。それを思うと、新島氏の翻訳は卓越したものであり、そのことはとりもなおさず原作の小説の持つ力を証明するものだと言える。

     さて、小説の内容について紹介してみよう。主人公の名前は「莫(モー)」。フランス政府の国費留学生としてパリに渡って、11年間フロイト派の精神分析を学び、久しぶりに故国に帰ってきた40歳の男である。彼は毎日おんぼろ自転車の荷台に「夢」と書いた旗を立て、村々を回って女たちの夢判断をする。しかしその目的は、彼が学生の頃から恋い続けている一人の女性「フーツァン」を救うためであった。フーツァンは中国警察による拷問の場面を隠し撮りしてヨーロッパのプレスに売った罪で、成都の女子刑務所に収監されている。夢判断の巡回がなぜ彼女を救うことになるのか。

     ここで登場するのが狄判事である。狄建国(ディー・ヂェンゴ)はもと処刑班のエリート射撃手であったが、現在は凄腕の判事として大きな力を持っていた。莫はフーツァンを救うために1万ドルを用意するが、狄判事が要求してきたものは、まだ「赤いメロンを割っていない」乙女を提供するというものであった。処女と寝ることは男の生気を回復すると考えられていたのである。この狄判事の性癖は、中国人男性固有のコンプレックスでもあった。本書の原題が、「Le complexe de Di」(狄判事コンプレックス)と名付けられているのは、このような意味があったのだ。

     西洋の精神分析を信奉する莫は、この狄判事の申し入れにとまどうが、フーツァン救出のために処女発見の旅に出る。女たちの夢を分析しながら、処女を見つけ出そうというわけである。西洋文化と中国の旧習との衝突、その激しい波に翻弄されながら莫の旅が続けられる。本書のあとがきで、訳者新島進氏は、莫を「ドン・キホーテ」にたとえて次のように書いている。

     〈彼はいわば、フーツァンというドゥルシネーアを救うため、自転車というロシナンテに乗って旅する憂い顔の騎士であり、フロイト派の精神分析という槍を掲げ、現代中国の性風俗という風車に突進していくのです。〉

    また、慶応大学教授の巽孝之氏は、朝日新聞に載せた本書の書評の見出しを「中国で姫救出へ 中年童貞爆笑道中記」と掲げていた。主人公莫が真剣になり必死になればなるほど、作品自体はコメディ化していくのである。

     しかし莫本人の目でこの旅を見れば、それなりの収穫もあった。その一つは、フロイト派の精神分析(性的な要素が甚だ多い)を実行しながらも40年間童貞を続けていた彼が、死体の防腐処理人の女性と運命的な一夜を過ごしたことである。かつて防腐処理人は同性愛者の男性と結婚することになったが、結婚式の前夜、夫は窓から飛び降りて死んでしまった。それゆえ彼女は処女のままで未亡人になってしまう。狄判事に差し出す処女を求めていた莫は、この防腐処理人を提供することになるのだが、当の狄判事は三日三晩麻雀をし続けた挙げ句、死んでしまう。ところが葬儀場の防腐処理室に運ばれた狄判事は突然よみがえるのである。このあたりの運びはコメディ以外のなにものでもないが、驚いたのは防腐処理人、あわてて自宅へ逃げ帰る。莫も深夜の町を徘徊し、最後に防腐処理人の家にたどりつく。そして嵐のような運命の夜を過ごすのである。

     しかしその翌日、防腐処理人は逮捕されて、フーツァンと同じ刑務所に入れられてしまう。一方莫のほうは、我が身に逮捕の危険を感じながら、今度は2人の女性を救うために、新たな処女をさがさねばならなくなった。

     成都から昆明へ逃避しようと乗り込んだ列車で、莫は一人の少女と出会う。それは以前、女中市場で莫の気を引いた少女であった。無賃乗車で捕まりかけた少女を助けた莫は、彼女を小路(シャオルー)と名付けた。そして、新たな処女を得た莫の次の冒険が始まる。

     この小説の舞台になっている中国は、文化大革命も過去のものとなり、20世紀も終わろうとする頃だが、長年培われた古い体質は変わりようもない。この混沌たる中国の闇の中を、西洋文化という灯りを頼りに、方々にぶつかりながら突き進んでいるのが、主人公の莫であった。

     作者ダイ・シージエは、作家であると同時に映画監督でもある。いや正確には、映画監督が先である。長編第一作『バルザックと小さな中国のお針子』は、文化大革命で反革命分子の烙印を押された青年たちが、再教育のために山村へ「下放」され、そこで出会ったお針子との恋愛や、お針子が西洋文明に目覚めて自立していく姿が生き生きと描かれていた。この作品は映画化され、読者は二度楽しむことができた。さて第二作『フロイトの弟子と旅する長椅子』の映画化も楽しみである。 

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