閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

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制作 : Eli Pariser  井口 耕二 
  • 早川書房 (2012年2月23日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152092762

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閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義の感想・レビュー・書評

  • 著者であるイーライ・パリサーのTEDでの講演を聴けば、この本で書かれていることは大体分かる。それをもっと詳しく知るための本。

    GoogleやFacebookのパーソナライゼーションが作るフィルター・バブル。私たちは、セレンディピティもなく、自分の趣味志向を補完し続けていく自分ループに陥り、しかも安易に娯楽として消費される情報しか届かなくなってしまう。さらにそれが自分だけでないために、反対意見に出会わない世界、例えば政治的には非常に危険な世界になってしまう。

    編集権とパーソナライズ技術による情報の最適化はバランスが難しい。どちらも危ういものだ。だが、この本で出てくる「対話という形で、人は共通する意味のプールに参加する」という言葉が印象に残った。合意に向かう集会は少なく、時間の無駄に感じるかもしれないが、それによって達成されたコミュニティの中での納得感は、確かにとても重要だ。

    「ネットバカ」を読んだ時に、初めてインターネットが発達してやってくる未来に危惧を覚えた。そしてこの本。

    この本で書かれるパーソナライズという観点とは別に、コミュニティや仕組みとして、インターネットは閉じるべきではない・これまでのインターネットは開かれすぎであった、という議論がある。それがどちらが正しいのか、どちらに向かうべきかを考える上でも、大事なことが書かれている。

  •  グーグルやフェイスブックのパーソナライゼーションの仕組みは人々の嗜好にあわせて異なる検索結果やニュースフィードを画面に提示することを可能にした。そして、ネット上には多数のビーコンが埋め込まれ、こうして得られた情報はアクシオムなどの会社が収集・販売する。パーソナライゼーションで嗜好にあった情報だけが人々に届けられ、自分の嗜好と異なる情報は提示されなくなる。
     インターネットは世界の人々を結びつける道具として期待されたが、実態はそこから離れている。しかも、コードと膨大データの解析は人知を越えた解析ツールを出現させることになり、膨大なデータはコードを通じて物理的世界の仕組みを勝手に変えたり、必要な変革を行わないように働く可能性も出てきている。
     オープンなプラットフォームといっても、それは情報を収集する仕組みがオープンなのであって、これをどう活用するかという仕組みは全く人々に知らされていないという。こういう世界ではもはやオプトインという入り口で制御する仕組みすらも成り立たなくなるし、顔認識技術を使えば人間のつながり、趣味嗜好、健康状態、政治的思考まですべてを把握できるようになる可能性が高まる。しかも、そのためのコストは継続的に激減している。もはやSFではなくなったこうした世界を著者はフィルターバブルという言葉で表現している。ここでバブルというのは「経済のバブル」ではなく、「泡という意味でのバブル」だ。パーソナライゼーションされた情報圏の「泡」の中に各個人が包まれているという意味だ。
     筆者は解決策としてパーソナライゼーションのポリシーの公開、個人による情報のコントロール権の付与、適切な政府規制の導入など、幾つかの提案をしている。一つひとつの取組は困難を極めるが、大変重要な指摘だろう。
     井口耕二氏の訳もこなれていて読みやすい。一読をお薦めしたい良書である。

  • 既存の大新聞といったメディアと違い、インターネットという一見オープンな構造の中で情報がやり取りされているように見えて、実はネット社会でも検索エンジンの様な情報収集ツールは何らかの形で情報入手にバイアスがかかっている、という話。

    個々人の嗜好に合わせて検索結果順が変わったり、アマゾンなどで「こんな商品にも興味を持っています」という案内がされたりするというのが具体的な現象。
    こうした個々人に合わせて導き出される情報にバイアスをかける様になったネット社会のことを「閉じこもる」と表現されていて、個々人に対する情報提供にバイアスをかけることを「パーソナライズ」と呼んでいる。

