利休の闇

著者 :
  • 文藝春秋
3.06
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感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163902203

作品紹介・あらすじ

利休vs.秀吉、最悪の結末までの真実とは一体――。「信長の棺」著者が戦国最大にして最後の謎に挑む! 茶聖と称される千利休は、天下人となった豊臣秀吉の寵愛をなにゆえ受けたのか? しかし、最終的には秀吉から切腹を命じられ劇的な結末となったのはなぜか――井上靖の『本覚坊遺文』、野上弥生子の『秀吉と利休』、山本兼一の直木賞受賞作『利休にたずねよ』まで、日本人にとってこの出来事は永遠の謎であった。 戦国歴史ミステリーとして小泉純一郎元総理が絶賛、大ベストセラーとなった『信長の棺』にはじまる本能寺三部作ほか、独自の史観と圧倒的筆力で知られざる歴史の真実を掘り起こしてきた著者は、この「秀吉と利休の間で本当に何が起こっていたのか」を解き明かすべく、膨大な史料を読み込み、今回、まったく新しい解釈を読者に提示する。明日をも知れぬ戦国時代、信長と武将にとって「茶」とは何だったのか? 天下を治めた秀吉がそれに変化を求めたがゆえの黄金の茶室と北野大茶会の理由とは? そしてそれを見抜くことのできなかった利休の誤算とは――84歳の著者が作家執念で挑んだ圧巻の傑作ミステリー!

感想・レビュー・書評

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  • 利休の死の理由はなんなのか、たくさんの史料を検証しながら秀吉と利休について書かれた本。物語というよりは評論みたいな感じ。著者の歴史解釈が興味深かった。ラストの秀吉の台詞はなんだか物寂しかった。

  • 秀吉は針売りから身をおこし立身出世に邁進する、時代の流れに天才的な勘を持ちおまけに運までついていた。対、潔い求道者の利休という構図が浮かぶが。


    前に読んだ山本兼一著「利休にたずねよ」はまさに期待通りの展開で面白かった。
    今回の加藤廣著は、より信憑性を求めているのか、文献に沿って物語がやや細かく進んでいく。
    やはり、資料だけでは不明なことが多く、歴史書はここをどう埋めるかに腐心するのだろう。
    構想15年という「信長の棺」が話題になって評価されていて、とても期待していた。

    面白かった。
    秀吉の出自を引きずるいじけ具合や、出世第一の生き方、機を見るのに敏で、戦国時代ではこれに尽きるが、その上何かにつけてついていた。追従術にたけ呵責もなかった。やはりこれも秀吉の才能ということだろうか。

    こういう風に利休を語るには秀吉が付いて回る。利休はその時どうしていたか、この本では歴史の歯車は二人を乗せて回っていく。

    信長は、天才だったが、本能寺で焼き討ちに会い、ここでは生死も行方もはっきりしなくて、さっさと舞台から消える。光秀も討たれる。

    秀吉と茶道・侘茶との接点は、信長の好きな赤烏帽子だった。高名な茶道御三家の一人宗易(のちの利休)に弟子入りする。
    その頃の藤吉郎は利休の言う「遊び心の深さ」が言葉からしかわかっていなかった。

    藤吉郎は信長から「茶会許可証」をもらい得意満面で姫路城で茶会を開いた。それは自他共に密かに天下取りの一人者と認め、認めさせる外部アピールの瞬間だった。

    秀吉なりに向かう姿勢は違っても茶の湯茶道を理解していた。天下一になり湯水のように財力を使って、名器といわれる茶器を集め献上させて、それを披露し(見せびらかし)、手柄を立てた武将に下賜して、大いに力を見せたとしても。鑑賞眼がなかったのではない。

