猫を抱いて象と泳ぐ

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著者 : 小川洋子
  • 文藝春秋 (2009年1月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163277509

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猫を抱いて象と泳ぐの感想・レビュー・書評

  • 唇がくっついた状態で産まれてきたからか、無口で空想の象と壁に挟まった少女のミイラだけが友達だったリトル・アリョーヒン。ある日、回送バスに住む巨体のマスターにチェスを教えてもらい、どんどん世界が開けていく。
    無口だけれど、チェスの盤上で広大な表現を繰り広げられる職人的な姿が誠実さと堅実さを醸し出し素敵だった。マスターやミイラや様々な人との絆もまたチェスによって固く結ばれていて、チェスという小さな存在が与える大きな力を感じ、えらく感動してしまった。最後は少し切ないけれど、チェスが人々を幸せにするお話と言って良いと思う。

  •  1997年IBMの作成したコンピューター「ディープブルー」が当時のチェスチャンピオンであるカスバロフ破りました。最近では将棋の電脳戦が話題になりますが、本書は人間が操るチェスマシーンの中でしか、自分の世界を愛せない人のお話し。

     実在のチェスチャンピオン、アリョーヒンを素材に、大人になることを、大きくなりすぎることを恐れ、拒否し、小さな体のままチェスマシーンとともに生きたリトル・アリョーヒンの人生が描かれています。

     小川さんの対談の中にも、「アリョーヒンの背後にこのような存在を設定してもよいかもしれない」とありましたので、あくまでフィクションの世界。しかしながら8×8のマス目で繰り返される駒の詩に浸って、小川さんの描く世界に引き込まれていくと、実在の話?という思いにもなりました。

     特異な形のチェスの対戦を通してのみ、自分の存在を確認できる主人公の存在、途中から寄り添うように最後まで彼を見守る少女の存在。独特な小説の世界に浸ることができました。

     数学的美しさの世界は「博士の愛した数式」を必然的に思い出します。数学者藤原先生とのお話しにもあるように、数学の奏でる形式美に浸るような感覚も残ります。

     「世にも美しい数学入門」 藤原正彦・小川洋子 ちくまプリマー

  • リトル・アリョーヒンの友だちは一つの場所に囚われた者たちばかり。デパートから降りられなくなり一生を過ごした象のインディラ、壁の隙間で死んでしまった少女の幽霊ミイラ、太り過ぎてバスから出られなくなったマスター。そしてリトル・アリョーヒン自身もチェス盤の下に囚われている。けれど盤下から、広くて深いチェスの海に泳ぎだすことができる。薄暗い海の底にいるようで、息苦しく切ない、素敵な雰囲気の本でした。さすが小川洋子さんです。

  • とんでもなく美しい世界が広がっていた。

    叙情詩のように語られる、
    広くて深い幻想的なチェスの世界。
    個性的で魅力溢れる駒たち。
    チェスについて何も知らない私でも
    ほんの一片なのかもしれないけれど
    その旋律の美しさを不思議と感じることができた。

    これが映像での表現だったら微塵も理解できなかっただろうな。。。

    文章だからこそ伝わることってあるんですよね。
    これぞ読書の醍醐味!


    登場人物はどこか奇妙で
    どちらかといえば世間からないがしろにされている人たちばかり。
    ひっそりと窮屈な生活の中に閉じこもっている。

    しかし彼らは自分の存在価値とかそんなものに縛られることなく
    内には広くて美しい世界をもっている。
    彼らの慎ましい生き方や世界観、
    豊かな人間性に神々しさまで感じた。

    一人、暗くて狭いチェスの盤下で
    仲間とともに大冒険を繰り広げ
    誰もがはっとする最善のチェスを指し続けた
    リトル・アリョーヒン。


    ぎゅうぎゅう詰めの満員電車の中で
    “こんな世界があったのか”と、
    一人、美しい場所に連れて行ってもらえた。

    そんな読書体験だった。

  • 夙に日本の女流作家に対してかなり切実な苦手意識がある。実を言えば日本に限った話ではないが殊更目に付くのはやはり日本である。何故かと言えば答えは単純で、要するに、彼女らの作品には色恋沙汰を語る言葉が怒涛のように氾濫しているからだ。恋愛こそ至高の文藝的課題であるとさえ言いたげなその類の言説の洪水に、僕のような人間は足が竦んでしまうのだ。

