- Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163760704
作品紹介・あらすじ
フォトジャーナリズムの世界でもっとも有名かつ最高峰といわれる「崩れ落ちる兵士」。だが、誰もが知るこの戦争写真には数多くの謎がある。キャパと恋人ゲルダとの隠された物語がいま明らかになる。
感想・レビュー・書評
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あの写真の真相は? 詳細かつ丹念な調査によって紐解いていく。いつの世も重層的な理由によって歪められていく事実というものがあるのだ...。諸氏の知見も盛り込みながらこのボリュームで収まっているのは流石です! 他作品も読み直そうかな。
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沢木耕太郎にとって、ロバート・キャパが特別な1人であることは間違いない。
自分と似ていると感じ、折りに触れ、20年以上かけて追い続けることになった写真家であり、「崩れ落ちる兵士」は本当に撃たれているのかという謎を、いつか決着をつけねばならないと感じるほどに。
しかしこれを読み終えた今、兵士は本当に撃たれているのかという謎は、私にとっては最早瑣末と言ってもいいくらいのことになってしまった。キャパが背負った十字架はそんなもの(と敢えて言う)ではなく、もっとずっとずっと重たいものなのだった。
高村光太郎と智恵子、スコット・フィッツジェラルドとゼルダ、というように、夫に勝るとも劣らない溢れる才能と意欲と野心もありながら、それを押さえて、影とも言える位置を時には選び、時には選ばざるを得なかった妻は、実はかなり多いのではないか。
「一家に芸術家は2人はいらない」という言い方があるけれど、才能溢れる2人は、その才能が故に惹かれ合いもするけれど、その才能が故にどちらかが我慢も強いられ、そしてそれが妻のほうであることは決して珍しくないのではないか、と思う。
切磋琢磨し合って創作活動に励んでも、お腹が空いた時にその手を止めてご飯を作らなくちゃならなかったり、赤ん坊が泣いた時に面倒を見に立ったりするのも、果たして同じ回数だろうか。同じだけの負担だろうか。
たぶん妻のほうに、より負担がかかりより我慢を強いられることが多いであろうことは、想像に難くない。
結婚こそしていなかったが、キャパとゲルダにも、どこかそのような傾向がありはしなかったか。
少しずつ認められていくと共に、ゲルダの野心が膨らんでいくのは当然のことであり、キャパは望むと望まないとに関わらず、ゲルダにとっての枷になっていきはしなかったか。
112ページの、同じシチュエーションをキャパとゼルダが撮った2枚の「共和国軍兵士の二人」の写真を見て、私は身震いする。
たまたまの偶然なのか、見ている私の勘違いなのか、全く自信はないけれど、ゲルダの撮った写真のほうが「いい」と感るのだ。もしかしたらゲルダのほうが才能豊かだったのではないか。
キャパは「波の中の兵士」を撮ることで、かつての「崩れ落ちる兵士」に決着はつけただろうと思うが、ゲルダに対しての決着はつかないままだったのではないかと思う。
1936年、ハンス・ナムートが撮った写真に写り込んだキャパとゲルダの後ろ姿に、胸を突かれるような思いがする。
逃げている村人と逆方向に向かって(つまり戦場に向かって)歩いて行く、20代前半のまだ若い2人。
肩を並べて、危険へ向かって歩いて行く。
後ろ姿のゲルダは、キャパよりもむしろ昂然と胸を張って、運命に向かって行っているように見える。
“写真は嘘をつく”が、また、写真には力がある。-
2013/02/19
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雑誌連載もちらちら読んでいたし、先日放映されたNHKスペシャルも観たので、スルーしようかと思っていたものの、やっぱり「完全版」として読んでみないとな…と手に取りました。
戦争写真家としてあまりにも有名なロバート・キャパ。彼を世界のトップに押し上げた作品に、スペイン内戦で撮影された『崩れ落ちる兵士』という作品がある。でも、この写真に関して、キャパ自身が生前語ったことはきわめて少ない。それは何ゆえなのか、とキャパにひかれ続けて数十年という、沢木さんが突き詰めていくノンフィクション。
読んでいて感じたことはいろいろあるけれど、主なものを箇条書きで。
・「写真は嘘をつく」ということ。これは、「モデルの兵士は撃たれて崩れ落ちたのではない」という説を唱えた研究者の実体験からきている。彼は同じスペイン内戦で、家族とともに写真を撮られた経験があり、それにいろいろなキャプションがつけられて、自分の身にまったく覚えのない悲劇の物語として拡散していく過程をつぶさに見ている。写真は真実も映すが、写真家の意図と掲載メディアの意図のさじ加減でどんな風にも扱われる。見事な写真になればなるほど、その効果は大きい。
