「坂の上の雲」と日本人

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著者 : 関川夏央
  • 文藝春秋 (2006年3月31日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163680002

「坂の上の雲」と日本人の感想・レビュー・書評

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  •  これを書く前に試しに見てみたら、以前に書かれたこの本のレビューは4つあった。ひとつ残らずが3つ星評価で、かなり辛辣な批評ばかりであった。批評本の批評なわけだから仕方ないのかもしれない。
     著者の本は2、3冊目で、まだ代表作も読んでいないにも拘らず、すっかりファンになってしまっている私としては、なんだか怖くて書けない気分になってしまった。

     そうしたら今朝のNHKBSの週刊ブックレビューに、書評ゲストとして関川さんが出演してた。紹介している本は、宮脇俊三の『時刻表ひとり旅』。鉄道オタク的なこだわりからスタートして日本と時代との一断面を描ききった本だという。
     そもそも、執拗なまでのこだわりぬいた下調べに基づいて、時代の空気を描いていく手法は、もともとは関川さんの得意技だと思う。だから、宮脇俊三のこだわりにも共感して紹介しているのだろう。

     やはり「良い」ね。
     誰が何と言おうと、私は良いと思うので書くことにした。

     本書『坂の上の雲と日本人』の中で著者関川夏央は、司馬遼太郎の手法を「地図の思想」と喝破している。見事である。
     近代短歌の巨匠正岡子規、日本海海戦を奇跡的勝利に導いた秋山真之と、日露戦争の陸上戦においてコサック騎兵を破った秋山好古の兄弟の三人が、「松山」という地図上の町でいかにして必然的に絡み合ったのか、そしてこの街から日本へやがて世界へと羽ばたいていくか、そこのところの描き方が司馬文学の要諦だということが明解に理解できた。
     鹿児島の「加冶屋町」から始まる西郷・大久保らの物語も、一連の『街道を行く』もすべては「地図の思想」であるわけだ、ふむふむ腑に落ちすぎ。

     また、今日では歴史文学の金字塔のごとく思われている『坂の上の雲』が、発表当時の70年代には「反動」と受け止められ、相手にされていなかったことも本書で初めて知った。

     学生運動から始まり、いわゆる進歩的思想が思想界を支配していた「あの時代」の、時代の空気みたいなものを描かせたら、関川さんは当代一ではないだろうか。『ただの人の人生』で私はそう感じた。
     だからこそ、70年代に限らず、子規や秋山兄弟が吸っていた、いうなれば「明治のオプティシズム」の空気をも司馬遼太郎が描きたかった通りに受け止め批評できているのだと思う。

     また、近代日本文学史についての造詣の深さも半端ではない。数々の作品ごとに、あの丹念過ぎるほどの入り込み方で調べ上げられた事の積み重ねに違いない。 
     その造詣があればこそ、なぜ松山なら夏目漱石であるべき所が正岡子規であるのか、司馬遼太郎以上に明白に批評してくれているわけだ。

     本書のおかげで司馬文学が良く解った気がした。同時に関川さんがますます好きになった。

     迷わず星5つだね。文句ある?

  • 坂の上の雲本編を読んでなくても楽しめるが、やはり読んでからの方がいい。司馬の人生観も交えながら明治の軍人達の解説を進めるあたりがよい。それにしても百年でこれほど民族のレベルは落ちてしまうのだろうか?

  • 「坂の上の雲」は、日露戦争を題材にした司馬遼太郎の小説である。1968年から1972年まで産経新聞に連載されていた。関川夏央が書いたこの本を、一言で「こういう本です」と説明することは、なかなか難しい。「坂の上の雲を読む、精読する」というのが、この本のコンセプトのようであるが、書評や作家評でもなく、もちろん小説でもなく、また、エッセイと言うのも、なんだか違う気がする。「坂の上の雲」に関する背景知識を解説風に述べている部分もあるが、なんだかとんでもない細部のトリビアを長々と記述(軍隊における脚気について、あるいは、海軍と陸軍における脚気対策の違い、はたまた、森鴎外の−森鴎外って軍医だったのです−脚気に対しての見解等、まさにトリビアとしか、いいようがない。ところが、これがすこぶる面白い)したり、と、とてもとりとめがないのである。そういう意味では、この本は、関川夏央が、「私はこういう風にこの作品を楽しみましたよ」という紹介だったような気がする。ところで、作者は、この小説が1968年から1972年にかけて書かれたことに意味があり、注目するように促している。1968年というのは昭和43年、東大の入試が中止になるのが昭和44年であるから、まさに時代は、少なくとも大学生をはじめとする若者・知識層にとっては、左翼的・反体制的気分に満ちたものだったのだ。「坂の上の雲」は、日本を世界の中で近代国家に位置づけるために奮闘を重ねていた明治の人たちの健気な努力を、日露戦争を舞台に描いたものであり、ある意味、「愛国」的なものであり、それは、当時の時代の気分から考えると、充分に「反動的」と評価されるに値するものであったはずである、というのが関川夏央の見解である。そういった気分の時代に、よく、こういう小説を書き発表したものであるなぁ、というのが、関川夏央の感想・感慨だ。私自身は、関川夏央よりは随分と年下(のはず)であるため、この時代の気分は直接的には経験していない。が、この時代に書かれた小説等は、沢山読んで、間接的には時代の気分的なものは、理解しているつもりである。また、左翼的な活動というのは今でこそ見かけることはなくなったが、私が大学に在学していた頃には、「日帝」とか「米帝」とか「闘争」といった勇ましい、とてつもないサイズのたて看板をキャンパス中のあちこちで見かけることが出来、関川夏央の書いていることは、ぎりぎり体験的にも理解出来るつもりである。(私自身は、なぜ、そういった左翼的思想が、ある時期の日本で流行したのか、ということ自体にとても興味があるが、それはまた別の話であり、別の機会に考えてみたい)「坂の上の雲」を実際に読んだのは随分、以前の話であるが、私にとって印象が深かった本であったようで、この関川夏央の本に出てくる登場人物や場面がけっこう記憶に残っていたことは意外であった。この関川夏央の本を読んで、再読したくなった。

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歴史小説の至宝を徹底精読。もう読んだ人も、これからの人も-。近代日本の「青春」を描く司馬遼太郎の不滅の国民文学。その核心を大胆に解き明かす。

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