これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152091314

作品紹介・あらすじ

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。ハーバード大学史上空前の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • 「正義」の判断材料は、福祉の最大化(経済的繁栄・幸福感の増大)、自由の尊重(個人の権利の尊重)、美徳の涵養(善き生の概念の肯定)。暴走列車が5人の作業員に突っ込んでいく。この列車を待機線に向ければ1人の作業員のみの犠牲で済む。どうするべきか?もし自分の隣にいる太った人間を橋から突き落としたら電車は止まる。突き落としていいか?もし作業員5人がテロリストだったらどうするか?死ぬ人数5vs1でいいのか?無関係な1人を殺していのか?「正義」は社会経済的破綻、アフガン戦争、災害時、難しい判断をしてきたんだなぁ。⑤

  • 難解。

    考えの違いこそが議論の核であり、定義付けは最も難しい行為だと思う。

    普段は考えもしない設問が用意されている。自分の奥底にある正義感というものが、如何に曖昧であるかを突き付けられる。一見、公平な判断は突如として不公平に変貌する。何が正義か。

    多数と少数。自由と制約。道徳や宗教、政治まであらゆる事柄を、正義というテーマで考える。

  • 私の中にある
    どうも、正義という概念が、マンガチックなのだ。
    悪役がいて、それをやっつけるのが、正義の味方というような
    勧善懲悪スタイルのイメージで、そこから出ない貧困な正義だ。
    悪役がいないと正義が生まれないのだ。

    また私は『小さな正義を振り回して』という揶揄するような言葉が好きだ。

    マイケルサンデルは、『正義』の品評会を行う。
    功利主義者の正義。
    自由至上主義の正義。
    アリストテレスだったら、カントだったら。
    と考えることは、正しいという規範が、時代と共に変化し、
    価値観によって、変化する。

    マイケルサンデルは、そのような手法を用いることで、
    正義というものの深淵さをかみくだこうとしているのだろう。

    アメリカが、アフガニスタンまで、戦争に行くということが
    正義から外れている。あくまでも、アメリカの正義だ。
    つまり、皆殺し的な考えしか成り立たなくなってくる。
    そして、アフガニスタンの村人に、命を助けられたことは、
    感謝の言葉もない。
    この村人の人も皆殺しにしてしまおうと思わなかった
    だけ、良かったと言える。

    正義の根拠を、幸福、自由、そして、美徳におく。
    そこから、価値がぶつかって行く。
    美徳、道徳というところに、視点を据えることで、
    ニンゲンの本質に迫ることができるとマイケルサンデルはいう。
    なぜかわからぬが、二宮金次郎を思い出した。

    正しいことをしよう。
    という呼びかけは、様々な価値のぶつかりの中で、
    民主主義を形成し、自分で考えることが、できるようになる。
    自分で考えねばならないのである。

    格差という問題について、マイケルサンデルは、取り組んでいる。
    マイケルジョーダンの収入が多いことを、どう公平にするのか?
    ということについて、テーマとする。結局他人事なので、話題にしやすい。
    誰もが、マイケルジョーダンになれないのだから。
    確かに、格差 ということを、明らかにしている。
    格差社会というテーマは、その設定が正しいのだろうか。
    問題の設定が、どうも正しいと思えないのだが。
    多くの収入を得ている人の資産を分配するという方法で、
    解決するのだろうか。
    マイケルサンデルのエンターテイメントらしい話題というべきか。

    何もすることができない としたら、私のものは、私のものだ。
    たとえば、腎臓を売ったり、自殺をしたり、
    自分を売って、食べられてしまうというようなことを、どう見るのか?
    自分の体と命は自分のものだから、自分の好きなように使って構わない。
    という考え方は、自殺して何が悪いという意見に耳を傾ける。

    南北戦争の時に、徴兵制だったが、
    お金で、身代わりを立てても良かった。
    そのことから、300ドル払えば、徴兵制を免除することが、
    できることになったらしい。
    アメリカは、やはり、発想が違うなぁ。
    日本だったら、非国民である。

    それで、兵隊は、
    徴兵制、お金で代替え徴兵制、志願兵の
    3つの方法がある。
    一番公平に見えるのが 志願兵である。しかし、給与などが高くなる。
    問題は、国民の義務ということに抵触する。

    志願兵がさらに進んで、傭兵制となる。
    2007年7月 イラクで、アメリカ政府が契約している民間人 18万人。
    アメリカ軍駐留部隊が、16万人という。
    契約した民間人は、後方支援業務の担当が多い。5万人は、警備部隊。
    イラクでは、民間人 1200人以上が殺された。
    民間軍事企業のブラックウォーター社は、10億ドル超で、戦争業務を受託した。
    軍隊の作り方も、実にアメリカらしい。
    軍隊の機能は何かを資本主義的にまっしぐらに考えている。
    人殺しも商売なのだ。

