春の庭

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (141ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163901015

作品紹介・あらすじ

第151回芥川賞受賞作。行定勲監督によって映画化された『きょうのできごと』をはじめ、なにげない日常生活の中に、同時代の気分をあざやかに切り取ってきた、実力派・柴崎友香がさらにその手法を深化させた最新作。離婚したばかりの元美容師・太郎は、世田谷にある取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた。あるとき、同じアパートに住む女が、塀を乗り越え、隣の家の敷地に侵入しようとしているのを目撃する。注意しようと呼び止めたところ、太郎は女から意外な動機を聞かされる……「街、路地、そして人々の暮らしが匂いをもって立体的に浮かび上がってくる」(宮本輝氏)など、選考委員の絶賛を浴びたみずみずしい感覚をお楽しみください。

感想・レビュー・書評

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  •  一読した時は何も感じず、そのうっかりすると、読み手の側を、いともあっさりと通り抜けていくような掴み所の無さは、主人公の「太郎」や、写真集『春の庭』に魅せられた、「西さん」といった、あまりにもありふれていて印象に残らない名前だからこそ、再読することによって、少しずつ見えてきたことを、拾い上げてみる。

     本書の主人公である太郎は、何をするにも面倒になりそうなことを回避する質ではあるが、先の先にもっと面倒なことになるところまでは考えない大雑把な一面とは対照的に、自分の生きている世界に対する見方は、とても繊細なものがあると感じ、それは自分の暮らすアパートのみならず、日常で見かける動植物や建造物、更には町の構造や地面の下に長い間存在するものへと思いを馳せる姿に、自分自身を慰めているような印象を抱かせた、それは人間のみならず、彼らと共に移り変わる世界と共存共栄することに生き甲斐を見出しているようなセンチメンタルさがありそうで、実はそうでは無い、淡々とした、ものの見方が却って気になってしまう。

     しかし、そんな彼の見方に於いて、時折、彼のモノローグに現れる、亡くなった父親への思いには、一際特別な思いがありそうで、それは、かつて人が住んでいた空き家を見るときの、彼の思いと似ているような気がする。

     それは彼が未だに、すり鉢と乳棒を目に見えるところに置いておきたい気持ちとも重なった、現実だったものが現実で無くなってしまうことに対する恐怖心であり、それは雲の上から地上を眺めたときに、初めて地図と同じ形をした世界を知ることによる、彼の世界に対する安堵感へと繋がっているように思われた。

     また、エゴノネコアシフシやトックリバチの巣を見た、彼の心境は、何故わざわざ面倒くさいシステムで生きているのかということであったが、それは『そうした仕組みができてしまったから続けている』といった、進化の過程に於いて、必ずしも効率性が重視されるとは限らないことに、彼自身気付いたことは、三年前の離婚時に元妻から言われた、彼自身の性格をそっと癒してくれるような、様々な生き方を後押ししてくれた出来事だったのかもしれない。

     彼にとって、とても愛着のあったアパートの立て壊しが決まり、次々と去っていく住人たち。かつて人の住んでいた部屋は、空き家のように、外見は同じようでいて全く雰囲気の異なるものへと変貌してゆき、それを肌で感じ取る彼の姿には、まるで人が去ることによって、命の火が消えてしまったような建物の見えざる思いを映し取っているかのようであったが、現実はいとも容易く、それを壊して更地に変え、そして気が付いたら、何事も無かったかのように違うものが建っている。

     それでも、そこで暮らしていた、人から人へと受け継がれていった建物の歴史や思い出は、何かのきっかけで人から人へと話されて、時には共感を呼びながら、いつまでも心に残るような感慨も抱かせる、そんな人と住まいとの関係性は人生とも深く密着し、より彩り深くもしてくれるのだろう。


     しかし、そうした思いを抱いても、何か釈然としないものが漂うのは、物語に於いて、太郎の内面を推し量ることが出来る機会は、あくまで断片的な、時折ひっそりと顔を覗かせる程度の少なさであり、おそらく終盤の別の者の視点の描写が無ければ、もっと得体の知れない人間として印象づいただろうと思われた上に、お墓や不発弾、そして上記のすり鉢と乳棒の使い方も含め、いくつかの不穏なワードが何気なく登場しながらの、太郎自身の、西さんのことをあれこれ言っておきながら、それに矛盾した行動と、勿論それらに対して、自分事のように共感出来るのであれば、どんな奇異なものでも構わないのだが、そうした全ての出来事が、そこかしこに浮かび上がっては消えてゆくのを、ただ眺めているだけといった、結局は、最初に書いた掴み所の無い印象へと帰ってきてしまった。

     人と住まいに纏わる、日常のささやかな出来事を切り取った物語は、主人公の繊細な内面を覗かせながらも、そう感じさせない言動と、写真集の家に魅せられた、西さんの怖いほどの無邪気さと、彼らを取り巻く、愛情があるのか無いのか、よく分からない人達と、どこか歯車の一つが微妙に噛み合わないような、そんな漠然とした違和感が絶えず付き纏う感じでありながら、上記のような世界と同化するような眼差しを感じられたのも確かなことが、結局は私の心に何も置いていかずに、ただ通り過ぎていったのだろうか?

