喪失の響き (ハヤカワepiブック・プラネット)

  • 早川書房
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152089052

作品紹介・あらすじ

女性作家としてブッカー賞最年少受賞!喪失と再生をめぐる家族の物語。少女サイは、インド人初の宇宙飛行士を目指していた父を母と共に交通事故で亡くすと、母方の祖父である偏屈な老判事に引き取られた。老判事はすでに引退し、ヒマラヤ山脈の麓の古屋敷に隠居していたが、孫娘の出現は判事と召使いの料理人、そして近所の老人たちの慰めとなるのだった。やがてサイは、家庭教師のネパール系の青年ギヤンと恋仲になる。急速に親密になっていくふたりだが、ネパール系住民の自治独立運動が高まるにつれ、その恋には暗雲が立ちこめる-。時代の流れに翻弄されながらも力強く生きる人々の姿をコミカルに、チャーミングに描きあげるインド系著者の出世作。全米批評家協会賞も受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)

  • Amazonの説明に「力強く生きる人々の姿をコミカルに、チャーミングに描きあげる」というが、それは違うだろう。この本に漂う喪失感は、冒頭のヒマラヤを望む北インドの寒村に立ち込める霧のごとく深く、何度も立ち止まらずには読めなかった。年齢や立場を問わず、全員が大切なものを失い、壊され、混乱に陥っている。若い女性(で美人であるという)作者が丹念に描きこんだ喪失の痛み、その才能には敬服する。といっても打ちひしがれるような本ではなく、むしろ読後感は爽やかで透明感があった。
    キリスト教式教育を受けたサイ、祖父はイギリスに留学した元判事。彼らは「高級」なインド社会に住むが、崩れかけた家に象徴されるように彼らの権威は没落の一途だ。サイの恋人となるネパール系のギヤンは底辺の貧しさ、ネパール系として独立運動に身を投じる。料理人も「低級」クラスに属し、渡米した息子ビジュウのみが誇りだが、ビジュウは移民としてアメリカ社会の底辺に住む。インド系米国作家ならでは、この辺りの欧米とインドとのバランス感覚が優れて面白い。
    水と油のように混じり合わない2層。サイとギヤンは結ばれず、祖父は愛犬を失い、神父はインドを追われ、ビジュウは身ぐるみはがされ・・・しかし微かにサイの未来に希望があり料理人と息子の愛があるラストは不思議と明るい。

  • 権威に弱い私はブッカー賞受賞!という文句に惹かれて読んだ。
    登場人物ひとりひとりを繊細に描いていて良かった。文体に緩急を感じた。
    あと、読んでいて、自分の無知に悲しくなった。
    別の作品も読んでみたいな。

  • ブッカー賞と全米批評家協会賞をダブル受賞とあったので読んだもののどうもしっくりくる内容ではありませんでした
    原文で読むと別の感慨もあるのかもしれませんが、それほど際立った内容にも思えず

  • 何かのブックレビューに出ていた「喪失の響き」。図書館で見つけて借りてみました。

    舞台はインド東北部、ヒマラヤに近い町カリンポン。
    昔からずっと独立運動や地域紛争などが起きては、国境線が引きなおされてきた地域。
    元判事の祖父と料理人とともに暮らす少女サイは、家庭教師のネパール系の青年ギヤンと恋に落ちる。
    しかし、間もなくネパール系住民によるゴルカ独立運動が起こり、地域一帯が非常事態に。
    人々の暮らしが、ギヤンが、サイが、そして二人の関係が、大きなうねりによって揺さぶられていく。

    父母を交通事故で失い、キリスト教系の修道院で育ったサイ、
    イギリスに留学経験を持つ祖父、
    ネパール系の貧しいギヤン、
    毎年必ずイギリスに旅行に出かける裕福な姉妹、
    インド人なのに、インド人であることになじめない人々が主な登場人物になっていて、それが逆に、「インド人とは」という大きなテーマを浮き彫りにしています。

    祖父のイギリス留学時代の回想や、料理人の息子ビジュがニューヨークで不法就労をしている話など、結構痛々しいエピソードが挿入されていて、ちょっときついところもあります。

    だからこそ、と言うべきか、サイとギヤンが恋に落ちていく様子を描いた箇所がひときわ輝きを放っています。

    インドについての知識がない分、正直わかりにくいところが多々ありました。
    どの国も、どの民族も、それぞれ複雑な歴史を持っているわけで、
    手持ちの断片的なイメージで簡単に判断してはいけないんだな、という実感が収穫かも。

