風をつかまえた少年

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163730806

作品紹介・あらすじ

アフリカの最貧国、マラウイを襲った食糧危機。食べていくために、学費が払えず、著者は中学校に行けなくなった。勉強をしたい。本が読みたい。NPOがつくった図書室に通うぼくが出会った一冊の本。『風力発電』。風車があれば、電気をつくれる。暗闇と空腹から解放される。-そしてマラウイでは、風は神様が与えてくれる数少ないもののひとつだ。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    読みながらつい涙が出てしまった。貧困と飢饉の中で、周囲の人に馬鹿にされながらもひたむきに努力を続ける様子、そして風をつかまえた瞬間。電気すらまともに使えない国に生まれながらも、学ぶことを諦めず未来を信じ続けた少年の物語が、本書『風をつかまえた少年』である。

    マラウイはアフリカ南部に位置し、ザンビア、タンザニア、モザンビークと国境を接する内陸国だ。国のことは知らなくても、「マラウイ湖」の名前は聞いたことがある人もいるだろう。マラウイ湖は世界遺産に登録されている巨大な湖であり、マラウイの国土の2割を占めている。国土全体の面積は日本の3分の1程度、人口は2000万人とそこそこ大きな国なのだが、これといった産業は無く、タバコ、紅茶、砂糖等を輸出する小規模な農業国家である。一人当たりGNIは640ドルと、世界最貧国のひとつだ。

    当然、本書の主人公であるウィリアムも貧困にあえいでいた。マラウイ全体が飢饉に見まわれ、同級生が何人も死んだ。ウィリアムの家から餓死者が出なかったのは奇跡だ。国がそうした状況にあっては当然、学校に行くことなどできない。学費は払えず、中学校を中退し、親の農業を手伝って家計を支えていた。
    そんな彼はあるとき、図書館で数冊の本と出会う。『物理学入門』『エネルギーの利用』という本だ。そこに書いてあったのは、マラウイの貧困問題を一挙に解決できる方法――風で電気を起こすことだった。電気が手に入れば灯りとして木材を伐採する必要がなくなり、土壌が強くなる。水をいちいち汲みに行く必要がなくなり、農業生産性が上がる。夜も起きていられれば、勉強ができ、学校に通うことができる。
    まさに電気は貧困から脱出するためのスイッチなのだ。それを使って、未来を作る。ウィリアムはその可能性を信じ続けた。
    日々食べるものすら困窮している彼らには、当然、きちんとした風車を作るだけのお金などない。だからウィリアムは全てを廃材でまかなった。捨てられていた金属を切り出して羽の形にした。焚火に鉄の棒を突っ込んで熱し、溶接棒代わりにして、羽にビス留めをした。風車の回転軸は自転車のタイヤとスポークを流用した。そうして全てを自作した彼は、ついに風から電気を作ることに成功したのだった。

    成功のためには優れた環境が不可欠だ。当人の努力も大切だが、資本を不自由なく使える場所で育った、優秀な人々と巡りあうことができた、いう要因が勝敗を大きく左右する。しかし、本書を読んでいるとむしろ、成功を捕まえるきっかけはまず「トライすること」だとつくづく感じる。豊かな先進国に暮らす我々にとって、「成功」とは途方もなく大きな目標を達成すること同義だ。しかし、それに尻込みして手を動かさなければ、小さな成功すら得られない。小さな成功が得られなければ、大きな目標を達成することもできない。ウィリアムが言う、「何かを実現したいと思ったら、まずはトライしてみることだ」という言葉は、恵まれた国に住む我々にこそ、刺さる言葉ではないだろうか。

    ――マラウイでは、風は神さまがたえまなく与えてくれる数少ないもののひとつだ。風は昼となく夜となく木のこずえを揺らしつづけている。風車を手に入れることは単に電力を得るというだけでなく、自由を得ることでもある。

