女のいない男たち

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著者 : 村上春樹
  • 文藝春秋 (2014年4月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900742

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有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
村上 春樹
村上 春樹
伊坂 幸太郎
横山 秀夫
村上 春樹
三浦 しをん
有効な右矢印 無効な右矢印

女のいない男たちの感想・レビュー・書評

  • 不覚にも図書館の予約に出遅れてしまいずいぶんと待った。
    図書館の職員さんに「○○さん、今回はどうしたかなと思ってたんですよ」などと言われてしまったくらい。
    おねえさん、名前覚えてくれてありがとう(笑)

    それはさておき。
    どの短編にも既視感があって、初めてなのに懐かしい。
    こんなモチーフ前にもあったんじゃないかとか、これはノルウェイの森の焼き直しかとか。
    でも新鮮味はないにしても春樹の持つ世界観は読むたびに衝撃を与える。
    圧倒的な普遍性と言えばいいかな。
    これほどまでに褪せない作家は春樹以外見当たらない。

    デビュー作で終わってしまう作家ももちろんいるし、年齢とともに円熟味を増していく作家もいる。
    たいていは年齢とともに時代とともに作品が変わっていくものだと思う。
    しかし、村上春樹はどうだろう。
    いくつになっても若者の悩みを書き続けているではないか。

    これは私の一番印象に残った「イエスタデイ」の一節。

    ―自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっちだっちで孤独だったということだけだ。僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割って話せる友達もいなかった。日々何をすればいいのかもわからず、思い描ける将来のビジョンもなかった。

    これを読んで足元がぐらぐらしてくる。
    あのころの淋しさと、心もとなさと、圧倒的な孤独。
    家族を持ち忙しさにかまけてすっかり孤独とは無縁になっていた。
    いや、無縁になっているような気がしていた。
    果たして今の自分はあのころと変わったのだろうか。

    この短編のテーマは全然別のところにあるのかもしれない。
    出てくるのは(簡単に?)男たちを裏切る女たちばかりだし。
    どの男たちもあくまで受動的で嘆き悲しんだり、時には自殺してしまったり。
    でも裏切る女たちにも裏切られる男たちにも孤独がまとわりついているように思えた。

    初めて春樹を読んだ頃の自分に一気に戻ってしまったような、そんな作品。
    ひそやかな柳の木と、しなやかな猫たちに思いをはせながら。

  • 冒頭
    ━━━━━━
    「ドライブ・マイ・カー」
    これまで女性が運転する車に何度も乗ったが、家福の目からすれば、彼女たちの運転ぶりはおおむね二種類に分けられた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらかだ。
    「イエスタデイ」
    僕の知っている限り、ビートルズのイエスタデイに日本語の(それも関西弁の)歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかいない。彼は風呂に入るとよく大声でその歌を歌った。
    「独立器官」
     内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにいられない種類の人々がいる。それほど多くではないが、ふとした折に見かけることがある。渡会医師もそんな一人だった。
    「シェエラザード」
     羽原と一度性交するたびに、彼女はひとつ興味深い、不思議な話を聞かせてくれた。『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードと同じように。
    「木野」
     その男はいつも同じ席に座った。カウンターのいちばん奥のスツールだ。もちろん塞がっていなければということだが、その席はほぼ例外なく空いていた。もともと店が混むことがない上、そこはもっとも目立たない、そして居心地が良いとは言えない席だったからだ。
    「女のいない男たち」
     夜中の一時過ぎに電話がかかってきて、僕を起こす。真夜中の電話のベルはいつも荒々しい。誰かが凶暴な金具を使って世界を壊そうとしているみたいに聞こえる。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    村上春樹作品のレビューを書くのはとても難しい。
    というのも、僕にとって彼の作品は評価の範疇を超えているからだ。
    読み終わったあと、面白かったか、そうでなかったかについてはもちろん自分なりの基準で判断できるのだが、そこで、いざ何を書こうかと考えると頭がうまく回らなくなってしまう。
    何が面白かったか、どこがそうでなかったかを適切に抽出することができないのだ。
    でも敢えて、というか無理矢理と言うべきか、書くとするなら、この短編集は僕にとってかなり面白いものだった。

