しょうがの味は熱い

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著者 : 綿矢りさ
  • 文藝春秋 (2012年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163878706

しょうがの味は熱いの感想・レビュー・書評

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  • こんなに巧い作家さんだっけ?
    綿矢りさは「蹴りたい背中」を読んだきりまったく読んでいなかったので、自分の中でイメージする文章とずいぶんかけ離れていた。
    言葉の選び方、文章の組み立て方、どれも巧い。
    文章のぎこちなさの中にパワーを秘めている作品を書く人だと思っていたが、私の思い違いか彼女の成長なのか。
    意外や意外自然にすっと入ってきて、すとんと収まる。
    だけどどこか物足りない。

    結婚を迫る女と逃げる男。
    大人になり切れない二人が迷走しながら物語は進んでいく。
    内容にも目新しさは感じなかった。

    レビューを読むと、この作品以降に書かれた作品のほうが評判がいいようだ。
    もう少し読んでみようかな。
    大化けする感じもするし・・・。

  • 世の女子(及び元女子)の8割方は支持するであろう有川さんの男性陣と比べ、綿矢さんの男性陣は、世の女子(及び元女子)の大半は「えー、そんなにいいかな?」と首を傾げるであろう人が多い(笑)
    でも恋って普通そんなもんなんだろう。
    まさに恋は盲目。

    同棲して1年。
    私だけが知っている、彼のこんなところ、そして「そんな風に一途に彼を見ている私」が好きな主人公は、今回は結婚を求めて突っ走る。
    机上に置かれた婚姻届を見てぎょっとし、連帯保証人を思い浮かべる彼との温度差ったら。端から見ていて高度8000mくらいの落差がある。
    家を出てからしばらくして、ようやく彼女の存在が大切なものだったと気付く彼。この男女の時間差も、現実にはよくあるんだろうなと思う。
    そして、3か月できちんと整理つければいいのに、結婚しようと迎えに来た彼に、でへへと速攻帰る用意を始める主人公…。
    危なっかしすぎる、恋愛脳が過ぎる。
    もう、「3か月も放っておくような、こんな男は辞めておけ!」と主人公の親父とはもりながら言いたくなりました。

    いつもの勢いやパワーはあまりないけれど、結婚に至るまでの恋愛の独りよがりな感じ、不安定でふわふわと覚束ない感じが味わえてしまう作品です。

  • 3年間同棲をしているカップルが、
    『結婚』を考え揺れ動く心模様を
    女性の、その相手の男性の目線で交互に描かれています。

    いつも鋭く、切れのある表現だったり
    深く物事を洞察された表現だったりを多く読んでいた私。

    こんなソフトな感じの表現も書かれるんだなぁと
    ちょっと意外でした。

    奈世と絃。リズムも大事にしていることも
    かみ合わないふたり。
    絃が南国に旅行してハンモックに寝る場面。
    すごく恋愛に似ていると思いました。

    久しぶりの綿矢さん。
    ソフトな作品すぎてちょっと物足りない部分がありましたが、
    やっぱり所々に出てくる比喩がすごく好みです。

    ご結婚されて、今度はどんな目線で新作を書かれるか
    楽しみに待ちたいと思います。

  • まず一行目の夕方の不安定な切なさの表現がきれいで
    全体的にスッキリしていて、磨かれて相変わらずきれいな
    文章だな~と思いました。

    少しイタくて、かわいらしくって笑えた。軽メンヘラ系。
    ちょっぴり共依存しているような・・・
    「勝手にふるえてろ」を、若干ノーマル、ライト&ドライにしたような感じ。

    現代っ子の恋愛や結婚観を、奈世(なよ)と絃(ゆずる)が
    交互に語っていくお話で視点が変わって面白かった♪

    これは、「勝手にふるえてろ」のヨシカが、ニくんに決めたのに対して
    「しょうがの味は熱い」は、絃という名のイチ君を選んだ場合・・・
    ・・・作品同士が、対になっているような気がした。

    絃に夢中でしょうがないのが持ち主の奈世と

    婚姻届の「連帯保証人」が、結婚相手の人生すべてにおいて
    自分が保証しないといけないのか?という、観念にとりつかれている
    男、絃の今風の省エネドライな恋愛話。
    でも殺伐としていなくて、すれ違いや胸キュンもあり♪


