ボラード病

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著者 : 吉村萬壱
  • 文藝春秋 (2014年6月11日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900797

ボラード病の感想・レビュー・書評

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  • 「ハリガネムシ」以来の吉村氏。前半はけだるくってぼんやりして見えなかったけど、後半にいくにしたがって面白くって、最後は一気読みしてしまいました。なんかこう…たまったものが一気に爆発してはじけて気持ち良かった…。と書くと変かもしれないけど、変な爽快感があった。

    震災に限らず、一つの事に限らずに国や行政、共同体が隠した(隠してきた、隠している)、見て見ぬふりをしてきたことが、たくさん浮かぶ。もうみんな見えてしまっているし今までのように、隠しきれないような気がするんだよね。私もこの病気に近いような状態かもしれない…と思った。

    そして、もっとじっくりと読みたいと思った。海育ちなので見たことはあるけど、岸壁にあるあれが「ボラード」ということを初めて知った。面白かった。ドウチョウする病。

  • うっすらわかりかけてはいたものの何が病であるのか、考えながら読みすすめる。海塚は明らかに病。この病は序盤で考えていた病状よりもずっと深いし歪んでいるし、強い。確かにこんな町、どこにもないし、全部がそうとも言える。考えるふりだけするのもまた病。ラスト付近、この著者の短編「不浄道」をふと思い出す。(長らく知人から返ってきておらず、連絡がつかないので私の記憶のみ)「ほらここも」「こっちも」みたいなリズムで、時折私も海塚的なイデオロギーに乗っかるふりぐらいはしようかなあと思ったりする。ごくたまに。でもやっぱり、無理だよって思う。どいつもこいつも、ってこころの中で舌打ちする自分がいる。
    主人公恭子があまり頭のできがよくないというのが全体的に風通しを良くしているというか押し付けがましさを排除できている要因なのだろうか。
    「馬鹿だと思いました」とかいう率直な言葉にさえ艶を感じるのは吉村萬壱作品ならではだと感じた。

  • いかに、「監視社会小説」にならないかが、この小説の鍵であり、読んでいる人間の緊張感を保たせるポイントだと思われる。原発という言葉は一度も出ていない。出したら、「監視社会小説」になり、読んでいる人間が「なーんだ、こういう小説か」と思ってしまうのだ。真意はどうあれ。
    なので、できるだけ本質に近づかない。まるでアダム徳永の愛撫のように書くのが、著者の方法だし、そうしなければならなかったし、自然とそうなっているのだと思う。
    母親の描写の恐さが冒頭から目立つ。静謐で、何かが異常で、すべての人間が信用できない気味の悪さが、はっきりと書いていないのに文章からにじみ出ている。小山田浩子の「穴」の日常の異様さが最初から始まっているのだけれど、「穴」とおなじく、納豆の糸を使った描写を、いいところで使っている。あと、うさぎのように横目で見ている男の子のところの書き方。一文で的確に描くその冒頭から中盤にかけてのこだわりようは、すべての行がパンチラインで、驚くべきものだった。序盤から中盤に書けては、今まで読んできた小説のなかで、ダントツで興奮させられたし、一区切り一区切りが超上質の短編小説のようだった。
    『私たちはいつもの郵便局のところでさよならをしました。それから私は、「何よ貧乏のくせに、何よ……」と呟きながら帰りました。』のところのあたりが最初に「くる」ところだ。びりびりくる。特に貧乏というのがいい味だしている。貧乏というのは、安売りスーパーマーケットで安易に食物を大量に購入できるので、あまり見えてこなかったりする。貧乏なのかどうなのか、見えにくい。金ないという友人にずっとおごってて、家にいったらめっちゃ一軒家のいいとこの家だったり、割り勘したりおごられたりしていた人のところに遊びに行くと、狭いワンルームだったり。どのような貧乏を書けるかというところで、母子家庭のどぎつさ、ラブホの清掃と財布作りというえげつない母親設定は、作者の超本領だ。

    「その抜かりのなさに却って母の気配が色濃く残っていました。」という娘の気づきも良いし、「鳴らす必要のない呼び鈴を鳴らしました。」というのも、近所づきあい含め、いろんな面で、いっさいの無駄や、空気を読まない行動は許されないという型を、良い描写で表していると思う。

    「チヒロちゃんの口ばかりみて!」「しゅしゅしゅっ」と鋭い声を上げましたとか、母親というかおばさんの描き方がとてもよく、そのわりにこの母親はおばちゃんというわけではなく、結構若い、30代後半なのである。
    そして母親に近い年齢になるまでずっと監禁されているこの書き手は、いきなり序盤に登場する。「三十歳を超えた今では、ご覧のように文章を書くのが好きになっている私です。」と、序盤にすさまじいネタバレをするのだ。ハッとさせられる。これで最後まで読まなければならなくなった。
    「そのボンドは、後日川西さんが持ってくることになっていました。その説明を受けていたにも拘わらず、母は独りよがりな張り切り振りを発揮して、」という部分は、ボラード病の血筋というか、ここも、正しく合理的に行動できないという病のあらわれがでている。