     出来うる限り、こうなのではないかといった、私なりに、作品の意義に思いを馳せてはみたものの、これだけ心に響くことも書いてありながら、読後に何も感じない小説を読んだのは正直久しぶりであったし、これが誉め言葉なのか、そうで無いのかも、正直なところ、未だに分からないのである。

  • 何気ない日常のよう。
    ある日、同じアパートに住む女が不可解な行動をしていた。
    気になってあとをつけると裏に建つ水色の家を眺めてアパートに戻るというだけ。
    そのうちベランダを貸してくれと言う。
    水色の家を見たいだけたと。
    そんな会話から彼女が、「春の庭」という写真集を見せて、それが水色の家であること。
    本当は家の中までも見たいのだと…

    そんな流れで始まる物語。
    そこに人が住み始め、仲良くなり念願かなって家の中に入ることもでき…
    やがて、引っ越してゆく。
    アパートの住民も次々と…。

    そう、春は引っ越しも多いのだと感じた。
    つい昨日も息子が引っ越しする予定だと言ってた。
    これから物件探しだそうだ。

    春の庭を見ていると引っ越ししたくなってきた。
    行くあても理由もないけれど。
    なぜか、そんな気持ちになってきた。

  • ◎あらすじ◎
    築三十一年のアパートで暮らす太郎はある日、2階の窓から身を乗り出し隣家を眺める女性を目撃する。彼女はアパートの隣に立つ洋館風の水色の一軒家に強く興味を惹かれていた。それは彼女が読んだ写真集『春の庭』に出てくる家なのだと言う。彼女はやがてその洋館に住む住民と親しくなり出入りするように。彼女の執着を不思議に思いつつ、ひょんなことから太郎も一緒に洋館を訪れ、特に興味のあるお風呂場を見たいという彼女と行動をともにすることとなる…。

    ◎感想◎
    2014年に芥川賞を受賞した作品。以前はあまり読めなかった"純文学"だけれどこの作品は好きだと思った。私が年齢を重ねたからっていうのもあるかもしれない。

    家は確かに人が住んでいるか否か、または住人によって雰囲気を大きく変えるというのにうなずけた。住人の住んでいない家はどこかノスタルジックだけど、誰かが住みつくと途端に息づく。それが表現からまざまざと伝わってきて、読んでるうち、私も水色の洋館に惹かれてしまった!ぜひ写真集を見てみたいものです。

    太郎と、同じアパートの隣人、職場の人、姉との関わりも描き方が良いなと思った。彼らは深すぎず、ささやかにつながっている。その淡々とした描き方も好きだった。

    難しい考察はできないけれど、輪郭のある情景を想像させるきれいな文章と雰囲気を楽しみながら読みました。

  • そろそろ取り壊しになるアパートに住む太郎。そして別の部屋に住む西。西が好む「春の庭」という写真集に撮られてる建物がアパートの庭の向かいに立っている。

    恋愛ものでもなくサスペンス風でもなく、たんたんと過ぎていく日常。異様なまでに西が執着する水色の建物。
    一風変わった映画にでもなりそうだなと思った。

  • 終始不思議。ふわふわと宙に浮きながら、靄のかかった感覚を楽しむにはいいのかもしれない。情景の描写は、女性的な感性と細やかさが目立つ。残念ながら私の好みではなかった。

  • 登場人物がほぼ皆、少し気持ち悪い。
    気持ち悪いけれど、愛すべき人々と思えなくもない。
    視点が急に変わって乗り物酔いしたような気持ちになったのだけど、これは著者のよくする書き方なんだろうか。
    ソファだけの部屋は、やっぱり少し気持ち悪くて少し魅力的。

  • 『死んだら寒くないよと太郎は言いかけたが、その時唐突に、沼津が自分に向かって話しているのではないのがわかった。心に浮かんだことを口に出しているだけで、回答を求めてはいないと』

    柴崎友香は新刊が出るのを待つ作家の一人。 「きょうのできごと」から読み繋いで十四年。 その頃から何も起こらない小説と批評されることが多いけれど、自分にとって柴崎友香は普通の日常の中に詰まっている小さなできごとを拾って見せることができる作家で、何も起こらないことが、むしろ刺激的だとさえ思う。あるいは、ありふれた言い回しだけれど、柴崎友香は等身大の人物の描写に長けた作家であると思う。恐らく作家自身の年齢に近い登場人物を描く限りにおいては、と言い添えた方がよいとは思うけれど。

