走ることについて語るときに僕の語ること

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163695808

感想・レビュー・書評

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  • 走ることについて語るときに僕の語ること

  • 【感想】
    ・とても惹かれる。特段何か強い意志を持ってやろうとしているわけではない。というか強い意志を必要としていない。ただ好きだからやる。やりたいからやる。別に誰かに頼まれたわけでもない。それを強く周りに主張することもなく淡々とこなしている姿に好感を持つ。

    ・誰かと比較して、誰かに認められたくて取り組んでいる協議は今すぐ辞めた方がいい。一人になるとすぐにモチベーションが死んでしまう。

    ・最近は誰かと会っても、何かを与えられないとすごく気分が悪くなってきた。というか申し訳ない思いでいっぱいになる。

    ・何か目的を持って人生を生きていたい。
    ⇒社長になるor小説家になる。

    P22
     しかしもし仮に特定のライバルが何かの事情でそのレースに参加できなくなり、その結果レースを走るためのモチベーションが消滅してしまった、というのではランナーとして長くはやっていけない。

    P34
     前にも述べたように、日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。
     僕が僕であって、別の誰かでないことは、僕にとっての一つの重要な資産なのだ。

    P36
     誰かに故の無い非難を受けた時、僕は走り込む。
     そういう性格が誰かに好かれるとは考えていない。そんな協調性に欠けた人間い、何かあるとすぐに一人で戸棚の中に引きこもろうとするような人間んい、いったい誰が好意を抱けるだろう?

    P58
     本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番づくりだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、メリハリの無いものになってしまう。



    P67
    ・学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。

    P80
     人は誰であれ、永遠に勝ち続けるわけにはいかない。人生というハイウェイでは、追い越し車線だけをひたすら走り続けることはできない、しかしそれとは別に、同じ失敗を何度も繰り返すことはしたくない。

    P102
     何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからと言って手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのを止めたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕にできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

    P113
     どれぐらいの休養が正当であって、どこからが休み過ぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?

    P95
    ・しかし当時書いたこの文章を久しぶりに読み返して発見したのだが、それから二十数年が経過し、年数とほぼ同じ数のフルマラソンを完走した今でも、42キロを走って僕が感じることは最初のときとまるで変化していないみたいだ。
    ⇒こんなに淡々と語られると笑ってしまう。

    P128
    ・人々を次々と抜いていくことに、彼女たちは慣れているようだ。抜かれることにはおそらく慣れていないのだろう。

    P138
    ・しかしそのようにして掴み取られたはずのものを、人前で実際に声に出して語ってみると、そこから何かがこぼれ落ちていくという切実な感覚がある。そのようなある種のかい離に多分僕は納得できないのだろうと思う。

    P

  • 2018年8月14日読了

  •  1日10km、1ヶ月300km以上。さらに年1回フルマラソン出場を何年も続けているという村上春樹氏。初めてのフルマラソンが、無観客ゴールテープなし、孤独なオリジナルコース(アテネからマラトンなので逆方向だが)だったというエピソードにはただただ痺れる。
     客観的に見ればストイック以外なにものでもないが、そこには必然性が漂っている。小説家として生きていくためには走ることが必要だった。彼が今まで生み出した作品を生み出すためには、身体性を伴う営為が必要だった。そんな感じがした。

     このエッセイを読んだ多くの人が心に浮かぶであろう、「走りたくなる!」という感想を私も胸に抱く。一ランナーの端くれ(の端くれの端くれ)として、2年前に出場したホノルルマラソンの35km地点を越えたあたりでのあの爽快感がリアルに蘇った(結果は惨憺たるものだったけど)。また走ろうかな。

  • 20170629再読。走ることに疲れた時に手に取りたい一冊。村上春樹はエッセイのが読みやすくて好き。

  • 身体を鍛えることと、精神を鍛えることは同義だ。自転車に乗りたくなった。

  • たまにランニング熱が出て、走ってみるのだけど大抵3日坊主。まーそれでもいいかと3日坊主を繰り返しているのだけど、年一でフルマラソン(プラスアルファトライアスロン)をこなしつつ、長編小説も書き上げるって、上手く時間を使うと人間そんなこともできるのね〜と思った。もちろん、時間の使い方だけじゃ達成できないと思うので単純には比べられないけれど。
    理性的で 根がポジティブな人なんだろうと思う。毎朝ランを続けるのは、それなりの理由がなきゃ続けられないともあって、いろいろ納得と反省。
    ただ、走りたい気分にはあまりならなかった。仕事以外で自分のリズムをつくり、目標とし、打ち込みたい気分になった。

    2017.6.18

    再読…怪我療養中に。約5年前に一度読んでいる。去年から自転車を始めた。2017年に読んだ時はピンと来なかったトライアスロンの項目がより実感として感じられた。

    2022.3.20

  • ハルキストではないので、他の作品はほぼ読んだことないんだけど、人気作家がランニングを日課にしている事に親しみを覚える。しかもマラソンだけでなく、トライアスロンやウルトラマラソンにも挑戦している。

    一日1時間は走ってるので、一日は23時間だと思っているとか。いい表現だ。しかし、1時間走っていても、タイムは伸びなくなってくる。老いには勝てない。ちょっと切ない。

  • 完全に、あの人の趣味。でも、読みいっちゃったね。自分と違うことをする人がどんな気持ちでそれに挑むのか、私が思うようなことも思うことがあるのか、、、
    走りたくはならなかったけど、結局その影響もあって走ってる。笑
    読むのとやるのは違うけど、読まないのと読むのも違うよ。

  • 走ることを表現する力はさすが。私には理解できないと思っていたものがおぼろげには想像できる。連れ合いにとっての走ることがこれと同じかどうかはわからないが。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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