    ――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 魔術と貧困の支配する村
    ウィリアムは、アフリカの最貧国、マラウイのウィンべ村で育った。ウィンべは魔術の支配する村で、争いの解決方法は法ではなく魔術によってだった。

    ウィリアムは13歳になると、ジェフリーと一緒に壊れた古いラジオを分解して修理するようになり、それでこづかいを稼ぐようになった。伯母さんの家のすぐ裏手にある、ジェフリーの小さな寝室が店になり、そこでお客を待った。床にはいたるところに銅線のかたまりや回路基板、モーター、壊れたラジオのカヴァ―、それに金属やプラスティックのこまごまとした部品が散らばっていた。ラジオを修理するには電源が必要だったが、マラウイでは人口の2%しか電気を使うことができない。2人は街のゴミ箱で廃電地をあさって集約し、電力を調達していた。

    2000年、マラウイを大洪水が襲った。家や家畜が流され、それらと一緒に育ち始めたばかりの種子も流されてしまった。その年、新しい大統領の新しい政策の結果、NPK肥料(窒素、リン、カリウムを含む肥料)の値段が一袋3000チクワチャにも跳ね上がったのだ。1回分でも高すぎて手が出ないのに、その肥料が雨で流されようと流されまいと、2回目の肥料が買えるはずもなかった。洪水が終わるとピタリと雨がやみ、今度は日照りが襲った。収穫高はマラウイのほとんどの地域で激減した。

    2人が電気に興味を持ったのはそんな苦難続きのときだった。自転車の発電機――漕いでいる間だけライトが光る仕組みを見て、どうやったら自分で電気をつくり出すことができるか考えるようになった。電気がないということは家に電灯がないということで、それはつまり夜には何も――勉強することも、ラジオの修理をすることも――できないということだ。電気さえあれば、わざわざ木材を伐採して火を起こす必要もない。停電とも無縁だ。
    日照りと洪水のせいで穀物を売ることもできず、土砂で流れの滞った川と高額な電気料金のせいで電気も使えず、その結果、人々の多くが一家を維持するために、木を切って薪にしたり、木炭にして売ったりしなければならなくなる。木を切ると土壌が破壊され、より洪水に見舞われやすくなる。マラウイはそんな悪循環に陥っていた。

    その後、いよいよ食糧不足は深刻なものとなり、商店街でもトウモロコシの蓄えが無くなっていた。大農園でも在庫がない状態だった。政府の役人がトウモロコシの在庫を売り払い、巨額の利益を得ていた。ムルジ大統領は国のあちこちを飛び回っては、自分の成果と権力を誇示するのに躍起になっていた。役人は誰も庶民を守ってくれなかった。
    ウィリアムの家にも飢饉がやってきた。唯一の財産であるヤギを手放してトウモロコシを買ったが、蓄えはどんどん消えていった。朝食が無くなり、次に昼食が無くなり、やがて一日一食になった。家族が食べられる量はみるみる減り、シマを一人当たり4口分までしか食べられなくなった。姉のアニーは駆け落ちして家を去った。

    そんな中、チャママのADMARC(農業開発企画会社)でトウモロコシの配給があるという情報が流れた。人々は、トラックに長い列を作った。焼けつくような太陽が昇ると、すでにみんなどれほど飢饉に打ちのめされているか、気づかされた。まわりの人々の顔がまるで一睡もしていない人の顔のように、弱って疲れきって見えはじめた。みんな頬の皮膚をしなびさせ、強い陽射しに眼をしょぼつかせていた。たぶん何週間もほとんど何も食べていないのだろう。彼らにとってはADMARCだけが頼みの綱なのだろう。ここで食料にありつけなければ、もうどうにもならなくなるのだろう……空気がじっとりと熱くなるにつれ、
    人々はかんかん照りの下に置かれた鉢植えのようにしおれはじめた。やがて列に割り込む人が増え、群衆はパニックになり、暴動が起きた。
    そのうち、人々はカップ1杯のトウモロコシ粉のため、自分たちの家の屋根の鉄板をはがして売り始めた。ふたりの若い娘を売ろうとして捕まった父親もいた。