    学校カウンセリングみたいなやつの「「恭子ちゃん、頑張らなくていいのよ」と言いました。物凄い口臭に息が詰まりそうでした。」という部分や、この相談員との問答が素晴らしい。問題がなくても、問題はあるでしょといい、しんどくなってはやく終わらせたくて問題はあるといえば、そこを責められる。カウンセリングなのに、警察の尋問と同じになっている。心にまで介入してくる「心理学」。

    「娘が死んでしまったことは、悔しくて堪りません。そういう運命だったのだとしか、言いようが御座いません。納得は出来ません。それは、一生出来ますまい。しかし、アケミは、海塚の子として、永遠に海塚と共に生きていると私は思いたい。」という演説部分は多くある小説の盛り上がり部分の一つ。テレビで流れる追悼番組のテンプレートのように、あらゆる人間の発露の部分が、テンプレートに覆われている。そのところを書き切っている。

    あと、似顔絵をプレゼントする場面で、似顔絵で相手のボラードを引き出したが、すぐに元に戻った浩子ちゃん。主人公には、ボラード病を引き起こす力を持っている。そこもいい。それから、母親が日記でハサミを切り裂くシーンも、二度目を読むと面白い。母の愛……とも読めるんだろう。

    土屋先生のプレゼン上手のところ。実家がお寺で、会話が受精卵の話で、エロ坊主をうまく描いている。そういえば、祖父の葬式の時も、母という字の点々は、おかあさんのおっぱいで、おっぱいのミルクを飲むわけですというわけわからん話をされたものだ。とにかく坊主はエロ話しかしない。

    「新学期が始まってから今日までに、七人の尊い命が天に召されました。」というところとか、この小説は、ずっと葬式をしているようだ。そして、絶望の中で、希望と思えるものは、尻毛の話で家族団らんする場面。かなり泣ける。ボラード病にかかると、こういう団らんを求めるんだよなぁと。

    次に、海鮮丼を食べる場面が素晴らしい。ゴムみたいな魚介類。醤油ご飯はうまいというのも説得力ある。ゴキブリでみんな箸とめるところは、ゴキブリだったらみんな箸をとめても逮捕されないし大丈夫なんだと、はじめて住民達に連帯を感じた。

    「母は呻き声を上げながら、私の手を握りつぶそうとしました。」は道連れ心中のようだ。まあここも、母の愛の描写。素晴らしい。とにかく、逮捕される理由がいまいちわからないのが面白い。曖昧でわからない。わからないから相互監視を強める。ますますわからなくなり、相互監視を強める。ゴミがなくなったら小石まで拾うエンドレス。これっていろんな運動や社会に言えることだ。

    終盤、世界を覚り、見方が変わってしまったシーンでの文章の安っぽさがいい。「彼は、ドキッとするほどのイケメンでした。」とか笑えたし、「野良犬はスマートな足さばきでアスファルトを小走りし」は、世界が美しく見えすぎて爆笑。逆に、世界に主人公が矯正されたようで、しっかし気が狂いっぱなし、ぜんぜんボラード病は治っていないのがよくわかる。

    最後に、大栗恭子という名前だが、大東亜共栄圏という文字に見える。

    この著者がバーで講演するのをぼくは聞きにいったが、人生で三番目くらいの絶不調で、ほとんど顔を上げられなかった。唯一、生気を取り戻したのは、著者に話しかけられたときだけだ。なので、バーの中で何か色々ボラード病について話されていたのだが、まったく覚えていない。

    大栗恭子が大東亜共栄圏に見えた「錯覚」は、ボラード病だろうか。

  • 震災後の閉塞感と、「絆」のような言葉(ここでは「結び合い」)に隠された薄気味悪さが巧みに描かれている。きちんとして礼儀正しく、助け合い、裏で蠢く悪事には気付かないふりをしてやりすごす、気づいて声をあげる者は抹殺する日本人の姿。
    この本が素晴らしいのは、そういった解釈だけでは収まりきれないところがあるから。震災がなかったとしても、ここに書かれたようなことは起こり得る。いや、既に何度も起こっていたし、これからも起こる。
    それを心に刻み込むことが、唯一それを避ける方法であることを教えてくれる。