    僕は文藝としての恋愛を否定したいわけではないし、そんな資格は毛頭ない。ただ、恋愛を通して世界の多くを説明しようという試みには強い疑念を感じるということだ。恋愛で語り得ることは、恋愛で語り得ることだけである。少なくない数の女流作家が一様に世界と恋を限りなく接近させて愛を説くその姿勢は、「恋愛」という概念からの圧力に怯えているようにすら見え、名状し難いもどかしさを覚える。

    小川洋子は、そういった通俗的な「恋愛」から遠く隔たった場所に佇んでいる。少なくとも僕にはそう見える。時折彼女が披露する透明な感覚の発露は、恋愛と呼ぶにはあまりに純粋で、繊細で、脆い。恋も愛も、小川洋子その人にとっては猫や象と同じ水準の、表現手段としてのモチーフの一つでしかない。その恬淡な筆先から零れ落ちる文章の数々は、男性である僕にとって極めて異質な女性性に溢れている。

    『猫を抱いて象と泳ぐ』はチェスに生きた一人の少年を巡る物語である。リトルアリョーヒンと名付けられた彼は、チェスに出会い、人に出逢う。彼のチェスと彼の人生は緩やかに溶け合い、混ざり合い、やがて区別の意味を失くして一つになる。盤上を妖精のように踊るリトルアリョーヒンは、小川洋子によって巧妙に擬人化されたチェスの観念であり、この小説はまた、チェスというゲームに向けられた註釈の数々と、一篇の遠大な比喩である。

    偶然の出会いの果てに訪れる別れも、熾烈で美しい勝負も、およそ人生で経験されるあらゆることを、彼女はチェスの盤上に見出した。本書は紙と活字で編まれた盤であり、駒である。盤を挟んで向かいの席、静かに初手を繰るのは小川女史だ。ページをめくればゲームは自ずと進む。『猫を抱いて象と泳ぐ』というのは、ある邂逅を約束された、贅沢な一局なのである。

  • チェスの名手、リトル・アリョーヒンがチェスと出会い亡くなるまでのお話です。不安と透明感がない交ぜになった静謐な雰囲気になんだか泣きたいような気持ちにさせられました。登場人物は皆、神経質なこだわりや脆さを抱えていますが、そのままに受け止めようとする人々のかかわりあい方がどこまでも優しいです。リトル・アリョーヒンの祖母が布巾を手放せないくだり、もう切なくて、生きてるっていびつでどうしようもないことの積み重ねなんだなあと感じさせられました。

    ***

    小川洋子は尾崎翠に似ていると言われているらしいのですが、あまりピンときません。悲しみに深入りしない優しさ、母親の不在、おばあちゃんの頻出、モチーフへのフェティッシュなこだわりなどが共通点かと思いますが、理屈で考えているので腑に落ちていません。孤独や不安といった感情が作品の底流にあるのも両者の共通だと思うんですが、その趣が異なっているように感じているので、あまり類似性を感じないのかなあと思っています。

    尾崎作品の静けさは長く考えつづける静けさで、〈書く〉ことへの希求を抱えながらひとりで生きていくことへの孤独や不安はありますが、小川作品は生きていることそのものに対する孤独や不安が描かれているのではないかなあと思います。リトル・アリョーヒンはチェスという無二の心の支えを手に入れてもなお、心は不安定に晒されます。ですが、チェスを指すことそのものへの不安は感じていません。チェスは無二のものだからこそ疑いがなく、思うままに書けず思い煩う尾崎作品の小野町子とはやはり異なっています。

    おっと、気づいてみれば小川作品というより「猫を抱いて像と泳ぐ」との比較ですね。本格的に小川作品と尾崎作品の比較をやってみたいです。

  • 気がつくと、リトル・アリョーヒンとそっと泳いでいた。

    大きくなって
    屋上からおりれなくなった象、
    回送バスからおろせなくなったマスター。
    そして狭い壁の隙間にそっといるミイラ。

    大きくなることを拒んだリトル・アリョーヒンは
    小さな小さなチェス盤の中で
    大きな大きな世界を旅をする。

    話全体自体が泳いでいる時のような、
    淡く優しく包まれたような雰囲気で、
    個性的なキャラクターたちと主人公のチェスを、
    そっと見守る気持ちになる。