    私はバブル期結婚だったので、奈世の父母と同じような
    感覚(意見)で、これはジェネレーションギャップだと思ったけど
    ほんわかと面白く読破出来ました。

    綿矢さんの作品にしては、ヒリヒリしてなくて、落ち着いて読めた(笑)
    読む前に「変な表紙絵」って思ったけど
    読破してから表紙を見ると、ピッタリ過ぎて
    なんか納得しウケてしまいました。

  • 綿矢りさ独特の爽快感に欠ける──。
    模索を繰り返しながら結実したその後の傑作群を世に出す前の過渡期の作品。
    単行本としては最新刊だが、内容は以前に「文學界」に発表した「しょうがの味は熱い」と「自然に、とてもスムーズに」のニ作品を収録したもの。

    デビュー作「インストール」、芥川賞受賞作「蹴りたい背中」発表後、もがき苦しみ抜いた末に発表した三年後の作品「夢を与える」に続く作品で、「勝手にふるえてろ」「かわいそうだね?」「ひらいて」など、綿矢さんが悩みを克服し弾けるように書き始めた作品と異なり、このニ作品は微妙な立ち位置にある。
    穿った見方をすれば「文學界」2008年8月号に発表した短編「しょうがの味は熱い」だけでは単行本化できないので、なんとかその続編、あるいは関連するような中編を書いてもらって本にしたのではないか? という気がする。
    「しょうがの味は熱い」の主人公の数年後という設定で、「自然に、とてもスムーズに」は、約二年半後の2011年1月号に発表されたものだ。

    「蹴りたい背中」発表後、一人称の創作に行き詰った彼女は「夢を与える」で三人称に挑戦したものの、結局、自分の書きたいものは一人称でこそ発揮できると思ったのだろう、その後はすべて一人称文体で、綿矢節炸裂の衝撃的な作品を発表するようになる。
    この作品は、その間の微妙な時期に書かれた作品だ。

    ニ作品とも、主人公奈世の一人称だけではなく、思いを寄せる青年絃(ゆずる)目線での一人称文体も所々に混ざる。
    しかも「自然に、とてもスムーズに」では、奈世の語り自体も、読者に話すかのような「ですます」調が、多くを占める。
    「ですます」調の文体ではなおのこと、突然口語体を持ってきて弾けることなど不可能だ。
    このニ作品の発表期間のタイムラグ二年半における彼女の実験なのか、挑戦なのか、試行錯誤の末なのかは、はっきりしないけれど、「しょうがの味は熱い」路線を完結させようと試みたが、自分でも踏ん切りがつかなかったのではなかろうか。
    それゆえに尚更、その後の彼女の作品における爽快な弾けっぷりや口語体、さらには彼女独特の巧みな比喩が影を潜めた、どっちつかずの地味な作品になってしまっている。

    それでも、「自然に、とてもスムーズに」からお約束の、綿矢りさ名文、名比喩集を少しは載せておこう。

    P81:特に歌舞伎町のドン・キホーテのまえあたりは、(中略)ちょっとずつしか前に進めない状況で、私は横断歩道を反対側の歩道へ渡り、迂回して通りました。新宿はいつも祭りみたいな騒ぎです。私の故郷でこれほどの人を集められる行事は、祭りしかありません。毎日毎日祭りでは、都市として疲弊しないのかと案じてしまいます。(中略)何千人かは、大都市という舞台装置の熱気を演出するエキストラではないだろうか?
    註:私もあの歌舞伎町ドンキー前の歩道で、通勤ラッシュの車内のような混雑振りは“いったい何なのだ?”と思ったことが何度もあります。
    東京の人の多さを表すのに、“東京では毎日祭りをしているのだろうか?”という表現は、誰か忘れたがほかの作家も使っていたような記憶があるけれど、誰の何の作品だったかなあ。
    逆に他人と待ち合わせをするときには、あの歩道を避けて「ドンキーの二階で」とか約束すると、結構空いていていい待ち合わせ場所になりますが(笑)。
    P96:なんの準備もできていないのに戦場に駆り出される気がした。
    P171:ひからびていた絃を好きという気持ちが水でもどした乾燥わかめのようにみるみるうちにうるおいをとりもどして、心をすきまなく埋めていきました。