    僕的には、特に「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「木野」の三編がお気に入りだ。
    村上春樹はこういう短編を書くのか、ふーむと感じた次第である。
    上手く表現できないけれど、男女の存在関係をどう捉えるかについて考えさせられる味わい深い話だった。
    ハルキストでない僕にはよく分からないが、彼の小説の熱烈な愛読者たちは、こういう雰囲気がたまらないのだろう。
    逆に村上春樹が嫌いな人たちは、その独特のスノッブ的というか、鼻持ちならない(と感じる)文章や表現を生理的に受け付けないのかもしれない。

    タイトルは「女のいない男たち」だが、内容は“女を失った”或いは“女を失おうとしている”男たちの様々な生き方を描いた作品集である。
    最後の表題作「女のいない男たち」は、「まえがき」に対する“ウケ”とも取れる「あとがき」的な内容の作品であると僕は読んだのだけれど。

    これまで、彼の作品は処女作「風の歌を聴け」から、代表的な作品を何作か読んではいるけれど、個人的にはのめりこむほど面白いと思ったことはなかった。
    でも、この短編集は結構楽しく読めた。
    こういう雰囲気の短編は好きだ。
    あらためて、彼の作品を再読してみたいと思った。


    この作品のレビューを深く味わいたいと思う方は、「文學界」六月号に
    評論家三名による興味深い書評が掲載されているので、読んでみてください。

  • まえがきに、偉そうになるか言い訳がましくなるかの可能性が大きいのでまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではない、と書いてある。
    こう言ってはなんだけど、このまえがき、どう読んでも偉そうで言い訳がましい印象がぬぐえなくて、本当に不思議なものだなぁと思う。
    どこから読んでも村上春樹の文章なのに、エッセイや小説と何が違うんだろうね。
    ご自分で分かっておられるのでいいんだけど、まえがきやあとがきは無い方がいい気がする。

    さて、文芸春秋に連載されていたのを読んだのもあれば、初読の作品もあり。
    どれも不可思議でおもしろかった。
    村上春樹は、これでいいと思う。

  • 村上春樹の短編集。2014年の近作です。
    女がいない、というか女を失った後、そのことばかり考えている男たち?
    かなり読みやすい方でした。

    「ドライブ・マイ・カー」
    俳優の家福は、専属のドライバーとしてある女性を雇うことになる。美人ではないが若くてそれなりに魅力はある女性。
    つれづれに、妻に浮気された話なども聞かせるようになる‥

    「イエスタデイ」
    20歳の頃の思い出。友達の木樽は、関西出身ではないのに関西弁を喋る男だった。妙なこだわりのある男で、理想の女性だという自分のガールフレンドを紹介し、僕に付き合わせようとしたのだ。

    「独立器官」
    美容整形外科医の渡会は、裕福でモテモテ。女性とは長く付き合わないのをモットーとしていた。ところがある日、本気になった女性というのが‥
    女には独立器官がある、と語る‥

    「シェエラザード」
    ハウスから出られない男に、世話係としてやってくる女性。淡々とセックスをして、時には昔の思い出を語る。
    好きだった男の子の家に忍び込んだ話などを。

    ほかに「木野」「女のいない男たち」
    浮気される話が多いので、ちょっと印象がごっちゃになってきて、みんな作家がバーで聞いた実話みたいに思えてきたり。
    いやそこまで現実味はないんだけど、でも何となくありそう。
    理屈っぽくてスタイリッシュで、冷静にも見えるけど‥じつは失恋にはこれほどの破壊力があるらしい。
    めんどくさい語り口には、女性としては、それがどうしたの?みたいな気持ちも一瞬浮かびますね(笑)
    現実味がないのは、すべて失われたことだからか!
    喪失感をいつまでも抱きしめているのも、男性は失恋体験にも名前をつけて保存、している状態ってことなんでしょうね。