    2 小学校は卒業、中学校は退学
    ウィリアムは小学校を卒業し、カチョコロ中学に進学する。将来は科学者になりたかった。しかし通学はできていたものの、制服や教科書を買う余裕はなかった。そもそも教科書を買える生徒のほうが少なく、教室に生徒が入り切らなかった。机を買うための助成金がないため床に座って授業を受けていた。ウィリアムは学費を払えなくなり、中学校を辞めた。70人のクラスで残ったのは20人だけだった。もはや、明日のことさえ考えるのも困難だった。
    2002年1月下旬にはとうとうガガさえ底をつき、カボチャの葉を食べるしか無くなった。マラウイは正真正銘の飢饉に襲われ、ウィリアムの地域でも餓死者が出はじめた。飢饉はあっというまにマラウイに広まった。何千もの人々が食べものを求めて国じゅうをうろつき、動物のように土を掘り返していた。家からも家族からも離れた場所で亡くなる人も出はじめた。

    人々は奥地からウィリアムの住んでいる地域に雪崩れ込みつづけた。そして、正気を失い、衰弱しながらも炎に追い立てられた動物の群れのように、商店街に集まった。女の人たちは痩せこけ、青白い顔をしてひとりひとりぽつんと坐り、神に祈っていた――涙を流すこともなく、淡々と。どこに行っても人々は静かに苦しんでいた。もう泣く気力も体力も残されていないからだ。栄養失調のせいでお腹がふくれ、奇妙な赤銅色の髪をした子供たちが店のまえにたむろしている一画もあった。ぬかるんだ地面にシートを広げ、まだ穀物を売っている商人も数人いたけれども、その数はどんどん減っていた。
    トウモロコシの価格は金ほどにも高くなり、宇宙や星を500グラム買うようなものだった。人々は店のまえに寄り集まりはするものの、大半が無言でただぼうっと見ているだけだった。まるで天国の夢でも見ているかのように。

    2002年3月、飢饉の日々を乗り越えたマラウイで、やっとトウモロコシとカボチャが熟した。まるで地上が天国と化したかのようだった。商店街でも人々に笑顔が戻り、今ではみんなが期待を込めて将来のことを話していた。


    3 風をつかまえた少年
    ウィリアムは中学校を中退した後、やることもなくぶらぶらしていた。あるとき、MTTA(マラウイ教員研修活動)というグループがウィンべ初等学校に小さな図書室を作っていたことを思い出し、本を借りるようになる。そこで『物理学入門』『エネルギーの利用』という本に出会い、風力発電の仕組みを知る。かつて自分が組み立てた自転車の発電機と同じ仕組みだった。ペダルを漕ぐ人の役割を、風が行ってくれる。風が風車の羽根をまわし、ダイナモの中の磁石を回転させ、電力を生み出す。ダイナモにリード線をつなげば、何にでも――特に電球に――電力を与えることができる。つまり、風車さえあれば、電気が使えるようになるのだ。

    ウィリアムとジェフリーは風車を作るためにかたっぱしから廃材を漁った。塩ビパイプ、羽に使う円盤型の金属、自転車の車軸、チェーン。正規の部品を買うお金なんてなかったため、全てごみ置き場から調達した。自転車の車軸は父親のものを拝借した。ダイナモは自転車に乗っていた少年から200クワチャで買った。資金はギルバートが出してくれた。
    そのうち、熱心に金属を漁っている姿が生徒の目に止まるようになり、みんなの笑いものになった。
    「おい、見ろよ、ウィリアムだ。またごみを漁っている!」「見ろよ、頭のいかれた男がごみを持ってきた。おおい、おまえの噂は聞いてるぞ」

