未来のだるまちゃんへ

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900544

作品紹介・あらすじ

かこさとしさんと言えば、誰もが知る国民的絵本作家。愛すべきキャラクターで人気の絵本、『からすのパンやさん』(累計220万部)、『だるまちゃんとてんぐちゃん』シリーズ(累計180万部)をはじめ、宇宙や地球の成り立ちを描いた科学絵本の第一人者としても、世代を超えて長く親しまれてきました。2013年には、『からすのパンやさん』の続編が40年ぶりに刊行されるなど、ファン待望のニュースが話題となりましたが、御年88歳。ユーモラスで、子ども心をつかんで離さない作風で知られるかこさんは、実は東大工学部卒の工学博士でもあります。「彼らと出会わなかったら、ぼくは絵本作家になっていなかったと思います。つまり僕こそが、子どもたちに弟子入りすることから始めたのです」。敗戦後の思いをそう語るかこさんの目に、震災と原発事故を経たいま、現在と未来はどう映るのでしょう。絵本に込めた願い、生きるということ、子どもに伝えたいこと。柔らかい名調子で語られる初の語りおろし本は、尊敬してやまない子どもたち、そしてすべての親への応援歌です。

感想・レビュー・書評

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  • 絵本作家、かこさとしさんの自伝的エッセイ。
    私はかこさんの科学絵本を何冊か持っていて大好きでした。なかでも、はる・なつ・あき・ふゆの星の本シリーズは愛読書で、私が多少なりとも宇宙好きと言えるとしたらその端緒はもう、間違いなくかこさん。

    さて。
    かこさんは1926年生まれ、2014年の本書で語っている当時88歳。1945年に19歳だったかこさんは、敗戦を機に手のひらを返すように態度を変えた大人たちを見て、失望憤激したと言います。
    と同時に、19歳と言えば自分ももう大人であり、戦争の責任は、自分も含めそのとき大人であったすべての者にあるとも考えた。
    そんな自分も戦時下においては、親に楽をさせるには軍人になるのがいちばんだと考え、陸軍士官学校を目指した。その志は視力の悪化のため断念せざるを得なかったが、そのころ机を並べていた同級生たちはいつのまにか出征し、戦死していた。
    彼らが死に、自分が生き残っているのは、ほんの紙一重のことだったのだということ。時流に乗って簡単に態度を変える浅はかな大人たちへの失望。そういったことを目の当たりにして、これから何を目標に生きていけばいいのかわからなくなった。
    そんなときにセツルメントのこどもたちに出会い、せめてこれから生きていくこどもたちが、自分の頭で考え判断する力を持てるようお手伝いをすることができれば、僕が死にはぐれた意味もあるかもしれない。と、そう考えた。昭和20年に僕は生まれ変わったのだ、とかこさんは言います。
    そして、サラリーマンをしながら子どもたちのための喜ぶような紙芝居を作っては読み聞かせるという生活を始めます。

    そこには少しの迷いもなく、手加減もなく、二足のわらじで300%くらいのエネルギーを注ぎ込む日々。
    そして「間違っていることを間違っていると指摘することを、もう僕は恐れない」という確かな誓いがあって。

    色々なご縁があって結果的に絵本作家として有名人にはなりましたが、絵で身を立てようというような野心もなければ、目立った反戦活動をするとか扇動者のごとく政権を批判するとか、そういう過激さもないのです。
    でも、ないだけによりいっそう、確固たる決意というようなものがそこにあるという感じを受けました。と同時に、敗戦時にかこさんが感じたという失望、空虚感というものの大きさも、いかばかりだったろうかと想像せずにはいられなくなりました。

    かこさん世代(※)の方々がひとりまたひとりと鬼籍に入ってしまわれる、この2015年現在、31歳の私。
    先人たちから希望を託され、教えを受けて大きくなり、もう「大人に失望した」なんて、言う方ではまったくなくて失望される側、責任ある大人の側の人間です。
    なにも街頭でメガホンを持ったり、マスメディアに訴えたり、難しい議論をしたりすることでしか社会に影響を与えられないわけではない。
    この世界に生きている以上、今日となりにいる人、明日会う人、一緒に暮らす人と、お互いに影響を与え合って生きているのだ。
    かこさんにとっての「敗戦」ほどの大きな衝撃を受けずとも、日々の大小様々な経験を通してひとりひとりの内で小さな静かな決意(自覚のあるなしにかかわらず)が生まれ、言葉や行動に変わり、誰かとささやかに影響を与え合う。そういうのが社会なのかなあ。

