百合子、ダスヴィダーニヤ: 湯浅芳子の青春

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163440804

作品紹介・あらすじ

60年の時間の闇からよみがえる宮本百合子と湯浅芳子の友愛の意味。書き下しノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  •  ロシア文学者、湯浅芳子(1896~1990)の前半生を描いた伝記。映画は未見。湯浅の業績についても詳しくないまま読んだのですが、それでも読み応えのある本でした。
     
     同性愛者であり、「自覚しないフェミニスト」として描かれる芳子には、女性の立場をめぐる問題が最大の命題としてつきまといます。耐えるだけの人生を送った母、奔放でありながら恋愛に縛られた女流作家・田村俊子、虐げられた芸妓の恋人・セイ、そして“女を愛する女”として生まれた彼女自身。「どんなに強がっても、どんなに悪ぶっても、結局のところ女を裏切れない。心底愛してしまう」性質でありながら、「愛した女はみんな、男のもとへ去っていった」彼女の前に現れた百合子は、その純粋さと透徹した知性、豊潤な感性で芳子をひきつけます。失敗した結婚に苦しんでいた百合子もまた、独自の鋭さと自尊心を持った芳子に惹かれ、やがて二人は恋に落ちます。
     
     女性でありつつ身を立てることができ、性的にも男性を必要としなかった芳子は、男性と女性を「恋愛」によって結び付けながら、それによって支配―被支配関係を強固にする当時の結婚という制度とは無縁の場所にありました。その芳子と百合子との「新しい愛」は、自由であるゆえに、はじめのうちは純粋で美しいものです。筆者の言葉を借りれば、二人が目指したものは対等に、互いが互いを高めあう「友愛」そのものでした。
     しかし、二人の個性はすれ違いを生みました。それはかえって絆を深めもしましたが、やがて二人の関係には当時の男女の関係そのものの影が落ち、亀裂は大きくなっていきます。
     女に対する男の暴力性を憎みながら、それに抗うために憎むべきはずの男と同化し、時に百合子に手を上げさえした芳子。芳子を愛しながら、「恋はする、しかし愛しきれない」自己を抱えて、次第に“本物の”男性を渇望するようになる百合子。ロシア留学を経て百合子は社会主義に傾倒していき、とうとう帰国後、宮本顕治のもとへと出奔しました。それは「友愛」という遥かすぎた二人の愛の理想が、「恋愛」という現実に屈したことをも意味していました。

     最後のほうに引用された芳子の日記に、「女だから百合子を愛したのではない、百合子が百合子であったから愛していたのだ」という意の文章があります。その愛の境地をまっとうしようとした二人が残した日記や手紙に横溢する感情は、百年近く経った今も印象的です。
    (対象の性別にかかわらず)社会的ないし心理的に「女性」であるひとが愛する、または愛し合うとはどういうことなのか。湯浅芳子自身の強烈な個性と、現代社会におけるジェンダー問題への意識がからみあって、かなり共感を覚えます。
     といっても、私はきちんとフェミニズムを勉強したことがない口でした。フェミニズムのみならず、セクシュアリティ・ジェンダーといった大きな問題というより、「恋愛」そのものに違和感を感じたことのあるひとにはお勧めできる本かなと思います。

  • 面白いですね。湯浅芳子という人物、また、中條(宮本)百合子という人物が生き生きと描かれています。著者は湯浅芳子を正当に評価、紹介する目的で書いているので、百合子に対して少し厳しい面もあるかと思いますが、二人が一緒に暮らした大正末期から昭和はじめの日本人女性の生き方を考えさせてくれます。著者が二人の心情を代弁して書いている内容が事実と言えるかどうか、私には判断する知識も能力もありませんが、その意味付は読者一人一人が考えるべきことでしょう。

  • ついに手に入った!という本。

    この本、発売時に本屋で見かけて買おうかなどうしようかなと迷ったんだけど、結局買わなかったんだよね。それから欲しくても手に入らなくて。Amazonの中古本で出てないか、ちょくちょく覗いてたりもしたんだけど、なくてね。それが今回、見つかったので早速購入。

    読んだ後の感想。

    重苦しかった。。
    結局百合子は両性愛者ではなく、純粋な異性愛者だったということなのか、とわたしは思うのだが、「女」と「女」に対する関係を「男」と「女」とは違い、対等な、特別な(っていう言い方はちょっとおかしいのだが)関係に読者を導いている点で、なんかちょっと違うって思っちゃったんだよね。これ読んでなんか読んだ感じが似てるなあと思ったのは、吉武輝子の「女人・吉屋信子」。わたしは「男と女の関係」については全然分かんないんだけど、「女と女の関係」もそんなに美しい特別な関係じゃないと思うのだが(でもこの「百合子、ダスビダーニヤ」はそこまでひどくは書かれてないよ)。

    でも、わたしがそういう感覚を持つというのも、あの時代とは違って(形式的には)「男女平等」の世の中を生きているからかも知れないんだけどね。あとつくづくわたしは「男が」とか「女が」って強調されてる文章は合わないな、と。現実的にはそうなのかも知れないけど、読むと息苦しくなってくる。

    全然関係ないけど、参考文献の中に橋本治の「恋愛論」が入ってたので、ちょっと興味深かった(笑)

  •  以前に映画を観たのがきっかけで、読みたいと思っていた本。大学の図書館に所蔵があって読むことができました。良かった!百合子さんと芳子さんの書簡や日記が多く引用されていて、リアルな感情のやり取りを感じられた。「世の中的に普通とは考えられない恋愛」をすることとは、どういうことなんだろう。そのことを考える材料になった。
     それから、大正・昭和の日本、革命直後のロシアなど、あまりなじみがない時代についての記述も多く、自分の知識不足を改めて実感。
     もう一度機会があれば映画を観たいと思う。

