- Amazon.co.jp ・本 (117ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163554006
作品紹介・あらすじ
「治癒不能のガン、三ヵ月の命」宣告はある日、突然下った。死と競うように、付き切りの看病が続く。告知は?介護は?苦悩の日々と、その合間に訪れる甘美な思い出。ついに妻を看取った時、自らも病魔に冒され、死の淵に立つ。生と死の深淵を見据えた感動的作品。
感想・レビュー・書評
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さして「苛烈な愛」とは思わなかった。
この種のものを読みすぎた私に原因があるのだろう。
世間一般で評価されている本旨より別の側面に目が向いてしまう。
記念日や誕生日ごとのホテルでの食事、御木本や和光での高価な宝飾品の買い物、富裕な文筆家の夫をもつ、鎌倉住み専業主婦の妻はお手伝いを頼み、絵やスイミングのお稽古に励む・・・慶應女子から内部進学と、当時の水準でみれば異様に恵まれた人生を送った女性が、死期に及んでこれ以上ないほど献身的な夫に看取られる。一ミリも気の毒な要素の見当たらない、というか随所に嫌味すら感じさせるこの随筆をなぜ江藤淳ほどの人が書いたのか。
自分は夫として完璧な役割を果たしたのだと、それゆえ妻の人生は一点の曇りなく輝くものであったはずだと、言わずにいられなかったのではないか。ふとそんな印象を受けた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江藤淳さんは本書発行(1999年7月7日)の2週間後の21日、鎌倉市の自宅で自ら命を絶ちました。享年66。
テレビのニュースで知り、すぐに書店に駆け付け、「江藤さんが何故、自殺したのか」知りたくて、この本を手にしました。
『妻と私』。簡潔でシンプルな表題のなんともいえない奥深さ。そこには末期の転移性腫瘍(がん)で他界した慶子夫人との闘病の記というより、ご夫婦のあまりにも純粋で美しい、そして私にはとても近寄りがたいあふれ出る愛情の表現が詰まっていました。
しかし、まだ若かった私の「何故に自殺?」という疑問には答えがみつかりませんでした。
だが遺書とも言っていい江藤さんのこの本『妻と私』は、私自身が年を重ねた時、どうしても読みたくなる、人生の必読本になると直観的感じ、これまで本棚の片隅で主役でもわき役でもなく、忘れ去られたわけでもなく、じっと存在し続けていました。
今年1月末ごろから、私は突然、両手首から指先、両足首から指先にかけて痺れ、むくみ、寒暖や触覚の感覚すらなくなり、約1か月、入院治療しました。がんではありませんでしたが、『妻と私』に書かれている病名や治療法などの専門用語が話され、さらに他人事と思っていたリハビリや介護制度の現実にも直面して、初めてのことにまともに考えることすらできませんでした。脳裏にあったのは「これで第二の人生が終わった」ということだけ。
であれば、ドストエフスキーも夏目漱石も、シェイクスピアも、私のこれからの人生に読むべき書籍は必要ないだろうと思っていた。が、自宅療養、外来診察になって精神的に安定してほぼ1か月半、惹かれるようにこの『妻と私』に手が伸びていました。
でも、分からない。江藤さんの人生の最期に、生と死の時間と空間が、日常と非日常の混濁の中でどのように流れていたのか。またはその流れが断ち切られたのかが。
今、ただ一つだけ分かったのは、大切に所蔵していた『妻と私』が、自分自身の長い人生の読書体験の中で初めて出会った唯一無二の貴重な体験であったということだった。 -
こんなに深く優しく生涯愛してくれる連れ合いに出会えて慶子さんも幸せだったろうなと思う。
残り少ない時間を言い争地に費やしたくない。
一旦死の時間に深く浸り、そこに取り残されてまだ生きている人間ほど絶望的なものはない。家内の生命が尽きていない限りは、命の尽きるその時まで一緒にいる、決して1人ぼっちにはしないという明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまった今となっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向かって刻一刻と私を追い込んでいくのである。 -
これが愛だと思う。何度、読み返しても涙が出る。
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初めて読んだとき、嗚咽を押し殺しながら読んでました。
江藤さんという人について、詳しく知らなかったのだけど、この本を読んだ後に、自殺されたと知りました。
その後図書館で、江藤さんの死について考えるという内容の本もみて、
江藤さんの自殺は是か非かみたいな議論もあったみたいだけど、
ひとつだけ言えるのは、江藤さんがとってもとっても奥さんのことを愛していたということは事実だなと思います。
やっぱり読み返すと、涙がポロポロ出てきて本当に悲しいのだけど、
天国で奥さんと一緒にいれたら、江藤さんは幸せだろうなと思います。 -
最初の1行目から最後の頁まで涙が止まらない。どんな気持ちでこれを書き上げたのか考えると、胸が詰まる。
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漱石評論家として名を知られる氏の自殺を知ったときは、衝撃だった。それから数年たち、この本を読んで、胸が熱くなった。
なんという、愛の形か。
妻亡き後、この世をさった氏は、あの世というものがあるのなら、そこでまた夫婦として暮らしているのだろうと信じられるような、一作である。 -
長年連れ添った愛妻とのわかれを文芸評論家の江藤淳の書いたエッセイ。同じような本でガンセンター総長の垣添せんせいの「妻を看とる日」歌人の永田和宏の一連の妻への思いを書いた本など、長年の生活を経た熟年の人の描いた本には教えられます。
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妻の死、葬儀、自分の病気、入院、手術。怒涛のような日々が筆者に襲い掛かります。
退院し、執筆活動、大学院生の研究指導も再開して日常を取り戻され、庭師の方や編集長など周りのサポートもあったのに、奥様の死からわずか半年あまりで自ら命を絶ったのが非常に残念だと思いました。