猫を抱いて象と泳ぐ

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163277509

感想・レビュー・書評

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  • 何をどうしたら、こんなヘンテコな設定が次々と涌き出てくるのか。そして、それらがココまで美しく表現されるのか。天才である。 タイトルからチェスが全く読み取れないのが良い。つまり、どこまでもチェスの話だけど、チェスが主題じゃないよなぁ、これ。猫を抱いて象と泳ぐ話しだ。

  • リトル・アリョーヒンの友だちは一つの場所に囚われた者たちばかり。デパートから降りられなくなり一生を過ごした象のインディラ、壁の隙間で死んでしまった少女の幽霊ミイラ、太り過ぎてバスから出られなくなったマスター。そしてリトル・アリョーヒン自身もチェス盤の下に囚われている。けれど盤下から、広くて深いチェスの海に泳ぎだすことができる。薄暗い海の底にいるようで、息苦しく切ない、素敵な雰囲気の本でした。さすが小川洋子さんです。

  • 夙に日本の女流作家に対してかなり切実な苦手意識がある。実を言えば日本に限った話ではないが殊更目に付くのはやはり日本である。何故かと言えば答えは単純で、要するに、彼女らの作品には色恋沙汰を語る言葉が怒涛のように氾濫しているからだ。恋愛こそ至高の文藝的課題であるとさえ言いたげなその類の言説の洪水に、僕のような人間は足が竦んでしまうのだ。

    僕は文藝としての恋愛を否定したいわけではないし、そんな資格は毛頭ない。ただ、恋愛を通して世界の多くを説明しようという試みには強い疑念を感じるということだ。恋愛で語り得ることは、恋愛で語り得ることだけである。少なくない数の女流作家が一様に世界と恋を限りなく接近させて愛を説くその姿勢は、「恋愛」という概念からの圧力に怯えているようにすら見え、名状し難いもどかしさを覚える。

    小川洋子は、そういった通俗的な「恋愛」から遠く隔たった場所に佇んでいる。少なくとも僕にはそう見える。時折彼女が披露する透明な感覚の発露は、恋愛と呼ぶにはあまりに純粋で、繊細で、脆い。恋も愛も、小川洋子その人にとっては猫や象と同じ水準の、表現手段としてのモチーフの一つでしかない。その恬淡な筆先から零れ落ちる文章の数々は、男性である僕にとって極めて異質な女性性に溢れている。

    『猫を抱いて象と泳ぐ』はチェスに生きた一人の少年を巡る物語である。リトルアリョーヒンと名付けられた彼は、チェスに出会い、人に出逢う。彼のチェスと彼の人生は緩やかに溶け合い、混ざり合い、やがて区別の意味を失くして一つになる。盤上を妖精のように踊るリトルアリョーヒンは、小川洋子によって巧妙に擬人化されたチェスの観念であり、この小説はまた、チェスというゲームに向けられた註釈の数々と、一篇の遠大な比喩である。

    偶然の出会いの果てに訪れる別れも、熾烈で美しい勝負も、およそ人生で経験されるあらゆることを、彼女はチェスの盤上に見出した。本書は紙と活字で編まれた盤であり、駒である。盤を挟んで向かいの席、静かに初手を繰るのは小川女史だ。ページをめくればゲームは自ずと進む。『猫を抱いて象と泳ぐ』というのは、ある邂逅を約束された、贅沢な一局なのである。

  • 気がつくと、リトル・アリョーヒンとそっと泳いでいた。

    大きくなって
    屋上からおりれなくなった象、
    回送バスからおろせなくなったマスター。
    そして狭い壁の隙間にそっといるミイラ。

    大きくなることを拒んだリトル・アリョーヒンは
    小さな小さなチェス盤の中で
    大きな大きな世界を旅をする。

    話全体自体が泳いでいる時のような、
    淡く優しく包まれたような雰囲気で、
    個性的なキャラクターたちと主人公のチェスを、
    そっと見守る気持ちになる。

    チェスとリトル・アリョーヒンから見える世界の話が
    静かにしっとり流れてゆく。
    こういった世界観が好きな人には非常におすすめな一冊。


    久しぶりにとてもよい世界を感じました。
    切なくなるけれども、何か包み込むようなやさしいおはなし。

  • 盤下の詩人リトル・アリョーヒンの物語。

    バス会社の独身寮の庭にひっそりと置かれた、回送バスに住み込むマスターからチェスを教わった少年は、慎ましやかながらもチェスの奥深い海に包まれた幸福な少年時代を過ごす。
    彼には変わった癖があった。
    チェスの一手を考えるとき、マスターの飼い猫を抱いてチェス盤のテーブルの下にもぐりこむのだ。
    当然、盤上の駒は見えないが、彼にとってはその方がかえってチェスの宇宙的な広がりがよく見えるようだ。
    少年はチェス盤の下で、チェスの一局一局が奏でる旋律と詩に耳をそばだてていた。

    肥満体のマスターがバスの中で病死したとき、彼の幸福な少年時代は終わりを告げる。
    マスターの巨体の亡骸をバスから出すことができず、少年にとって思い出深い場所であるバスは重機により無残にも破壊されることとなる。
    このことから少年はひとつの教訓を得た。
    「大きくなること、それは悲劇である」

    心のよりどころを失った彼は、流されるようにしてチェス倶楽部にたどり着き、自動人形を操って、会員たちの対戦相手となる役目を担うこととなる。
    自動人形を操るためのチェス盤の下のスペースは非常に狭かったが、彼の肉体は11歳の時のまま成長を止め、それ以上大きくなることはなかった。
    自動人形の黒子に徹し、決して表に出ることのなかった彼は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれるようになった。
    ホテルの地下で毎晩あやしく繰り広げられる勝負の中で、彼は介添え役の女性と運命の出会いを果たすが、ある対戦の中で取り返しのつかない過ちをおかす。
    失意のうちに少年は自動人形とともにチェス倶楽部を離れる。

    再び流されるようにしてたどり着いたのは、かつてチェス倶楽部の会員だったチェス愛好家たちが集う老人専用マンションだった。
    孤独な夜を過ごす老人たちの対戦相手をつとめるうち、彼はより深くチェスの奏でる調べの美しさを理解することとなる……

    静かで詩的な描写の美しい、珠玉の作品。
    幻想的でありながら透明度が高く、さらりと読めるようで、ひとつひとつの字句が胸に染み入る。
    リトル・アリョーヒンが味わっているのは、言語化することのできない類の美であるはずなのに、それを文章表現により魅せる妙。
    少年と共にチェスの海を漂っている気分になりました。

  • 物静かで優しくて悲しい小説だった。そしてすごく文章が美しい。チェスのルールは全くわからないけど、十分楽しめた。

  • 静謐と親密につつまれたいときは小川洋子さんですね。

  • じゃあチェスをするっていうのは、あの星を一個一個旅して歩くようなものなのね、きっと

  • 登場人物の行為がしっくりこず、象や運転手、マスターの死の描写が居心地悪くて、唇の意図なんか高評価の方々はどう消化してるんでしょう。

  • 幻想的なチェスの話。
    チェスの升目の海を泳ぐような対局はとてもかっこいい!
    チェスに群がる人は様々で、喜び、愛し、悲しんでチェス棋士の伝記のような話
    でも伝記でなくてフィクションなのが面白いです。
    チェスの海に捕らわれているようで、楽しんでいて、登場人物みんな人生が窮屈なようで、まあいいかと思っていてそれが印象的でした。
    最初のバスの中での穏やかな日々がとても好きです。
    猫のポーンには再登場してもらいたかった・・・!

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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