    チェスとリトル・アリョーヒンから見える世界の話が
    静かにしっとり流れてゆく。
    こういった世界観が好きな人には非常におすすめな一冊。


    久しぶりにとてもよい世界を感じました。
    切なくなるけれども、何か包み込むようなやさしいおはなし。

  • 幻想的なチェスの話。
    チェスの升目の海を泳ぐような対局はとてもかっこいい!
    チェスに群がる人は様々で、喜び、愛し、悲しんでチェス棋士の伝記のような話
    でも伝記でなくてフィクションなのが面白いです。
    チェスの海に捕らわれているようで、楽しんでいて、登場人物みんな人生が窮屈なようで、まあいいかと思っていてそれが印象的でした。
    最初のバスの中での穏やかな日々がとても好きです。
    猫のポーンには再登場してもらいたかった・・・!

  • のちに”リトル・アリョーヒン”と呼ばれることになる少年の、美しきチェスの物語。
    終始静かに物語は紡がれてゆき、読んでいるうちに海底を漂うような心地になった。
    チェスのルールはわからなかったけれど、小説を読み進める上では問題なかったし、読み終えてからチェスをやってみたいと強く感じた。
    何が、という言葉では語れないけれど、この先も忘れないであろう一冊。

  • 何かが欠落している『小川ワールド』は残しつつ、今回の作品は、チェス差しの主人公が華麗なる棋譜を追求し、静かな美しい時間が流れていく。

    特に後半の手紙のやりとりには、鳥肌モノですね。
    最後のロープウェイの場面は、看護婦に抱かれてすれ違うミイラの想いのところもたまらなくいい。

  • この本の持つ静寂がとても心地いい。

  • ゆっくり丁寧に、一つ一つの言葉をかみしめながら読みたい、そんな物語だった。強いチェスよりも、美しいチェスを。それはきっと、どんな分野においてもそうなのだと思う。もちろん、それは言葉の世界においても例外ではない。美しい言葉、それは知識をため込むためのものではなく、感じるためのもの。だから、ゆっくりと身体に染みとおるように、読みたい。

  • チェスを愛した一人のお話。チェスは知らなかったけど、文章がすごくキレイで、やさしくて、読むと心が落ち着いた。静かに話が進んでいくけど、スッと心が入り込める。ラストはとてもせつなかったけど、じんわり胸があたたかくなった。

  • 小川先生の作品を読むといつでも、
    小さくひっそりとしていること、控えめであること、世間になじめないこと、それらに満足し、受け入れることに美しさを感じます。

    そしてこの作品は、その真骨頂!というべき作品。
    まるで美しい絵画鑑賞をしているかのような気分になります。

    デパートの屋上にいる象、プールの隅で亡くなったバスの運転手、バスの中で暮らすおじさんと猫、壁の間に挟まって動けなくなった女の子・・・全く関係なさそうなすべての登場人物(動物)に関係する糸があり、その糸が表す図形が美しい。

    雨の日にもう一度読みたい。

  • まず題名に魅せられ
    中身にも酔い
    ため息です

  • 唇に産毛が生えているアリョーヒン、太ったマスターは実に美しいチェスを打ちます。チェスを打つ者にとって、見た目なんて関係ない。チェスを打つ者は盤上で打つ手が全てで、互いに対局を通じて、次元の超えた対話をしているということです。まさに、盤上に潜るという感覚、スポーツで例えれば、ゾーンとでも表現出来るのかな。言葉なんて、賢し顏で知識を身につければ、容姿なんて、化粧をすれば、着飾ることが出来る。しかし、チェスを打つという行為は人格がもろに露呈する。印象深い身体的特徴、さらに顔を隠し、ロボットに入ってチェスを打つという展開は盤上での対話を印象付ける演出だったと思います。小川洋子さんにとって、今作は「博士の愛した数式」のように、そのような言葉に出来ない、目に見えない、透徹とした美を言葉にする挑戦だったのだと思います。敷衍して言えば、結局は言葉も容姿も、いくら取り繕っても、滲みでる美があるということかもしれません。文章も然り。ストーリーの秀逸さではなく、紡ぐ文が醸し出す魅力で読者を圧倒させる。物書きにとっての最大の命題なのではと思います。ここまでくれば、もはや、古典となりえます。誤解を恐れずにタイトルについて触れれば、猫の名前はポーン。象は大きくなり過ぎて屋上で生涯を終えたことから、猫とはチェス、象は懊悩に満ちた人生として解釈出来そう。泳ぐとは盤上のゾーンに入るということで、「猫を抱いて象と泳ぐ」とはチェスを胸に、人生を夢中で謳歌するといったような意味に勝手に解釈しておきます。

