- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152097583
作品紹介・あらすじ
品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い……。ノーベル文学賞作家の代表作が新装幀、新判型で登場。
感想・レビュー・書評
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2019年10月10日読了。休暇をとった英国の老執事は、自動車旅行の途上で自分の執事人生・主人・館での日々を回想しはじめ…。ノーベル賞作家となったイシグロ氏の99年の作品だが、ものすごく「テクニカル」な小説だ、という印象。文体は優雅だし(英語で読んでみたいもの)、一人称の主人公の手記という形式にも不自然さが全然なく、語り手が「語らないこと」を否応なく意識させられる構成、世界情勢やイギリスの変化に想像が膨らむ描写、など実に見事な小説だ…。「主人公がプロの執事」である、ということが「肝心なことを語らない語り手」という設定に必然性を与えている、ということにも感心する。ラストも、もっと違う形のエンディングもあり得たと思うが、「この終わり方にしてくれてありがとう」と作者に言いたくなる洒落たもの。胸が苦しくなる・後悔する思い出がある、というそのことこそがまさに「自分の人生を生きた」ということの証になるのではあるまいか。
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ダーリントン・ホールを取り仕切る執事スティーブンスの語りから、第一次世界大戦〜第二次世界大戦後の英国が見えてくる。
現代社会からみると、スティーブンスがあまりにも堅物で、読んでいて薄寒くもなった。旅を通して、執務に固執するあまり見失ってきたものを認識した場面を見て、人の子なのだとようやく安心できた。
旅の情景描写は美しかった。 -
何度読んでも、好きな作品だなぁと思った。
映画を先に観ているせいで、アンソニーホプキンスとエマトンプソンを思い浮かべながら読んでしまうけれど、それはそれでよいかと。
せつないけれど、明るいラストがよい。
翻訳者土屋さんのあとがき、村上春樹の解説も、おもしろかった。
翻訳と校正は似ている部分があるという話を聞いたばかりだったので、土屋さんのエピソードになるほどと思った。 -
2017年にノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの書いた本。第二次世界大戦前後における英国執事の生活を通して、人間の品格やプロとしての仕事への取り組みについての考え方を知ることが出来る。
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結構好きでした。
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村上春樹の解説つきということでこの版を選びましたが、まぁこの小説自体普通にわかりやすい内容なので、特に必要ないかも?笑
イシグロの作家性について触れてる部分はなかなか面白かったです(以下ネタバレです)。
執事という役割に殉ずるあまり、雇い主の罪すら罪と認めることができず、自分の恋愛(人生)も犠牲にしてしまうってものっそい日本人っぽい職業人生だなと思いました。この執事は一言で言うならナチス・ドイツのアイヒマン(凡庸な悪)そのものなのですが、おそらく本人はこの先もそれを自覚することはないでしょう。
わたしはカズオ・イシグロの小説に漂うある種の諦観に触れるたびに、かなり憂鬱な気分になるのですが、それはそれとして名作であることは間違いないです。 -
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一言言うなら『エマ』が好きな人は読もう。貴方の「好き」が詰まっているぞ。
自身の盛りを過ぎたとある執事の旅行記。
その道すがら思い出されるのは華やかで誇らしい過去の記憶。
冗長とさえ言える情景に対しての仔細な描写。その冗長さ故に窺い知れる彼の人間性。
そして彼が仔細に語れば語るほど、彼が決して語ろうとはしないもの、完璧であろうとした彼が取りこぼしてきたもの、他者である我々には自明のものなのに、彼だけが気づかないものがくっきりと浮かび上がってくる。
その描写の優雅さと奥ゆかしさと心地良さと物悲しさ。
自分が人生を賭けてもいいと思ったものが、これこそが信頼に足るものだと思ったものが本当に価値のあるものだったのか。
その為に犠牲にしたものを、自分は本当に理解しそれを受け入れられているのか。
それらを今更「何の意味もなかった」と思う事がどれだけの絶望か。
旅を共にしてきた私たちは、旅の終わりでふと出会ったおじさんに話す彼の胸の内をもう知っている。
それを言葉にしてしまっている彼に少し安堵している。そしてその相手がミス・ケントンでないことが小説として本当に素晴らしい。
孤独も幸せも、品格も矜持も、覚悟を持った個人の胸の内に宿る。
それが他人から見てどんなに滑稽で惨めに見えたとしても、そんなことは結局、どうだっていいのだ。 -
品格ある執事の道を追求している主人公。新しい主人とのよりよい関係づくりの為に、昔雇っていた女中頭に逢いにイギリスの西に車で旅に出る。イギリスでしか生まれなかった小説。国賓級の重要な会議が館で開催されるとは。。異次元の世界だ。最近改定されたのだが、”ありますまい”とか古臭いいんぎんすぎる翻訳は、原作の価値を下げている。小説としては面白いのだが少し残念。
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村上春樹が小説ごとにストラクチャーを変えて執筆するイシグロの姿勢に驚嘆の意を示したのは決して村上春樹自身がイシグロとは正反対に同じストラクチャーで執筆し続けたからではないだろう。イシグロは小説の持つ偶然性の賜物に縋るのではなく、むしろ実験的に小説の技巧や種類別の特性を研究して、そこから得られるものを吟味しながら書いているのが我々が読書をしている中でも感じ取ることができる。例えば彼は「わたしを離さないで」でSFチックな世界観の中で一人の人間の成長を描き、現実離れした倫理観と私たちの心の対比を読者に実施させることに成功した。SFというのは本来読者たちとは程遠い領域で発生しているとみられるものだがイシグロは見事にそのジャンルにおいて真に私たちに語りかける物語を作り上げることに成功したのである。そのように、イシグロは研究を重ねてきたのである。だが、いずれにしてもイシグロはやはり一貫して小説を執筆する上での意志みたいなものが感じられるのである。イシグロの小説をたくさん読んだわけではないので手前味噌で申し訳ないのだが敢えて推察してみると、イシグロはもしかすると閉鎖した空間の中での人間の心情を描いているのではなかろうか。小説というものはえてして無限に広い空間を構築することができるので登場人物たちが振る舞うその舞台も大きくなりがちであるがイシグロの小説はそうではなく、むしろ一つの建物内に集約されてしまうほどの領域で物語が紡がれているのである。私は思うのだが、彼はそうすることによって人間が本来抱えている信念や意識づけを浮き彫りにしようとしたのではないだろうか。そして、それが記憶に置き換えられる時とのギャップを観察しようとしたのではないだろうか。史実と人の記憶とのギャップはいつでもあるもので、ある時は非常に理不尽なこともある。それが日の名残りでは描かれていて、私たちにその存在を再認識させてくれる。彼はそのように、ともすれば忘れてしまうようなことを思い出させてくれるのである。私はこの小説に出会えたことに感謝しつつ、その冒険の中で得られたいくつもの思い出が日の名残りのようにあり続けれ欲しいと願った