    私事ですが、町に出ると、もうすぐ1歳になる娘がいろんな人に手を振ったり笑いかけたりして、相手によって同じように笑顔で手を振ってくれたり、近寄って触ってくれたり、あるいは完全に無視されたり、するのです。で、娘はそれらの反応に一喜一憂するのです。
    そういう姿を見ていると、私たちってもう存在するだけで影響しあっているんだな、って今更ながら気付かされます。気付いてしまった以上、自分の影響力というものに無自覚でいることは、謙虚とか控えめとかではなく、無責任なことなんだなと、齢31にしてようやくわかってきたような気がする次第に存じ奉り候なのです。


    ※どうも私はこの年代に好きな人/印象深い人が多いなあ。と思って並べてみた。

    長谷川町子(1920-1992)
    うちのおばあちゃん(1922-)
    水木しげる(1922-2015)
    鶴見俊輔(1922-2015)
    三國連太郎(1923-2013)
    司馬遼太郎(1923-1996)
    山崎豊子(1924-2013)
    高峰秀子(1924-2010)
    丸谷才一(1925-2012)
    松谷みよ子(1926-2015)
    安野光雅(1926-)
    かこさとし(1926-)
    宮尾登美子(1926-2014)
    田辺聖子(1928-)
    河合隼雄(1928-2007)
    手塚治虫(1928-1989)

  • たくさんの感想をもった本。

    お父さんのこと。親が良かれと思って、してくれることが子どもからしてみたら、困惑すること。あるよなぁ〜。うちは、かこさんよりもっとひどくて本当に衝動的だったから、自分の興味関心にかすりもしていなかった。要は、お父さんは、子どもと一緒にいる時間が短過ぎて、普段から何をしているか知らないからかな〜
    とはいえ、自分も子どもの関心がわかっているかというと…難しい。

    かこさんの生き方は、戦後死残った人(かこさんの造語)が強く強く考えて今の日本をつくっていったんだなということがわかる。たしか、同世代の司馬さんも戦後の思いがあって歴史を振りかえったとどこかで書いていた気がするし。

    あとは、自分の不満などを時代、環境のせいにしてはならない(かこさん自身へ自分で書いてたもの)というようなことを書いていましたが今を生きる身としては本当に耳が痛い。

  • 五月に訃報
    この本は4年前88歳の時に書かれたエッセイ
    大好きな数々の絵本
    どの本にも、
    理性と正義感に裏打ちされた優しさが溢れている
    こうして自伝を読むとあーそうなのかと納得することも多い
    そして
    これからを生きる子どもたちへのメッセージは
    痛切です
    ありがとう かこさとしさん

    ≪ 子どもから 学んだ絵本 未来へと ≫

  • 多くの著名な方が亡くなられた年だった。
    かこさとしさんもそのおひとりで、年齢から推し量れば不思議ではないものの、やはり寂しさがこみ上げる。もっともっと、その著作を読みたかったなぁ。

    本を開くといきなり、かこさんのお写真があらわれる。
    著作もハイライトページもたくさん。もう、たまらない気持ちになって来る。
    前半部分はかこさんご自身の半生記。
    まだ日本が貧しく不穏な時代で、それを「豊かな」などと言っては申し訳ない気がする。
    でもこれだけの自然の中で全身を使って遊べるなど、今の時代では想像も出来ない事だ。だから、心の部分では「豊か」だったと言わせていただきたい。

    感動的なのは、3章からの「セツルメント」での出来事。
    今でいう市民ボランティアのような川崎市のセツルメント内で、子どもたちの声や姿から学んでいくかこさんの姿勢が、自分の経験ともオーバーラップして涙が出そうになる。
    様々な有名作品の生まれる現場に居合わせたかのような感動もあり、「ああ、あの作品はこうして出来たのか」と感慨も新たになったり。
    松居直さんがかこさんの才能を見出したことなど、初めて知ることだった。