  • なぜ「まえがき」があるのだろう。
    騒がれた北海道のあれのせい?
    すっかり「女を失う」ことに囚われつつ読んでいる。
    こうやって続けて失っていく男性たちを読むと、春樹の主人公の「かっこ良くて情けない」がしみてくる。
    亡くなった妻の浮気相手と友人になる家福。
    幼馴染から恋人になった彼女と上手く距離のとれない木樽。
    身を削る恋に突然落ちた渡会。
    彼女の寝物語に引き込まれていく羽原。

    「僕はたしかに決めの台詞を口にしすぎるかもしれない。」

    「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」

    女性はとても現実的で「嘘をつくための特別な独立器官」を巧妙に使い、男性はどこかボンヤリ霞がかかっているよう。
    「どこまでも冷ややかな複数形」。
    どの話もそういう視点か!と楽しんだけど、ラストの書き下ろしはいらなかったなあ。
    「木野」の余韻で終わりたかった。
    柳と猫と女と喪失。

  • 短編集。最後にいくにつれ内容が頭にうまく入っていかなくなる。
    私の頭じゃ理解ができない。
    「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」はいいと思います。
    何回も読んだら理解できるのかな~

  • 初めて村上春樹を知ったのは今から30年以上前、大学生だった頃にアルバイトをしていた書店で、平積みされた「風の歌を聴け」を手に取った時だ(それは完全に「ジャケ買い」だった)。それ以来、20代、30代は新刊が出るのを待ちわびたり、雑誌のインタビューをスクラップしたりとすっかり村上春樹にハマってしまった。

    でも、実はここのところ村上作品が退屈に感じるようになっている。本作も、前半はなんだかちょっと退屈だった。おもしろいと思ったのは、後半に載せられている「シェエラザード」と「木野」かな。特に「木野」はピリピリと緊張感があって私好みだった。

    「風の歌を聴け」だったか「羊をめぐる冒険」だったか忘れたが、「僕」が「鼠」の書いた小説を評価する点として、登場人物が「女と寝ない」ことと「死なない」ことだ、と言う場面がある。人は誰でも女と寝るし、いつかは死ぬ。当時これを読んで、いたく感銘を受けたのだが、本作には男女の交わりと死が溢れている。というか、それが中心の作品群となっている。

    この本はおもしろいのだろうか?退屈なのだろうか?想像力の乏しい私には少し退屈に感じた。でも、売れるんだろうな。

  • 二、三年に一回のペースで、「村上春樹読まなきゃ発作」に見舞われます。
    恐らく私に限った発作ではなく、多くの読書家の皆様も、似たような症状に襲われること、少なくないと思うんですが、いかがでしょうか←

    「たまには古典名作と呼ばれる作品に触れたい発作」

    「普段は恋愛小説なんて読まないけど、時にはオトメな感性に触れたい発作」

    「とりあえずビジネス書読まねばという強迫観念ぽい発作」

    上記に並べたのは一部の症状に過ぎません。本が好きな方なら、似たような通過儀礼がおありでしょう。

    特に理由はないけど読まねばならぬ!
    何故ならそこに本があるから!

    そんな数ある発作の症例中、一際存在感を放つ作家がこの方、村上春樹先生です。

    村上春樹、そんな好きじゃないんだけど。

    別に新刊出るたびチェックしたりするわけじゃないんだけど。

    何か、本好きとして?
    読まねばならないんじゃないか、みたいな??
    読まないと、なんか損してる気分になっちゃうかも、みたいな??