  • 思いがけず、読むのに時間がかかってしまった。
    著者の思い入れがたっぷり詰まっていて、また処女作ということもあってか、簡潔な文章なのに、何やら読みにくい。

    ただいま、公開中の映画「百合子、ダスヴィダーニャ」の原作。
    なんで、今頃、湯浅芳子と宮本百合子???
    「第七官界彷徨-尾崎翠を探して」の浜野佐知監督が、
    十年以上温めてきたテーマだという。

    宮本百合子は、宮本顕示夫人であり、あの野上弥生子が唯一ライバル視した女性作家だ。
    芳子との関係は、その小説を通し、一方的に流布された感がある。
    初めて、芳子サイドからも語られたと言えようか。
    (芳子は自ら語ることをしてこなかったわけだが)

    芳子という人の晩年に接し、著者が遠い時代の女性同士の互いを高め合おうと誓った共同生活に強く惹かれたのはよくわかる。
    でも、いかんせん……1990年の著作……

    あ~、こういうものの見方もありましたね、そうそう、フェミニズムですよ、
    私は苦手でした……
    その感覚は、最後までぬぐえず……

    ただし!
    芳子&百合子にこれほど、真摯に取り組み、一冊にまとめあげた著者の情熱と力量には頭が下がる。

    そして、それ以上に、二人の書簡の真摯なやりとりに、
    平成の世で私は、憧れる。

  • 好きな本ですね。
    10数年以上前に出て、暫く後に面白いよと薦められ、探して読もうと思ったのですが・・・
    メジャーな出版社から出ていたにも拘らず、書店で見ない、図書館で見ない・・・で、さがしてやっと読めました。

    ロシア文学の翻訳家である湯浅芳子と共産党の宮本顕治の妻であり、作家である宮本百合子の愛の日々を湯浅側から語ったノンフィクション・・・でしょうか。

    読んでいて胸が痛かった・・・と感じるのは、トランスセクシャルを差別対象視しての同情。という浮薄な感情であるのかもしれないが、互いを成長させ、支える精神的な愛を求めての齟齬が痛々しい。

    ただのレズビアンのノンフィクションとは思わずに読んでほしい本かも。

  • 今月末に公開される映画の予習として。
    大学図書館の地下集密書架からわざわざ掘り出してきた。

    芳子と百合子の往復書簡が素晴らしい。
    思っていることを文章で再現するのは難しいものだが、彼女たちの場合その再現率がとても高いのではないか。
    特に付き合い始めた頃の手紙は双方が「腹を割って」書いているのが伝わってきて、言葉の力といったものをひしひしと感じる。
    そして何より芳子が素敵。はっきり言って惚れる。

    ただ少し引っかかったのは、著者の書き方が過度にフェミニズム(いわゆるレズビアンフェミニズム)を押し出しているように感じられたところである。私自身フェミニズムに共鳴するものがないわけではないのだが、あえてこの二人の関係を描く際にそうした思想を振りかざす必要もないと思う。というか、そもそもレズビアンとフェミニズムを不可分のもののように扱う姿勢に違和感を覚える。本書に関して言えば、行間に見え隠れする筆者の思想によって、かえって物語における叙情的な味わいが損なわれているように感じた。

    さて、これをどう映像化するのかな・・・楽しみ。

  • 宮本百合子と湯浅芳子が二人で過ごした数年。
    中山可穂の小説に出てくるような二人。

  •  1920年代、女が男に頼らずに自立して生きていくことが、今よりもずっと困難であった時代に、作家の宮本百合子と、ロシア文学者の湯浅芳子は、熱烈に愛し合った。後に共産党指導者の宮本顕治と結婚した百合子が、「不自然」と著作で否定することになる二人の関係を、芳子へのインタビューや、残された書簡、日記を通してすくい出そうとした力作である。
    それぞれが当時の日本社会が女にあたえた役割をはみ出す存在であった二人の関係は、「名前のない」愛、前例のない実践だった。自分自身に内面化された女性嫌悪と同性愛嫌悪、愛情でむすばれた関係の中にもある支配と依存など、彼女たちの直面した問題は、今日にも通ずる部分も多いが、驚かされるのは、激しいほどの真剣さで、相手との関係や自分自身のありようを突きつめ、この実践から多くをくみ上げようとする二人の(特に百合子の)態度だ。それは、社会における自分の生き方、愛する相手との間の違いにもきわめて意識的であった二人の女性の間にのみ生まれえた、稀有な関係であった。
    著者は、おそらく何年も、女が女を愛することについて考え抜いた末に、人生をかける気持ちでこの本を書いたのだろう。ひとかたならぬ思いが伝わってくる、力のこもった本だ。

  • 湯浅芳子からきいた中条百合子の話。
    著者の視点がレズビアンフェミニスト(レズビアンのフェミニストじゃなくて)っぽいのがやや気になる。
    (ちゃんとダメなところやDVも書いてはあるとはいえ)ふたりの関係を「女性同士だから云々」という視点に落とし込んでしまうきらいがある。
    でもそういうものとして時代もこみで読めばそれはそれで興味深い。

    で、ナマのふたり(+α)の書簡のやり取りがすごい。
    まるで心を全部言葉にできるかのように生々しい。
    どうして認めたくない心情まで言葉にできるんだろう。
    物書きの業なのかこの人たちの熱さなのか。

    あんまり本筋じゃないけど芳子の「男女=恋愛」にしかならない人へのうんざり感にものすごい勢いで頷いた。

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