    子供が生まれない夫婦が、代理母親と契約を結んだ。
    精子は、夫のもので、卵子は代理母親のもので、
    産んだら、一万ドルの費用を払うとした。
    ところが、代理母親は、子供を産んだら、子供と一緒に逃げてしまった。
    その二人は、見つけられたが、訴訟となった。

    アメリカは、契約と訴訟社会だ。
    日本では、このような事件は起こらないだろう。

    第一審は、契約は神聖なもので、気が変わったといって、
    変えることはできない。といって、代理母親は、全面敗訴。
    代理母親は、最高裁に上告。
    最高裁は、契約そのものを無効とした。
    子供は、夫に親権が確認され、代理母親には訪問権が与えられた。
    文明社会では、金で買えないものがあると判事は言った。

    ところが、科学が進み、卵子も 妻のものが使われるようになり、
    受精卵を 代理母親に、植え付けることで、母親の遺伝的な絆は、
    なくなった。
    精子、卵子、産む母親は、別にすることができた。
    さらに、アメリカでは、コストがかかるというので、
    インドで、アウトソーシングする仕組みができたという。
    4500ドルで、請け負う仕組みで、月25ドルの女性にとって、
    十分な報酬で、その仕事が広がっているという。

    ふーむ。
    何か、とんでもないことになっている。

    わかりやすい事例が、述べられて、それを多面的に考察する。
    そのことによって、功利主義、自由至上主義を説明し、
    カント、ジョンロールズ、アリストテレスに分け入って行く。
    人類の英知はこのように、、奥深いのだ。
    たかが正義、されど正義なのだ。

    正義とは、正しいとは、と常に問いかける。
    ある意味では、アメリカが訴訟社会であるからこそ、
    その腑分け作業が、明確にされるのかもしれない。
    経費削減で汲々とする日本とは、大きな違いだ。

    プロゴルファーのケイシーマーティンの訴訟が、
    ゴルフの本質を、明らかにする。
    障害があることで、カートを使うことは、不公平なのか?
    18ラウンド歩いて、500キロカロリーしか消費しないとは。
    それよりも、精神的にホールにいれるプレッシャーの方が大きいとは。

    アファーマティブ・アクションは、逆差別なのだろうか?
    日本では、考え及ばない アメリカの国の多様性が、
    浮き彫りになっている。
    日本では、同和問題があるが、次は 女子問題となっている。

    ジョンローズが、アメリカ占領下の日本で、ヒロシマの惨状を
    見ることで、深い衝撃を受け、『正義』ということを考えた。
    戦争においても、人間の尊厳と権利は、守られるべきだと
    考えたことが、すごいことだ。
    ヒロシマの原爆投下に対して、正確に批判していることは、
    大切であり、そのようなアメリカ人がいることに、気づかされた。

    少なくとも、日本の戦争は、非人間化していたが、
    その非人間化という問題を、正面据えて考えねばならないだろう。
    アメリカの奴隷制に関して、今の世代が、奴隷を雇ったこともない
    ということから、今でも、そのことを謝罪しなければならないのか?
    というテーマは、日本と中国の関係に深く関わってくる。
    戦争を起こし、中国を占領し、残虐な行為をした日本軍のことを、
    戦争後に生まれた日本人は、どのように謝罪すべきなのか?

    中国の持つ多様で少数民族がある国は、アメリカと似た部分がある。
    しかし、それは、アメリカと中国の方法論はずいぶんと違う。
    中国には、基本的人権が、確立されていない。

    マイケルサンデルはいう
    『自分を拘束する責務はすべて自分で決める。』
    この言葉は、ずいぶんと重い。
    マイケルサンデルの言いたいことの中心は、そこにあるのだろう。

    大きな正義を振り回すマイケルサンデルが、眩いばかりだ。

  • 正義について書いてある本書を手に取り読み進めていった。

    功利主義、リバタリアニズム、市場と倫理、イマヌエルカントの見方、ジョンロールズの平等をめぐる議論などずっと読み進んで最後まで辿り着き、その都度、なるほどなるほどと納得したつもりで読み終えたが、改めてさて著者は正義について何をどう言っているのかを考えてみたら、よくわかつていなかつた。

    そこでまず最初に立ち戻って読んでみた。
    そうすると次のようなことが書いてあった。

    まず、便乗値上げの是非、パープルハート勲章の受章資格をめぐる対立、企業救済等についての議論を考察しいる。

    その議論の中で、
    「我々の議論のいくつかは、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の寛容といったことが何を意味するかについて見解の相違が現れている。

    また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。
    政治哲学がこうした不一致をすっきりと解消する事はありえない。