    数年に一度襲い来る、謎の「読まねば」発作に襲われて、今回も購入しました。ハイ。




    導入長すぎ

    本編感想はササっと箇条書きいきます←ひどい


    ◉ドライブ・マイ・カー
    アーバンでラグジュアリな雰囲気漂わせてくるんだよな。この作品の舞台が東京以外だったらすごい違和感、みたいな(分かりづらい)。

    ◉イエスタデイ
    こんな会話を、こんな言葉を選んでできたら、素敵だね。粋だねぇ。村上作品を読むと、いつも思うな。思うだけだけど←


    ◉シェエラザード
    「物語の中で語られる物語」に魅了される。夢見るような感覚と、酩酊する感覚の狭間のような心地よさ。

    ◉木野
    後半、突然それまでの静謐な雰囲気が一変しちゃって少し戸惑ったけど、その感覚含めて好き。収録作品の中で、一番のお気に入り。
    語り手は物語の中心に微動だにせず立っていて、物語はそんな彼の周囲だけで進行している。主人公であるはずの彼を置いて。

    ラスト。赦し、諦めていた男を襲った感情の奔流に、ただただ圧倒される。並べられた言葉が、こんなに迫ってくるなんて!

    ◉女のいない男たち
    最後の表題作で、これぞ村上節!って唸らされた。思いっきり創作してるのに、「現実に引き戻された」と感じるこの感覚はなんなんだろう(笑)。
    男にとって、一人の女性を失うというのは、彼女にまつわるあらゆることを失うのと同義、らしい。それが本当なら、恋多き男は大変ね。女は別れた後も、失わずに引きずってるから、男よりは得るものはあるって言えるかもね(笑)。

  •  表題作「女のいない男たち」を含む6編の小説が収められた村上春樹の短編小説集。
     「まえがき」にて著者自身が解説しているが、短編集といっても無関係の短編小説が集められて構成されたものではなく、本書はあらかじめ「女のいない男たち」というモチーフの下で全ての短編が創作されたものである。

     本書のタイトルが根底を流れるモチーフということもあり、6編の最後に位置された表題作「女のいない男たち」以外、すべて特定の異性のパートナーを持たない男が主要人物として登場する。(表題作の主人公だけは妻帯者。)彼女と別れた者、妻に先立たれた者、愛する人に裏切られた者、中年女性との関係だけが外界との繋がりとなっている者。
     男にとっての女とは何か。本書の中で男は女に裏切られ、傷つけられ、弄ばれ、捨てられる。しかしそれでも男は女に癒しを求め、安穏を求め、理想を求め、理解を求める。大切な女性を失って初めて自己を見つめ直し始める彼らは、人として何か重要な部分が欠けているようにも、純粋ゆえに世の中が打ち捨てた物を捨てきれずにいるようにも見える。

     春樹ワールドを形作るものは何か、それはやはり「化膿した心の持ち主による乾いた会話」と「漂い続け雑踏の中に消えていく人生の謎」ではないかと本書を通して思った。
     まず、村上春樹作品の登場人物たちの多くは心に抱えた傷や不安をうまく消化することができず、諦観にも似た雰囲気を漂わせる。それはまるで傷の処置を怠ったが故に傷口が化膿してしまったが如く、心に膿を持つ。その化膿した傷口を他人に触れられたくないがために、彼らの会話は乾いた口調での語りとなる。表面上の摩擦を怖れ乾いた会話をする彼らの内側には、赤黒い血が流れ続けているのだ。
     次に、多くの現代小説はその物語の中で謎を拵え、それを解明していくことがひとつの大きな流れとなっている。村上春樹の小説にも謎は設置されるが、しかしこの謎はいつまで経っても解明されず物語の中を漂い続ける。そして読者を置き去りにしたまま物語は勝手に幕を下ろす。謎を残す小説の多くがそうであるように、読者はそれを独自の答を導き出せという著者からの投げかけと受け止める。よって読者は考え出すのだが、与えられた謎があまりにも漠然としており、読者は満足な解答を導き出せない。そしてそのまま読者は現実の生活へと戻り、謎は日々の雑踏の中へと消えていくのである。我々が現実において出会う「人生の謎」も同じではないだろうか。その謎は明確な解答が見つからずに漂い続け、いつのまにか雑踏の中へとその姿を消す。他の現代小説の多くが「小説の謎」を設置するのに対して、村上春樹は「人生の謎」を読者と出会わせるのだ。
     これらは春樹ワールドを構成する一要素として挙げられるのではないだろうか。しかし一体いくつの要素を積み重ねて春樹ワールドは構築されているのか。まだまだ奥は深い。

