河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163744704

作品紹介・あらすじ

それでも新聞をつくり続けた。2011年度新聞協会賞受賞。被災者に寄り添った社員たちの全記録。

感想・レビュー・書評

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  • 前から気になっていた一冊、図書館にて。
    何かに急き立てられるように、読了しました。

    東北に根差した地元新聞・河北新報の、
    震災の日々を綴ったルポルタージュになります。

    徹頭徹尾、「被災者に寄り添う新聞」であることを貫きながら、
    様々な視点での多重的な現地ルポの積み重ねは、重く心に響いてきました。

    焼け跡のない焼野原、そこから立ち上る「生の臭気」、
    空撮カメラマンの後悔、福島配属の記者の懊悩、、

    それらが圧倒的な「現実」として、迫ってきます。
    決して正解を一つに集約できない、現実として。

    情報を伝えるという事、事実を伝えるという事は、
    ジャーナリズムの本質なのだと、感じます。

     「われわれは皆被災者だ。誰かを責めることはするな。」

    そして、記事を書くだけが新聞の仕事ではない、
    情報を可能な限りに正確に伝えることが公益なのだ、とも。

    そして、30年前の教訓を伝えきれなかったのではないかとの忸怩たる思いと、
    次の30年後に備えるために伝えていくとの、との覚悟の模索をも。

    その責任は報道機関だけに背負わせていいものではないのだろうと、
    「自助、共助、公助」との言葉を思い出しながら、考えさせられました。

  • 被災直後の取材や新聞発行に意味はあるのか。

    取材用のヘリで上空から津波に襲われた被災者をカメラ撮影しながら自問する。救済ヘリと間違われ、助けもしない自分に価値はあるのか。号外を届ける。号外そのものは無料であり、新聞社の矜持とも言える。被災者からの声。テレビやインターネットが繋がらない中、何が起こっていたかわからなかった。新聞配達により、社会との繋がりが確認できて救われた。

    河北新報。白河以北という意味らしい。東日本大震災。私はその時日本にいなかったから、外国のニュースでその被害状況を知った。国際電話だと通じるからと、日本から知人が私経由で安否を探った。東京で起こった事は聞いたが、東北の話は、テレビやネットでしか知らない。映像が無いのに、本の方がリアルなのは、心理描写や詳述の長さ、いや、何より、読書と感情のスピードが合わせられるため、シンクロし易いからだろう。映像だと、コマ送りより感情が先に行ったり、置いてきぼりになる。

    自らも被災者である河北新報社員。寄り添って、皆んなで食料を工面しながらも、街は水も電気も止まり、仕事場の予備電源、または、集団の方が安全だからと、職場に集まり、助け合い、仕事を続ける。非日常の雰囲気、連帯感。死を乗り越え、ドラマがあったのだ。

    死亡一万人超すと表現するべきか悩み、死亡を犠牲と改める。リアルだ。新聞社に限らず、世の仕事の多くは、適切な言葉を選ぶ事。外交、販促、交渉、プレゼン、説明、PR、契約。事実を伝える使命感と、被災者の心理を気遣う葛藤。死亡とは書きたくない。事実よりも配慮を選ぶ。それが正しかったのかは分からないと回顧する。言葉の背後にある心を考えさせられる内容だ。

  • 病院・自衛隊・学生ボランティア・大川小学校・原発とここまで読んできて、今回は地元の新聞社。
    私自身は義援金以外に何もさせていただいていなくて本当に申し訳ない。
    ただ、忘れるなんてことだけは決してない。

  • 3月11日に東日本大震災が起きて以来、新聞記事や書籍、映像や写真など震災に関わる情報に接してきました。

    『河北新報のいちばん長い日』は、そのなかのどの情報とも比べものにならないほどの、現地の悲惨な様子を生々しく伝える一冊でした。
    それは、読み進めるほどに心に重い石がのせられていくようでした。

    自らが被災しながらも、被災した人たちに必要な情報を伝えようとする記者を始めとする社員たちの懸命な姿や、地方紙ならではの被災者の視点で見出しの語句や一枚の写真にさえこだわる姿勢に、紙というアナログメディアの重要性を再認識させられました。

    ヘリコプターの下に救助を求める人たちがいるのに何もできないもどかしさと葛藤、津波と原発のどちらの報道を優先すべきなのかという迷い、仙台市街住民と被災地の人々、そして幹部と記者との間にも存在した立場による温度差。

    現場にいなけらばわからなかったことがたくさんあることを改めて知り、ため息をついて読み終えました。

  • 本文にも読者からの手紙として書かれているけど、新聞はただニュースを伝えるためだけのものではないと思いました。
    ラジオもネットをつながらなくなったあの日から、新聞は大きな役割を果たしていたこと、その新聞の記事を作り上げるのに多くの人の労力や心遣いがあったことを知ることができました。
    あの状況下での記者としての使命感、また、地元紙として地域と共に歩む姿勢に感銘を受けました。
    これから社会に出るものとして、「地域密着」の大切さを実感した本でもあります。
    あの日からの河北新報をもう1度読み直し、河北新報社の方々に敬意を表すると共に、被災地と呼ばれる場所に滞在するものとして、あの日からの出来事をしっかり再認識しようと思います。

  • 3月12日の朝、新聞が届いて本当に驚いた。
    停電してるのに、こんな時にも新聞を作ってくれていたんだ…って涙が出た。感謝の気持ちでいっぱいでした。
    新聞もテレビも、全国と地方では温度差があります。それは地震だけじゃなくて、台風のときにもよく感じていました。
    欲しい情報はそれじゃない…ってがっかりすることもよくあったし。
    河北新報は東北のことを考えて、ずっとこちらに寄り添って新聞を作ってくれていたんだと知ることができた。
    地元紙はやっぱり良いです!

  • 311リマインド。壮絶な事実と、必死に行動した人たち。

  • 東北の有力地域紙「河北新報」。発災後、記者達の直面した状況、思いを記録したノンフィクション。

     13日朝刊、編集委員が逡巡の末に書いた社説は「生きてほしい」と語りかけるような書き出しで始まっていた…。避難所で、食い入るように新聞を読む被災者達の姿…。壊滅的な被災地で、それでもなお朝刊を配達し続けた販売店主達の意地…。
     幾度か、涙がこぼれた。

     ひたむきな思いで走り続けた記者達の美談。その一方で、走り切れなかった者もいた。
     福島総局の女性記者は、福島から退避してしまったことを悔い、「記者失格だ」と悩む。彼女は、記者の仕事にひと区切りつけたという(辞職したのか)。 そのことについては、詳しく書かれていない。記者として向き合うにはあまりにも巨大で過酷な出来事であった3.11、そして「福島」。
     その女性記者の思いや悩みを詳しく聞きたいと思った。

  • 避難所に河北新報が届いた時、皆むさぼるように読んだ。
    本当に欲しい情報が沢山載っていて有り難かった。
    その陰には、こんな苦労があったのだということを知った。
    本当にあの時はありがとうございました!!

  • 被災地の新聞社でなければ、できないこと、やれること、そして考えたこと。あの日のことを忘れてはいけない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「あの日のことを忘れてはいけない。 」
      自分達のしたコトに、もっと自信を持って良いと思うのですが、、、悩む新聞人に共感を覚えています。
      「あの日のことを忘れてはいけない。 」
      自分達のしたコトに、もっと自信を持って良いと思うのですが、、、悩む新聞人に共感を覚えています。
      2013/04/25
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