    そしていよいよ、風車を組み立てる日がやってきた。木を斧とナタで倒し、5メートルほどの塔を作った。40キロ近くある風車を物干し網で塔のてっぺんまで上げ、固定した。塔のまわりには30人ほどの人だかりができていた。
    塔の横桟に吹きつけている風が、チェーンの油と溶接して溶けたパイプの羽根のにおいを掻き混ぜていた。曲がった自転車のスポークが車輪を固定するためにまだ差し込まれていて、風車は風に吹かれてかたかたと音をたてていた。まるで早く放ってくれとせがむかのように。
    ウィリアムはスポークをつかむと、ぐいと引き抜いた。羽根がまわりはじめた。チェーンがスプロケットときつく噛み合う音がした。タイヤがぎしぎしと軋み、それから徐々に回転を始めた。すべてがゆっくりと進行していた。
    「もっと早くまわってくれ」とウィリアムは祈った。「ぼくに恥をかかせないでくれ」。
    ゆっくりと羽根の回転がスピードを増した。
    もっと早く。もっと――
    ちょうどそのとき、強い風が吹きつけ、羽根が狂ったようにまわりはじめた。塔が一度大きく揺れた。ウィリアムはバランスを失いかけ、慌てて片腕を横桟に巻きつけた。頭のうしろでは風車の羽根が飛行機のプロペラのように激しく回転していた。もう一方の手に握りしめた電球を見つめ、奇跡が起こるのを待った。ちらりと電球が光った。ほんの一瞬のきらめきだった。それがやがて煌々と輝く堂々とした光に変わった。心臓が破裂しそうになった。
    「見ろよ」誰かが言った。「電気がついてる!」「あの子が言ってたことはほんとうだったんだ!」
    その神々しい光はまぎれもなくウィリアムのものだった。両手を突き上げ、喜びのあまり叫び声をあげた。笑いが込み上げてきて止まらなくなり、しまいにはめまいがした。片腕を横桟に引っかけ、もう一方の手に明るく輝く電球を持ち、下の人々を見下ろした――全員が信じられないといった眼を大きく見開いていた。
    「これが電気を起こす風だ!」とウィリアムは叫んだ。

    そのうち、毎日30人もの人が灯った電球を見上げにやってきた。
    「神さまからこんな恵みを受けるなんて」と見物人の女性が言った。「奇跡を起こす子供を授かるなんて。もう灯油に文句を言わなくてもすむなんて」。
    通りすがりの人が父親に声をかけることもあった。「あんたの息子がこれをつくったのか?」「ああ」「なんて利口な子なんだ。どこでこんなことを思いついたんだ?」「本をたくさん読んでたから、たぶんそこからじゃないかな?」「学校で教わったのか?」「いや、学校は辞めなきゃならなかったんでね。だから、息子は全部ひとりでやったのさ」

    その後、銅線を延長して自分の部屋の中に引き込んだ。藁に吊るしたソケットをつなぐと明かりが灯った。ついに自分だけの明るい部屋を手に入れた。
    その夜は興奮しすぎて眠れなかった。みんなが寝た後も起きたまま、『物理学入門』を開いて次の段階に進む準備をした。電球の次はバッテリーを、バッテリーの次は揚水ポンプを。時折、手を止めては天井を見上げ、電球が明滅するさまを眺めた。暖かな光が壁や本のページを白く染め、外からはいり込んでくる赤い砂塵を照らしていた。
    いつもと変わらず、その夜も強い風が吹いていた。


    4 TEDへの招待
    ウィリアムはどんどん設備を改良していった。昇圧機を作り電圧を220Vまであげ、家の壁にコンセントを設置し、ラジオを聞いたり携帯を充電できるようにした。整流器を作り、車のバッテリーを調達してきて、発電した電気を貯めることに成功した。これで風が吹かなくても丸々3日分の電力が確保できるようになった。家に電球を追加してスイッチを作り、壁に触れるだけで明かりがつくようにした。安全性を確保するため、『物理学入門』の電気配線図を参考に、ブレーカーを自作した。ブレーカーは竜巻のときに見事に作動してくれた。