    だが、議論に具体的な形を与え、我々が民主的市民として直面する様々な選択肢の道徳的意味をはっきりさせることができる。」とし、

    更に
    「この本では、正義に関するこれら3つのアプローチの強みと弱みを探っていく。」と述べ

    その3つ
    1 幸福の最大化
    2 自由の尊重
    3 美德の涵養
    を教えてくれる。

    このようなことを最初に良く頭に入れておけば理解が深まったな〜と深く反省し、再び読み始めた。

  • 読みごたえがあった。

    正義や道徳について、人種や宗教の違いによって、ましてや個人によってあり方が違うなか共存している我々はどう向き合っていけば良いのかをもう一度考えるべきではなかろうか。と思ってしまいました。

    哲学的で少し難しく、答えがないので
    多少の読み飛ばしが必要でした。

  • 読み終わるのに3ヶ月くらいの時間を要した。
    年越す前に読み終わりたかったけど、年越しちゃった…

    どうだろう。読み終わったあとの感触としては。
    正義って…とふんわりとした違和感のようなものが残ってる感じ?なのだろうか。

    絶対に読み返さなくてはいけない。分かっているのはそれだけな気がする。難解で、情報量が膨大な為に、時間はかかるし、理解もできない。けど、今の自分の力量で感じたことを、下に書いていこうと思う。

    人はみんな、自分の中に正義がある。その正義は本当に千差万別で、そして似通った正義同士が固まっていく。そして、違った正義とぶつかり合っていく。
    その手段は時代によって違うけど、最近はその正義自体が曖昧な人が増えたんじゃないかと、本書を読んで思った。

    人を傷つける事は悪いこと。分かっていながら、見知らぬ人をこき下ろす。
    違法サイトで漫画を読む。就職活動や受験活動を代行してもらう。転売のために商品を買い占める。
    他にも諸々。

    よく、「その人にはその人なりの正義があったんだよ」という言葉があるけど、多分上の行動には正義は無い。かくいう僕だって、よく分からない芸能人の事を、知人や友人と一緒に食事の場でバカにする。漫画村で漫画を読んだこともある。大学のレポートで、友達のをほぼパクったこともある。

    正義のない行動だ。それらの行動を行う時に、僕の心の中は何も考えていなかった。正義を、その先にいる他者の存在を。

    正義って、難しい。こうやって書いてる時も、何が何だかわかんなくなる。そもそも僕が持ってる正義が、これで正しいのか分からない。だけど、確固たる正義を持たないといけないと、そう思った。

    自分が今後何かしらの行動をした時に、その行動が「自分の正義」に乗っ取っていたと、胸を張って言えるように。自分にとって、何が正義なのか、それを見極めたい。

    冒頭に書いてあったトロッコ問題や、その他もろもろでもそうだが、人生には「正解のない難題」が数多く立ちはだかってくるだろう。その時、その難題を解く鍵となるのが、正義であるはずだ。

    その正義を、見つける。その正義を、深める。その正義を、確かめるために、この本書は大きな役割を果たしてくれると思う。

    あと何周するか分からないけど、じっくりじっくり正義について考えていこうと思う。

    最後にこの本を訳された鬼澤 忍さんにも触れたい。
    これからの「正義」の話をしよう。このタイトルは、見事だ。この話を通して、まるでマイケル・サンデルと対話しているような気持ちになった。本当に、自分とサンデルで、正義について会話しているような気持ちになった。
    大切なのは、対話だと思う。対話を通すことで、自分の考えを深めていける。
    ちっぽけな考えしか持てない僕だけど、この本書や日常の友人・恋人、そんな人たちと対話を深めて、薄っぺらい自分の考えを積み重ねていきたいと思う。



  •  自分の価値観の源流を、あなたは説明できますか?
     正義や哲学と聞くと大仰な印象だが、そんなに身構える必要は無い。本書では、私達が育つなかで培ってきた価値観(何が良いのか、悪いのか)について、「何故そう思うのか?」を、トロッコ問題のような例え話や、実際に起きた事件を例に深堀りしていく。
     私達は日々身の回りに起こる事象に対し、良い事なのか悪い事なのか判断したり、印象を持ったり、行動に移したりしている。マスクの転売、性による差別、過去の戦争行為を現代の人は謝罪すべきか?等々…大抵の人は、「どう思うか(良い/悪い)」については即答できても、「何故そう思うのか?」明快に即答できる人は少ないのではないだろうか。
     私達は、それを自分で説明できなければならない。何故なら、私達は相互に(物理的にも、精神的にも)影響を及ぼす社会に属しており、それぞれの価値観は多種多様だからである。また困ったことに、私達は自分の価値観の正当性については、無意識に全肯定しがちである。つまり、隣人に、自分とは全く異なる価値観でナチュラルかつ躊躇なくぶったたかれる事件が頻発する。年収マウント、町内会行事の暗黙の強制参加から、夫の「お~い、お茶」まで…私達は好き/嫌いの水掛け論ではなく、論理的な説得によって、相手や周囲を説得しなければならない。
     また、それぞれの事象から法則性を見つけ出して言語化することは、自分の価値観の整理にも役立つ。私達はそれぞれの事象に遭遇した時に断片的に、それは良い/悪いを判定しているので、類似の事象を検討することで、自分の価値観に一貫性をもたせたり、意識してなかった法則に気付くことができる。例えば、価格自由競争を肯定する人が災害時の便乗値上げに反対する場合、これは別のルールの影響によるものだろうか。または、整合性を維持するために持論を矯正しなければいけないのだろうか。
     学問とは、学び、問うと書く。日常の表層的な忙しさから一歩距離を置いて、自分の価値観を形成する要素を考察する一助として欲しい。