  • 今となっては東日本大震災のことを思うけれど、そんな局所的な話ではなく、私達は世界を認識できるのか、認識しているのか、について書かれた、これは普遍的な小説だ。
    精神異常者は、恭子なのかもしれないし、母親なのかもしれないし、恭子と母親なのかもしれないし、海塚市民なのかもしれない。恭子のモノローグだから、というのとは別の次元の話として、それを特定することは出来ない。現実世界において、誰の考えが異常であるかを断言することは出来ないのだ。それは、異常と正常の境目は刻々と移り変わるものであるからだ。ある時代において正常な考えであったものが、別の時代においては異常な考えとなる例はたくさんある。
    そんな中で、「結び合い」の異常さに注目したい。東日本大震災の直後によく言われていた「絆」という言葉に、アンチの意見を述べれば人非人のように言われただろう。しかしあれから数年経って、いまだに故郷に帰れない人がいるという現実に思いを致す人はどれくらいいるのだろうか。つまり私が言いたいのは、「絆」などという耳触りの良いことを言っても、そんなものは一過性の、自己満足に満ちた、欺瞞でしかない、ということだ。人はいつだって、他人の幸不幸になど無頓着なものなのだ。
    ボラード病とは何か。私達を世界に繋ぎ止めるもの。人は自分の存在の正当性を確かめるために、異質な人間を作って弾圧する。そうして、私達は仲間だね、と確認する。常に「私達」の側にいられるように、誰かの異質さを見付けてはそれを指摘し、排除する。そうすることによって、「私達」の側で安心して生きていられる。安心して生きていられるならば、排除された側の人間のことなど考えもしない。ボラード病とはすべての人間のかかっている病だ。
    最後の一文には、しびれた。

  • 読後、暫く引き摺る小説。多くの書評にあるように、傑作なのだと思います。読み終えた直後に再読したくなり、ふとした時に「あの文章はそういう意味だったのか…」と思ったり。貴志祐介さん『新世界』と似たような読後感。
    読んでいるあいだは、この物語がどこに係留されているのか、はたまた放浪していくのか、ずっとわからないままの不思議な読書体験でした。
    読むにつれて、語り手である主人公・恭子の境遇や周りを取り巻く環境が浮かび上がってきましたが、ふわふわと頼りない浮遊物のような感覚…。
    震災後の我が国に対する警鐘なのか…その範疇には収まりきらない作品ですね。
    人間社会において、「ボラード」であることは正しいのか悪なのか、美しいのか醜いのか、幸福なのか不幸なのか。
    読み易いのにズッシリとこたえる読後感でした。

  • 本当のことを口に出して言えない、そこにどんな悲惨な現実があっても。
    架空の世界のようで身近に起きていること。あの事故後におきていることがかかれている、少し誇張して。
    風評被害と言い換えて食べて応援とかいって国民をだましているこの国のことを。

    子供目線でかかれているが実際は成人した女性が思い出しながら書いているという設定。
    なにかを隠してうすら怖い感じがしてとても気持ち悪い文章。とても計算されて短い小説にまとまっている。

    はっきり批判しないで架空の世界の小説のようにしないと書けないのはまさにこのお話のなかでおきていることと同じではないか。なんともやりきれない。

  • 恐ろしい小説を読んでしまった。主人公とその母はなぜここに住まなければならなかったのかとかは書かれていないので少し不満。しかし、監視社会だからどこに住もうとも意味なかったのかしら。いずれにせよ、日本がダメになっちゃうときはきっとこんな感じで言論統制されたり思想を否定され変人扱いされて転向させられたりするんだろうな、という恐ろしさがある。結局のところ、戦争を経ても日本人の隣組とか五人組的な気質は変わっていないという風刺と受け止めることにしたが…。

  • 怖い…。お手のできないうーちゃん、なぜなら(以下、判読不能)

  • 久しぶりに小説らしいものを読んだ。
    はじめは虐待ものかと思わせて、震災後のイジメのような場面もあり、どこかがおかしい、この違和感は
    何なのだろうと読fみ進められていく。
    後少しの結末を知るのが恐ろしくなる物語。
    よほど綿密に練られた構成なのだろう。

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ボラード病の作品紹介

デビュー以来、奇想天外な発想と破壊的なモチーフを用いて、人間の根源的な悪をえぐるように書いてきた吉村萬壱が満を持して放つ長篇。B県海塚という町に住んでいる小学五年生の恭子。母親と二人で古い平屋に暮らすが、母親は神経質で隣近所の目を異常に気にする。学校では担任に、市に対する忠誠や市民の結束について徹底的にたたきこまれる。ある日亡くなった級友の通夜で、海塚市がかつて災害に見舞われた土地であると語られる――。「文學界」に掲載後、各紙誌で絶賛され、批評家を驚愕・震撼させた、ディストピア小説の傑作。

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