- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152091642
作品紹介・あらすじ
歴史を駆動するものは何か?それは「アイデアの交配」だ。膨大なデータで人類史の謎を解き明かす、知的興奮の書。石器時代からグーグル時代にいたるまでを、ローマ帝国、イタリア商人都市、江戸期日本、産業革命期英国、そして高度情報技術社会などを例に、経済、産業、進化、生物学など広範な視点で縦横無尽に駆けめぐる。東西10万年をつうじて人類史最大の謎「文明を駆動するものは何か?」を解き明かす英米ベストセラー、待望の日本語版。フィナンシャル・タイムズ&ゴールドマン・サックス選ビジネスブック・オブ・ザ・イヤー2010候補作。
感想・レビュー・書評
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二枚の写真。ハンドアックスとコンピューターのマウス。どちらも人間の手の中にぴったり収まるようにデザインされている。マウスは、集団的知性による産物だ。ある時点で、人間の知性は、他のどんな動物にもない集団的・累積的になった。
良くできたプレゼンのスタートだ。その時代の文明の利器は、人間社会そのものを映し出す。模倣と交換。この二つの概念が飛躍的に人類を発展させた。本書は、この事について徹底的に考察し、解説する。
文化的進化にとっての交換は、生物学的進化にとっての生殖とまで述べる。生殖は複製であり模倣、遺伝子や欲求の交換でもある。リカードによる比較優位の概念では、交易や交換が各々の得意分野を伸ばすだけではなく、分業による存在価値を見出していく事を示す。
一方で上巻で気になったのは、タスマニア効果だ。隔絶された文明では、テクノロジーは進化せずに退歩する。企業でも度々そういう事がある。新たな取り組みが定着、管理されぬ限り、無能、無気力な担当者により失速し消えていく。文明において画期的な発明も、それを継承する能力や意欲がなければ滅びていくのだ。だからこそ、催事や教育が必要だという事だし、欲望交換と紐付けたシステムが重要だったのだろう。日常にタスマニア現象は頻繁している気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本語版のタイトルは『繁栄 ~ 明日を切り拓くための人類10万年史 』。一方、原題は"The Rational Optimist ~ How Prosperity Evolves"。そのまま訳すと『合理的な楽観主義者 ~ 繁栄はどのように進化してきたか』となる。邦題に欠けるこの「合理的な楽観主義者」は本書内でもキーワードとして多用されている。また、本書の最後を締める言葉として、「二十一世紀は生きるのにすばらしい時代となる。 あえて楽観主義者でいようではないか」と楽観主義者が使われている。特にこの本は、極端な環境保護主義者や温暖化反対者や再生可能エネルギー礼讃者などの「非合理な悲観主義」に捕われているのを翻意させることが目的のひとつなのだから、せめて副題には「合理的楽観主義」の言葉は含めてほしかったところ。
その副題も少しひどい。10万年間がどうのというのは本書の主題ではない。そもそも章立てにも20万年前と5万年前はあるが、10万年前が含まれる章はない。たいして売れているとは思えない『人類の足跡10万年全史』(リチャード・オッペンハイマー)とか『10万年の世界経済史』(グレゴリー・クラーク)にあやかろうとしたのだろうか。マット・リドレーの方がよほどネームバリューがあるのだが。確かにプロローグにも「今から10万年以上前、遺伝子が何十億年もかけてやってきたのと同じように、人間の文化自体がほかのどんな種にも見られないかたちで進化を始めた。つまり、自己複製し、突然変異し、競争し、淘汰し、蓄積し始めたのだ」(P.18)とか、「合理的な楽観主義者はあなたに促す。一歩下がって自分の属する種をこれまでとは違った目で見るように、と。しばしば挫折を経ながらも10万年にわたって進められてきた人類の壮大な企てを見て取るように、と」(P.74)とかいう「10万年」に関する記述は確かにある。ただ、副題にこう書くことで、過去に関する歴史的分析こそが主題のように読者をリードしてしまうのはいかがなものかと思う。また、著者の専門からして副題では「深化」(”Evoles”)の方が明らかに重要な言葉だ。自らをして「楽観主義者」と書くからには、本書は将来に関する本なのだ。それは本を読めばわかる。
やはり題名は著者の意図を十分に汲んで付けてほしいものだ。