  • ◆境界ぎりぎりにこじらせた恋。肉体関係を結んでさえ、手に入れられない彼女の一部。彼女との繋がりを突然失うことへの不安。彼女の残像に、彼女のつけた染みに、気がつかない振りをする。
    ◆一人きりの時間が必要なある種の人間は、丸ごと誰かに理解されることはなく、丸ごと誰かを理解することもない。〈両義的〉な「空っぽ」。その空白が呼び込むもの。本を読むあなたの・私の物語。
    ◆『多崎つくる…』の物語で腑に落ちなかった「空っぽの容器」にこの本で回答をもらった気分。なるほど…。皆が見ないふりして折り合いをつけている〈もやもや〉を、村上春樹は放っておかない。迷宮に確かめに行くんだ。

  • 2005年の『東京奇譚集』以来の短編集。「文藝春秋」に掲載されていたものを中心にまとめられた6編。
    村上春樹の小説に「喪失」はつきもので、なので「女のいない」……様々な事情で去られたり手に入れることができなかった「男たち」のストーリーはすごくしっくりと私の中に入ってきた感じです。

    登場人物の名前の付け方にはいつも特徴があるけれど、今回は「家福」「木樽」「渡会」「羽原」「木野」と、ちょっとそこらじゃ知り合えない様な名前ばかりで、それがまたそれぞれのストーリーに一種不思議なニュアンスを与えている気がします。
    近々、「青山の根津美術館の裏手の路地の奥」にあるバーに行ってみることにします。妻に去られた寡黙な『木野』がバーテンをしていて『ドライブ・マイ・カー』で家福が、死んだ妻の浮気相手だった男とお酒を飲む場所に。

  • 村上春樹の短編集。
    いや~よかったです。

    世の中には男と女がいて、
    そこには愛と性があって、
    時に、深く傷つき、悩み、考えていく。
    乾いた内容の作品もあったけれど、
    人生に大切な何かが、ところどころで問いかけられた。
    人間として、考えなければいけない何か。

    最後の数ページは、また読み返したくなるような詩のような文章。ハルキニストには程遠かったけれど、初めて
    心がすこし揺れました。

  • 人の痛みが判るか判らぬかは、その人の人生の意味の重さと深さを決めてしまうと言ってもいいのではないだろうか。
    それと同じに、この物語のテーマである「喪失の痛み」をくみ取るだけの感性を持ち合わせているか否かが、本作を含む村上作品のなかのある作品群の重さと深さを受け止める為に不可欠な素養である。

    最初にお断りするが、私は村上春樹の研究者ではないし熱心な読者でもない。まだ『1Q84』も『海辺のカフカ』も『羊をめぐる冒険』も読んではいない。だから、村上春樹の全作品をアルプスのような大山脈にたとえるならば、私は万能な山岳ガイドではない。けれどもあるひとつのルートからひとつの峰に至る道筋だけは踏破したことがあって、人にもその道筋だけなら示すことができる。いうなればワンルートガイドにすぎない。そういうつもりで以下をお読みいただきたい。

