女のいない男たち

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著者 : 村上春樹
  • 文藝春秋 (2014年4月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900742

女のいない男たちの感想・レビュー・書評

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  • 不覚にも図書館の予約に出遅れてしまいずいぶんと待った。
    図書館の職員さんに「○○さん、今回はどうしたかなと思ってたんですよ」などと言われてしまったくらい。
    おねえさん、名前覚えてくれてありがとう(笑)

    それはさておき。
    どの短編にも既視感があって、初めてなのに懐かしい。
    こんなモチーフ前にもあったんじゃないかとか、これはノルウェイの森の焼き直しかとか。
    でも新鮮味はないにしても春樹の持つ世界観は読むたびに衝撃を与える。
    圧倒的な普遍性と言えばいいかな。
    これほどまでに褪せない作家は春樹以外見当たらない。

    デビュー作で終わってしまう作家ももちろんいるし、年齢とともに円熟味を増していく作家もいる。
    たいていは年齢とともに時代とともに作品が変わっていくものだと思う。
    しかし、村上春樹はどうだろう。
    いくつになっても若者の悩みを書き続けているではないか。

    これは私の一番印象に残った「イエスタデイ」の一節。

    ―自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっちだっちで孤独だったということだけだ。僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割って話せる友達もいなかった。日々何をすればいいのかもわからず、思い描ける将来のビジョンもなかった。

    これを読んで足元がぐらぐらしてくる。
    あのころの淋しさと、心もとなさと、圧倒的な孤独。
    家族を持ち忙しさにかまけてすっかり孤独とは無縁になっていた。
    いや、無縁になっているような気がしていた。
    果たして今の自分はあのころと変わったのだろうか。

    この短編のテーマは全然別のところにあるのかもしれない。
    出てくるのは(簡単に?)男たちを裏切る女たちばかりだし。
    どの男たちもあくまで受動的で嘆き悲しんだり、時には自殺してしまったり。
    でも裏切る女たちにも裏切られる男たちにも孤独がまとわりついているように思えた。

    初めて春樹を読んだ頃の自分に一気に戻ってしまったような、そんな作品。
    ひそやかな柳の木と、しなやかな猫たちに思いをはせながら。

  • 冒頭
    ━━━━━━
    「ドライブ・マイ・カー」
    これまで女性が運転する車に何度も乗ったが、家福の目からすれば、彼女たちの運転ぶりはおおむね二種類に分けられた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらかだ。
    「イエスタデイ」
    僕の知っている限り、ビートルズのイエスタデイに日本語の(それも関西弁の)歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかいない。彼は風呂に入るとよく大声でその歌を歌った。
    「独立器官」
     内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにいられない種類の人々がいる。それほど多くではないが、ふとした折に見かけることがある。渡会医師もそんな一人だった。
    「シェエラザード」
     羽原と一度性交するたびに、彼女はひとつ興味深い、不思議な話を聞かせてくれた。『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードと同じように。
    「木野」
     その男はいつも同じ席に座った。カウンターのいちばん奥のスツールだ。もちろん塞がっていなければということだが、その席はほぼ例外なく空いていた。もともと店が混むことがない上、そこはもっとも目立たない、そして居心地が良いとは言えない席だったからだ。
    「女のいない男たち」
     夜中の一時過ぎに電話がかかってきて、僕を起こす。真夜中の電話のベルはいつも荒々しい。誰かが凶暴な金具を使って世界を壊そうとしているみたいに聞こえる。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    村上春樹作品のレビューを書くのはとても難しい。
    というのも、僕にとって彼の作品は評価の範疇を超えているからだ。
    読み終わったあと、面白かったか、そうでなかったかについてはもちろん自分なりの基準で判断できるのだが、そこで、いざ何を書こうかと考えると頭がうまく回らなくなってしまう。
    何が面白かったか、どこがそうでなかったかを適切に抽出することができないのだ。
    でも敢えて、というか無理矢理と言うべきか、書くとするなら、この短編集は僕にとってかなり面白いものだった。