    若い男女が登場すると必ず恋愛沙汰に話を展開させる小説家もいるし、それに比べれば、柴崎友香の小説では確かに陳腐で大袈裟なことは起こらない。しかし、登場人物の心の内は風景の描写に大概は色濃く反映していて、それが瞬時に変わってゆく様が描かれている。そこを読み取ると、皆が小説の中だったらこんなことが起こるのになと想像するようなことを主人公も感じていることも解る。しかし、日常茶飯事にそんなことは起こらないよなと主人公が理解していることも同時に伝わる。そんな構図があるのが柴崎友香の小説だと思う。それは多分僕らの日常の中でも起きていることで、だから優れて日常のできごとを写し取る力が作家に備わっていることの証しでもあって、何も起こらない日常の話が逆説的に自分の人生を肯定してくれる感じにも繋がり、そこはかとなく気分がよい。柴崎友香の作品の中では何も起こらないと自分は感じない。もちろん小説の中でくらい夢をみたいという気持ちの読者の居ることも解るけれども。

    その基本的な態度は変わらないと思うけれど、最近の作品は主人公の心情がどんどん淡白になってきているようにも思える。風景の描写に託すような書き方が減っている。何をどう感じるかについて保留する様が描かれることが多い。それが作家の年齢に起因するものだと言ってしまうのも単純過ぎるだろうか。

    人生の選択は常に自分自身の意思で選び取ることができると考える人もいる。自分の好みは自分で判っている、と。しかし重大な選択もそうでない選択も、数を重ねてみて思うのは、それが如何に偶然に左右され易いかということ。もちろん基本的な志向は誰にでもあるので、同じような選択を迫られた場合、大体は同じ結果になる。しかしこれは確率の問題だとも言える。確率的には低くても同じ選択を重ねていくと何回かに一度は別の結果になる。あれ、何故自分はこちらを選んだのかなと自身を訝しく思いつつ。そういうケースが年齢を重ねると嫌でも溜まってくる。柴崎友香の描く主人公の心情が見えにくくなっているのは、そういうことがもたらす効果なのかなと思う。柴崎友香の中でそんな微妙な変化が起きているように思う。

    よう知らんけど、と言いながら若者は自分の直観を大事にして物事を判断する。年寄りは、色々と経験豊富な筈なのに判断しない。人生が五十年しかなったら惑うことなく決断もできただろうけれど、今の世の中、自分の決めたことが回り回って自身に降りかかって来る程に人生は長い。短絡的に結論を出さずいることは苦しい。ややもすれば物事を単純化して断定したくなる。その方が爽快でもある。しかしそこを我慢する。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。そこを我慢すると見えてくる筈と信じたい。そんな道の半ばに差し掛かってきたのかと想像する柴崎友香の作品が、面白い。

  • 私はおうちの出てくる、小説内におうちの占める地位が高い小説が大好きです。あと昭和の文学ならサロン的な場所が多く出てくる小説とか。(『鏡子の家』『真珠夫人』あと『或る女』の舟を降りてからの生活の場なんかもとても印象的。)『春の庭』は都内のとある格安アパートに住む太郎の視点を中心に据えて、「辰」室の西さん「巳」さんとの関わりを描いているんだけど、西さんは高校時代に出会い、大学時代も部室に置いてあった写真集「春の庭」のお家にご執心で、その家について熱く語り、ついに引っ越してきた森尾さんと親しくなり、家に上げてもらい一緒にご飯を食べるまでの仲になったりする。太郎が西さんと関わりを持つようになってから、アパートを立ち退くまでの一時が丁寧に綴られた小説。柴崎友香さんの小説は正直小説的な事件は何も起こらない。小説を読んでいるということを忘れるぐらい、登場人物や風景が目の前に迫ってくる。息付いている。徹底して日常的なこういう書き方は、優しいようでいて、安易な共感を(共感文化)を寄せ付けない厳しささえ感じる。『今日のできごと』『ショートカット』『星のしるし』とか読んだのはたぶん3年ぐらい前の話で、どこか部分を鮮明に思い出すというのではないけれど、たまに無性に読みたくなる作家さんなのです。

  • なんかぞわぞわした
    観察と興味とプライバシー……時間と空間と個人の境目がむにゃむにゃ溶けていく感じが面白かったです。でも最後姉の視点に急に切り替わるのと謎の映画撮影シーンが挿入されるのは本当にわからなかった笑

  • 不思議な読後感を残す物語だった。
    一見たんたんと、さほどの起伏もないまま話は進んでいくのだけれど、進行とともに微かな違和感や、緊張感が少しづつ高まってくる感じ。

    ラストに至っては、それまで読み手が頭の中で描いていた作品の世界観をひっくり返したような展開となり、冒頭とは全く違う物語となって終わる。

    騙し討ちにあったような気分。

    そしてこの小説の主人公はあの家だったんだな、と最後に知ることになる、面白い形の小説でした。
    【追記】
    柴崎さんの「百年と一日」という小説を過去に読んでいて、そこでも「不思議な読後感」と書いていた(笑)。
    私にとってこの方は、不思議な読後感を残す作家さんなのかもしれないな。

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著者プロフィール

柴崎 友香(しばさき・ともか):1973年大阪生まれ。2000年に第一作『きょうのできごと』を上梓(2004年に映画化)。2007年に『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。他の小説作品に『続きと始まり』『待ち遠しい』『千の扉』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)『よう知らんけど日記』など著書多数。

「2024年 『百年と一日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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