    さてこれで、ようやく彼女の発表した全作品(文芸誌などの短編も含め)をすべて読破したことになる。
    芥川賞受賞以降、創作に行き詰った苦しみを乗り越え、よくここまで辿り着いてくれたものだ。
    まさに、最新作「ひらいて」のように見事に開花してくれた。
    綿矢りさ研究家(?)としてではなく、いち綿矢ファンとして非常にうれしい。
    日本語の天才である彼女には、何も気にせずに自分の書きたいものを思うように爆発させ作品化し、読者を楽しませてもらいたいものだ。
    あなたにしかかけない小説であり、あなたの才能はほかの誰にも負けないのだから。
    と、直木賞の選考会で朝井リョウ君を推し続けた北方謙三氏のような気分で思うわけです、はい。
    朝井君の受賞が決定した晩は、北方氏は銀座七丁目のあの行きつけのクラブで上機嫌で深夜まで飲み続け、泥酔したんだろうなあ……。

    註:下記は初出の文學界で「しょうがの味は熱い」を読んだ時のレビューです。

    --------------------------------------------------------------------

    ハードボイルド小説といえば男性作家の書くものの代名詞だが、実は綿矢りさの文体は女性の書くハードボイルドなのではないかと、ふと思った。

    淡々と流れる文章の合間に時折混ざるシニカルな言い回し、或いは比喩。
    女性言葉なので、通常のハードボイルド文体とはもちろん異なるが、男言葉に置き換えたならば、ちょっと苦みばしった表現に変わる。
    この作品の書き出しなど、ただ一文字(私)を俺に変えたり、言い回しを一箇所いじるだけで普通のハードボイルド文体になる。
    そこで、私の最も好きな作家樋口雄介のミステリー作品と比較してみた。

    :綿矢りさ「しょうがの味は熱い」の書き出し部分
    整頓せずにつめ込んできた憂鬱が扉の留め金の弱っている戸棚からなだれ落ちてくるのは、きまって夕方だ。夜が近づくにつれ下がってきた部屋の温度や、紙ばさみに目を落としている絃の、まだ会社での緊張が解けていない肩が、なぜか耐えられないほどに切ない。
     鍋が煮えるまで、またはグリルで魚が焼けるまでの、何もすることがないこの空白の時間を、俺(私)はうまく過ごせない。おかえりなさいから夕食を食べるまでの、日常の隙間の四十分が絶望させる力を持ち得るなど(持っているなんて)、絃に会うまでは知らなかった。台所から漂う魚の焼けるいい匂いが部屋に満ち、日が落ちて暗くなってきた外に対して蛍光灯の放つ光は嫌味なくらい隅々まで部屋を白く照らし、ソファの黒革は太ももの裏に冷たい。帰ってきてから絃がほとんどしやべっていないことがどうしても気になる。
    *()内が原文

    :樋口有介「夢の終わりとそのつづき」の書き出し部分
     自分が入るための自分の着グルミというやつがあったら、さぞ便利だろう。女の匂いに頭も混乱せず、瞳孔も開かず顔も赤くならず、硬質な仮面に守られて淡白に人生をやり過ごす。そうやって青春を懐古し、土手に寝そべっていつまでも田舎の汽車を眺めている。青い空と白い雲はワンセット、日射しを受けて水トンボが青く舞い、そよ風が色濃くコスモスの花粉を飛ばしてくる。俺は自分の着グルミのなかで寝返りをうち、社会からの隔絶に心地よく欠伸する。風も日射しも遠ざかっていく汽車も、すべてが他人事。青春も人生も他人事で、嬉しくても悲しくても、俺の神経は茫洋と仮定のなかを浮遊する。