    僕的には、特に「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「木野」の三編がお気に入りだ。
    村上春樹はこういう短編を書くのか、ふーむと感じた次第である。
    上手く表現できないけれど、男女の存在関係をどう捉えるかについて考えさせられる味わい深い話だった。
    ハルキストでない僕にはよく分からないが、彼の小説の熱烈な愛読者たちは、こういう雰囲気がたまらないのだろう。
    逆に村上春樹が嫌いな人たちは、その独特のスノッブ的というか、鼻持ちならない(と感じる)文章や表現を生理的に受け付けないのかもしれない。

    タイトルは「女のいない男たち」だが、内容は“女を失った”或いは“女を失おうとしている”男たちの様々な生き方を描いた作品集である。
    最後の表題作「女のいない男たち」は、「まえがき」に対する“ウケ”とも取れる「あとがき」的な内容の作品であると僕は読んだのだけれど。

    これまで、彼の作品は処女作「風の歌を聴け」から、代表的な作品を何作か読んではいるけれど、個人的にはのめりこむほど面白いと思ったことはなかった。
    でも、この短編集は結構楽しく読めた。
    こういう雰囲気の短編は好きだ。
    あらためて、彼の作品を再読してみたいと思った。


    この作品のレビューを深く味わいたいと思う方は、「文學界」六月号に
    評論家三名による興味深い書評が掲載されているので、読んでみてください。

  • まえがきに、偉そうになるか言い訳がましくなるかの可能性が大きいのでまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではない、と書いてある。
    こう言ってはなんだけど、このまえがき、どう読んでも偉そうで言い訳がましい印象がぬぐえなくて、本当に不思議なものだなぁと思う。
    どこから読んでも村上春樹の文章なのに、エッセイや小説と何が違うんだろうね。
    ご自分で分かっておられるのでいいんだけど、まえがきやあとがきは無い方がいい気がする。

    さて、文芸春秋に連載されていたのを読んだのもあれば、初読の作品もあり。
    どれも不可思議でおもしろかった。
    村上春樹は、これでいいと思う。

  • 村上春樹の短編集。2014年の近作です。
    女がいない、というか女を失った後、そのことばかり考えている男たち?
    かなり読みやすい方でした。

    「ドライブ・マイ・カー」
    俳優の家福は、専属のドライバーとしてある女性を雇うことになる。美人ではないが若くてそれなりに魅力はある女性。
    つれづれに、妻に浮気された話なども聞かせるようになる‥

    「イエスタデイ」
    20歳の頃の思い出。友達の木樽は、関西出身ではないのに関西弁を喋る男だった。妙なこだわりのある男で、理想の女性だという自分のガールフレンドを紹介し、僕に付き合わせようとしたのだ。

    「独立器官」
    美容整形外科医の渡会は、裕福でモテモテ。女性とは長く付き合わないのをモットーとしていた。ところがある日、本気になった女性というのが‥
    女には独立器官がある、と語る‥

    「シェエラザード」
    ハウスから出られない男に、世話係としてやってくる女性。淡々とセックスをして、時には昔の思い出を語る。
    好きだった男の子の家に忍び込んだ話などを。

    ほかに「木野」「女のいない男たち」
    浮気される話が多いので、ちょっと印象がごっちゃになってきて、みんな作家がバーで聞いた実話みたいに思えてきたり。
    いやそこまで現実味はないんだけど、でも何となくありそう。
    理屈っぽくてスタイリッシュで、冷静にも見えるけど‥じつは失恋にはこれほどの破壊力があるらしい。
    めんどくさい語り口には、女性としては、それがどうしたの?みたいな気持ちも一瞬浮かびますね(笑)
    現実味がないのは、すべて失われたことだからか!
    喪失感をいつまでも抱きしめているのも、男性は失恋体験にも名前をつけて保存、している状態ってことなんでしょうね。

  • なぜ「まえがき」があるのだろう。
    騒がれた北海道のあれのせい?
    すっかり「女を失う」ことに囚われつつ読んでいる。
    こうやって続けて失っていく男性たちを読むと、春樹の主人公の「かっこ良くて情けない」がしみてくる。
    亡くなった妻の浮気相手と友人になる家福。
    幼馴染から恋人になった彼女と上手く距離のとれない木樽。
    身を削る恋に突然落ちた渡会。
    彼女の寝物語に引き込まれていく羽原。