    ただ、利休は求道者だった。当時重用されていた宗家の二人を置いて秀吉の下で勝ち組筆頭になっていた。

    信長時代に認められ、茶器の巻手を任され、財力も蓄えていたが、秀吉は人使いが巧みだった。利休は面目をほどこし押しも押されもしない地位に就いた。

    このあたりから彼にあからさまに様々な波押しよせる、信長の死、朝廷の介入で叱責を受け逼塞、秀吉との立場の逆転など、茶の道を究めようとする中で、世俗の風にさらされることになる。

    弟子として見ていた秀吉が頭から指図を始める。賜った利休という名も気に入らない。
    それでも彼なりに処世を見極め、茶道で生き残るために節を曲げることも多かった。
    利休は若いころ放蕩もつくし、女もかこっていた。立場が危うくなると女の下に身を隠すこともした。

    一方秀吉はますます忙しく、東奔西走して、各地の武将を操り、力を広げていた。
    そして、子種なしと思い養子縁組までしたところにひょっこり茶々が懐妊した。

    得意絶頂で茶道の遊びは脇に追いやられ茶会の数も減って利休の陰も薄くなっていった。

    求道者という姿を持ち続けていた利休は、日が当たる秀吉という庇護者の光が陰ってくるにつれ、彼の闇は深くなる。

    彼も多少意固地で頑固だった。誰しも目指すところが深ければ深いだけそれに助けられて生きていくことが多い。自尊心・プライドに導かれている。
    利休はそれを捨てず貫いたというべきだろう。

    石田三成は、賢明だった。主君の命を察し利休の罪を探した。彼は見逃せば見逃せる大徳寺の木造を理由にした。

    堺に逼塞していた利休は刑の中でも多少軽いとされる切腹に決まった。

    その時秀吉は
    「愚か者め、ただの遊びにすぎぬのに」とつぶやいた。

    歴史の闇も深い。利休関係の本をただ二冊読んだが、山本兼一さんのものは茶器に造詣が深くそちらの面でも読み甲斐があり、ストーリーに利休の茶道にかける執念がにじみ出ていた。

    加藤廣著の方は、利休の生き方の生々しさと、立身出世という執念とともに茶道に向かう秀吉との対比が面白く、それぞれ違った味わいを持っていた。
    こういうテーマはやはり事実がどうであっても物語に入りこんでしまう。

  • 2021.0111

  • 利休(宗易)はなぜ死ぬことになったのか。
    それを利休と豊臣秀吉の関係を基に探る。

    宗易はわび、さびといいながら、華美な生活を送っていたことは私も本で見たことがあった。

    宗易の生き方と茶道での対極的な方向性の違いが利休をしに追い込んだのかなと思った。

  • 2016/10/26完讀

    野上的巨作擋在前面,對於這個主題還能寫出何種新意?作者從大膽的角度全新解讀利休與秀吉的關係。包括秀吉是山の民(藤原家後裔),小牧山時代秀吉就曾跟利休學茶,不過一開始秀吉的精美用語以及正座不習慣云云,那時應該還沒有在茶室正座的習慣吧?一開始就讓我讀得很卡。接下來又設想待庵其實是秀吉發案、利休一夜之間指揮建成的(躙り口是因為趕時間?!),雖然他說待是英雄待風雲般的意思,我可以同意,不過待庵是這樣建成的,還是缺乏說服力。不過宗易為了不輸給宗及宗久等人而在那個時點投靠秀吉,倒是有些可信。

    宗二在本能寺燒跡找不到つくも茄子的殘骸、信長等人並無屍骨引人疑竇,在卷末才引出秀吉可能將信長殺害,而似たり茄子在利休鑑定下根本就是真品,背後陰謀不言而喻,不過原因是因為秀吉同情天皇,這就又有點缺乏說服力。

    接著作者認為,秀吉一再挑戰師傅的美意識,金屏風其實在自然光之下很美,一點都不會有暴發戶趣味,這點我同意,但是金屏風不是秀吉發明的唉。這本書又提到北野大茶會也不是利休想要的,因為他認為未成熟者不可隨意嘗試野點。這也是秀吉的戰帖之一,他不能接受利休漸漸往型和僵化教條的茶事而去,留下一朵朝顏而剪去全部的殘酷他也無法接受。相對的利休的想法是要在秀吉的政權下協助推廣茶事,就要讓人民容易接受,所以故意運用粗陋野趣。