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まずはタイトルの批判から入ってしまったが、内容は充実したよい仕上がりになっている(タイトルがその一部を台無しにしているのは残念だが)。著者は『柔らかな遺伝子』や『ゲノムが語る23の物語』という定評のある著作があるサイエンスライターだが、生物の遺伝や進化から文化や社会の進化論にその軸を移して臨んだのがこの大著だ。副題の"How Prosperity Evolves"でEvolves (進化)という表現を入れているのも、このことを十分に意識してのことだ。著者がなじんだ進化と淘汰の概念を、様々な歴史的証拠をベースに社会進化に当てはめて語るというのがこの本のポイントだ。時間がなければまずはここだけ読めばいいと思う内容が書かれたプロローグのタイトルも、「アイデアが生殖(セックス)する」だ。読み進める内に話が冗長だと感じることがあるのかもしれないが、それもこれも「なぜ合理的かと言えば、気質や本能から楽観主義に行き着いたのはなく、証拠を集めることでそこに至ったから」であり、「このあとに続く本文を通して、私はみなさんにも合理的な楽観主義者になってもらえればと願っている」からだ。でも上下二巻は少し長い。
本書はまず、人類の「繁栄」の一歩となった楚が「交換」の能力を手に入れた、という言明から始める。火を使うことよりも、言語を使うことよりも、手を使うことよりも、交換をするということが人類を他の類縁の種とを隔てる決定的な違いとなったという。人類は交換の手段を得たことにより、他の類人猿と比べて爆発的な繁栄を手に入れたというのが著者の主張だ。「交換の普及と専門化と、それが引き出した発明、すなわち時間の「創造」 ― これこそが歴史の最大のテーマなのだ」(P.74)
現在の過去に類を見ない繁栄を描写した第1章に続く章立ては 、次の通りだ。各章のはじめに象徴的で、意外なデータを示すグラフを付けるのが規則となっているが、こういった様式にこだわるのはきらいではない。
第1章 より良い今日 ... 繁栄 - 現在
第2章 集団的頭脳 ... 交換の開始 - 20万年前~
第3章 徳の形成 ... 信頼の形成 - 5万年前~
第4章 90億人を養う ... 農耕の発生 - 1万年前~
第5章 都市の勝利 ... 都市と交易 - 5000年前~
第6章 マルサスの罠を逃れる - 1200年~
第7章 奴隷の解放 ... エネルギー革命 - 1700年~
第8章 発明の発明 ... テクノロジーの収穫逓増 - 1800年~
第9章 転換期 ... 悲観主義 - 1900年~
第10章 現代の二大悲観主義 ... アフリカと気候 - 2010年~
第11章 カタラクシー ... 合理的楽観主義 - 2100年
とにかく、その調査量には脱帽する。でも、長いよ。
それから、上巻と下巻の区切りの箇所があまりにも途中で変。なぜ? -
交換・分業なくして繁栄なし。自給自足は貧困化し退歩する。
なんとなく自身と重ね合わせてしまって1人が楽な個人働きしてる身に染みる。 -
昔からことあるごとに、昔は良かった、今はよの末だと言われているが世界は確実に平和に幸福になっている。
現在パリに住む中級レベルの主婦とルイ14世を比べても主婦の方が便利で幸福度は高いはず。
今さかんに取り上げられている危機、エネルギー問題、人口爆発、国際紛争などもきっと人類は解決に向かって進めるはず。と世の中にあまた出版される世紀末系の書籍、言論を笑い飛ばす本です。 -
1.「技術」によって世界はより良くなっている。
2.「分業」によって「技術」は産まれる。
3.「交易」によって「分業」は可能となる。 -
これは★が10コくらい欲しい。
個人的には『銃・病原菌・鉄』よりも面白かったです。この本の主張は「昔は良かった、とみんな言うけれど、昔は悲惨だった」ということと「人類は交換によって繁栄し、これからも繁栄し続ける」ということの2点。これを上下巻で反論の余地もないほどネットリとクリティカルに展開していきます。マット・リドレーは、この人ほど「ネオリベ」という思想を体現している人はいないという感じです。日本ではネオリベが諸悪の根源のような捉えられかたをされますが、ネオリベ思想の究極は生命賛歌だ! と言うのが伝わってきます。
マット・リドレーは遺伝子関係の本を何冊も書いている科学ジャーナリストなので、自然の創発的な現象に重きを置いている。それが社会思想的にはネオリベと親和性が高いのだと思う。自由放任と個人主義によって、人間の繁栄は約束されるということを、歴史の分析を通じて照明していくところがスリリングです。「昔は良かった」というノスタルジーを「でも、平均余命は低かったし治安も悪かったし、労働も血を吐くようにきつかったよね」と徹底的に攻撃します。
「商業が発展するとモラルが生じる」という視点は、「衣食足りて礼節を知る」という話なのですが、それが(あの)ウォルマートにも当て嵌まるとき目からウロコが落ちると思います。
で、311後にこの本を読んだので、どうしても「日本は」と考えてしまいます。日本の現状は『繁栄』の主張に当て嵌まらないようで、実際は政府(官僚機構)の過剰な介入によって、繁栄が阻害されているのだなぁと思いました。アメリカのように国民保険がないのはちょっとどうよですが、日本のように政府があれもこれも、と手を伸ばして「財源がない」と増税に走るのはちょっと違うんじゃないかと。 -
いったい人と動物の何がちがうんだろう?