    「僕はたしかに決めの台詞を口にしすぎるかもしれない。」

    「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」

    女性はとても現実的で「嘘をつくための特別な独立器官」を巧妙に使い、男性はどこかボンヤリ霞がかかっているよう。
    「どこまでも冷ややかな複数形」。
    どの話もそういう視点か!と楽しんだけど、ラストの書き下ろしはいらなかったなあ。
    「木野」の余韻で終わりたかった。
    柳と猫と女と喪失。

  • 短編集。最後にいくにつれ内容が頭にうまく入っていかなくなる。
    私の頭じゃ理解ができない。
    「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」はいいと思います。
    何回も読んだら理解できるのかな~

  • 初めて村上春樹を知ったのは今から30年以上前、大学生だった頃にアルバイトをしていた書店で、平積みされた「風の歌を聴け」を手に取った時だ(それは完全に「ジャケ買い」だった)。それ以来、20代、30代は新刊が出るのを待ちわびたり、雑誌のインタビューをスクラップしたりとすっかり村上春樹にハマってしまった。

    でも、実はここのところ村上作品が退屈に感じるようになっている。本作も、前半はなんだかちょっと退屈だった。おもしろいと思ったのは、後半に載せられている「シェエラザード」と「木野」かな。特に「木野」はピリピリと緊張感があって私好みだった。

    「風の歌を聴け」だったか「羊をめぐる冒険」だったか忘れたが、「僕」が「鼠」の書いた小説を評価する点として、登場人物が「女と寝ない」ことと「死なない」ことだ、と言う場面がある。人は誰でも女と寝るし、いつかは死ぬ。当時これを読んで、いたく感銘を受けたのだが、本作には男女の交わりと死が溢れている。というか、それが中心の作品群となっている。

    この本はおもしろいのだろうか?退屈なのだろうか?想像力の乏しい私には少し退屈に感じた。でも、売れるんだろうな。

  • 二、三年に一回のペースで、「村上春樹読まなきゃ発作」に見舞われます。
    恐らく私に限った発作ではなく、多くの読書家の皆様も、似たような症状に襲われること、少なくないと思うんですが、いかがでしょうか←

    「たまには古典名作と呼ばれる作品に触れたい発作」

    「普段は恋愛小説なんて読まないけど、時にはオトメな感性に触れたい発作」

    「とりあえずビジネス書読まねばという強迫観念ぽい発作」

    上記に並べたのは一部の症状に過ぎません。本が好きな方なら、似たような通過儀礼がおありでしょう。

    特に理由はないけど読まねばならぬ!
    何故ならそこに本があるから!

    そんな数ある発作の症例中、一際存在感を放つ作家がこの方、村上春樹先生です。

    村上春樹、そんな好きじゃないんだけど。

    別に新刊出るたびチェックしたりするわけじゃないんだけど。

    何か、本好きとして?
    読まねばならないんじゃないか、みたいな??
    読まないと、なんか損してる気分になっちゃうかも、みたいな??

    数年に一度襲い来る、謎の「読まねば」発作に襲われて、今回も購入しました。ハイ。




    導入長すぎ

    本編感想はササっと箇条書きいきます←ひどい


    ◉ドライブ・マイ・カー
    アーバンでラグジュアリな雰囲気漂わせてくるんだよな。この作品の舞台が東京以外だったらすごい違和感、みたいな(分かりづらい)。

    ◉イエスタデイ
    こんな会話を、こんな言葉を選んでできたら、素敵だね。粋だねぇ。村上作品を読むと、いつも思うな。思うだけだけど←


    ◉シェエラザード
    「物語の中で語られる物語」に魅了される。夢見るような感覚と、酩酊する感覚の狭間のような心地よさ。

    ◉木野
    後半、突然それまでの静謐な雰囲気が一変しちゃって少し戸惑ったけど、その感覚含めて好き。収録作品の中で、一番のお気に入り。
    語り手は物語の中心に微動だにせず立っていて、物語はそんな彼の周囲だけで進行している。主人公であるはずの彼を置いて。

    ラスト。赦し、諦めていた男を襲った感情の奔流に、ただただ圧倒される。並べられた言葉が、こんなに迫ってくるなんて!