    本来人は未知の領域に「たまたま」迷い込む事で新しい閃きを得たりするものだが、この「パーソナライズ」その機会を失っていないだろうか、というのが一番に提示されていた重要な問題であり、それは最もだと強く共感した。
    同じジャンルの情報に直ぐアクセス出来ることが便利なときも多々あるが、ときには未知なる知識に触れることが人としての成長を呼び込むことがあるので、このパーソナライズが進むネット社会には懸念を抱く。

  • 「コードが法」ならグーグルやフェイスブックのエンジニアが何を考えてコードを書いてるか理解しなければならない。 p.29

    関連性レースの中心にはパラドクスがある。パーソナライゼーションのアルゴリズムはデータを必要とする。しかしデータが増えると、そのデータを整理するためにフィルターの進化が必要になる。マッチポンプ。 p.53

    あなたの行動は商品になった。 p.62

    営業部門と報道部門を分離する新聞が登場した。客観性の支持、変更報道の糾弾。20世紀後半のジャーナリストの矜持、倫理的モデル。新聞は中立的立場から報道し、世論を形成する。
    リップマンのように批判した人がいたから、現状のシステムには倫理と公的責任が(不完全ながらも)書き込まれている。しかしフィルターバブルにそれはない。 p.76

    パーソナライゼーションは、幅広い知識や総合力が消えて過集中が増えるアデラル社会をもたらそうとしている。 p.115

    セレンディピティ。夢の論理を組み込む必要がある(エール大学教授デイヴィッド・ガランター)。 p.127

    パーソナライゼーションが進むと少数の巨大企業が大きな力を持つようになる。膨大な量のデータが集積されるため、政府(民主的であっても)がかつて無いほどの力を潜在的に持つようになる。 p.177

    Hello, World! システム化の全能感。システム化のトレードオフ。ルールによってコントロールしやすくなる一方、微妙な雰囲気や肌触りなど、深いつながりの感覚が失われてしまう。 p.211

    フェイスブックは自社を「ソーシャルユーティリティー」と呼ぶ。まるで21世紀の電話会社だと言いたいかのようだ。しかしプライバシーポリシーが不安定で後退しているというユーザーの苦情は「自己責任」だとして取り合わない。使いたくなければフェイスブックを使わなければ良いというのだ。大手電話会社が「電話の会話は公開する。それが気ににいらないなら電話を使わなければ良い」と言えるとは考えられないのに。 p.218

    事態をさらにややこしくしているのが、自社の成果が望ましくない影響を社会にもたらすとき、明白な運命という技術決定論的な表現を用いるオンライン世界のアーキテクトが多いことだ。シヴァ・ヴァイディアナサンが指摘しているように、テクノロジストは「〜できる」や「〜すべき」とめったに言わず、「〜になる」と言う。「今後、検索エンジンはパーソナライズされるようになるでしょう」と受動態で表現するグーグルのバイスプレジデント、マリッサ・メイヤーのように。 p.219

    技術は予定されたコースを進んでいると信じるエンジニアや技術決定論者は少なくない。 p.219

    大きな力をもつ新興のアントレプレナーたちにとって技術決定論は便利で魅力的だった。技術決定論であれば、自分たちがしていることに責任をもたなくてよいからだ。祭壇の聖職者と同じように自分たちは大いなる力の器にすぎず、その力にあらがうことは無駄と考えられるからだ。 p.219

    社会的な責任や政治的な責任に対するソフトウェアアントレプレナーの姿勢がめちゃくちゃなのも、驚くには値しないだろう。その主因は、できるかぎり速い成長を求めるのがオンライン事業というものだからだと思われる。まだ若いプログラマーが大成功と大金持ちへの道を歩きはじめるのだから、このようなことをじっくり考える時間がなくても当然だ。背後のベンチャーキャピタリストから「マネタイズ」の圧力を加えられることも、社会的責任について熟考している暇がない理由のひとつだろう。 p.220

    技術決定論者は、技術とは本質的によいものだと考えがちである。しかし、ケビン・ケリーがなにを言おうと、技術にはレンチやねじ回し並みの善意しかな... 続きを読む

  • サンスティン『インターネットは民主主義の敵か』とレッシグ『CODE』を混ぜ合わせて、事例を新しくしたような内容。
    こう書くと、もう既に大した内容ではないような気がするけれども(確かに新規性はないw)、非常にうまくコンパクトにまとまっている。それに訳文も読みやすい。