    片や、大学院に通う女子学生の語り。片や35歳のライター兼私立探偵の語り。
    文学上の区分けでも、『純文学』と『ミステリー』という大きな違いになるはずだが、文章から漂う味わい、香りというか、かなり似ていると思わないだろうか。
    ここにきて、私が綿矢りさの文章を好きな理由がようやく分かった。樋口有介に似ているのだ。
    樋口有介が、1988年サントリーミステリー大賞で、大賞こそ逃したものの、故開高健から「風俗描写が、とくにその“かるみ”がしなやかで、的確であり、抜群の出来である」と絶賛されデビューしたように、綿矢りさのデビューもまた、高橋源一郎をして「完璧! 時代と日本語に選ばれた天才」と言わしめた。
    この二人の文章というか、文体というか、かるみ、しなやかさは絶賛に値する。だから好きなのだ。

    堅く書き過ぎたので、文章を戻します。
    ふと閃いたのですよ。「あれ、この雰囲気、樋口有介の書き出しの文章に似てないか?」と。
    「なあるほど」と思ったわけです。はい。
    ずっと不思議だったんだ。自分が何故にこれほど彼女の文章に魅了されるのか。
    他の女性作家がこんな長いまどろっこしい文章の書き出し(表現はもちろん似て異なりますが)だったら、間違いなくそこで本を天井に放り投げて終わりのはずなのに、どうしてだろう? とね。
    というわけで、強引に結論付けちゃいますが、彼女はこういう文体がやはり合ってるのだろう、と思うわけです。
    で、もう一点付け加えると、これからの綿矢りさは「勝手にふるえてろ」路線で、次第に大衆小説(これ現在では垣根がないと思うのだけれど)へと軸足を移し、より身近な設定の小説を書く田辺聖子みたいな作家になるのか、或いは、純純純文学的な路線へ進むのかは全く予想できません。
    個人的には、どちらも書ける数少ない天才だと思うので、全く異なる両路線の作品を書き続けていってくれることを願います。

    作品内部に全く触れていないので、少しだけ。
    この作品は、主人公早希の一人称でありながら、同棲している絃目線での一人称視点も出てきます。綿矢さんの実験小説というところでしょうが、彼女自身も恐る恐る書いたんじゃないのだろうか、やはり男の語りとしてはやや弱い感は否めなかった。文章が琴線に響いてこなかった。
    ただ、ラストで「この部屋を出て行こう。一人暮らしの自分の部屋に戻ろう」という一文があるのだが、穿った見方をすれば、これは主人公というより、綿矢りさ本人の言葉ではないのだろうかという気がした。
    執筆に悩み、迷い、苦しんだ数年間。
    結局、「自分に書けるものを書こう!」と決断する過程での、ある意味彼女にとっても新しい一歩を踏み出す価値のある作品になったのではないかと。
    勝手にそう思い込んで、この文章に少しうるっとした私は変ですかね、やはり。

    付録:「しょうがの味は熱い」に出てくる名文・名表現・名比喩集
    ・整頓せずにつめ込んだ憂鬱
    ・削ってもいい時間の第一候補
    ・発掘家みたいに丁寧に骨を取り出した
    ・お味噌汁とパンはだめだなんて、変なこだわり。
    ・動物にしては小さな動物や、虫にしては大きい虫
    ・話している方向が間違っていることに気づいた。
    ・よく訓練した犬みたいに掃除機をついてこさせて
    ・ダックスフント座ができた。
    ・僕が日焼けしているサンタがめずらしかったのと同じように。
    ・お前も服と一緒にぶら下がってみないかと誘ってくる。

    *本来ならもう少し長めの引用をしないと、面白さ、素晴らしさが伝わりにくいのですが、それやるとエネルギーをかなり消費しちゃうのでご勘弁下さい。

  • 『しょうがの味は熱い』
    同棲する男女の気持ちのすれ違い。寝るときも気持ちはかみ合わない。
    夜が明けたら女は出ていこうと決心するが、寝ているか起きているかわからないような、男の言葉に女は救われる。

    『自然に、とてもスムーズに』
    3年後、女は結婚にとらわれていた。彼と結婚すればうまくいく、それこそが全てである、と。
    男は盲目的になってしまった女を落ち着かせようとするが、自分も飲み込まれ、生活が破たんするのを感じる。
    結果、女は実家へ戻り、冷静になる。
    3ヶ月後、離れたことで愛を認識した男は、彼女を迎えにいくが、彼女の両親は反対し、説得しようとする。結婚に至るときは”自然に、とてもスムーズに”いくものだ、と。