    2006年11月の初旬、MTTAのハートフォード・ムチャズィーメ博士がウィンべにやってきて、ウィリアムの家に訪問した。その数日後、ムチャズィーメ博士はマラウイの名だたる報道機関の記者たちを連れてきた。インタビューがラジオで流れ、デイリー・タイムズに「学校を中退した天才少年」という大見出し付きの記事が掲載された。ムチャズィーメ博士は学費のカンパを募り、教育省にウィリアムを学校に通わせるよう直談判した。その結果、ウィリアムは家から1時間ほどのところにある全寮制のマディースィ中等学校に入学を許可された。

    また、ウィリアムのことが書かれたブログ記事がナイジェリアの企業家の目に止まり、TEDに招待された。場所はタンザニアのアルーシャ。生まれて初めての飛行機だった。

    現地でウィリアムは、TEDの企業スポンサーを取りまとめる責任者のトム・ライリーに会った。自分を推薦してくれた人物だ。彼はウィリアムにこう聞いた。「将来どんなものを手に入れたいか」
    ウィリアムはふたつの目標を話した。ひとつは学校に残ること。もうひとつはもっと大きな風車をつくって、家の畑に水を引き、二度と飢えなくてもすむようにすることだ。マラウイ人の眼にはそれは実現不可能な夢だ。この国の人々の大半はそうした夢が消えていくのを一生ただ眺めて過ごす。しかし、ライリーは、アルーシャに集まったTEDコミュニティの力と影響力があれば、学費と風車の建設費を募るのは比較的簡単なことだと言った。実際、きみは将来有望な起業家なのだから、きみの目標達成のための資金集めをしてみよう、と。
    「きみはシリコンヴァレーの企業を立ち上げたようなものなんだから。さしずめぼくはきみの会社の取締役だ。ふたりでこのプレゼンテーションを見せてまわって、きみのための資金を集めよう」
    会議の残りの期間、ライリーはノートパソコンを使ってプレゼンテーションをしてくれ、多くのアメリカの投資家や実業家に接触し、プロジェクトに資金が集まるよう尽力してくれた。食事中の彼らを捕まえたり、シャトルバスでホテルに戻る彼らのあとを追ったり、アフリカのでこぼこの道端で立ち話をしたりした。その結果、彼が接触した人々のほとんどが援助に同意してくれた。中にはその場で財布を開いて、百ドル札を何枚も手渡してくれる人までいたそうだ。数々の大物投資家も、資金提供に同意してくれた。


    5 未来をつくる風
    その後、ウィリアムは地域の私立中等教育学校(ABCCA)に入学を許可された。家にはソーラーパネルを設置し、深い井戸を掘って太陽光発電で動く揚水ポンプを導入した。5000リットルの貯水タンク2槽をいっぱいにして、その水を畑に送水できるようにもした。これで年に2回トウモロコシを植えられるようになった。物置が空っぽになることはもう二度とないだろう。その井戸に取り付けた蛇口――数キロ四方で唯一の自動給水装置だ――はもちろんウィンベのすべての女性が自由に使えるようにした。だから毎日、何十人もの女の人が家に来て、冷たい清潔な水をバケツに入れていった――汗を垂らしてポンプで汲み出すこともなく。
    ABCCAの休暇中にはさらに大きな風車をつくって、別のポンプの動力源にし、そのポンプを家の浅い井戸の近くに置いて、家庭菜園の灌漑用にした。母さんはそこで家族用と市場用両方のホウレンソウ、ニンジン、トマト、ジャガイモを育てている。夢がついに現実となったのだ。
    家族には想像もできなかっただろう。飢饉の最中につくった小さな風車が、自分たちの暮らしをこれほどまで大きく変えることになろうとは。