     追伸。本書はハードカバーなので、それなりに読む難易度が高いのも事実である。別書籍の紹介になるが、『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』は本書の内容を対談式にまとめたものなので、導入としておすすめしたい。また活字恐怖症の人は(今この文章を読んでいる人が、どれだけ該当するかは分からないが)、youtubeのハーバード大学のアカウントに動画(別途、日本語字幕/英語字幕を表示できる)が投稿されているので、是非視聴して頂きたい。

  • ハーバード大学の人気講義「Justice」(正義)をもとにした邦訳版。
    いやー、おもしろかった。とにかくスリリング。一気に読んでしまった。まるで講義を受けている気になる。

    サンデル教授は、具体例を引用しながら古今の哲学者たちの正義にまつわる議論を紹介していく。
    そしてそれをもとに自由至上主義、自由主義、共同体主義の思想を紹介し、これら此処の思想は正義をどのように捉えているか論じていく。
    その手法は分かりやすく、読んでいておもしろい。学生に受けているのはこの点が優れてるからかな。
    サンデル教授は共同体主義者(コミュニタリアン)だ。本の最後で教授は自分の立場を言明し正義についての見解を述べている。
    コミュニタリアンの主張は「価値に対して中立な正義は存在しない」。
    簡単に言えば「政治は道徳にもっと関われ」ということ。政治が道徳に関わる危険性を分かった上で教授はそう主張する。
    本のなかでは「共通善に基づく政治」という言葉を使っているがその具体的内容は分からない。

    社会の問題を理解し解決していく上で価値観やモラルにもっと政治は関与しないと正しい行いは達成できない、という。
    賛同するかどうかは別として、サンデル教授の正義についての見解は示唆に富む。とくにこれからの複雑化する社会を生き延びるためには一考に価すると思うが。

  • 伝説の大学講義「正義」を書籍化。

    超超入門から学んでおきたい場合は、『正義の教室』を一読し、功利主義、自由主義を理解してからの方が読みやすそつ。

  • 数年前に日本メディアでも話題となったマイケル・サンデルの一冊。哲学の入門として一般書を購入した。メディアでは具体例ばかりが取り上げられていたが、この本はそういった具体例を根拠に”「正義」とはなにか?”という問いに対する研究がなされている。
    本文では、正義に対するアプローチが3つ取り上げられている。
    1.功利主義(ベンサム)
    2.リバタリアニズム(カント、ロールズ)
    3.共通善(アリストテレス、筆者)
    どのアプローチが正義について考える際に有効なのか。
    功利主義は本文中で早々に切り捨てられている。というのも、功利主義は正義を計算上で扱っている点及び個人について深く考えないという全体主義的な面で、明らかに他の2つより劣っているというのだ。
    さて、リバタリアニズムと共通善について考えた際、最も大きな対立項は「正義は道徳的立場によるものか」という点である。各主張の要点をまとめてみると、
    カント…正義は定言命法(普遍的、人格の尊重)・義務・自律によるもの
    ロールズ…正義は各人の立場を捨てて決定されるべき仮説的なもの
    リバタリアニズム的観点からすれば、道徳的立場を正義の議論に含むことは、価値観の押し付け、自由の剥奪に繋がる可能性を懸念する
    アリストテレス…正義は善き生(個人の長所を活かすこと、国家の最終目標)を基礎とすべき
    筆者…種々の問題は道徳的立場の議論を要する(リバタリアニズムは道徳的立場の不一致を理由にその議論から逃げている)ため、正義は各人の物語的立場を踏まえるべき
    私考…この本にある様々な”容易に答えられない問い”の例を見る限りは、正義には柔軟性を持たせるべきなのかなと感じた。(まんまとサンデルに嵌められている気がして癪だが)
    メディアの取り上げ方からこの本で彼の言わんとすることにたどり着くことは無理だろう。彼の提示する具体例は哲学的思考のために用意された主張者にとって「都合のいい例」であり、それについて考えさせて視聴者を分かった気にさせるメディアは、論点のすり替えという名の情報操作とでも言えるのではなかろうか。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

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