    サイバーカスケード=フィルタリングバブルをどう捉えるのかは、依然として問題であることは、間違いないけれども、それを批判的に捉えてうえで、民主主義の危機だ、討議型のコミュニケーションが取れなくなっている!と叫ばれても・・・「まあ、そうっすよね。それで何か問題あるんすか?もうそんなこと自明じゃん?」って感じになってしまうことは否めない。要は、2005年あたりに集中的に議論された事柄から、一歩も前に進めていない気がする。それだけ問題の根が深いと言われれば、そうかもしれないけど、だけど『一般意志2.0』みたいな話を読んでしまった後に、本書を読むと。どうしても・・・「うーーん?」って感じにならざるをえない。

    それにネット上でアーキテクチャを構築する企業や技術者に倫理が必要というのも、それはそれでわかるけども、それを啓蒙的に言われてもな・・・って感じ。

    まあ批判/非難っぽく書いてしまったけども、ジャーナリズム論の文脈では、面白い箇所もあった。

  • 中盤の「対話と民主主義」の議論で、著者自身が経験した村民集会の話を読んだ時、かつて宮本常一が『忘れられた日本人』で紹介した寄り合いの話を思い出した。宮本はそこでの話し合いが理屈や論理づくではなく、おのおのの体験したことに事寄せて、時間をかけておこなわれるものだとしていたが、著者の体験もそれに似て、自分とは異なる暮らしやニーズに触れ、共有する体験の場とみている。それが今日では、「アルゴリズムによって仕分け・操作され、設計に従いばらばらに砕かれ、対話に敵対する場」と成り果てていると嘆いている。

    ここから公共性とインターネットの関係がさらに論じられるのかと期待したが、パーソナライゼーションのアルゴリズムをどうすれば改良できるかという話に移り、少し肩透かし。結論も、企業やエンジニアの高い倫理性や情報公開に期待するもので、なんか落ち着くところに落ち着いた感じ。

  • ネット社会はとても便利なものですが、それと引き換えに我々が『彼ら』に売り渡しているものは…。極端な『パーソナライズ化』が利益をもたらすのか?それとも…というのは神のみぞ知るというところです。

    かつて、自由な場所といわれていたインターネットの世界もそれは昔の話。いまやアルゴリズムの急速な進化により、われわれに提供される情報はよりパーソナライズ化され、たとえば、私の見ているグーグルのある言葉に関する検索結果とあなたの見ている結果が違っていたり、Facebookに流れるニュースフィードは俗に「エッジランク」と呼ばれるアルゴリズムで、運営者側が「あなたと親しい方はこの方ですか?」という風に投げかけられた情報を見ていたり、Amazonでは購入したりクリックした商品を元にあなたにお勧めのものを表示してくる…。いまやこういう時代になったのかと読んでいて複雑なものを覚えてしまいました。

    かねてから、ネットの世界で「無料」というものに対して対価として払っているのはわれわれの個人情報であるという話はちらほらと聞いておりましたが、いわゆる「メジャー級」に知名度がある会社ではありませんが、アクシオムなどの個人情報を取り扱う会社が目立ちはしないもののこれで莫大な利益を挙げているということも本書から知ることができました。

    ネット社会がこのような傾向になっていくのは「ギークス」と呼ばれる開発者たちの思考回路がたとえば、世界が自分の思惑とは別の方向に進みかけているときでも
    「自分が間違っているのかもしれない」
    とは考えずに
    「世界が間違った方向に進んでいる」
    と捉える傾向がある、という記述も
    「あぁ、なるほど。彼らはそういう風にして『世界』をみているのか」
    という意味ではいい悪いは別としてとても参考になるものでありました。『フィルターバブル』の問題は今後もわれわれに付きまとってくるとは思いますが、それに対してどのような態度で臨んでいくのか?そのヒントとして本書はとても読み応えのあるものでございました。