・伝説に乗っかり、また伝説ができるということ。「あの撃たれて死んだ兵士は私の家族だよ」という人間が出現する。それも悪意ではなくて。自然な思いこみもあるだろうし、時として喜んで演じることもあるし。
・おおかたのキャパ研究や評伝では、この本で触れることに明快に言及しているものはあまりない(感じ)。生前の彼に近ければ近いほど書きにくい、ということかもしれない。それと、これまでのそういった著作で全般的にいえるのは、当時公私ともにパートナーだった女性、ゲルダ・タローの技量と能力が過小評価されすぎているのではないかということ。男女のペアではいつでもどこでも、「支える女性、もしくはマスコットガール」が好まれ、その範疇を超えればノーサンキューということか。
・実戦時の写真かどうか意見を聞くために、関連する写真を大岡昇平に見せた時の、彼の即答の鮮やかさ。
「好き」という言葉でくくるのは違うような気がするけれど、非常に気になる対象を長年ウォッチし、同意する点、引っかかる点について検証を展開する材料を集め、臨界点に達した時点で一気に作品にまとめ上げる、沢木さんの高揚感がこちらにも伝わってきてぞくぞくする。そのうえ、膨大な資料と取材データをこのページ数で切れよくコンパクトに仕上げた手腕に、ただただ感心してしまう。普通に時系列で自分の行ったことを書いたら、あれもこれもと盛り込みすぎて、余裕で2段組み上下巻の大ボリューム本として、読むのに勇気と根気の必要な本、あるいは「枕本」になったのは間違いない。それでも、沢木作品のファンなら、やっぱり読んでしまったかしら。
キャパがこの写真の背景に関して、十字架を背負っていると感じていたかどうかはまったくわからない。大げさなタイトルのような気もするが、カメラマン人生の初回に放ってしまった大ホームランともいえる、この写真以上のホームランをかっ飛ばそうとして晩年まで苦慮していたのはたしかだと思う。彼が刷ったという名刺のエピソードには、場違いながら『ティファニーで朝食を』のホリーの名刺に漂う洒落っ気やダンディズムを感じたと同時に、彼の自嘲と行き詰まりもうっすら感じてしまった。
造本も紙質もページレイアウトも美しいけれど、私の読んだ初版(2013年2月)では、88ページの図版が上下で入れ替わっているので、増刷(してるよね、たぶん)分では直っていてほしいと思う。
読後少しして、本題とは関係なく、小さく記された英題の「すわりがよくないなあ」とふと感じて、英和辞典を繰ってみた。個人的にはちょっと舌足らずな直訳に思ったものの、crossには俗語として別の意味があるのを知って、「まあ、これでもいいかなあ」と引っ込めた。 -
ロバート・キャパのことはよくわからなくても、スペイン内戦の象徴とされている「崩れ落ちる兵士」や第二次世界大戦の連合国軍ノルマンディー上陸作戦の最前線を撮った「波の中の兵士」(私はこの写真のタイトルは「ノルマンディー上陸」だと思っていたのだが、どうやらこっちが本当のタイトルらしい)の写真なら、見たことがある!と思う人も多いのではないだろうか。
以前から「崩れ落ちる兵士」について、その真贋が取りざたされていたのは聞いたことがある。著者自身も、かねてより(著者本人によれは20年以上も前から)疑問に思っていたその真実をなんとか知りたいと、多くの時間と労力をかけ、丁寧にひとつひとつ取材を重ね、著者なりの結論を導き出したのが本書である。
いやはや何しろ、どんなに小さな事実も見逃すまいと、考えられる可能性のすべてを調べつくす、自分の手で目で足でできる限りのことを確かめる、その著者の真摯な取材姿勢には感服である。
しかもその途方もない労力をして調べ上げたはずの取材結果を、ここまでコンパクトにかつ分かりやすく、さらにはある劇的さをも持ったルポとしてまとめあげるそのうまさにも、脱帽するのみだ。
ドラマチックな小説を読むように、むさぼり読むようにして読了した。
実は、著者が出した結論はあくまでも著者の見解であって、それが真実であるというわけでは全くない。キャパの背負ったであろう「十字架」(これを「十字架」と呼んだのもあくまでも著者の想像。別の見方をする向きももちろんあるだろう)を断罪するのではなく、純粋に秘められた謎として知りたい、運と才能に恵まれた時代の寵児としてのロバート・キャパという人物を知りたいという著者の熱意に満ちた作品であった。 -
「神ならぬ人の背負った十字架 」
フォトジャーナリストとして世にその名を知られたロバート・キャパの傑作「崩れ落ちる兵士」。アメリカの写真週刊誌「LIFE」に掲載され一躍有名になったこの写真にはしかし多くの謎があった。この一枚の写真に隠された真実こそ、キャパが生涯背負うことになったであろう十字架だと、沢木耕太郎が迫る。