古来よりそれを一言で表現しようと試みられてきた。
人は○○をする唯一の動物である。その言葉によって。
曰く、人は道具を作る動物である。
本当に?古代の人類は見事に左右対称なハンドアックスを作ることができた。でもそれだけだった。彼らは数十万年の間変わることなくハンドアックスを作り続けた。彼らが進歩させたことといったら、見事に左右対称なハンドアックスを、より見事に左右対称なハンドアックスに変えたことくらいだった。
曰く、人は言語を使う動物である。
本当に?骨格や遺伝子の研究によると、ネアンデルタール人は言語を使った可能性が高い。しかも複雑な言語を。でも彼らは絶滅した。遺跡を見ても彼らの道具が進歩していった様子は見られない。
それじゃ人と動物を隔ているものは何なんだろう。そこでこの著者は言う。人は交換をする唯一の動物である、と。
なんだそれ?そう思うかもしれないがちょっと考えてみよう。物々交換をしている動物って見たことある?
確かに血縁関係を守る行為や、お互いに背中のしらみを取り合うような行為は動物にも見られる。
でもここでいう交換はまったく血縁関係にない見ず知らずの他者とお互いに合意の上で取引をすること。これってスゴイことじゃない?
俺のドッグフードやるから俺の代わりに吠えてくれない?そうやって取引する犬なんて考えられる?
交換はお互いを豊かにする。釣り針をつくって魚を釣りに行くより、釣り針をつくる人と魚を釣る人がお互いに魚と釣り針を交換する方が得をする。それが高度になっていけばいくほど。
ひとりで鉄鉱石を掘って、1000度以上の炎で精錬し、鋳造し、鍛えることなんてできるだろうか?
交換することによって専門化が進む。鉄鉱石を掘る人、精錬する人、鋳造する人、鍛える人、それぞれがそれだけをやることでひとりで全部やるよりも技術は進歩する。釣りをする人、農業をする人もしかり。交換によっておまんまにありつけることで、安心して専門的な仕事に専念できる。
もし誰もその技術と、食料やその他、様々なものと交換してくれなかったならそんなことやってられない。故に技術は進歩しない。
ネアンデルタール人の遺跡からは、彼らが作った道具の材料は徒歩で1日圏内にあるものばかりということがわかる。現生人類が数百キロ離れたところにある材料を加工したり、ある土地で作った装飾品が数百キロ先で発見されたりしているのと同じ時代に。
そして交換をすることで得られるすばらしいことがもうひとつある。それはアイデアが生殖を始めることだ。
あんパンというものがある。あん+パンであんパン。でもあんパンを作った人は、あんを作った人でも、パンを作った人でもない。これってスゴくない?
もし仮に交換がない世界だとしたら、まあ滅んでるだろうけど、あんを作った人と、パンを作った人がいたとしても、その二人が血縁関係じゃなければあんパンは生まれない。ましてや生まれた国や時代が同じでなければ。
でも交換することによってそんな縛りはなくなる。べつにパンを作った人じゃなくともパンのアイデアを持つことができる。同様にあんのアイデアも持つことができる。
そうして数千年の時と国を超えて19世紀日本の木村屋で、あんのアイデアとパンのアイデアがセックスをして、あんパンが生まれるに至ったわけである。
あんパンでこれなんだから他の種々雑多なアイデア大乱交パーティはいわんや。アイデアは加速度的に増殖し、増殖したアイデアが更に増殖の勢いを増す。
客商売系のシミュレーションゲーム、コンビニとかテーマパークとか、だと客の考えてることがわかる。おでんが欲しいんだな、お化け屋敷に入りたいんだなとか。あーゆーノリだよね。僕たちは遺伝子の乗り物である以上にアイデアの乗り物である。様々なアイデアを積め込んでセックスの相手を探している。もちろん。アイデア様のお相手を。 -
人類10万年史を楽観論から繁栄の歴史として、様々な角度から縦横に論じる
あなたは50年前の生活に戻りたいのか?
映画に登場するのどかな田園風景は理想郷なのか?
自給自足が望ましいのか?
中学の時、キャンプに行って飯盒でご飯を炊きカレーを作った時のことを思い出した。
水道もまきも用意してあるキャンプ場だったが、昼ご飯が終わってかたずけたら、じきに夕ご飯の準備、食べ終わり食器を洗い、明日の朝食の準備を終わったら疲れてしまった。
早く家に帰りたいと思った。 -
貧困や気候変動への危機感など、世界中に蔓延する「悲観主義」に正面から反論し、「合理的楽観主義」を提唱する。膨大な量の史実とデータの検証により、単なるアンチテーゼに終らない説得力のある主張が展開される。本書を読むと「消費型社会vs持続型社会」とか「経済的豊かさvs精神的豊かさ」といった単純な二元論が無意味に思えてくる。人類の歴史は即ちイノベーションの歴史であり、未来に向けてもそうであるはずだという本書の主張を最も必要としているのは日本なのかもしれない。