    かこさんが言われるように、ひとって善の部分も悪の部分も持っているのだし、それは子どもにしても同じこと。誰でもダメなところがあって失敗もする。でもその失敗でくさらず諦めず、考えて自分を変えていくことが大事と、力強く語られる。
    また、大人は思いあがるな、子どもの前で謙虚であれとも。大人は大人のことを一生懸命やればよいのだと。
    それを子どもはちゃんと見ているからと。
    何度も何度も、うんうんと頷きながら、時に眼を潤ませながら読み終えた。
    次世代に託そうとする熱いメッセージが伝わってきて、ふがいない自分に喝を入れられたように思う。ああ、いつの間にか自分も思いあがった大人になっていたんだな。子どもたちに「教えてやるぞ。聞かせてやるぞ」というエラそうなところがあったかもしれない。
    かこさんにならって、大人としてもっと一生懸命生きよう。
    子どもから学ぶ姿勢で、彼らの声に耳を傾けよう。
    これからじっくりと足跡を辿らせていただくことにしようと決意する今日。
    かこさん、あらためてご冥福をお祈りします。

  • かこさんの絵本をまた全部読み返したくなりました。

  • 私も大好きな「だるまちゃんとてんぐちゃん」
    「どろぼうがっこう」…

    かこさんの絵本は、
    ストーリーはもちろん、
    絵のあちこち、小さなところに
    遊び心のある様々なしかけがあり、
    何度みても発見があり楽しい。

    かこさんが二十歳のころ終戦となった。
    大人の嘘をしり、
    信じていたものが間違っていたことに気付き、
    これからの社会を作る子供たちの
    為になることをしよう!と心に決めたとのこと。

    様々な思いや葛藤を包み隠さず
    正直に書いてくれるだけで、
    読んでいる側は自分が許されたような気持になり
    助けられると言うことがわかった。

    かこさんはずっと本当のことを
    伝えてくれているんだね。

    ずっと違和感、もやもや、
    でも難しい問題で感覚だけでは何とも言えない雰囲気の
    原発の話も、きちんとわかるように書いてくれて
    なんだかほっとした。

    絵本を読んだ子供たちから来た手紙のところも
    面白かった。

    「おたまじゃくしの101ちゃんが、
    何回数えても102匹います」と言うのもあったそうで
    確かに消し忘れで102匹いたので直したそう!

    色々読みたくなり、私も急遽、本日図書館へと走った!

    ただ、読みたかった「からすのパンやさん」も
    「どろぼうがっこう」もなく、
    (やっぱり貸し出し中かしらん?)

    「おたまじゃくしの101ちゃん」と
    「だむのおじさんたち」を読んで、一応満足して
    帰ってきました。

    どろぼうがっこうのあのすごい先生と
    個性的な生徒さんたちのことを
    もう一度よく見たかったのだがねえ~。
    また、今度。

  • 毎日新聞の書評を見て、すぐ買いました。

    子どもたちが小さかった時、『だるまちゃん』シリーズの絵本をよく読んでいました。
    でも、初めてその本と出会ったのは、私が小学生の時なんです。
    友だちの英語教材が、『だるまちゃんとかみなりちゃん』の英訳本だったのです。
    ずっと忘れていたのに、絵本を見たら当時のことをまざまざと思いだしました。

    子どもたちが小さかった二十数年前、すでに絵がとんでもなく古臭いと言う評論家の方もいましたが、それでも昨年『カラスのパンやさん』や『どろぼうがっこう』の続編が出ました。
    それは、子どもと同じ目線で世の中を見、子どもの興味をうまく広げてくれる視野の広い絵本の世界が、子どもたちには感覚としてしっかりとわかっているからなのだと思います。
    見た目の華やかさではない、本物の力。

    私がよく言っていた「子供だましにだまされるのは、大人の方だ」というのは、子どもの持つまっすぐな本物志向のことなのですが、加古さんも、この本の中で同じようなことを語られています。

    子どもに言った「大人にとって都合のよい、良い子になんてならなくていいんだよ。」
    学校や児童館の先生に言った「まず、子どもたちをよく見てください。」
    同じようなことを加古さんもおっしゃっていて、がむしゃらに子育てをしてきたけど、方向は間違っていなかったと言われたようで、心強く感じました。

