H図書館内のカフェの書架に平積みされていて(そこは販売用)、ふと気になって自宅近所の図書館で借りてみた。本書の中に、
”「本は出合い頭の妙」と書いたのは誰だったろう。
どんなときに、どんなふうにしてその本を手に取ったのか。出合い頭のほんの一瞬で、その本が自分のものになったり棚に戻されたりする。”
という一文があった。この作品も出合い頭の妙だったよ。
読み始めてから、どんな作家さんだろう?とググったら著作一覧に『圏外へ』というのがあり、「あ、以前、挫折した本だ!」と瞬時に思い出された。R国にいる頃、電子書籍でトライした作品だったんだけど、まったくもって難解で、いくら読もうとしてもいっこうに世界観が頭に入ってこない。最短記録で放り投げた本だ。主人公は小説家。作品を書いているうちに話に行き詰る、そのうち作中で勝手に物語が動き出し、その中に小説家も巻き込まれ、やがてそれが現実に戻り…みたいな、確か挑戦的な構造とか、3次元、4次元的な云々という書評を読んで、どれどれと手に取ってみたと記憶するが、まったく肌に合わない作品だった。
なので、あの書架の平積みの本書の横に『圏外へ』も並べられていたら、あぁあの作家のかと放棄していただろう(それくらい『圏外へ』は難解だった)。並べてなかったのか、あったけど目に入らなかったのか、とにかく『圏外へ』の作家と気付かずに読むことになる、まさに出合い頭の妙?
そんな本書ではあるけど、よくよく読んでみると、これもある意味挑戦的な構造、一筋縄ではいかない作りをしている。
「旅する床屋をめぐる12の物語」と帯の宣伝を見て、あるいは1章あたりを読んで思うのは、そういうこと。 ”鋏ひとつだけを鞄におさめ、好きなときに、好きな場所で、好きな人の髪を切る、自由気ままなあてのない旅に出た”、”流浪の床屋”さんの話と普通は思う。
その手の話もあるのだけど、登場のしかたが時代と場所を選ばないばかりか、時に登場人物が読んでいる小説の主人公になったり(@「彼女の冬の読書」)、遠い昔のお伽話の中で神様の髪を切る(束髪する)人物になったり(@「草原の向こうの神様」)、翻訳家が北欧の作品に取り組んでいると、”北”と”星”を意味する現地語での名前を”ホクト”とその流浪の床屋の名前に訳すことで姿を現すなど(@「ローストチキン・ダイアリー」)、かなり縦横無尽に神出鬼没だ(時にはネコにもなっていた!@「星はみな流れてしまった」)。
こういうトリッキーな作風が好きな作者なのかもしれない(『圏外へ』は本作の後の作品だった)。でも『圏外へ』ほど難解でなく、それぞれが短編ということもあり、いつしか、次はどんな登場の仕方をするのだろうと楽しみにページを繰っていた。
旅の床屋ホクトを巡り、というか、様々な人々の人生の些細なエピソードの中に、少しだけホクトが絡んでくる。なので各エピソードはホクト以外の第三者の目線で語りはじめられる。話にもよるが、ホクトが絡まなくても成立しそうな物語もある。ただ、そこにいる人たちだけだと話が現実的すぎたり、ただ悲しいだけで終わりそうになるところ、どこか超越した存在としてホクト登場となり、小さな幸せを添えていく。そんな話が多い。その救われる感じがいいね。「草原の向こうの神様」が言うこの台詞に全体のトーンが凝縮されている。
「美しさが、しばしば悲しみと共にあるのはなぜか。私はずいぶんそれを考えてきたが、またしても私は答えを出せそうにない。美しさはいつでも永遠であってほしいが、悲しみには終わりが必要になる。」
後半ホクトがメインの話が増えてきて、終章は1章の伏線を回収するかのように時代も話も登場人物も繋がった話で締めくくる。そこでもう一度、1章を読み返してもいい(いや、読み返すべき)。「あぁ」とまたいろんなことが見えてきたりもする。
好き嫌いはあると思う。というか相性かな。インディーズのシンガーソングライターが作った歌のような甘ちょろいタイトルに「ふんっ」と思って手に取らない向きもあろうし、ちょっとSFチックというかファンタジーの要素が多く、読みはじめる前の予想(”旅の物語”という期待)と異なり嫌になる人もいると思う。 自分はたまたま気分にあったというか、本当、出合い頭の妙だったのかもしれない。
構成でないところで気に入ったのは、悪人がまるで出てこないところかな。そしてきわめてやわらかくてゆったりとした時の流れ、ハイキーで幻想的な映像が浮かぶ筆致で、軽やかに読めて気持ち良かった。
ホクトが軸になっているのは間違いない。話の主人公たちはそれぞれに居て、そこにホクトが絡む。ただ、その絡み方は決定的だったり、サラっとっとだったり。
なんだろう、ちょっと知ってるぞ、この感じと思って読み進んでいくうちに、あぁ、そうか、これって『ゴルゴ13』!?(例えとして良くないか?笑)。 ならば、まるで幻影のように現れるホクトの存在は、手塚治虫の『火の鳥』だなと名作漫画の例を思い出したりしていた。
あとは”天使”と、タイトルにあるように”空”がキーワードかな。天使はアイコン的に、各ストーリーに一体感を持たせるためとは思うが、”空を見る”という行為には、なにか、人生の転機を、あるいはひとつの決断を促すキッカケという意味を持たせているのかな、と思って読んだ。
「海の床屋」では、主人公の女の子から男の子眼鏡の話を聞くと”ホクトさんは空を見上げたまましばらく手を休めている”、「水平線を集める男」でチェス好きの親方は次の一手を考えるとき、”相手もいないのに一人で空を見上げ”、「リトル・ファンファーレ」のニトムは最高の演技を見せるため”しばらく宙を見つめて考えなおし”たりするのだった。「ワニが泣く夜」の男と駆け落ちする女は、”あの夜、ことさら暑かったわけでもないのに、男が連れ出そうとした女の部屋は窓が開け放され、空を見ていたのだと”語る。
そうだよね、コトをはじめるときは、俯いて考えるんじゃなくて、空を見上げて何かを感じたほうがいいことあるよね。
本書の最後の文章でホクトは、”ゆっくり右手に鋏を構え”る。そして 、
”また風が吹いてくる。
それからしばらく空ばかり見ていた。”