    ------------------------------------------------

    綿矢さんの描く、いわゆるメンヘラ女子は怖い。何かにとらわれると、それだけに集中して、それしか見えなくなる女。狂気。

    先日、ネットニュースで綿矢さんのインタビューを読んだ。
    彼女のAKB48への思いや、社会観、感覚が一般人みたいな感じですごく親近感があった。若くして開花したひとだから、オーラを出しまくっているのかと思ったらそんなことは全くない。
    そういうひとが書く、メンヘラ女子は実際にいそうだから怖いんだと思う。

    このひとの小説の感想を眺めていると、女のひとと男のひとで、感じ方がかなり違うのを感じる。

    感情的な女性を描くのがうまいから、
    男性からするといるよなこういう女!みたいに思えるし、
    女性からすると応援したくなるのかな。

    なんにせよ、圧倒的な説得力を感じた。これぞ一般論!的な説得力。

  • 薄々気付いていたのだけれど。これを読んで確信した。綿矢りさは、本当にすごい。一瞬を切り取り、はっとさせる文章。蹴りたい背中の、「さみしさは鳴る」という超名文があったと思うけれども、あれは偶然の産物ではなくて、今なお綿矢りさの作品に息づいている。これだって、「整頓せずにつめ込んできた憂鬱が扉の留め金の弱っている戸棚からなだれ落ちてくるのは、きまって夕方だ」。ここからぐっと世界に引き込まれて、抜け出せなくなる。そしていつものように、芸術的なくらいに、「しょうがの味は熱い」という挿入。なんていうか、いいなあ、と思ってしまう。

  • 同棲から結婚への道のりを描いた、「険しい」物語。
    帯に『ひりひり笑える同棲小説』とあるが、実際同棲から結婚に至った自分としてはこういう未来もあったんじゃなかろうかという今更だけれども危惧感がこみ上げて来て少しも笑えなかったよ…むしろひやひやしながら一気読みでした。
    彼女サイド/彼氏サイドから語られるお話で、どちらの言う事も分かるような、分からないような。でもそういう白黒つかないことの方が現実の世界には多いんだよね。

  • 2012年最後の読書。いまのわたしに相応しかったかな。

    同棲しはじめたばかりの奈世と絃。
    同棲して3年が経った奈世と絃。

    2008年に書いた綿矢りさ作品。
    2011年に書いた綿矢りさ作品。

    どちらもよかったし、すごく響くものがあった。前者はラストがきゅんってなって屈折した少女漫画みたいな。
    絃みたいなひとをわたしは知っているしすぐそばにいる。もう何年も一緒にいる。絃みたいに細かくないし神経質でもないむしろその逆だけど、理屈ばかりでかちこちで頑固で謎な男をよく知ってるからこの作品がとても好きです。

    場面が変わって3年が経った奈世と絃の関係も。あー知ってる、これ、と思わずため息がこぼれる。結婚したらなにか変わると思っている感じ、結婚がしたくて仕方ない感じ。
    この日に読めてよかったです。いろんなことを大切にしようとおもいました。

  • 同棲する男女の「犬も食わない」喧嘩と仲直りとうだうだ?を描いた物語。男女それぞれの視点でのある意味自分勝手な主張が面白いんだけれども、ときどきイラっとさせられたりもしました。
    とくに女性のほうには、まあ同性だからというのもあるのかもしれないのですが、「そんな自分勝手な」とイライラさせられることが多くて、あまり正直言って物語として楽しみきれませんでした。好きという気持ちがすべての事情や理屈、社会常識さえも凌駕しているということは、イイ歳した大人の女性のありかたとして、ちょっとどうよ、と思ってしまいます。
    最後もどこかあらあらというあっけなさで、それでいいのか男のほう、とツッコミたくなりましたが…男女のつながりは、人に判断しきれない不可思議さがあるものですよね、たぶん。

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しょうがの味は熱いの作品紹介

愛し合って一緒に住んでるのに、婚姻届を見ただけで顔がひきつるってどういうこと!?好きなのにどうしてもすれ違う二人の胸の内を、いやんなるほどリアルに描く連作2篇。ひりひり笑える同棲小説。

しょうがの味は熱いの文庫

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