  • 良いな、好きだな、と思える本を読んでいる時、文字や文章は、紙に印刷された状態から、私の頭の中で密やかな音楽に変化してゆく。
    それは、言葉では説明出来ない感覚の境界を超えたもので、それを基準にして私はいつも本を読んでいる。
    楽しい物語、笑える話、哀しいものや興奮させられるものは沢山あって、好きと云える作品も沢山あるが、頭の中で音楽に触れる文章を書く作家は、そこまで多く無い。
    そして、その殆どは外国の作家だ。
    小川洋子さんの作品を読んだのは初めてだけど、読み始めから、あの感覚が胸のずっと奥からじんわりと染み出してくるのを感じた。
    幼いリトル・アリョーヒンとマスターとの絆や、猫のポーンの面影、優しくて勇敢な手品師の娘と、静かに寄り添う白い鳩。
    チェス人形と主人公の辿る、美しくて悲しい現実の人生と、チェスのプレイの中で綴られる途方も無く雄大な創造の世界。
    号泣では無く、寂しげな微笑みが似合う結末。
    この世界観にいつまでも浸りたくなる。

  • 『博士の~』が素敵だったので、図書館で目に付いたこれも読んでみた。どうやら私は小川洋子さんの小説がかなり好きみたい。なぜ、彼女の作品はこんなに暖かいんだろう。他の作品も是非読みたい。

  • チェスについての描写がとても美しいです。
    小川洋子らしい独特の世界ですが、切なく優しく余韻の残るお話。

  • 謎のチェス差し”リトル・アリョーヒン”少年とチェスの出会いがメルヘンティックに太った男性との出会いから始まり、人形が出てきたり、独特の雰囲気を持ったちょっと不思議な物語です。「博士の愛した数式」に似た雰囲気です。非常に文章は美しく、チェスの駒の動き方の意味の説明も情緒があります。登場人物、当物たちも魅力があります。しかし、私にとってはいまひとつ理解しづらいままに終わってしまいました。 この作家の作品は作家名を知らずに読んでも分かる。それぐらい、小川洋子さんの作品というのは独特の世界観、雰囲気を保っているのは魅力的です。

  • 本当に小川さんらしい作品だなあ、というのが最初の感想。
    数学的な香りのする、美しい、寂しい話です。
    タイトルもすごく素敵。
    小川さんの作品の中では博士の愛した数式と並んで一番好きかも知れない。

  • 共感しにくい少年の心の内から紡がれる詩的な世界。
    取っつきにくい冒頭ではあるが、静かに引き込まれる。

    チェスを題材にしながらも、自らの居場所を求め続ける我々には何故か馴染み深く読み終えることができた。少年の心の中が現実に現れるような不思議な巡り合わせは大人の上質なファンタジーだ。

    静かではあるが、決して冷ややかではない。少年が描くチェスの棋譜のように美しい。

  • 静けさの中に、チェスの駒の音が響く。それは凛としていながら、控え目な音だ。
    大きくなることを何より恐れた少年は、小さく小さく身を縮め、人形の中に隠れてチェスをする。評価も賞賛も求めず、ただ美しい棋譜を描くことだけを願う。その姿は決して惨めではなく、哀れでもなく、圧倒的に美しい。

  • こんなに心に沁みる小説、文章は久しぶり。そして全体的に流れている悲しさが辛いというより癒してくれる。

  • 徐々に増して行く哀調と憂色の濃さに、何とも言い難い思いに駆られ、
    ただただ胸が痛い…。
    小さなチェスセットに気付き、その尊さを理解出来る人は素敵だと思う。
    けれどそういった人達は多分生きにくいだろうな、などと愚考する今日この頃。
    思う存分想像を掻き立てられました。
    濃かった。圧巻。

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猫を抱いて象と泳ぐの作品紹介

伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡。触れ合うことも、語り合うことさえできないのに…大切な人にそっと囁きかけたくなる物語です。

猫を抱いて象と泳ぐの文庫

猫を抱いて象と泳ぐのKindle版

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