    敗戦のこと、震災のこと、原発のことなども、一つ一つに加古さんの体験から得た想いが語られて、実に読み応えのある一冊でした。

    “昭和二十年というのは、僕にとって、一人の人間の終わりであり、始まりの年なのです。 
     精一杯考えて、自分で「これ以外にない」と思ったことが、まんまと違ってしまった。
     あの時の後悔と慚愧、無知、錯誤の恥ずかしさを、忘れるわけにはいきません。
     やみくもに突き進んで、間違えて、血まみれになっていたのだと今でも思っています。
     そういう過ちを犯したくせに、何もなかった顔はできない。そんなことでは、また同じことを繰り返す。”

    まだまだたくさんの絵本を書いていただきたいと思いました。

  • 戦争を体験して、その罪滅ぼしのために子どもに向き合い続けた加古里子さん。難しい言葉も使っているのにまったく読みにくさは感じず、心にスッと入ってくる文章です。子どもは1人1人が自分の鉱脈を持っていて、成長する力を持っている。大人の都合に合わせて鋳型にはめようとしてはだめだー。子どもと本に関わっている仕事をしている身として、心に留めておかなければなと思います。

  • だるまちゃんでおなじみの加古里子さんが
    どのようにして絵本を描くようになったのか
    子供だった頃の思い出や戦時中の葛藤、
    会社員と絵本作家の二足のわらじ、
    絵本を描くにあたって考えていることなどを
    とてもわかりやすく書いてある本。
    まず加古里子さんというめずらしい名前が
    俳句の俳号からきているということがわかって
    なるほどーと思った。どうして一見すると
    女性名みたいな名前なのかなって思っていたので。

    絵本作家さんで長生きされて生涯現役で頑張っている
    方がたくさんいるけれど、みなさんの生きていく上での
    品性、中身の素晴らしさ、優しいだけでなく
    一本筋の通った頑なさ、頑張りなど、本当に
    人間としても素晴らしい方が多いなと思う。
    子供のために物語を描く、子供の成長に役に立つ
    ものを作るという作業は、根気がいるとても
    大変なお仕事だけれども、これだけ子供を良くしよう
    子供に喜んでもらおうと一生懸命考えて
    されていることが子供にもひいては昔子供だった
    大人にも十分に伝わるからこそ、長い間
    ロングセラーを続ける絵本が出来上がるのだなと思った。

    品行方正な子供を誉めるのではなく
    小憎らしいいたずら坊主たちに、「生きてる!」と
    感動してウキウキしてしまうかこさんが素敵だと思った。
    それくらいの気持ちでわが子に接せられたらいいのになー。

    失敗してもいい、そこから考えて学んで、自分をかえて
    失敗を乗越えていけるのが人間で、みながその一員なんだ。
    間違えても腐らず諦めずに、自分でどう考え、
    乗越えたのかが大切で、それこそ生きていく値打ちが
    あるということ。
    そして、大人は子供にあれこれ言わず消えている方がいい。
    子供も生きようとしているのだから子供の生きる力を
    みくびらずに信じてやってほしい。
    大人は子供にあれこれいうのではなく、
    大人は、大人の事をしっかりやれ!
    などはっとして、心にとどめておかなくてはいけない
    言葉がたくさん出てきた。

    読んで良かった。読みやすいからたくさんの人に
    読んでもらいたいと思う。

  • 子どもの頃に大好きだった、かこさとしさんの本。先生も私のこと(子どもみんなのこと)を大切に思ってくれてたと知ってうれしかった。子どもからのお手紙「何回数えても、102匹いました」は読んでる分には微笑ましいけど、受け取った方はドキッとするだろうなあ。

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著者プロフィール

かこさとし:1926年福井県武生市(現越前市)生まれ。大学卒業後、民間企業の研究所に勤務しながらセツルメント運動、児童会活動に従事。1973年退社後、作家活動、児童文化の研究、大学講師などに従事。作品は500点以上。代表作として「からすのパンやさん」「どろぼうがっこう」(偕成社)「だるまちゃん」のシリーズ(福音館書店)、「こどもの行事しぜんと生活」シリーズ(小峰書店)などがある。

「2021年 『かこさとしと紙芝居』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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