  • 思わぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる、というのはAmazonでお買い物しつつ、本屋さんも好きな人なら痛感する事でもある、そもそもフィルターバブルに皆が気づいてない、というのが問題かも
    力を持つフィルターを私企業がそれぞれ好き勝手に開発し、どういう方針で何をどのように処理してパーソナライズしているのか全く不明な状態で、自分の言動が誤解されおかしなパーソナライゼーションになっていても訂正してもらう方法もなく、そもそもパーソナライズされているかどうかさえわかりにくい

  • あらゆるデータを用いてパーソナライゼーションが進み、キュレーションされていく情報化社会で、ユーザーが知らず知らずのうちに偏った情報のみにさらされている問題に言及。

  • バラ色のネット界に警鐘を鳴らすことは大事である。

  • 現代におけるインターネットはGoogle、Facebookといった企業による情報フィルター化により、受け取る情報が個人別にパーソナライズされている。それに伴う情報操作と個人情報の漏洩。伊坂幸太郎やマイノリティ・レポートの世界が絵空事ではなくなる段階が近づいている。

  • "パーソナライズドフィルター"により検索結果、数も内容も大きく異なる、アルゴリズムによって観測され、自身の興味関心を映すようにgoogleもfacebookもなっていることに警鐘を鳴らす一冊。メモ。(1)ニュースフィードは当初友達の行動をほぼ全て表示する形になっていた…。対策としてフェイスブックはエッジランク(Edge Rank)を導入した。デフォルトのページ、トップのニュースフィードを動かすアルゴリズムだ。…三つの因子がベースになっている。一つは親近性。…プロフィールの確認ややりとりに時間を使う程、その相手のアップデートがフィードに登場する可能性が高くなる。…二つ目はコンテンツタイプの相対的な比重である。…三つ目は時間である(2)報道機関に対する信頼は低下しているがアマチュアやアルゴリズムによるキュレーションという新しい世界に対する信頼は上昇している。…しかしアマチュアキュレーターのネットワークに頼ることには二つの問題がある。①フェイスブックの友達は一般的なニュースソースよりも自分と似たものになってしまうこと、類友だ。現実世界の隣近所も同質化が進んでいる②パーナライゼーションフィルターの改良。我々のニュース体験、どのような記事を制作するかの経済的側面を変えていく(3)インターネットは基本的に分裂と局所的同質化が進んでいる。(4)フィルタリングシステムを普通の人にも見える様にすべきである。(5)いいね!の隣に重要!ボタンを置いたらどうだろう?

  • 同じ言葉を調べたにもかかわらず、グーグルの検索結果が個人個人によって別物であるってことはご存知?個人の検索履歴をもとにグーグル側でいわゆるパーソナリゼーションが行われているわけなのだが、自由に個人のが意見を表明したり、自由に幅広い知識を得て、共有できる場であるはずの、インターネットが利用者に対してフィルタリングされている(グーグルやFacebookなどがその筆頭)現実に警鐘を鳴らしたものだ。自分の趣味趣向、意見にあった情報や人付き合いしか用意されなくなるぞという点には大いに納得。立ち止まって振り返る機会を提供してくれる好著です。

  • 表紙のデザインと、東氏や津田氏の宣伝帯が残念なものの、中身は結構よく出来た本です
    ただレッシグの本を読んで、現在の状況までフォロー出来てる方にオススメかというととても
    こういう意見もフィルタリングの一種かもしれませんが

  • 原発の件についてどうしてあれほど反対派と賛成派で議論がすれ違うのだろうか。おそらく反対の人は反対の意見しか見ずに、賛成の人は賛成の人の意見しか見ない。インターネットが広がった世界では、似たような背景と意見を持つ閉じたソーシャルな関係を通して、ますます自らの意見を補強していく。著者はフィルタリングされた情報によって閉じられた世界(自分だけの情報宇宙)のことをフィルターバブルと呼ぶ。「インターネットは現在、基本的に分裂と局所的同質化が進んでいる」(P.89)

