花鳥の夢

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (483ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163819303

作品紹介・あらすじ

稀代の絵師・狩野永徳の生涯を描く狩野派の中でも特別な才に恵まれ、信長や秀吉にもその絵を求められた永徳。絵を描く『業』に取りつかれた永徳が辿り着いた境地とは。

感想・レビュー・書評

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  • 以前読んだ谷津矢車さんの「洛中洛外画狂伝」は狩野永徳の青春時代の物語だったが、こちらは更に先の、彼が亡くなるまでを描く。
    「洛中洛外~」は永徳が狩野派一門を背負う立場でありながら狩野派の絵画からはみ出してしまう苦悩を描いてあったが、こちらは一門を背負う故の苦悩が描いてあった。

    絵が好きで絵を描くことが楽しかったはずなのにいつしかそれが苦しみになり、狩野派らしい絵を描くことが退屈なのに自分らしい絵を描けば重苦しいと言われ、弟子に絵を任せれば物足りなさを感じ自分で描きたくなり…と常に追い詰められたような状況の永徳が苦しかった。

    そんな彼が常に意識していた長谷川等伯は永徳と対照的。絵は狩野派とは違い粗野で時に下品にすら映るのに強く惹き付けられる。弟子たちと談笑すらしながら絵を描き、絵を描くのを楽しんでいる。その絵は斬新なアイデアに溢れている。
    何より永徳が惹き付けられた緋連雀の絵を描いた女絵師は等伯の妻だった。

    時の権力者や公家たちの注文をどれほど受け、休む間もなく一門総出で絵を描かなければ間に合わないほど忙しくても、絵の才を誰からも認められ自覚もしていても、等伯の足音はヒタヒタと追ってくる。いつか等伯が狩野派に取って代わるのではという恐怖に怯えている。

    凡庸だと見下していた父・松栄の絵を千利休が評価したように、永徳にはない良さがあったというのも谷津さんの作品とは違い印象的。永徳の絵は素晴らしいが故に時に見る人を睥睨し押し付ける重苦しいものになっていた。

    他者から見れば永徳は嫉妬深く器の小さな男だが、永徳の側に回ればそうした状況の中、一門を率いたくさんの弟子を食べさせていくために必死にもがき、そこで様々な傑作が生まれた。
    紙に描かれる絵は時に戦で焼け落ち、時に建物と共に壊され廃棄され、時が過ぎれば朽ち落ちる。僅かの時間しか残されない刹那的な作品であるからこそたくさんの作品を描こうとし、精魂を込めるという矛盾も興味深い。
    作品のラスト、全ての苦しみから解放され花鳥の夢に浸ることが出来ただろうか。

    ちなみに谷津さんの作品とこちらでは永徳の妻の名前が違う。どちらが正しいのかはわからない。

    ※谷津矢車「洛中洛外画狂伝」レビュー
    https://booklog.jp/users/fuku2828/archives/1/4054056385

  • 桃山時代、狩野派の棟梁として、権力者の城や居宅の障壁画を手掛けた狩野永徳の一生を描く。

    山本兼一さんの描く狩野永徳の魅力にやられてしまった。
    自分の才能に自信を持ち、凡庸だと感じる父を見下す傲慢なところがありながらも、絵を描くことに対してどこまでも真摯で、ときに伸びた鼻をへし折られてもよりよい絵を描くために素直に反省するところ、ライバル長谷川等伯に自分にはない才能を感じ、嫉妬にもだえ苦しむところなど、人間臭いところにぐっと惹きつけられる。

    大作『洛中洛外図』を描くために市中を歩き回り、狩野家に伝わる粉本に頼らず自分の絵を描こうとした若き日の永徳。市井の人々の生活がわかっていない、と一度描き上げた下絵を破り捨て、納得がいく絵をひたすら追い求める様子は、若さゆえの無謀さも感じるが、彼の絵に対する執念を感じさせる。

    狩野派という大派閥を率いていくということは、大作を任され、金の心配をすることなく絵に取り組むことができるという利点がありながらも、派閥の様式から逸脱することができず、心から楽しんで描くことのできない重圧を背負うことでもある。
    一族の中でも飛びぬけて才能豊かであった永徳にとって、そのようなしがらみに苦悩することは多かったであろう。本書では自身の情熱と狩野派の棟梁としての責務の間で苦悩する永徳の様子が、代表作の作成過程を通して語られる。