    ◉女のいない男たち
    最後の表題作で、これぞ村上節!って唸らされた。思いっきり創作してるのに、「現実に引き戻された」と感じるこの感覚はなんなんだろう(笑)。
    男にとって、一人の女性を失うというのは、彼女にまつわるあらゆることを失うのと同義、らしい。それが本当なら、恋多き男は大変ね。女は別れた後も、失わずに引きずってるから、男よりは得るものはあるって言えるかもね(笑)。

  •  表題作「女のいない男たち」を含む6編の小説が収められた村上春樹の短編小説集。
     「まえがき」にて著者自身が解説しているが、短編集といっても無関係の短編小説が集められて構成されたものではなく、本書はあらかじめ「女のいない男たち」というモチーフの下で全ての短編が創作されたものである。

     本書のタイトルが根底を流れるモチーフということもあり、6編の最後に位置された表題作「女のいない男たち」以外、すべて特定の異性のパートナーを持たない男が主要人物として登場する。(表題作の主人公だけは妻帯者。)彼女と別れた者、妻に先立たれた者、愛する人に裏切られた者、中年女性との関係だけが外界との繋がりとなっている者。
     男にとっての女とは何か。本書の中で男は女に裏切られ、傷つけられ、弄ばれ、捨てられる。しかしそれでも男は女に癒しを求め、安穏を求め、理想を求め、理解を求める。大切な女性を失って初めて自己を見つめ直し始める彼らは、人として何か重要な部分が欠けているようにも、純粋ゆえに世の中が打ち捨てた物を捨てきれずにいるようにも見える。

     春樹ワールドを形作るものは何か、それはやはり「化膿した心の持ち主による乾いた会話」と「漂い続け雑踏の中に消えていく人生の謎」ではないかと本書を通して思った。
     まず、村上春樹作品の登場人物たちの多くは心に抱えた傷や不安をうまく消化することができず、諦観にも似た雰囲気を漂わせる。それはまるで傷の処置を怠ったが故に傷口が化膿してしまったが如く、心に膿を持つ。その化膿した傷口を他人に触れられたくないがために、彼らの会話は乾いた口調での語りとなる。表面上の摩擦を怖れ乾いた会話をする彼らの内側には、赤黒い血が流れ続けているのだ。
     次に、多くの現代小説はその物語の中で謎を拵え、それを解明していくことがひとつの大きな流れとなっている。村上春樹の小説にも謎は設置されるが、しかしこの謎はいつまで経っても解明されず物語の中を漂い続ける。そして読者を置き去りにしたまま物語は勝手に幕を下ろす。謎を残す小説の多くがそうであるように、読者はそれを独自の答を導き出せという著者からの投げかけと受け止める。よって読者は考え出すのだが、与えられた謎があまりにも漠然としており、読者は満足な解答を導き出せない。そしてそのまま読者は現実の生活へと戻り、謎は日々の雑踏の中へと消えていくのである。我々が現実において出会う「人生の謎」も同じではないだろうか。その謎は明確な解答が見つからずに漂い続け、いつのまにか雑踏の中へとその姿を消す。他の現代小説の多くが「小説の謎」を設置するのに対して、村上春樹は「人生の謎」を読者と出会わせるのだ。
     これらは春樹ワールドを構成する一要素として挙げられるのではないだろうか。しかし一体いくつの要素を積み重ねて春樹ワールドは構築されているのか。まだまだ奥は深い。

  • ◆境界ぎりぎりにこじらせた恋。肉体関係を結んでさえ、手に入れられない彼女の一部。彼女との繋がりを突然失うことへの不安。彼女の残像に、彼女のつけた染みに、気がつかない振りをする。
    ◆一人きりの時間が必要なある種の人間は、丸ごと誰かに理解されることはなく、丸ごと誰かを理解することもない。〈両義的〉な「空っぽ」。その空白が呼び込むもの。本を読むあなたの・私の物語。
    ◆『多崎つくる…』の物語で腑に落ちなかった「空っぽの容器」にこの本で回答をもらった気分。なるほど…。皆が見ないふりして折り合いをつけている〈もやもや〉を、村上春樹は放っておかない。迷宮に確かめに行くんだ。

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女のいない男たちの作品紹介

村上春樹9年ぶりの短編集「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」。表題作は書き下ろし。

女のいない男たちの文庫

女のいない男たちのKindle版

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