スペイン内戦の戦場でキャパが撮ったとされるこの写真には、遠くになだらかな山並みを望む草原の斜面に、手にした銃さえ宙に浮かせて、今まさに仰向けに倒れ込もうとする一人の兵士が写っている。だが、この一枚にはそれ以上の情報は一切ない。
「戦場で被弾した共和国軍兵士の壮絶な死の瞬間」とされてきた写真だが、この一枚だけ見れば確かに「演習中に斜面を下りながら足を滑らせ後ろ向きに倒れ込む瞬間」と言われれば、そうではないとは誰も言い切れないだろう。
本文中著者がとりあげている「サンデー・タイムズ」の記者フィリップ・ナイトリーの「この写真について奇妙なことは、それが写真としては(「写真としては」に傍点)何も語ってくれないということである。」という言葉は強烈だ。いかなる饒舌よりも一枚の写真が強いメッセージを持つ一方、それが100%真実であるかどうかは撮った本人にしかわからないのである。撮った写真が報道なのか作品なのか、その境界線の曖昧さにフォトジャーナリズムという世界の危うさを感じる。
著者の沢木氏はこの一枚の、「いつ?どこで?誰を?どのようにして?」果てはキャパの名声にとっては禁断とも言える「誰が?撮ったのか」を情熱と「ロバート・キャパ」その人を知りたいというある種の愛情をもって迫っていく。
著者の推理によって最終的に浮かび上がったキャパの十字架には、果たしていつの世にもある名声を渇望した人間の「身も蓋もなさ」が露呈してくる。しかし、沢木氏は決してそのことをここに暴いて糾弾しようというのではない。むしろそこにキャパの極めて普通の人間らしさを見、さらにはその神ならぬ人の背負った十字架こそが人知れずその後の彼の活動の原動力となったことに注目している。 -
報道写真の草分け的存在として有名な、ロバート・キャパ。
僕は恥ずかしながら、最近までキャパという写真家についてほとんど、知りませんでした。
しかし2013年1月~3月にかけて横浜美術館で開催されていた『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家』を観賞して、その作品世界と撮影者本人に対する興味が湧いていました。
そんな中、キャパを扱った書籍が話題となっていることを知って、書店で探して読んでみることにしました。
キャパの出世作と言われる、「崩れ落ちる兵士」と題された写真。
この写真は、1936年に勃発したスペイン内戦で、戦士が銃弾に当たった瞬間をとらえた写真として、世に知られています。
しかし一方で、”演出して撮られた”といった疑惑も、以前からあったとのこと。
その謎について、日本人作家によってとことん追及して書かれたのが、このノンフィクション作品です。
この写真とキャパに関する文献、そしてインターネットを通じての情報収集。
当時キャパが使用していたとされるカメラの特徴の調査と、実物を使っての検証。
そして現地での聞き取りと、「どこで撮られたのか」をピンポイントで捜索する旅・・といった具合に、謎解きが展開していきます。
1枚の写真に対して、これだけのエネルギーを注ぎ込むというのは、驚きです。
それだけ、この写真が世界に与えたインパクトというのは大きいということなのでしょうね。
ミステリー小説を読むような感覚で、ぐいぐい引き込まれるように、読んでしまいました。
「最後にあっと驚く」という書かれ方でないと思いますが、僕は最後まで読み終えて、この題名の意味が、腑に落ちたように感じました。
1枚の写真が持つ力、そしてひとつのことを探究していく人の情熱を、熱く感じた一冊でした。 -
「キャパ その青春/その死」を翻訳した沢木さんが、有名な「崩れ落ちる兵士」は、所謂やらせ作品ではないかと疑問を持ち、徹底的な取材で真実を解き明かすというドキュメンタリー。
決して、キャパを否定するものではなく、キャパへの親愛の情は全く変わらないという沢木さんの取材は、しかし鋭く、執拗です。ジャーナリストとしてのキャパに親愛の情を感じつつも、また同時に、ジャーナリストとしてのキャパの作品に対して、真実を追求する。彼のプライドが感じ取れるように思います。ノンフィクション作家としての沢木さんの実力が遺憾なく発揮された作品と思います。 -
写真家ロバートキャパを一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」の真贋を追ったルポです。何度も現場に足を運び多くの人に取材して謎を解いて行く過程が読ませます。
キャパは第二次大戦はの従軍を経て1954年に地雷に抵触して40歳で死亡するのですが、同じく戦場で26歳で事故死した恋人とともに、その生涯にも魅力を感じました。 -
「崩れ落ちる兵士」撮影時の状況を解明したことは掛け値なしに素晴らしいが、全体的に冗長に過ぎる。