    短編『蛍』→長編『ノルウェイの森』→短編集『女のいない男たち』
    私が案内できるのはこのワンルートだ。
    村上山脈には遭難者や迷子が多い。この当代随一の流行作家を嫌悪する人たちの批判口や、膨大な愛読者たちの大半はワンルートガイドたる私の眼から見ると皆誤って樹海に迷い込んだり谷底に落ちる一歩手前の誤りに陥いっているように見えてならない。
    毒舌が売り物で一応知性派と思われているお笑いタレントが、
    「村上春樹には人間が書けていないだよな」
    と、テレビで発言しているのを見て目が点になったことがある。
    また、若い愛読者が二三行のレビューで「またあのおっさんがキモいエッチの描写してて」
    とか、ツイートに毛が生えた程度の短いコメントを書き込んでいるのをみて私はやはり辟易する。
    彼らには、なぜ自分たちが春樹作品を読まずにいられなかったか、作品について何か発言せずにいられないのか、自分でも判っていない。
    人間の内奥の深いところに潜んでいる「痛み」を感得する感性がなければ、この書き手が村上ワールドなどと称される筆致の底に密かに忍ばせた物語の真の意味を捉えることはできない。それを捉えることができなければ、物語は「浅さくて軽い」ものでしかない。

    私がお示しするルートは、必ずしも山脈の最高峰を極めるものではない。最も安全なルートでもないかもしれない。その可能性は最初にお断りしした。しかし、ひとつだけはっきり言えるのは、『女のいない男たち』で描かれているのは軽くもなければ浅くもないテーマだ。真摯な文学者が正面から取り組むべき真っ当な主題であって、受け止める素養のない人たちに揶揄されたり軽く扱われたりされるべきものでは断じてない。
    冒頭の『ドライブマイカー』では、妻を失った夫と不倫相手を失った男が、同じ一人の女性を失ったという「喪失の痛み」故になぜだか通じ合ってしまう。そうして夫は、妻が死ぬ、つまり妻を失う遙か以前から自分は妻を失ってしまっていたことに気づく。そうしてそれは、妻もまた抱えていた「喪失の痛み」をともに抱えるこができなかった過去につながってゆく。
    ひとつの例外を除き、六編すべての「男たち」は、その痛みとともに生き、あるいはそれに気づかずにいて思いがけず気づいたときには手遅れで命を落とし、やはり気づかずにいて遠い遠い回り道をしたあげくにその痛みと出会って初めてしずかに泣く、そうして初めて物語の中の「男」は救われ、ともに涙する読んでいる男(あるいは女)も救われる。

    そんなそれぞれの「痛み」の深さと重さをしずかに丁寧に村上春樹は描いている。いきなり『ノルウェイの森』を読んだのでは見過ごしてしまう危険のあるその道を、その代表的長編作の予告編でありエッセンスが漏れなく凝縮された『蛍』をあらかじめ読んでおくことでくっきりと見えてくるひとつの道がたしかにある。
    ワンルートだけを辿ってみてもその高いところには到達で... 続きを読む

  • 「一気に読む」というよりは、「ひとつずつ読む」方がしっくりくるような短編集でした。

    春樹さんの本は、今までどの本も一気読みしてきたので、その意味では私にとって珍しい感触の一冊でした。

    出会う前は、誰もがひとりで、ひとりでいるのは平気だったはずなのに、別れた後、ひとりがさみしく思う心の不思議を思いました。

  • 『多崎つくる』から一変、今作は素晴らしかった。これでもかという春樹節。80年代後半から90年代前半(つまり、『世界の終り』、『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥』あたり)の一番好きな村上春樹のカラーがとても出ていると思う。独身者であったりDINKSであったり、扱うテーマは至って都会的であって、言葉一つ一つの置き方もすごく丁寧で適切。
    シェラザードがMONKEYに掲載されたときはん?って感じだったけど、こうして一つのテーマを軸とした短編として見ると完璧に一つのピースとして収まっている。
    それぞれ素晴らしいが、『イエスタデイ』は『ノルウェイの森』の雰囲気にかなり近い。そしてなんといっても『木野』。『ねじまき鳥』かと思うぐらい完成された素材であって、次第に回転率を上げて行って最後は高速回転のまま一気に弾けて終わる。短編がそのまま膨らんで長編になることがよくあることを考えると、このままでは終わらないだろう感じ。自作に繋がるであろう気配がすごくする。