    こうして異なる意見の対立が、お互いのコミュニケーションが不足したまま、より先鋭化されていく。この弊害に対して、著者は強く警告する。素朴なパーソナライゼーション推進に対しては反対し、個人情報がGoogleやFacebookなどの特定の私企業にその個人がコントロールできない形で溜めこまれて利用されることに反対する。

    もちろん話はそう単純ではない。パーソナライゼーションは確かに便利だし、その流れはもはや押し戻すことはできないことのように思われる。だからこそ、ということなのだろう、著者は政府の介入の必要性まで示唆する。「しかし、利潤追求を目的とする私企業に任せるには重要すぎる問題もある。その部分は政府が対応すべきである」(P.289)

    「シリコンバレーのテクノロジストは、これを勝ち目のない戦いだと言う人もいる。個人情報は個人の手を離れてしまい取り戻すことができない。今後はそういうものだと思って暮らすしかないのだ、と。しかし、みつからないように盗みを働く人がときどきいるからといって盗みを禁じる法律が無駄なわけではないように、個人情報に対する法規制も完全である必要はない。法規制があればある種の情報のやりとりに摩擦が生じるし、多少の摩擦が大きな変化を生むことも多い」(P.293)

    この本を読んだ後でも、自分はパーソナライゼーションは推進されるべきだと考えているし、それによって世界はよくなると、素朴に考えている。相変わらず日本の個人情報保護法はこの世界の発展の妨げになっていると考え続けてもいる。そのことが既にフィルタリングされた情報によって培われた感覚なのかもしれないのだが、そうであったにしてもだ。

    元来、インターネット以前から人は見たい情報しか見ないものだが、その傾向がより助長されているのは確かだろう。原発問題でも、消費税増税問題でも、そのことに対して意識的である人は実感できているはずだ。自分たちにとって、ひとまず最低限必要なことは、そのことに対して自覚的であろうとすることだけなのかもしれない。

    その前提の元で新しい言論やマーケティングの世界が開かれる。今よくなっていない部分は、その先のどこかで改善されていくと信じている。1984の世界はやってきようもない、と思うのだ。

    『一般意志2.0』の東浩紀が帯にも書いているが、この問題と政治との関係性は重要なポイントに将来なりうる、という視点が大切だ。

  • 「インターネット」という言葉を聞いた時に思い浮かべる「どこまでも広がる広大で自由でボーダーレスな世界」というイメージは幻想ですでに過去の遺物となってしまった、という話し。

    例えば、Googleの検索結果はフィルターがかかって人とは違う自分だけのものになっているし、Facebookのウォールには優先順位によって選別された友達の情報が並ぶようになっている。同じページを開いても隣りの人と見ているページが違う、という意識はまだあんまりないんじゃないかな。
    無料でサービスを受ける代償として個人情報を切り売りする、のはその仕組みを理解した上で両者を秤にかければいいことだと思うんだけど、その成型された情報がもたらす思考の変化、が最終的にどういう結果につながるのかを考えるとどうも怖いなぁと。

    たまたまのタイミングだったけど、過度にパーソナライズされたコンテンツ群がもたらす意識の変容というか、社会の分断みたいなものを、先の総選挙でかいま見た気がする。ネットの常識は世間の常識ではないという事。気がついたら自分に都合のいい情報のみが自分の回りに溢れているというそら恐ろしい現実。Twitterのタイムラインから事前に感じてた空気と選挙の結果に致命的な乖離を感じた人も多かったのではないかと思ってる。

    ユーザーが利便性を求めた結果が今の状況を作っているのも確かで、クッキー切れば万事解決!という簡単な問題でもないのが悩ましいところ。本の中ではアレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を例に希望的な側面もあげてるように、悲観一辺倒になる必要もないんだけど。日常的にWebに関わってる人に読んでみて欲しい一冊。

  • GoogleやFacebookで行われている、パーソナライズとフィルタリングについて警鐘を鳴らす本。
    ネットの情報の多くは、実は個人一人ひとりの好みに合わせてカスタマイズされた上で提示されている事を教えてくれる。
    これからのネットのあり方と情報の受け取り方について、考えさせてくれる。

