春の夢

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163081809

感想・レビュー・書評

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  • 私と主人公との共通点があり興味深く読めました。仕事をしていた大阪梅田周辺、20年間暮らした阪急武庫之荘、何度か行ったことのある住道、本当に懐かしい。

  • 宮本輝大会5冊目。トカゲを釘にさすやつ。前にも読んだようだ。全く覚えてなかった。面白い。

  • 哲之はふと、死が確実に行くてに待ちかまえているからこそ、人間は、何がいったい幸福であるのかを知るのではないだろうかと考えた。死があるからこそ、人間は生きることが出来るような気がしてきたのだった。彼は母の匂いを思いだした。生前の、父にまつわる楽しい思い出が、波のように、心の淵に押し寄せてきた。陽子のふくよかな微笑と清潔な体が哲之を包んでいた。アパートに帰り着いて、キンに餌を与えたあと、パンツ一枚になってビールを飲むときの、こころのほどけていくような感覚が甦った。それらはみみな、いまの哲之にとっては幸福と呼べるものであった。死があるから、人間は幸福を感じるのだと、哲之は胸の内で呟いてみた。そんなふうに考えたのは初めてのこどであった。それはあたかも何物とも知れぬおおいなるものの囁きであるかのように、彼の中でこだました。すると、いっそう幸福というものの正体が姿をあわわしてきた。だが、哲之は、それを明瞭に見つける事は出来なかった。哲之の心にふちに沸き上がった想念は、おぼろな姿をちらすかせて、やがて消えて行った。前の世、次の世、前の世、次の世....。その言葉は、始めのうちはけし粒ほどの火であったが、次第にめらめらと噴き上って、夥しい刺みたいな火を盛んにまき散らす炎となった。

    生き抜いている姿を見せたれ。地獄と浄土が別々のとこにあるんやないということを教えたれ。キンちゃんも俺も、どいつもこいつも、自分が身の中に地獄と浄土を持っているんや。そのぎりぎりの紙一重の境界線を、あっちへ踏み外したり、こっちへ踏み外したりして生きているんや。キンちゃんを一時間も見てたら、それが判るやろ」

    人生、先に何が待ち受けているか判るものでないが、勤め人として一生を送るつもりなら、断じて大企業に就職しろ。それが駄目なら役所勤めをしろ。そのどちらにも就職出来なかった場合は、どんな会社でもいい、まじめに勤めながら十年くらい時期を待ち、金を貯め、何か商いをするのだ。大会社か役所に勤めたら、絶対に何があっても辞めてはいけない。風は南風ばかりでもなく北風ばかりでもない。いつか必ず自分の方に吹いてくるときがある。やれあの上役がいじめるとか、この仕事は自分に合っていないとか考えて辞めていくやつがいるが、どこに職場を変えても結局はまた同じことで悩むように出来ている。そうやって転々と会社を変わり、気が付くとちっぽけな職場のセールスマンになっているのが落ちだ。しまったと思ったときはもう40も半ばを過ぎ、つぶしがきかなくなっている。けれども焙烙売りも我が商売という言葉がある。大会社にも役所にも就職出来なかったら、どんな小さな商売でもいい、一国一城の主になるために準備と勉強をするのだ。ラーメン屋でもいい。屑屋でもいい。小さな畑をこつこつ耕して行くのだ。それが70年生きて来て、さまざまな人間を見、多くの失敗を重ね続けた俺の、たったひとつの確信を持って言える生き方のコツだ。

    人間には、勇気はあるけど辛抱が足らんというやつがいてる。希望だけで勇気がないやつがおる。勇気も希望も誰にも負けんくらい持っているくせに、すぐに諦めてしまうやつもおる。辛抱ばっかりで人生に何も挑戦ままに終わってしまうやつも多い。勇気、希望、忍耐。この三つを抱きつづけたやつだけが、自分の山を登りきりよる。どれひとつが欠けても事は成就せんぞ。俺は勇気も希望もあったけど、忍耐がなかった。時を待つことが出来んかった。自分の風が吹いて来るまでじっと辛抱するということが出来んかった。この三つを兼ね備えてる人間ほど恐いやつはおらん。こういう人間は、たとて乞食に成り果てても、病気で死にかけても、必ず這い上がってきよおる

    春の夢 宮本輝著

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著者プロフィール

1947年兵庫生まれ。追手門学院大学文学部卒。「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞し、デビュー。「蛍川」で第78回芥川龍之介賞、「優俊」で吉川英治文学賞を、歴代最年少で受賞する。以後「花の降る午後」「草原の椅子」など、数々の作品を執筆する傍ら、芥川賞の選考委員も務める。2000年には紫綬勲章を受章。

「2018年 『螢川』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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