  • 6つの短篇を収録。ただし、最後のは「あとがき」のようなものなので、5つの物語+1といったところ。いずれも、シングルモルト・ウイスキーとビターチョコレートの味わいだ。恋の物語は、通常はその成就までを描くが、ここではその喪失を描く。鷗外の『舞姫』に似た手法だ。失われた時間は、それ自体でロマネスクだという意味において。タイトルは「女のいない男たち」だが、内容的にはむしろ、男にとっては、とうとう最後まで理解の及ばない、女のある部分を描いた小説だと思う。つまり、これは喪失とすれ違いの末に取り残された男の物語なのだ。
     篇中でもっともせつなかったのは「イエスタデイ」。ちょっと珍しいのは「吉備津の釜」(『雨月物語』)の物忌みを思わせる「木野」か。
     また、「木野」にトーレンスのプレーヤーとラックスマンのアンプとJBLのスピーカーを組んだオーディオが出てくる。たしかにジャズを聴くのだから、これでいいような気もするが、トーレンスとラックスマンの組み合わせなら、スピーカーはむしろタンノイかと思う。

  • 村上春樹の短編集は初めて。

    中でも『シェエラザード』がお気に入り。
    身体を重ねたあとの気怠さの中で、まるで『千夜一夜物語』のシェエラザードさながらに物語る女。

    物語る女って、神秘的な感じがする。

    この話の末尾を引用したい。
    「女を失うというのは結局のところそういうことなのだ。現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女たちの提供してくれるものだった。」

    この短編集の根底にあるものだと思う。

    女が男を失うことは、生計としての生きる術を失うことと同義であったり、やたらと情緒不安定的に語られるように思う。
    この作品から、男が女を失うことは、ある情緒的な何かをぽっかりと失ってしまう感じが読めて、それは私にはないことに思えて不思議だった。

    見知らぬ男に身体を委ねる女に、傷付き苦しむ主人公たち。
    その歪みが至る所に滲みでていて、愛おしい。

    私にはなかった感覚を味わう一方で、車を運転する女は二種類いる、といった細かい設定に対して、酷く共感もしてしまった。

  •  女のいない男と言っても非モテの短編集ではなく村上春樹文学でしばしばメインテーマとして扱われる「喪失」がこの短編集の根底にもまた流れている。そんな短編集。
     しかし不思議と今作は暗いとか重いというネガティブな読後感を覚えなかった。テーマからしてももちろん明るくはないのだけれど、暗くない。この差は登場人物、主人公達の成熟にあるのだろうと思いながら私は読み終えました。つまり作品の終わりが再びはじまりに戻っていくようなループを繰り返すノルウェイ等と違い、悲しみのやり場、逃げ場を獲得しつつあるような成熟を感じましたが、どうでしょう。

  • やっと、読んだ。
    これはこれで、面白かった。その後、が気になるのもあるけど。

  • 短編集
    付き合つたり、出会つたりしてSEXをした彼女とのその後、彼らが彼女がいなくなってしまった男の寂しさが描かれた小説でした。
    「女のいない男たち」
    14歳の純粋な恋心を大事に抱いていた彼に真夜中の彼女の死の知らせは、彼女の好きだった[夏の日の恋]のメロディーと共に流れてきた。

    2016年12月2日

  • 「色彩を持たない***」があまりにひどすぎたので、本書もどうかと思っていたが、そもそも短編の方が出来にむらがないし、従来の春樹節もあり、まあまあ。とはいえ、テーマがテーマ(初老・中年の女性関係総括)だからか、主観的にすぎ、どんよりと重苦しく、正直気持ち悪い部分もある。体臭が濃すぎるといった感じ。自分が春樹の短編に期待する、軽やかでありながら、あとをひく、鮮やかなイメージ喚起力といったものはあまりなく、たぶん読み返さない。でも、本書を読んで、村上春樹は作家として死んではいないことがわかり、ほっとした。