  • FacebookやGoogleによる情報操作の怖さを訴える本でした。それにより行われるパーソナライズにより段々と閉じた世界に陥ってしまうと続きます。好きなものだけ食べてちゃダメよって話でした(違うな)俺はオンラインもオフラインも適度に楽しもうと思うのでした~

  • 少し前にネット界隈で話題になったものを、いまさらながら読了しました。FacebookやGoogleのフィルタリング(に関する問題点を洗いざらい表面化してくれてます。ネットでビジネスをしてる人は一応目を通しておいた方がよいって感じかな。まぁでも既知のことが多いかなと思います。

    一方で「インターネットのフィルタリングって何?」「Google検索が人によって表示されるものが違うのなんて知らない」という皆さんは、ちょっと読みにくいかもしれませんが、是非目を通してみてください。話題になるだけはあり、今のインターネットの問題点をよく書き切っています。

    個人的には、本書はBookscanで電子書籍化し初めてiPadで読了した書籍となりました。いろいろ線は引けるし、あとでそこだけ検索できるしで便利なことこの上なし。今後もしばらくiPadでの読書を続けたいと思います(2012.11.4読了)

  • インターネットはオープンな世界と思いきや、実はパーソナライズされているというのは、企業(広告)目線では当然かもしれないが、利用者からみるとコントロールされているということは怖いですな。 まぁそれを認識してインターネットと付き合う必要がありますね。

  • ネットが個人の情報を元にフィルタリングされているお話。最近始まったものと思いきや、事例をみると割と前からすすめられているようです。
    広告でみれば、ユーザーが食いつかない広告を出しても意味がない訳で、企業の活動は利益をうまなけばならないことを考えると、ますますこれから強くなることでしょう。
    すべての人のめに止まらないといけない情報までフィルタにかけられてしまうのが心配。

  • 東浩紀、津田大介両名がコメントを寄せていたので読んだ。
    インターネットはつまらない。答えしか教えてくれない。というのに共感。
    すべてがフラットでどこへでも、なににでもアクセスできるけれども気づけばフィルターバブルに飲み込まれている。

    早速、対策として、クッキーを切ったり、フィルターバブルに飲み込まれないためのChrome拡張を入れた。
    またテレビも見るようになりました。

  • 情報がパーソナライズされ触れる情報の傾向が限られて行くことを「閉じこもる」と表現している。その「フィルターバブル」という独立した世界により何が引き起こるのかを考察した本。
    システムが原因で何か問題が起こるのならシステムで解決できるのではないかとも思うが、ともかくインターネットが持つ影響力から出る不安点の1つをきっちりと指摘している。

  • GoogleやFacebookの隠されたフィルタリングシステム。インターネットの普及で世界中のことが何でも即時に知ることができるようになった気がするが、現在個人情報がフィルタリングに使われ、気が付かないうちに「自分だけのブラウザ」で情報を制限されている。さらには思いがけないところで利用されている。うすうす気づいてはいたが、このフィルタリングバブルが、経済性の追求へ利用されていくことにより、資本経済の失敗がwebでも繰り返すことが明らかである。オンライン世界の企業はその責任を大きく受け止めてほしいが、まずは自分の身を守るためにも賢くならねば。

  • ネットフィルタリングの危険性は、今や教養と言うか基本知識として知っておかなければいけない。
    本書のエッセンスは漫画にして教科書に載せる位しても良い。
    本文がやや冗長、後書きが良くまとまっているので最悪それに目を通すだけでも良い。
    読みながら考え付いた対応法のほとんどが終章できちんと提示されていたことにも感心。
    オープンソース・フィルタリングとでも言うべきものがそろそろ出てくるのだろう。そういう健全な揺り戻しに期待するし、それが無くてはいけない。

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閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義の作品紹介

あなた好みの情報を自動的に取捨選択して見せてくれる、近年のネット社会のフィルタリング技術。その裏に潜む、民主主義さえゆるがしかねない意外な落とし穴とは-。「フィルターバブル」問題に警鐘を鳴らすニューヨークタイムズ・ベストセラー、待望の日本語版。

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