    ウィリアムはクリスマス休暇を利用して、カリフォルニアのパーム・スプリングスに来ていた。教科書に載っていた風車群を見るために。
    6000基の風車たちをじっと眺めていると、風車が何かを語りかけてきているような気がした。何を語りかけてきているのか。答を急ぐ必要はなかった。まずはアフリカに戻り、学校に通い、長く奪われていた暮らしを取り戻す。そのあとは?さきのことはわからない。もしかしたらこの風車の勉強をして、つくり方を学ぶかもしれない。マラウイの緑の野に風車の森を築こうと思うかもしれない。あるいは、政府に頼らなくても自力で電気や水が得られるよう、シンプルな風車のつくり方をほかの人たちに教えているかもしれない。あるいは、その両方に手を染めているかもしれない。でも、何をやることになったとしても、ぼくはこれまでの経験で得たたったひとつの教訓を生かすことだろう。

    何かを実現したいと思ったら、まずはトライしてみることだ。

  •  アフリカのマラウイの14歳の少年が、自力でつくった風力発電。それは、貧困のため、中学校に通うこともできなくなったウィリアムが、MTTA(マラウイ教員研修活動)が小学校に作った、小さな図書館の1冊の本との出会いがきっかけだった。
     物見高い見物人の野次が飛び交う中での、実験。風車が回り、ウィリアムの持つソケットが輝き始めたとき、見守る人々から歓声が上がった。そして、それは、貧しい国の大きな一歩となっていく。
     1人の少年が、人々を、国を、そして世界を動かすまでの物語

     本当に痛快で、魂が震えるような物語(実話)でした。しかも、ウィリアムの手記という形で書かれているので、とても、読みやすく、一息に読めてしまいます。
     サクセスストーリーであるのは違いないのですが、風車つくりばかりでなく、半分はマラウイの子どもたちの生活や、風習について。日本では考えられないようなことが、平気でまかり通ることに驚いたり、ショックだったり……。特に、干ばつのために、人々が苦しんだ飢餓の様子には想像を絶するものがありました。
     一方、幼いウィリアムがお父さんから聞いた物語や、お父さんの半生、自然豊かな日々の中での子どもの遊びなどは、読んでいても楽しく、どことなく懐かしさも感じました。

     訳者の田口さんや、池上さんの解説もよかった。「知識は力なり」いい言葉ですね。もちろん、図書室の1冊の本がきっかけで、ウィリアムの人生が大きく変わったという事実には勇気づけられます。

  • ウィリアムが生まれ育ったマラウイを地図で改めて確認すると、アフリカ大陸の南東部にあって日本の3分の1ぐらいの広さ。農業が主で、8年制の小学校まで授業料は無償だけど、中学校(4年)に進学するには学費がいる。就学率はわずか15%!
    14歳のウィリアムの家はたばこ産業に土地を売り渡す隣人もいる中で、実直な父親は主食メイズ(トウモロコシの一種)の栽培を続けている。母は裕福な家の出身だったが生真面目な父を愛していた。姉は貧困の中で大学進学を目指している。
    ウィリアム自身も家計状態から察して中学進学は無理だろうと案じていたのだろうか、ベッドの上に中学校の制服を発見した時の喜びようは一瞬過剰に映った。でもそれは中学進学は当たり前となっている日本に育った私だからだろう。国の経済格差に唖然となるが、新聞などを読むと日本も無縁な話ではないのかもしれない。
    暗くなると勉強ができないので、友人とゴミ捨て場で工場が廃棄した部品や明り取りの燃料を探す。しかし、ついに旱魃で不作が続き授業料が払えなくなる。ウィリアムはせめて独学するために図書館の使用を願いでる。
    たびたび旱魃に襲われ村は飢饉に見舞われた。
    そんな中でウィリアムは電気を発電する風車を考案する。(当時の電気の普及率は2%だったらしい)。ペダルを漕いで点く自転車のライトにヒントを得て、風車で発電し、モーターを回して地下水を汲み上げ畑に水を送るのだ。
    その風車を造るためには父の自転車が必要だった。ウィリアムは父に懇願する。しかし、父は中学の子供が考えた程度で灌漑ができると信じられない。賢いとはいえしょせん子供の遊びだろうと誰だって思うだろう。自転車は車のような存在で貴重なものだったに違いない。
    ウィリアムは素直で良い子だった。私だったら、無学の父親に何がわかるかと反抗するだろうなぁ。父の言いつけを守り、トウモロコシをつぶしたような主食に湯がいた野菜が添えられた粗末な1食で、父の更に土地を増やす尾根開墾の方針で重労働を強いられた。しかし万策果てウィリアムの提案が受け入れられた。村に残った人々と協力して手製の風車がついに完成する。
    村が飢饉に襲われ困窮したのは何も天候のせいばかりとはいえない。食料を提供してもらえないので、政府に援助を申し出た族長は袋叩きにあい致命傷を負うシーンがあった。不安定な政権も背景となっている。
    日本で贅沢に暮らしている自分の在りようを顧みずにはいられない。

