平成

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163211008

作品紹介・あらすじ

「陛下は吐血。洗面器一杯ぐらい」昭和が終わろうとしていた。苛烈な報道戦争の只中で苦闘する記者の姿を通して日本人を抉る問題作。

感想・レビュー・書評

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  • 『四人の総理候補のうち、七十八歳の一人が候補を降りたのは、その同じ日だった。残ったのは、総理から軽井沢へゴルフに呼ばれた三人である。三人は会談を重ね、「話し合い」で決めることができるかどうか延々と腹を探り合ったが、何の結論も出せない。総理はこれを見て、候補の一人を総理公邸へ呼び四十分間、二人だけで過ごした。この候補は最大派閥に属し、県議からのし上がった小柄な人である。内政には強いが「外交は浅学な私には分かりません」と公言する内向きの人とされている。会談が終わったあと、候補の顔は強張って青ざめていた。翌日に総理は、残る二人をそれぞれ呼んで二十分間づつ会談した。一人は新聞記者出身で外相を務めた大柄な好人物、もう一人は米国流の政治哲学を身につけ、額が怜悧に禿げあがった元大蔵官僚である』

    中曽根康弘、二階堂進、竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一、敢えて実名を出さずとも大多数の人がそれが誰のことだか判っていた時代は遠い過去となりつつある。それもその筈、この五人はいずれも既に鬼籍に入ってしまっている。今やその孫の世代がテレビを賑わす時代だ。しかし、昭和が終わろうとしているその時、当時は名前を言えば顔が浮かぶような「大物」政治家たちの暗躍する政局は、派閥間の抗争、内紛で喧[かまびす]しかった。もちろん、そんな記憶もじわじわと消えつつある。まさか自分が元号を三つも体験するとは思ってもいなかったが、この本に書かれている史実を並走して来た身として、いつの間にか(正にいつの間にか、だ)自分自身が齢を重ねていたことを痛感する。そして、本の題名である「平成」の終わりは、その一つ前の時代の終わり程には、狂騒劇の体を示さなかったなどと、ふと思ってみたりする。

    ジャーナリストとしての経歴を持つ著者が、どこまで自身の経験を語っているのかは定かではないが、天皇の代替わりと自民党総裁の代替わりの間で交錯する人々の思惑、その事実を一早く我が物にせんとする報道の在り方、そしてそれら全てを統べる日本村的柵[しがらみ]の中で藻掻く人々の思いが、怖いような真実味を持って語られている。あれから三十年以上経ち変わったことも多いけれど、平成の終わりに際して議論になった天皇の意志の受け止め方や、ここに来て急に誰もがポリティカル・コレクトネスに感化されたかのように拳を振り上げる出来事を見るにつけ、本質的には何も変わっていないということも嫌という程に再認識させられる。そして、忖度という言葉の意味も随分と歪曲されてしまったなあ、と妙なことを考えたりもする。

    天皇制に関しては反対でも賛成でもないけれど、明治以降の日本の歴史の中で天皇の神格化とそれに奉じることを強いられた人民の関係は、縦[よ]しんば強いたつもりが無くとも強い立場にいる側には常に責任があるというのが個人的な考えではある。戦後の法体制の中で人間天皇と再定義されたその人は、まさに人としてままならないことも多々あったかとは察するけれど、ひょっとするとその最たる責任の取り方を示された人なのかとも思ったり。個人の選択が貴ばれるご時勢ではあるけれど、その選択が必ずしも個人の志向と一致しなくとも、全体の事を考えて為されなければならない決定というものも、やはり、ある。その時、非難されることを引き受ける覚悟。それが個人が取り得る責任の本質ということだろう。そんな由なしごとをあれこれ考えて、なんだか青臭い気分に耽ってしまう一冊。因みに四人がゴルフをしたのは昭和62年8月30日。第三次中曽根内閣退陣まで二カ月余りのこと。

  • 平成 単行本 – 2002/8/1

    当時の雰囲気が鮮やかによみがえる
    2012年9月12日記述

    青山繁晴さんによる2002年に出版された小説。

    小説ではあるもののそれは明らかに青山さんが体験したことを思い返す形で綴られている。
    仮名になっているのは関係者に迷惑をかけないためだろう。
    夜討ち朝駆けの大変さなどメディアの記者職の仕事の実態を感じ取るのにも良い本であると思う。

    中曽根康弘元総理のことも出てくる。
    はっきり言って後釜の総理を影から操るようなことをしていたのは最悪だなと思えた。
    責任を取らない立場でやんややんや言う姿勢は政治家に限らず醜悪だ。
    本書では平成という元号がどのように決まるのかを追いかけることも書かれていて面白い。
    昭和が終わり平成がはじめる当時の雰囲気が鮮やかに蘇ってくる作品といえるのではないだろうか。

  • 日本における天皇陛下の存在の大きさが、改めてよくわかった。昭和天皇が崩御された時、高校生だったが、改めて昭和天皇の偉大さがよくわかりました。。

  • 10月半ばに台風直撃の中、京都で行われた「独立講演会」でこの作品ことを初めて知った。すでに絶版となっているため、そのときはアマゾンで1万5千円前後の高値がついていたが、今はもう少し落ち着いた値段になっているようだ。各地の図書館に所蔵されているという青山さんのお話だったので、地元の図書館を調べたらあった。早速借りてきた次第。ヒトコトでこの小説を言い表すと釈迦に説法的な表現であるけれども「上手い!」。通信社記者の目線から捉えられた昭和天皇崩御前後の政治を中心とした世の中の動きが、緊張感とものすごいスピード感をもって語れていて、手に汗握る思い出一気に読んでしまった。青山さんが共同通信時代に経験した取材活動のエピソードが元になっていると思われ、現場を踏んだものにしか出せない圧倒的な迫力。ふたりの魅力的な女性も登場して、ちょっとしたロマンスもあり、男ばかりで汗臭くなりがちな世界に、とてもよい新鮮な香りのアクセントを与えている。本書に登場する政治家はすべて実名を伏せてある。あとで調べてみてある程度は判明したのだけど、まだわかっていない人物がふたりいる。「日米の貿易交渉を取り仕切ってアメリカに絶賛され早くもいずれは総理の器の呼び声が高いスター政治家」と「総理側近として陰から政権を支え、新しい内閣では有力閣僚に抜擢されると噂された政治家」のふたり。誰なのだろう?

  • 私は、昭和や平成なんて元号は、面倒だから全て西暦に統一すればいいと考えていた。しかし、本書を読み、元号に対し様々な思いを込めていること、また、元号は日本の文化の一つであることを知り、従前の考えを改めた。

  • 心の中に涼しい秋風が吹き、清らかな小川の流れる、そんな読後感の小説だー!好き好き好き好き!青山さんの感性だぁ

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著者プロフィール

青山繁晴(あおやま・しげはる)
神戸市生まれ。慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。共同通信記者、三菱総合研究所研究員、独立総合研究所代表取締役社長・兼・首席研究員を経て、現・参議院議員(二期目)。派閥を超えた新しい議員集団「護る会」(日本の尊厳と国益を護る会)代表。ほかに現職は、東京大学学生有志ゼミ講師(元非常勤講師)、近畿大学経済学部客員教授。作家。小説に「平成紀」(幻冬舎文庫)「わたしは灰猫」(小社刊)、ノンフィクションに「ぼくらの祖国」(小社刊)「きみの大逆転」(ワニブックス【PLUS】新書)など。

「2022年 『夜想交叉路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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