  • ミャンマーと聞く度にビルマと呼び直したくなるような心のざらつきは、いつかなめされて無くなってしまうものなのだろうか。ムンバイをボンベイと頭の中で言い換えている自分に気付いてはっとなる。本書を読んでいる間にムンバイの事件は起きてしまった。それ故に、キラン・デサイの「喪失の響き」を少し突き放して読むという体験は失われてしまったのだが、それが良かったのか不幸だったのか判断が着きかねている。ただただムンバイという呼び方にナイーブな違和感を覚える自分を発見するばかりである。

    もちろん小さい頃から刷り込まれたという言い訳の仮面を被ってナイーブさを装って、全てを知らない振りに追いやることは仁義に反するとは思うのだが、思うばかりで何もできない。

    そんな思いとは関係なく(だが本当は関係しているはず)本書を読んでどこかで似たような読後感を味わったなと思い返して、それがクッツェーの「恥辱」であったことに思い至る。西欧の人たちはこういう本に価値を見出すのものなのか、という思いが一瞬頭の片隅をよぎる。ブッカー賞というかイギリス人のアンビバレンツな価値観というのは、その矛先が自分の方に向いていないうちは案外惹かれるものがあるのだけれど、クッツェーの恥辱でもそうだったように、余りにもすえた臭いがきつくて鼻を背けたくなる気分になることもある。イギリスの人たちは毎度毎度自分たちを批判するような価値観を提示する作品、例えばカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」などもそのようなテーマがあると思う、を受け止めているようで受け止め損ねているような気がしてくる。そして今回はそのアンビバレンツな枠組みの中に、すっかり自分自身が取り込まれてもしまった。

    それは、先日読んだジュンパ・ラヒリの「見知らぬ場所」をすっかり楽しんでしまったことに対する、小さな罪悪感に由来する二律背反な気持ちである。デサイは本書の中で、イギリスで教育を受けた老人が飼犬を探して回るシーンを描き出す。その老人の嘆く様と、実際にはもっと大きな社会問題の中に彼がいることの対置を通して、ある意味痛烈な第三社会からの批判を展開しているような場面を描くのだが、その罪悪感はこの場面の批判的精神によって喚起されたものである。つまり、移住ベンガル人の悩みなんてなんぼのもんじゃ、ボケ、とデサイは訴えているかのようだと読んでしまうのである。ラヒリをこよなく愛するものにとってこの批判は恐ろしく痛い。すみませんでした、もうラヒリは読みません、と思わず謝ってしまいそうになるくらいである。

    しかし、この本の中では、指を指す者と指される者との関係が容易に入れ替わり、直角に交わり、一つ上の視点から指差したり、と大変に忙しく、そうそう単純な帝国主義文明批判というようなものをデサイが展開している訳でもないことは明らかだ。そこにある対立をありのままに書き写す、あるいはそんなことを試みているのかも知れない、とも思う。残念ながら、そのような対立軸を中心に世界を書き写すというやり方(恥辱にも似たような構図があったと記憶しているけれど)には、どうしても馴染むことができない。そもそも、デリーで生まれて早くからイギリスに学びアメリカで高等教育を受けて今もアメリカに暮らすというデサイは、どっち側の人間なんだ、という全くもって無意味な言葉を吐いてみたくもなってしまう。それが自分の逃げからくる叫びであることを知っているからこそ、落ち着いて読むことができないのである。ややこしくなるばかりなのである。

    深く深く考えさせられはするけれど、何か希望のようなものが見えてきそうなところがない(最後に描かれる父子の再会を自分はけっしてハッピーエンドとは呼ぶことはできない)そのことと、そんな作品を評価するかの西欧の知識人とのギャップがしみじみと胸に迫る読書である。

  • 300pで挫折しました。

  • 自分のアイデンティティについて考える。わたしがわたしをどう見ているか、どう見られているか、どう育ってきたか、なにを考えているか。かなしくてつらくてコミカル。表現もすてき。

  • インド的なるもの、インド人としてのアイデンティティをめぐる物語。「喪失と再生をめぐる家族の物語」と銘うたれているが、再生はどうなんだろう・・・・・あたかもイメージのしりとりをしているかのように、少女サイとその祖父、使用人である料理人、彼らをとりまく様々な人々のインドでの生活、料理人の息子ビジュの不法滞在者としてのアメリカでの生活、祖父のイギリス留学時代の話と、場面は次々と変わっていく。祖父の屈辱と自己否定に満ちたイギリスでのエピソードは読んでいていたたまれなさを感じるほど。そうかと思えば、村に一台しかない電話を囲む村人たちの様は、とてもコミカルで。古い家屋を食い荒らすシロアリの顎の音にまで耳を澄ますような、そんな清冽な描写が印象的だった。
    ――The Inheritance of Loss by Kiran Desai

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