    【以下寸評】
    「ドライブ・マイ・カー」:まぁまぁ。運転手のみさきの造形はよい。
    「イエスタデイ」:ノルウェイの森・カフカと同様のモチーフ。ふーんといった感じ。
    「独立機関」:「プールサイド」「トニー滝谷」と同様のモチーフだが、この二つの方が遙かに優れており、これは嫌い。
    「シェラザード」:本人は一番気に入っているようだし、構造やモチーフも凝ってるし、それもわからなくもないが、やり過ぎの観があり、気持ち悪さが残る。
    「木野」:これが一番よかった。「タイランド」と同じモチーフか。これを膨らませた長編を読みたい。
    「女のいない男たち」:はぁ。なんかね。

    【好みの村上春樹の短編】
    「タクシーに乗った男」「レーダーホーゼン」「プールサイド」(回転木馬のデッドヒート)
    「沈黙」「トニー滝谷」(レキシントンの幽霊)
    「納屋を焼く」「蛍」(納屋を焼く、蛍、その他の短編)
    「タイランド」(神の子たちはみな踊る)
    「午後の最後の芝生」(中国行きのスローボート)

  • うーん、楽しめた。
    目次の順に読み進めると入って行きやすい構成になっていたと思う。

    ドライブ・マイカー 妻を亡くした俳優と臨時の運転手の話。寡黙な運転手と俳優の関係が単なる雇用関係ではなく友人でもなく、離婚10年後目くらいに会った親娘くらいの距離感がいい感じ。
    面白かった。

    イエスタデイ 神戸出身の標準語を喋る主人公と世田谷出身の関西弁を喋る友人の話。木樽が何考えてんだかわからん。

    独立機関 恋煩いの医師の話 なぜ死に至る病になったのか………

    シェラザード 専有屋と思しき男と世話係の女との寝物語。まぁ面白かった。女の変態チックな昔話 少しスリルがあった。


    木野
    面白かった。
    妻に裏切られた男のその後の日常を描いた内容かと思いきや、突然阿刀田高ワールドに。
    でも、面白かった。

    女のいない男たち
    前書きは、この話のためのものかな。
    関係者じゃないとわからない。

    全般で生々しい描写があるが、性欲を刺激しないよう抑制されている。それなら別に書かなくてもいいと思うが、これがないと健全な村上作品と言えないと思う。

  • めちゃくちゃ面白かった。久しぶりの大ヒット!

  • 村上春樹づいています。
    これも短編集です。
    珍しく前書きなどがあり、作品の解説やちょっとしたエピソードがしたためられています。
    その中で、小説のなかで北海道の実在の地名を出して書いたことが、町のイメージダウンにつながるというクレームが来て、地名が特定できないようにしたとか、ビートルズの著作権の問題とかが書かれていて、北海道の件は新聞にも載っていたのでよく憶えていますが、あ~このことだったのねと読みました。特にイメージダウンするようなことは書いてありませんでしたが。
    逆に村上春樹さんに取り上げてもらった、ということを逆手にとって町の活性化を図れば良かったんじゃないかな、とも思います。
    お話はどれも男女にまつわる事柄で、ある人が自分のあるいは知り合いの事を語るという形で、それがとても良くできていて、読んでいるうち内容がすごく濃く、深くなり、これはどういう始まりからこうなったのか?とふっと我に返り最初に戻り確認するということもありました。
    しかし「木野」という話、「猫」「へび」「カミダ」などのキーワードを与えられ、はい最後はお好きなようにと突き放されてしまったのには参りました。

  • 相変わらず春樹さんはひっそりとした、でもゾクゾクするあの時間&空間を描くのが上手い。そして比喩。そして、オリジナルな格言。
    全体のクオリティとしては、私のベストではないけれど。

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女のいない男たちの作品紹介

村上春樹9年ぶりの短編集「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」。表題作は書き下ろし。

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