    永徳のライバルとされる長谷川等伯は、本書では永徳と真逆の立場として描かれる。永徳が自己と向き合い、苦しみを持って絵に取り組むのに対し、等伯は実に軽やかで、描くのが楽しくて仕方がない様子なのだ。自分には描けない絵を見るにつけ、永徳の心は嫉妬で燃え上がる。

    パソコン上の小さな画像であるが、永徳の代表作『四季花鳥図襖』や『唐獅子図屏風』、『檜図屏風』などを見てみた。
    等伯の絵に比べて「重苦しい」と言われた永徳の絵は、襖絵や屏風絵としては確かに圧迫感があるが、思わず目が離せなくなるような凄味が感じられる。
    永徳は今でいう過労死のような状態で若くして亡くなったという。小説のラストは彼の狂気にも似た執念がほとばしるようである。

    山本兼一さんの小説は『火天の城』『利休にたずねよ』に続き三作目。この人は何かを生み出そうとする人の葛藤や執念を描くのが本当に上手だな、と思う。早逝されたのが残念でならない。

  • 鋭さも、柔らかさも、強さも、高貴さも、すべて筆で表現できる。
    一本の筆と墨の濃淡があれば、天地のあわいに存在するすべてを、紙に描き出すことができる…。

    それが絵師の矜持と語る狩野永徳。
    狩野家嫡男として偉大なる狩野一門を背負う永徳は、誰もが羨む絵師としての才能を持ちながらも、「狩野の絵」を守りつつ自分らしい絵を描きたいと苦悩する。
    その前に立ちはだかる長谷川等伯。
    等伯の類いまれなる才能と自分とは異なる感性に嫉妬する。

    永徳の絵に対する情熱が生き生きと描かれてありあっという間に読み終えてしまった。
    『火天の城』とダフる場面はファンとして嬉しい。
    安土城や大阪城の永徳の絵は実際にはどんなに絢爛豪華なものだったのか、この目で観たかった。

    最後まで自分の絵を描きたい、と願う永徳。
    沢山の花々に鳥の舞い遊ぶ極楽で夢中になって描き続けているはずだ。

  • 狩野派を代表する有名絵師、狩野永徳を主人公に据えた時代小説だ。
    若く志に燃える十代から晩年までの生涯を描いている。

    当時の一大派閥であった狩野派の棟梁家に生まれ、天才と呼ばれてもてはやされ、今もなお称賛される作品を遺した男。

    傲慢で狭量でどこか世間知らずな姿は決して男らしくも格好よくもないのだけれど、本当にこんな人だったのではないかと読みながら思った。

    妬み、そねみ、時に実父を侮り、高慢な自信を持ちながらもその自信を砕かれることに怯え、他人の評価を気にし、誰よりも優れた絵師でありたいとあがき続けた男。
    決して骨柄がいいとは言えず、だからこそ人間としての魅力を感じる。

    他人よりも多くの才を与えられて生まれた人間は、凡人よりも幸福であるのか否か、そんなことを考えさせられる。

    永徳の作品はいくつか見たことがあるけれど、本書を読んで改めて洛中洛外図を見たくなった。

    障壁画がどのように描かれていたのか(立てた状態で柳の炭であたりを描いてから寝かせて板を渡して骨書きをして色つけする。金箔押しなどは専門の弟子がいる)、とか、狩野派がどのように時の権力者(足利、織田、羽柴)に遇されてきたのか、なども知ることができて興味深かった。

    長谷川等伯や海北友松など名だたる絵師も登場し、彼らの視点から描くとどうなるのだろうということも気になった。

  • 絵師、狩野永徳のお話し。以前、安倍龍太郎氏の「等伯」を読んでいて、そのライバルとしての狩野永徳を認識していたので、話にはすんなり入ることができた。狩野永徳主人公で、ライバル等伯という図式だが、基本的には狩野永徳の絵師としての心の葛藤がメインで、その都度、弱くなったり、腹黒くなったりしながら、やっぱおれは絵が大好き!で、収まるところに収まるって具合に、で、さっきの前振りはなんだったんだっけ?的な疑問もありつつ、これはこれで良しとしませんか的な気分になるのは、作者の上手さなのかしらん。この後、葉室 麟氏の「墨龍賦(ぼくりゅうふ)」を読むけど、その主人公がこの作品にも出てくる、狩野永徳の一番弟子の海北友松なので、それも楽しみだ。

  • 狩野派の棟梁の苦悩を描いた狩野永徳の話。安部龍太郎の「等伯」ではげすの極み的な悪役だが、この花鳥の夢では狩野派の棟梁という重圧に常に悩まされつつ、なんとかもがき苦しみながら、壁を乗り越えていく。「等伯」と読み比べるととても興味深い!

