- Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163191409
作品紹介・あらすじ
旧幕府軍の敗退がほぼ決した鳥羽伏見の戦。大坂城からはすでに火の手が上がっていた。そんな夜更けに、満身創痍の侍、吉村貫一郎が北浜の南部藩蔵屋敷にたどり着いた。脱藩し、新選組隊士となった吉村に手を差し伸べるものはいない。旧友、大野次郎右衛門は冷酷に切腹を命じる-。壬生浪と呼ばれた新選組にあってただひとり「義」を貫いた吉村貫一郎の生涯。構想20年、著者初の時代小説。
感想・レビュー・書評
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新撰組隊士、吉村寛一郎の生涯を斎藤一や稗田利八、息子の友人らの回想を通して描く。聞き手は明らかにされていないが、貫一郎に関わった人々を訪ね歩き、語らせている。
貫一郎は少ない扶持で妻子を養っていくことができなくなり、南部藩を脱藩する。江戸に出て仕事を得ようとするが、何物にもなれず、新撰組に志願することに。
みすぼらしい身なりで風采の上がらない貫一郎は、周りから蔑まれるが、ひとたび剣を抜けばその見事な様に周りの者たちはうなり、一目置く。兄のところに身を寄せた妻子たちに手に入れた金を送ることが、彼の唯一の喜びであるが故に、金には汚いと言われ、それがまた罵られるもとにもなっている。
それでも彼は武士としての教養と品性、志、武芸において右に出るものがおらず、誰にでも変えることのなく誠実な態度によって若い志士たちから慕われている。
他人とは群れず、また人を信じ認めようとしない斎藤一も最初は気に入らない様子であったが、次第に貫一郎を認め、最後は彼にだけは御一新後も生きて永らえてほしいと願うようにさえなる。
貫一郎は不器用なほど自分を貫く。
そこには、凛とした、紛れもなくまっすぐな南部藩士の姿があるのだった。
戦争が生活の上にどっかりと載っている時代。
高圧的で、荒く、声の大きいものが強いと錯覚する。
しかし真に強いものは優しく、穏やかである。
自分を信じ、相手を信じる。
相手を認め、自分を認めることができる。
だから人を疑い、妬む必要がない。
人の好意を感謝しつつ受け取ることができるのである。
「八重の桜」からこっち、会津寄りの立ち位置で眺めている自分がいる。追い詰められていく者たちの辛さはいたたまれない。
救われない話の中に僅かばかりの光明や、ときおりニヤリとさせられる会話に人々の逞しさやしなやかさを感じてページをめくる手が止まらない。
下巻では、誰が語ってくれるのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本作が出版されて話題になっていた当時、「無名の隊士である何某が実は新撰組で一番強かった」みたいな話なのだろうと勝手に思い込んで読まずにいた。世間から20年遅れて感動している。
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南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組にあってただひとり「義」を貫いた吉村貫一郎の生涯。
今の日本と違い、この頃の日本は、いろんなところで忠誠を誓わなければいけないから、生きていくが大変だ。
一個人としての思いと、国の為の思い。そこが反していたら自分の思いは殺さなければいけない。
それをわかってあげられるかどうか。
同士の友情、家族への愛、日本人の奥ゆかしさ、真(芯)の強さ、全てが揃ってる小説だと思う。
胸がいっぱいになる本です。
上・下巻の感想。 -
新撰組、吉村貫一郎。
その消息を追った人物が、ゆかりの人を訪ね聞き
彼らの語りから、吉村貫一郎の正体が、それだけじゃなく、新撰組の本当の姿、幕末の無数の戦の正体が
徐々に明らかになっていく。
語り手である新撰組の一員が、大正になってもこうして生きながらえているのだ…と語るところをみると、
大正生まれの自分の祖母など、この代の子供や孫であってもおかしくないのか。
そう思うと、ほんの何代か前のこの幕末が
そう遠くない昔だったのかと気付く。
池田七三郎の語りは特に、切迫した新撰組をよく表した。
いえ、人間です。あたしは、人間です。には、思わず泣いてしまった。
章と章の間に、貫一郎の南部訛りの語りが挿入される。
いかに妻子思いで、義を重んじていたか。
斉藤一の言葉を借りると男として侍として父として完成しているあの男、だ。
(風貌と言い性格と言い架空の人物だが永遠の〇の宮部さんを思い出させる)
上巻を読み終えて、時代は大きく動く時。
新撰組に関して、じぶんは通り一遍の薄い知識しかなく読み始め貫一郎の最期を知らない。
いよいよ、下巻。だ! -
薩長も幕府軍もみな、男前に描かれていた。国のため、自身の主義主張のため命をなげうつことが美とされていた時代に、家族を思う新撰組隊士吉村の暖かさに号泣させられた。
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妻から推薦されて読んだ本。
浅田次郎氏の作品には硬と軟という二方向性がある。
自分はこの作品を通して浅田氏の「硬ワールド」に触れ、そして酔った。
彼は硬を書きたいために軟を書き、また、軟を書くために硬を書いているのだろう。
バイクの前輪と後輪のように、その両者が必要なのだ。 -
”新撰組で一番強かった男”、吉村貫一郎が貧しい妻子のために体を投げ出す「義」の心に感動。侍の義とは何ぞやというところで、建前に生きる周囲をよそに、きっちりと人間としての、男としての義を貫こうとする姿が、まぶしくてかっこいい。妻子のため「銭こ」に執着する姿も、その義を貫徹しようとする気持ち故のもの。だから誰も憎めず、そして鳥羽伏見の戦でも土方、斉藤ら誰もが吉村を生かそうとした。侍も、武士は食わねど高楊枝といった侍ばかりではなかった、身内を食わせていくことを第一とする侍だって実際にいて、そうした侍こそを「義士」とよぶ考えもあったのだと、幕末の時代を少し身近に感じることもできた。
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これまで歴史モノを読むのが苦手だった私が嵌まり始めたきっかけになった本。
とりあえず泣ける。もうボロボロと。この本の主人公の吉村貫一郎の生き様が深く心に焼きつけられた。いろいろな人間からの語り口で語られる彼の姿はひとつではない。しかし、どんな姿であっても義を遂行するという意味では少しもぶれず変わらない。この生き様がどこまで真実か、創りものかはわからないけれど、日本人としての魂に脈々と流れるものが、彼の生き様を、現在に生きる私たちにも痛く受けとめさせてくれるような気がする。
かなりの長編ながら、飽きもせずいろいろなところで胸を詰まらせながら読んだ。最初は南部訛りの言葉が慣れず、読みにくくはあったけれども、後半くらいからは南部訛りが出てくるたびに語り手と同じく、吉村貫一郎に想いを馳せ、懐かしさを覚えるようになった。すごく良い本であったと思う。これはもう文句なく最高評価に値する。 -
南部藩の足軽同心ながら藩内随一の能筆、北辰一刀流免許皆伝、藩校で学問の助教を務め、藩道場の師範代を仰せつかいながら、わずか二駄二人扶持で妻子を賄えず、脱藩し、新撰組に入隊。武士の義を重んじながらも、妻子にひもじい思いをさせないために給金の全てを国許に仕送り、斬られないために人を斬る。そこに義は、あるのだろうかと思う。何回か読まないとこの主人公の深いところが理解出来ないのかも知れない。