  • これほどワクワクしながら本を読んだのは本当に久しぶりだった。

    本のタイトルは「風をつかまえた少年」。14才にして独力で風力発電を作った少年,ウィリアム・カムクワンバのドキュメンタリーである。

    彼が住むアフリカ,マラウィの村カスングでは,2000年に大きな旱魃と飢饉にみまわれる。もともと豊かとはいえないこの地域では多くの人が職を失い,飢餓や伝染病により多くの死者がでるなど,重層的な困難に直面していた。

    このような状況の中,中学を辞めざるを得なかったカムクワンバが思いついたのは「風車」をつくることだった。

    風車で電気を起こせば夜でも本を読んだり,働いたりすることができる。電気で水をくみ上げることができれば,女の人たちは毎日の水汲みから解放され,畑にも水をまくことができる。風車と揚水ポンプがあれば多くの作物を栽培でき,飢餓から解放される・・・。

    そして何より,もともと科学者志望だったカムクワンバは何かをつくるのが楽しくてたまらないのだ。

    自分が卒業した小学校の図書室に通いつめ,自分が経験的に知っていた知識を体系的に理解した時の喜び。理解した知識をもとに実際に装置を作り,上手くいった時の楽しさ。「創造する」喜びがあふれていて,読んでいるうちにこちらもニヤニヤしてしまう。

    周りになんでも揃っている私たちには思いもよらない方法で,彼はあらゆるものを作り出す。風車を作るための道具,ドライバーやナイフまで手作りなのだから!

    この風車が話題になり,中央の役員の目に止まり,新聞に取り上げられ,数人のブロガーに取り上げられて,「TED(テクノロジー・エンターテイメント・アンド・デザイン)グローバル2007」という国際会議に出席することになる。ここに至る状況の変化は劇的で「これからどうなるんだろう?」という彼のワクワク感が,読んでいる方にも乗り移る。

    彼が素晴らしいのは,何かを作りたい,という動機が自分の利益のためではないからだ。中央の役員の目に止まるきっかけになったのは,小学校で科学クラブを始めたことだが,ここでも彼は,「自分の風車を見て子供たちが何かをつくってみようという刺激になれば」と考えている。

    この本をぜひ,大学生に読んで欲しい。ものづくりを目指す学生に。

    私はキカイ系がさっぱりわからないので,彼が完成させた「風車」の素晴らしさを充分に理解できていないかも知れない。ガラクタの寄せ集めで「風車」をつくることがどれほどすごいことか,実感できるのは機械系の学生?それとも電気系?