    這本書提到宗易曾經在天正九年被御所因為奢侈的理由放逐,最後利休這個號是因為秀吉的禁中茶會讓他換個名字(獲得宮中原諒及重生),希望改頭換面不再汲利,並不是什麼名譽的號。讓我訝異的是天正九年這件事,並未在其他小說出現過,不知真實情況究竟為何,是出自哪本史料?這裡說就像是代替信長受罪一般,因為信長為了使用茶具論功行賞,需要有人鑑定鑑價,當然也免不了抬價。只有這個史料讓我比較訝異就是了。

    就整部作品來說,這些許許多多的個人見解,整體而言說服力並不充足,應該說處處破綻,很像個人想像跟退休阿伯的個人趣味的史觀披露的作品,就一本小說而言並不嚴謹。雖然文章還算好讀,也有一定程度的娛樂性,不過不能算一本很精煉的作品,還頗有進步空間。最後附帶一提,京都腔寫得有點糟。阿伯你好歹找個京都的友人幫你改一下吧,就這樣端出來實在...。看來,小說裡面要把非母語的方言寫好,真的是一件非常非常困難的事,只靠外地路過的感覺來寫也只能寫寫皮毛,反而怪異。雖然贊同他的努力,不過還是很扭捏。這樣一來也不禁想,北條秀司出神入化的地步真的令人驚異!

  • 相変わらず、加藤廣は面白い。
    秀吉は様々な本を読めば読むほど、我が儘が増長していく程度が甚だしい……

  • 利休がキリシタンの影響が
    どれくらいあるか?
    気になって・・・読んでみた

    なんにも影響ないわあ
    古九谷キリシタン説
    あるかな?

  • 当時の茶会記などを抜粋しながら利休・秀吉の出会いから離叛までを解説した書。

    茶に対する思いの違いから二人の心持ちがどんどん乖離していく様が淡々と描かれている。

    先日読んだ利休に関する小説でもそうだが、彼の半端ない遊び人っぷりには驚愕!私がそれまで抱いていたイメージとはまるで違う人物像でした。でもそうでなければ侘び寂びなど思いつかないか…

  • 千利休について書いた本で、木下藤吉郎が千利休から茶の指南を受けるところから、袂を分かち、千利休に切腹を言い渡すまでが描かれています。

    一般的には、千利休が目障りとなり、豊臣秀吉が死を与えた、ということが多いですが、この本では、どちらかというと、いい人である豊臣秀吉と、我執により破滅した千利休という感じで書かれているのが特徴です。

    また、豊臣秀吉の変節について語られることが多い中で、千利休の変節について書いているところが面白いです。

    ↓ ブログも書いています。
    http://fuji2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-52fe.html

  • 歴史、実際には何が起きていたのか?

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著者プロフィール

加藤 廣(かとう ひろし)
1930年6月27日- 2018年4月7日
東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、中小企業金融公庫(現日本政策金融公庫)に勤務し、調査部長などを歴任。山一証券経済研究所顧問、埼玉大学経済学部講師を経て経営コンサルタントとして独立し、ビジネス書執筆や講演活動を行う。
50歳頃から、人生を結晶させたものを残したいと考えるようになり、歴史関係の資料類を収集。2005年、『信長の棺』で作家デビュー。当時の小泉純一郎首相の愛読書との報道があって一気にベストセラーになり、高齢新人作家としても話題になった。のちに大阪経済大学経営学部客員教授も務めた。
『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』を著し、『信長の棺』を含めて本能寺3部作と称される。ほか『水軍遙かなり』、『利休の闇』。その一方で『戦国武将の辞世 遺言に秘められた真実』、『意にかなう人生 心と懐を豊かにする16講』など歴史エッセイや教養書も刊行を続けていた。

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