  • 「火天の城」以来、山本兼一さんのファンです。
    どの主人公たちも恐るべき信念を持ち、己の道を突き進む人物像に感動していました。
    が、今回の狩野永徳はこれまで読んだどの人物よりも壮絶な人生で、圧倒されながらも息苦しさも感じてしまうほど。
    本当ならその才能を思う存分発揮して、芸術家として生きられるところをクライアントの意向に沿った作品を描くデザイナーとして、そして絵師集団を束ねる頭領としてディレクターの生き方にならざるを得なかった苦しみ。評判が上がれば上がるほど、次はそれ以上の作品を描かなければならないプレッシャー。才能がある上に名門である狩野一門を背負っていかなければならない宿命。
    そして一門を脅かす長谷川等伯の存在に精神的に追い込まれて行く。肉体的にも精神的にも極限まで追い込まれながらの壮絶な人生は本当に凄まじい・・・
    あくまで小説なので山本さんの想像の人生ではあるけれど、若くして急逝したことを思うと、これに近い人生だったのではと思うのです。

  • 『等伯』を借りるつもりがこの本を見つけて先に読むことになった。
    面白かった、詳しくはないけれども狩野永徳は誰でも知っている名前。
    名を成したものが広量でなければならないということはない、僧侶ではないのだから才能を持ちながらも狭量である部分を持ち、嫉妬に苦しむ姿は人間である部分で好きになる。
    『等伯』を読むのが楽しみになった、あと利休にたずねよも読んでみよう。

  • 男の嫉妬・・・というか天才の嫉妬とは、こういうものか・・・。
    『「絵師がおのれの技量を鼻にかけているようで、いかにも浅薄な絵に見えてしまいます」 
    答えると宗易(千利休)は両手をついて、慇懃に頭を下げたのち、しずかに立ち上がった。
    ―この男・・・・。
    首を絞めてやろうかと思うほど、宗易の言いざまが憎らしかった。』

    『「絵師がおのれの分をわきまえながら、楽しんで描いているのであろうな。あの男の絵は、その按配がよい」
    永徳は返事をしなかった。たとえ関白殿下(豊臣秀吉)の言であろうと、ほかの絵師の絵を褒められて気持ちのよいはずがない。』

    幼少より、天才の誉れ高く、自他ともに日本一の絵師として認める狩野永徳。ある時、生き生きと飛び立ちそうな緋連雀の絵を見た瞬間から、ある影が忍びより、後には苛立ちへ繋がって行く。苛立ちの原因は緋連雀の絵を描いた女の許嫁、つまり後の長谷川等伯。

    安倍龍太郎の「等伯」と山本兼一の「花鳥の夢」。二人の直木賞作家が、同じタイミングで、同じ時代のライバル同士の絵師を題材にした小説を書いた巡りあわせ。
    視点が違うだけで、前者が描いたのは長谷川等伯が苦難の道を歩みながら、悟りの境地に向かうのに対して、後者は天才絵師狩野永徳が、等伯の影に対して嫉妬に身悶えしながらも画境の極みを目指す姿を書いている。
    両作品とも甲乙付け難く共に力作であり、双方を同時期に読める至福の時に感謝。

    また先般、上野の国立博物館で国宝の狩野永徳の「洛中洛外図屏風」を見てきたばかりなので、より生々しく、身近な物語として読むことが出来たのは、望外の幸せであった。

  • 天才絵師で狩野一門の頭領 狩野永徳の絵に対する情熱と苦悩の人生を描く。「等伯」は等伯の周りや権力者も絡んだエンターテイメントだったが、こちらは私生活や世情は最小限に絵師としての永徳に焦点を絞った描写や業が読みどころ。自分の技量に絶対の自信を持ちながらも狩野という枠から逃れられず、自由に描ける等伯に羨望と嫉妬が入り混じる永徳が実に良く悪役に成りきっていないのも良い。絵を描くシーンも情熱溢れていて読み応えがあるし、絵への指摘もなるほどと思わせる。悟ったようなラストも印象的だし、「等伯」より好みだ。

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著者プロフィール

歴史・時代小説作家。1956年京都生まれ。同志社大学文学部を卒業後、出版社勤務を経てフリーのライターとなる。88年「信長を撃つ」で作家デビュー。99年「弾正の鷹」で小説NON短編時代小説賞、2001年『火天の城』で松本清張賞、09年『利休にたずねよ』で第140回直木賞を受賞。

「2022年 『夫婦商売 時代小説アンソロジー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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