    また,世界のことを広く知りたい,と思う学生にも読んで欲しい。

    アフリカが直面する食糧問題,エイズの問題,環境問題などがカムクワンバの目を通して語られていて,これらがどれほど彼らにとって切実な問題かが実感できる。

    そして,このような苦しみの中だからこそ,カムクワンバが成し遂げたことは希望につながる。

    カムクワンバは困難な状況でも夢を失わない。まえへ進みつづけようとがんばっている人たちを励まさなくてはいけない,と彼はいう。絶望的な状況にくじけそうになっている仲間にこの物語が届いてくれれば,と。

    震災,原発と多くの問題を抱える今の私たちにとっても大きな勇気となるだろう。

    私たちが本当に世界を理解し,新しい世界を創造するためには,断片となって伝わる情報ではなく,物語が必要だ。

    そしてこの本は,喜びと希望に満ちた物語である。



    「2013年 POPコンテスト」(ライブラリー・ワークショップ)

    http://opac.lib.tokushima-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?materialid=210005182

  • 素晴らしい本を読むことができました。
    マラウイの旱魃と政府の無策による飢餓を乗り越えて、14歳の少年が小さな図書室の本と出会い、自力で風車を作り、風力発電を始める過程は崇高ですらあります。

  • マラウイで14歳の時に風車を作った少年。トウモロコシ農家で育ったが、半年間通常の食料が食べられないような冷害による飢饉に見舞われ、学校にも行けない。何とか自力で勉強しようとして図書室に通う。そこで見つけた「エネルギーの利用」という本から彼が試行錯誤して風力発電装置を廃品から自力で作るまで。
    本の半分くらいまでは生い立ちと飢饉のひどい状況が語られるが、後半の試行錯誤の軌跡は感動的だった。
    最後にはTEDに出席したり、新聞やラジオなどのマスコミに登場したりと世に出るのだが、それでも魔術を法律で取り締まるべきだと述べていたり、未開発な知性がそのままで面白い。

    物理的な難しい話はほぼ出てこないので、大丈夫。直流(電池みたいに一定に電気が流れ続ける)と交流(ダイナモみたいにパルスで電気が流れる)の違いを知らなかったので、勉強になった。

  • アフリカの少年が一人で風力発電を作った話。
    私は名前も知らなかった「マラウイ」という国の少年。
    毎年の収穫によって食を維持し、飢饉が起これば餓死の危険にさらされる生活の中、中学校も行けず、図書館の数冊の本だけで、廃品置き場のものを再利用して風力発電を作り上げた少年の姿には感動を覚えた。

    何でもまわりにあり、勉強するにしても本だけでなくインターネットなどでも自由に情報を手に入れることができるのにもかかわらず、まともに勉強もできていない自分と比較してはずかしくなってしまう。

    本屋にやまのようにある自己啓発本より数倍も自分をやる気にさせてくれる。
    「トライして、やり遂げました」はずっと心に残ることばになるであろう。

  • マラウイの農家の息子であるウィリアム・カムクワンバは、旱魃による飢饉のため、学費が払えず中学校を中退した。必ず復学できると信じてNPOの作った小さな図書館に通い、自己学習をはじめる。図書館で電気の本や風力発電の本を見つける。苦手な英語で書かれた本を翻訳しながら読み、風力発電を自分で作ろうと考える。
    とにかく、なんでも作ってしまうのがすごい。また、飢饉の実情が描かれていて、その時の体験が、みんなの生活に役立つものを作ろうという力になって行くところも感動的。そして、苦労は報われるんだなぁと嬉しくなる。
     中学生や高校生に読んでもらいたい。

  • 14歳で風力発電装置を作った
    材料に自転車や車のバッテリーを使った

  • マラウイの事などまったく知らなかったけど、いつの時代かと思うようなことがアフリカでは今も現実にあるのだということがよくわかりました。

    風力発電を作るのはいつ出てくるのかとおもいましたが(生活背景などがかなり書かれている)読み進めるとそこの部分にもはまっていきました。

    食べると言う事、生きると言う事、マラリアやHIVなどの疾患について。今の日本がとてもいい状況とは私は思っていないけれど世界を見てこれほど違うものかと。

    発電や電気の話は簡単に書いてくれているのだろうと思うのですがとても難しく知識があればもっと面白いのだろうと思いました。

    教育の大切さなどとして取り上げられる本書ですがそれ以外にもいろいろと考え直させられる本です。

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